Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, December 11, 2007

*Nonsense Theory, called "Because you are...." thoery

●『ダカラ論』(Because-theory)

In Japan we sometimes hear someone say, “Because you are a man”, or “Because you are a female”. I name this way of saying, “because –theory”. It looks like a theory but it is not. For example we use this theory like this. “You should do that, because you are a man.”,or “You should look after your father because you are the eldest brother.” Those who use this kind of expression in their conversation often are the people with no-brains. They say so because they don’t have a power or knowledge to think things by them selves. It is much easier to say so than to think by themselves. Most of this “because-theory” is based on the traditional thought way of Japan. Man is superior to Woman. Husband is superior to Wife, etc. But this is quite nonsense. Here I’d like to write about its stupidity.

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『ダカラ論』ほど、便利で、使いやすい
論理(?)は、ない。

「夫だから……」「妻だから……」「男だから……」
「女だから……」「長男だから……」「親だから……」と。

こうした言い方を日常的に用いる人は、それだけ
ノー・ブレイン(=思考力なし)の人とみてよい。

ここで私は「論理」と書いたが、『ダカラ論』は、
論理でも何でもない。ただの(こじつけ)。

つまりこうした言い方を頻繁に用いる人というのは、
ある一定の(形)を、頭の中につくる。つくるというよりは、
過去を踏襲する。自分で考える力がないから、世俗的な
常識を、そのまま引きずる。

その上で、『ダカラ論』を使って、相手をしばる。

最近でも私に、「浩司君は、男だから……」と言った人が
いた。私にはその意味が、よくわからなかった。
ついで、「だから、それがどうしたの?」と思ったが、それは
言わなかった。

『ダカラ論』をよく用いる人と議論をしても、意味は
ない。時間の無駄。彼らは世俗的な常識を背中に負っている。

だから、強い。だから、がんこ。だから、曲げない。

BLOGのコメントのほうに、こんな書き込みがあった。
ある男性からのものだった。いわく、

「姉たちの身勝手には、うんざりしています。
今まで、『あなたは長男だから……』と言って、
実家の世話など、金銭的な支出は、すべて私に負担
させてきました。

ところが最近、父親がなくなりました。とたん、
今度は、『私も子どもだから……』と、遺産分けを
要求してきました。

先生が言われる『ダカラ論』を、そのつど、巧みに
使い分けるのですね。卑怯だと思います」と。

さらに『ダカラ論』が進むと、「本家(ほんや)だから……」
「新家(あらや)だから……」となる。

『ダカラ論』を振り回す人は、あなたの周辺にも、1人
や2人は、いるはず。そういう人たちを観察してみるとよい。
たいていは、頭の中は、カラッポ。思想と言えるようなものは
何もない。

一方、『ダカラ論』を言われるほうも、これまた不愉快。真綿で
クビを絞(し)められるような圧迫感を覚えることもある。

自分自身の中にも、先に書いた世俗的な常識がしみこんで
いるためと考えてよい。知性や理性が、その世俗的な常識と
頭の中で衝突する。

つまり私たちは、『ダカラ論』を言われるたびに、自分自身
の内部に潜む、世俗的な常識と闘わねばならない。
「浩司君、君は男だから……」と言われたときも、そうだ。

一方で、「それがどうしたの?」と思いながらも、「たしかに
そうだな」と思ってしまう。この自己矛盾が、私の心を
圧迫する。

たとえば男女平等を唱え、その活動をしてきた女性に向かって、
「あなたは女だから……」と言ったら、どうなるだろうか。

さらに「女のくせに……」とか、「女は女らしくせよ」とか、
言ったら、どうなるだろうか。

たぶん、その女性は、猛烈にそれに反発するにちがいない。
私が感じた自己矛盾も、それに近かった。

人間に男も、女もない。夫も、妻もない。『ダカラ論』の
多くは、差別、偏見、権威主義、意味のない風習や伝統に結びついている。
『ダカラ論』をよく用いる人は、まず、それに気づくべきである。
つぎに『ダカラ論』を口にしたら、自らに、ブレーキをかけてみる。

子育ての場でも、同じことが言える。

よく自分の子どもに向かって、「あなたはお兄ちゃんだから……」
とか、「あなたはお姉ちゃんだから……」と話している親を
見かける。子どもに、年長者としての自覚をもたせるために、
そう言う。

しかしこういう言葉が、いかに、その子ども自身を追いつめて
いるか、親はそれに気づいていない。その重圧感は、相当な
もので、ときに親子関係を破壊することもある。兄弟、姉妹
の関係すら破壊することもある。

ついでながら、兄弟、姉妹でも、「兄」「姉」ではなく、名前
で呼び合っている兄弟、姉妹ほど、仲がよいということが
わかっている。上下意識がないため、(つまり平等意識がある
ため)、その分だけ、「友」として、仲がよくなる。

『ダカラ論』……まさに極東の島国独特の言い方と考えて
よい。少なくとも、英語国には、こうした言い方というより、
発想、そのものがない。

そんなことも頭に入れながら、日本人も、そろそろこの『ダカラ論』
と決別する時期に来ているのではないだろうか。

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