Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Monday, December 10, 2007

*The liberalization of the Education 【教育の自由化】

【教育の自由化】

The liberalization of the education is the tide of the world.

OECDが発表した、全世界の子どもの学力調査の結果を、もう一度、見てほしい。それがつぎの表である(06年)。

【世界の子どもたちの学力(learning Ability of the youth of the wrorld)】

(読解力)(Reading Ability)

1位  韓国(Korea)
2位  フィンランド(Finland)
3位  香港(Hong-Kong)
……
15位 日本(Japan)

(数学的応用力)(Math Application)

1位  台湾(Twaiwan)
2位  フィンランド(Finland)
3位  香港(Hong-Kong)
……
10位 日本

(科学的応用力)(Science Application)

1位  フィンランド(Finland)
2位  香港(Hong-Kong)
3位  カナダ(Canada)
……
6位  日本(Japan)

++++++++++++++

 この表を見て驚くのは、フィンランドが、どの分野でも、上位1~2位に入っているということ。

 以下、「imidas」(special版、集英社)の記事を、箇条書きに、まとめさせてもらう。

 フィンランドでは、

(1) 経済不況の中で、行政改革法を迫られ、規制緩和の方法を選んだ。
(2) 中央政府の権限を小さくした。
(3) ほぼすべての権限を現場に渡すことにした。
(4) こうすることで中間管理のコストをさげた。
(5) 教科書検定を廃止した。
(6) 学校査察も中止した。
(7) 政府は教育水準を維持するための情報を提供した。
(8) 学校と地方自治体が、カリキュラムを決め、個々の教師が教育方法を決めている。
(9) 16歳までは、他人と比較するテストは、行われていない。
(10) 教師の仕事は、正解を教えることではなく、学びを支援することである。
(11) フィンランドの教師たちは授業以外に、ほとんど負担がない。
(12) 学級定員は、20人程度。(小学校は16人程度)
(13) 社会が勉学条件の格差を埋め、ひとりも落ちこぼれをつくらないという教育体制をとっている。(以上、要約)

 つづくつぎの段落には、こうある。そのまま抜粋させてもらう(P147)。

「フィンランドの学習理論は、社会構成主義であると説明されている。子どもが置かれた状況に応じ、自ら意欲をもち、知り得たことや考えで整理したものが知識であるとみなす。したがって、教育の仕事は、子どもたちが知識を編成していく方法(メタ知識)を育てることだとみなされている」と。

+++++++++++++

 教育の自由化については、今まで、何度も、かつ繰りかえし書いてきた。たとえばスペインでは、社会科の授業にしても、教科書のようなものはない。中学校レベルでも、それぞれの子どもに、テーマが与えられる。「あなたはフランス革命について調べなさい」「あなたはトラファルガーの海戦について調べなさい」と。

 子どもたちは、1年をかけて、それを勉強し、1年の終わりに、みなの前で発表する。

 またカナダでは、教師は教室内でのことについてはすべての責任を負うが、子どもが教室を一歩でも離れたら、いっさい、責任をもたなくてもよいしくみが、すでにできている。学校の設立も、自由化されている。教える言語についても、不問。(アメリカは、言語は英語にかぎられている。)

 アメリカでは、大学生の学部変更、転籍、転学は、自由である。小学校教育については、学校ごとに、カリキュラムを編成できるようになっている。公立学校であっても、州政府からの、おおまかなガイダンスがあるのみ。もちろん日本でいうような「教科書」はない。当然のことながら、「教科書検定」もない。

 これが世界の流れであるということを、私は、何度も書いてきた。訴えてきた。どうして日本人よ、目を覚まさないのか! 明治以来、富国強兵策の中で作られてきた、「もの言わぬ従順な民づくり」が、教育ではない! またそれを教育と思ってはいけない!

 こうしたおかしさを、フィンランドの教育が、すべて語っている。今までに書いてきた原稿の中から、いくつかを選んでみる。まず。スペイン在住の、Iさん(日本人)からのメールを紹介する。このメールでは、それぞれの子どもがテーマを与えられ、それについて学習している点に、注目してほしい。

+++++++++++

【スペイン在住のIさんより】

+++++++++++++++++++++

スペイン在住のIさんより、こんなメールが届きました。

転載許可をいただけましたので、紹介し
ます。

++++++++++++++++++++++

皆様 お元気ですか。久しくご無沙汰しています。筆不精で、最近、メールを出していないので、近況報告方々、メールを書いています。Y子(娘)はYear 8(中学2年レベル)がもうすぐ終わりで、期末試験の勉強に追われています。科目別ですと、historyではフランス革命を勉強しています。日本語でも難しいテーマを、英語で勉強するのですから、本人も大変です。Englishはシェークスピアと日本でも話題になったHoles(日本名:穴)
が教科書で、毎日、宿題が結構出るので、日本の通信教育のワークまでなかなか手が回
らないので、日本に戻った時、苦労しそうです。Y子は最近、コンピューターのマイクロソフトのメッセンジャーで友達と毎日、チャット(英語、スペイン語、その略語が氾濫していて、ちょっと大人には解読不能)をするのが日課でかなり、はまっています。私は友達になったスペイン語の先生と油絵を描きながら、スペイン語を習っています。最近(2週間前)、ポール・マッカートニーのコンサートが近くのサッカー場であり、家族3人で行ってきました。久しぶりのロック・コンサートで、盛りあがりました。幸代には初めてのロック・コンサートでしたが、クラスの友達も

大勢、見に来ていました。ウィングス時代のJetで始まり、半分くらいはビートルズ時代の歌で、Long and winding road や Hey.Judeなど、感激しました。コンサートはいわゆるスペイン時間で、始まったのが夜の10時15分で終わったの
は夜中の1時過ぎでした。これはスペインでは普通です。スペインはとにかく、日本に比べ、2~3時間くらいすべて遅いのです。今では我が家の夕飯もいつも9時から9時30分くらいです。郷に入れば、郷に従えです。早いもので、スペインに来て、もうすぐ3年になります。6月末で幸代の学校が夏休みに入りますので、私と幸代は7月の中旬に日本に一時帰国する予定です。いろいろ予定があるので、会えるかどうか、わかりませんが、時間があれば、お会いしましょう。皆様の近況も、メールで教えてくださいね。ではまた。
+++++++++++++++++

つぎの原稿は、日本人がもつ常識、
とくに教育にもつ常識について
批判的に書いたものです。

+++++++++++++++++

【常識が偏見になるとき】 ●たまにはずる休みを……!「たまには学校をズル休みさせて、動物園でも一緒に行ってきなさい」と私が言うと、たいていの人は目を白黒させて驚く。「何てことを言うのだ!」と。多分あなたもそうだろう。しかしそれこそ世界の非常識。あなたは明治の昔から、そう洗脳されているにすぎない。アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が一八歳のときにもった偏見のかたまりである」と。子どもの教育を考えるときは、時にその常識を疑ってみる。たとえば……。●日本の常識は世界の非常識★学校は行かねばならぬという常識……アメリカにはホームスクールという制度がある。親が教材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。希望すれば、州政府が家庭教師を派遣してくれる。

日本では、不登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。アメリカだけでも九七年度には、ホームスクールの子どもが、一〇〇万人を超えた。毎年一五%前後の割合でふえ、二〇〇一年度末には二〇〇万人に達するだろうと言われている。それを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。「真に自由な教育は家庭でこそできる」という理念がそこにある。地域のホームスクーラーが合同で研修会を開いたり、遠足をしたりしている。またこの運動は世界的な広がりをみせ、世界で約千もの大学が、こうした子どもの受け入れを表明している(LIFレポートより)。★おけいこ塾は悪であるという常識……ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、クラブへ通う。早い子どもは午後一時に、遅い子どもでも三時ごろには、学校を出る。ドイツでは、週単位(※)で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決めることができる。

そのクラブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。学習クラブは学校の中にあって、たいていは無料。学外のクラブも、月謝が一二〇〇円前後(二〇〇一年調べ)。こうした親の負担を軽減するために、ドイツでは、子ども一人当たり、二三〇マルク(日本円で約一四〇〇〇円)の「子どもマネー」が支払われている。この補助金は、子どもが就職するまで、最長二七歳まで支払われる。 こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣向と特性に合わせてクラブに通う。日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学校外教育に対する世間の評価はまだ低い。ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をもつが、それ以外には責任をもたない」という制度が徹底している。

そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号すら親には教えない。私が「では、親が先生と連絡を取りたいときはどうするのですか」と聞いたら、その先生(バンクーバー市日本文化センターの教師Y・ムラカミ氏)はこう教えてくれた。「そういうときは、まず親が学校に電話をします。そしてしばらく待っていると、先生のほうから電話がかかってきます」と。★進学率が高い学校ほどよい学校という常識……つい先日、東京の友人が、東京の私立中高一貫校の入学案内書を送ってくれた。全部で七〇校近くあった。が、私はそれを見て驚いた。どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先が明記してあったからだ。別紙として、はさんであるのもあった。「○○大学、○名合格……」と(※)。この話をオーストラリアの友人に話すと、その友人は「バカげている」と言って、はき捨てた。そこで私が、では、オーストラリアではどういう学校をよい学校かと聞くと、こう話してくれた。 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。そこはチャールズ皇太子も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒一人ひとりにあわせて、学校がカリキュラムを組んでくれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように。木工が好きな子どもは、毎日木工ができるように、と。そういう学校をよい学校という」と。なおそのグラマースクールには入学試験はない。子どもが生まれると、親は出生届を出すと同時にその足で学校へ行き、入学願書を出すしくみになっている。つまり早いもの勝ち。●そこはまさに『マトリックス』の世界
 日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。日本人が常識と思っているようなことでも、世界ではそうでないということもある。それがわかってほしかった。そこで一度、あなた自身の常識を疑ってみてほしい。あなたは学校をどうとらえているか。学校とは何か。教育はどうあるべきか。さらには子育てとは何か、と。

その常識のほとんどは、少なくとも世界の常識ではない。学校神話とはよく言ったもので、「私はカルトとは無縁」「私は常識人」と思っているあなたにしても、結局は、学校神話を信仰している。「学校とは行かねばならないところ」「学校は絶対」と。それはまさに映画『マトリックス』の世界と言ってもよい。仮想の世界に住みながら、そこが仮想の世界だと気づかない。気づかないまま、仮想の価値に振り回されている……。●解放感は最高!
 ホームスクールは無理としても、あなたも一度子どもに、「明日は学校を休んで、お母さんと動物園へ行ってみない?」と話しかけてみたらどうだろう。実は私も何度となくそうした。平日に行くと、動物園もガラガラ。あのとき感じた解放感は、今でも忘れない。「私が子どもを教育しているのだ」という充実感すら覚える。冒頭の話で、目を白黒させた人ほど、一度試してみるとよい。あなたも、学校神話の呪縛から、自分を解き放つことができる。※……一週間の間に所定の単位の学習をこなせばよいという制度。だから月曜日には、午後三時まで学校で勉強し、火曜日は午後一時に終わるというように、自分で帰宅時刻を決めることができる。●「自由に学ぶ」

「自由に学ぶ」という組織が出しているパンフレットには、J・S・ミルの「自由論(On Liberty)」を引用しながら、次のようにある(K・M・バンディ)。 「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると考えてよい。そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいものでしかない。それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の心の上に専制政治を行うための手段として用いられてきている」と。 そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由と社会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)学校教育を破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。

いわく、「民主主義国家においては、国が創建されるとき、政府によらない教育から教育が始まっているではないか」「反対に軍事的独裁国家では、国づくりは学校教育から始まるということを忘れてはならない」と。 さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という意見には、次のように反論している。「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体の犯罪率はむしろ増加している。学校内部で犯罪が少なくなったから、それでよいと考えるのは正しくない。学校内部で少なくなったのは、(制服によるものというよりは)、警察システムや裁判所システムの改革によるところが大きい。青少年の犯罪については、もっと別の角度から検討すべきではないのか」と(以上、要約)。 日本でもホームスクール(日本ではフリースクールと呼ぶことが多い)の理解者がふえている。なお二〇〇〇年度に、小中学校での不登校児は、一三万四〇〇〇人を超えた。中学生では、三八人に一人が、不登校児ということになる。この数字は前年度より、四〇〇〇人多い。 
++++++++++++++++

 制度を変えるためには、意識を変えなければならない。ところが教育というのは、なかんずく教育観というのは、親から子へと、代々と引き継がれるという要素が強い。そこでその意識を変えるためには、その意識を見直すという作業が必要となる。

 そのもっとも簡単な方法は、日本という国を、一度、外からながめてみること。すると、そのおかしさが、よくわかる。

 フィンランドの教育法にも、いろいろな問題点があると聞いている。しかし教育の自由かは、もう世界の流れ。この(流れ)を止めることは、だれにもできない!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 教育の自由化 自由化 自由な教育 フィンランド 教育自由化論)