Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, January 15, 2008

*Psedo Doctor

●インチキ博士号(pseudo doctor)

Doctor degrees are being sold in Japan. In most cases you receive a letter one day from an unknown university, in which it says that you are qualified to be nominated as a doctor of our university. This may be apparently pseudo. The reason is quite simple. It also says you need to pay abt. 500 thousand yen ~ 1 million yen for the degree. I have received some of them in the past. Then one day I rang up to the telephone number and ask someone in charge about it. The man in charge answered me that the money would be used as scholarship for students. But do we have to pay money before the doctor degree is admitted? One of the most well-known professor of Waseda University is the one who has the title given by the university. I mean it is pseudo, for as far as I have checked it through internet, the university has no students. The professor said in the TV program, that, he did not know the university is pseudo. But this is funny or ridiculous.

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日本でも、インチキ博士号が、問題に
なっている。

早稲田大学の、あの吉M教授も、その1人。
昨夜(1月13日)の報道番組の中で、吉M教授は、
「私は、ちゃんと論文を出して認められた」
「博士号のオッファーがあったので、応募した」
などというようなことを言っていた。
(記憶によるものなので、細部では、正確では
ないかもしれない。)

しかしこの吉M教授の話は、ウソと考えてよい。
吉M教授ともあろう、偉い(?)、お方が、
インチキかどうか、見抜けなかったというのは、
どう考えても、おかしい。

この私ですら、見抜けた。理由がある。

まず、寄付金の告示があったこと。博士号資格で、
50~100万円。額は、大学によって異なる。
一度、電話で問い合わせると、こうした寄付金は、
学生の奨学金として使用するということだった。

そこでインターネットを使って調べてみると、
大学といっても、校舎だけ。学生の臭いが
ほとんどしなかった。

すでに当時、こうしたインチキ博士号は、世界では
常識。そういう世界を知っていた吉M教授が、
それを知らなかったはずはない。

「当時」というのは、10年以上も前のこと。
私のところへ、そうした勧誘が届き始めたのも、
そのころである。

一事が万事。

うっすらと笑みまで浮かべて、テレビのレポータの
質問に答えていた吉M教授は、何か隠していると
いったふう。
インチキ認定書の横に、分厚い、論文集(?)
なるものを、これ見よがしに置いていた。

(そういうものを、わざわざ置くところが、
あやしい?)

テレビの報道によれば、吉M教授は、そのインチキ
大学のために、講演会まで開いていたという。
つまり新たな被害者をさがすための、手助けまでして
いた疑いがかけられている(テレビ報道)。

責任は、重大である。
「知らなかった」では、すまされない。

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●過去の肩書き(Are you a respected man?)

Are you a respected man? If so, you are good enough. But when you retire from the job, you had better forget about your past and be free from the career. Otherwise you would be kicked out of the society you belong to. But some remains the same after he retire from his job, thinking himself that he is a respected man. A reader living in H-prefecture gave me a mail in which she worries about her brother who still cling to his career before he retired long time ago.

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「私は偉い」「私は尊敬されるべき」と、
思うのは、その人の勝手。しかしときには、
自問してみることも、大切。

こんなメールが届いた。S県にお住まいの
Aさん(女性、60歳)からのものである。
私のエッセーを読んで、同じように感じた
とのこと。

転載許可は、いただけなかったので、概略
のみ、紹介させてもらう。

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【Aさんより、はやし浩司へ】

私の兄は、現在、65歳です。5年前まで、国家公務員をしていました。その出先機関の長にもなりました。しかしいまだに過去と、決別できずにいます。ことあるごとに過去の学歴と肩書きをひけらかしています。

私の息子(32歳)が、フリーターをしていることについても、「そういうのは、人間のクズだ」とか、「まともな仕事でないから、結婚相手も紹介できん」とか、言いました。

その兄が、去年(07年)のはじめ、がんになりました。大腸がんです。そのときのことです。兄は、親戚中にそのことを連絡していました。実際には、私に、あちこちへ電話をかけさせました。私は、そういう話は、内々ですませたほうがよいと考えていました。

で、兄は、術後1か月ほど入院しました。現在も、週2回、通院治療をつづけています。が、見舞いに来たのは、この1年間で、親戚の中では、いとこの男性、1人だけです。私の息子も、「ぜったいに見舞いに、行かない」と、がんばっています。それについて兄は、「冷たい」とか、「水臭い」とか言って、怒っています。

まるで自分のことがわかっていない。そんな兄が、あわれです。私は高卒で、そういうこともあって、いまだに私を、子分か何かのように使います。私の家が、兄の家(=私の実家)と近いこともあって、私を車の運転手くらいにしか考えていないようです。どうしたら、よいですか?

【はやし浩司より、Aさんへ】

 この問題は、私たちの年代のものにとっては、深刻な問題のひとつです。よく「定年退職したら、過去の経歴をすべて捨てよ」と言います。それはそのとおりで、それを引きずっていたら、再就職もままなりません。

 しかし経歴を捨てることができない人が多いのも、事実です。とくに有名大学を出たあと、高い役職についた人ほど、そうです。みなにチヤホヤされるうち、自分を見失ってしまうのですね。それこそ80歳とか90歳とか、死ぬまで、過去の経歴を引きずって生きていきます。

 こういうケースでは、過去の経歴を否定するということは、お兄さんに自己否定を迫るようなものです。わかりやすく言えば、お兄さんの(生きがい)をすべて、奪ってしまうようなことにもなりかねません。あなたの立場で、お兄さんにそれをわからせようとしても、不可能と考えてください。

 では、どうするか?

 結局は、この問題は、その人自身の問題ということになります。だれからも相手にされていないのに、それにすら気づかない。つまりは、心のさみしい人ということになります。

 少しあなたのお兄さんとは違いますが、私の実家の近くにも、似たような人がいました。ことあるごとに、私の家にやってきては、自慢話ばかりするのです。「今月は、○○万円もうけた」「来月は、○○万円もうける」「この町内で、私がいちばんの高額納税者だ」とか、なんとか。
 
 そのころすでに私の実家の稼業は、斜陽の一途をたどっていました。そんな話を聞かされても、楽しくありません。その人が帰るたびに、私の母などは、玄関先に、塩をまいていました。

 が、その人は、やがて多額の借金をかかえて、どこかへ夜逃げをしていきました。うわさによれば、株の信用取引で、多額の損を出したということです。もちろんその人に同情する人は、私の家族も含めて、だれもいませんでした。

 いつかあなたのお兄さんも、そのさみしさに気がつくときがやってくるのでしょうか。あるいは今、それに気がつきつつあるのかもしれませんね。が、それを認めることは、先にも書いたように、自己否定につながってしまいます。だから余計に認めるわけには、いかない。

 あなたのお兄さんの病気には同情しますが、それについても、あなたとしてできることは、もうほとんど、ありません。今は今で、そしてこの先も、淡々と、今までどおりの人間関係をつづけていくしかないように思います。あなたの立場で、お兄さんにあれこれわからせようとか、意見を言うのは、こういうケースでは、タブーと考えてください。

 というのも、それがどういうものであれ、お兄さんはお兄さんで、懸命に生きてきた。今も懸命に生きている。そういう(懸命さ)を感じたら、私たちは静かに引きさがるしかないのです。「かわいそうだな」と思いながらも、お兄さんの話を、そっと聞いてやる。それでしませます。