Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Monday, March 10, 2008

*Panic Disorder  *Vanity

●今日こそは……!

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毎朝、起きては、同じことを考える。
「今日こそは!」と。

「今日こそは、充実した1日を送るぞ!」と。

健康だ。食事もおいしい。
体の調子もよい。
が、何よりもすばらしいのは、死の恐怖と無縁でいられること。

まずワイフにあいさつをする。
お茶を飲む。
新聞を読む。

そしておもむろにパソコンに電源を入れ、
画面を開く。

ニュースに目を通す。
音楽を聴く。
その音楽を聴きながら、雑誌を読む。

そして頭の中で、おおまかな計画を立てる。
返事を書かねばならない手紙も、数通、ある。
原稿も書きたい。
やりたいことは、山のようにある。

あああ、時間が足りない。
時間がほしい。

今の私には、無駄にできる時間など、一瞬、一秒もない。

そこに真実があるのに、手が届かない。
どうしても、手が届かない。
このもどかしさ。この歯がゆさ。

とりあえず、過去に出した本を、HPにアップロードしよう。
昨日、第2章まで載せたから、今日は、第3章だ。
うまくいけば、1時間ほどで、作業は終了するはず。

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●不安神経症(Panic Disorder)

ワイフの友人に、不安神経症の人がいる。
いつもあれこれ悩んでは、取り越し苦労ばかりしている。
そこでワイフが、その人にこう言った。

「運命は、あきらめて、受け入れればいいのよ」と。

これは私の言葉である。

しかしそれでその人の不安神経症が収まるわけではない。
年齢は、今年、55歳になるという。
女性である。

その人のばあい、人前に出ただけで、体が緊張するという。
全身に汗をかき、手が震えることもあるという。
病院で薬をもらっているらしいが、しばらくのみつづけていると、
効かなくなるという。

不安神経症。ウィキペディア百科事典によれば、つぎのようにある。

以前は、急性不安神経症、もしくは全般性不安障害と呼ばれていたが、
1980年にアメリカの精神医学会は、「パニック障害」(DSM-III)という
呼称に統一した、と。

「パニック障害は、強い不安感を症状とする、精神疾患のひとつ」
(ウィキペディア百科事典)ということらしい。

定型的なパニック障害の症状としては、

(1) 突然生ずる、パニック発作。
(2) つづいてその発作が起きるのではないかと恐れる「予期不安」。
(3) さらに長期化すると、症状から逃れられない恐怖感から、
生活範囲を限定することなどだそうだ(同)。

パニック発作時には、(1)突然、動悸などの自律神経症状と強い不安感に
襲われる。(2)自律神経症状には、めまい、動悸、手足のしびれ、吐き気、
息苦しさなどがある。

また(3)不安感には、ばくぜんとした不安と、死ぬのではないか、
気が狂うのではないかという恐怖感もある。
しかし(4)これらの症状は、とくべつな処置がなくても、1時間以内、
長くとも数時間のうちに回復するという(同)。

こうした症状を、ワイフに読んで聞かせると、「あの人も、そのとおりの
ことを言っていたワ」と。

表には出てこないが、パニック障害の人も、多いようだ。
そう言えば、私も、似たような症状を経験することがある。
言いようのない不安感に襲われ、その不安感が、頭の中にペッタリと
張りついてしまうような感じになる。

しかしそれほど長つづきしない。たいてい2、3日のうちに、
消える。軽い動悸はあると思うが、それ以外の症状は、あまりない。

私「みんな、不安なんだね」
ワ「そうみたいね」と。

ところでYOU TUBEには、すばらしい音楽も収録されている。
私のHPの「音楽と私」のところからも楽しんでもらえるようにしてある。
とくにお勧めなのが、「いやし系音楽」。

心が疲れている人は、どうか一度、のぞいてみてほしい。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB.08++++++++++はやし浩司

●見栄や体裁(Vanity often makes us blind in our lives)
Some people insists on vanity even after he becomes 50, 60 or 70 years old. For those who do not, these sorts of people looks stupid, but he himself can’t see himself.)

見栄や体裁を気にする人というのは、50歳になっても、60歳になっても、
はたまた70歳になっても、気にするものらしい。

「自分はすばらしい人間」と思うのは、その人の勝手。しかしこのタイプの人は、
他人も、そういう目で自分を見ていると思いこんでいる。錯覚している。
そこで他人の目に応えようと、見栄や体裁を気にする。

そうでない人から見れば、バカげた、実にバカげた行為なのだが、自分では
それがわからない。わざと大物に見せるために、気をつかう。苦労する。

「先日、名古屋市の助役(そんな人はいたかな?)と会食をしたとき、
市の道路行政について、一言、苦情を言っておいたよ」とか、何とか。

私たちは、その人を判断するとき、その人の中身を見る。
少なくとも、私は、そうしている。
地位や肩書きではない。そんなものは、カラスの羽をかざる、ゴミにもならない。
経歴にしても、大切なのは、「何をしたきたか?」だ。

個人の欲得の追求など、いくら重ねても、他人である私には意味はない。
前にも書いたが、昔、こんな人がいた。

当時、私の家は、斜陽につづく斜陽で、いつ店を閉めてもおかしくない状態だった。
そんな私の家にやってきては、金儲けの自慢話ばかりしていた。

「昨日は、株で、10万円、儲けたよ」、
「税務署と交渉して、50万円、税金を安くさせたよ」とか。

こんなことも言った。この話は、今も強く私の印象に残っている。

「私が、このあたり(=町内)で、所得税の支払額では、一番なんだよ」と。

私が中学生くらいのときのことではなかったか。私の母は、ああいう女性だから、
表では、にこやかにそういう話を聞きながら、その裏で、「あのXXめ!」と、
その人が帰るたびに、玄関に塩をまいていた。

で、ある日、私は、母にこう言った。

「そんなに不愉快な相手なら、つきあわなければいいのに」と。

しかしその人は、定期的にやってきては、自慢話をした。
きっとその人にしてみれば、そういう話をするのが、楽しかったのだろう。
とくに、私の家のような、サビれかかった家では、そうだ。
自分の優越感を、この上なく、満足させられる。

こういうバカ(「バカ」と呼んでもさしつかえないと思うが……)は、
どこにでもいる。

価値観、人生観そのものが、幼稚で未熟。

が、50歳も過ぎたら、できるだけ早く、こうした亡霊とは決別したほうがよい。
見栄、体裁という亡霊である。
でないと、私であって、私でない部分に毒されて、自分の人生そのものを見失う。

たとえば私が子どものころには、まだこんなことを自慢している人がいた。

「私の叔父は、海軍の中佐だった」とか、何とか。

さらに言えば、こうした価値観、人生観は、国によって、みなちがう。
たとえばあのオーストラリアでは、外交官といっても、外国に駐在する
公務員程度の意味しかなかった。
日本では、「外交官」というだけで、周囲の人たちは、大騒ぎしたが……。

銀行員にしても、オーストラリアでは、高卒の人たちが就く仕事ということに
なっていた。当時の日本では、大卒のエリートが就く仕事ということに
なっていたが……(1970年当時)。

反対に、ユンボやブルドーザーなどを操作して土木工事をする人は、
「工事技術者」と呼ばれ、大卒工学部卒業程度の資格がないと、それを
することができなかった、などなど。

このあたりのことは、「世にも不思議な留学記」に書いておいたから、
興味のある人は、ぜひ、呼んでみてほしい。HPのトップページから
読んでもらえるようにしてある。

要するに、最後に残るものは、「私」でしかない。
私たちは、裸で生まれ、そして裸で死ぬ。
目の前にある、モノや財産にしても、「私」を支える力にはならない。
それこそ、爪楊枝(つまようじ)にも、ならない。

私の母にしても、あれほどまでに小銭に執着した人だったが、今は、
財産といえば、お茶を飲むコップや、身のまわりの衣服くらいなもの。

元気なときは、テーブルの前に座った女性と、テイッシュ・ペーパーを
投げあって、喧嘩ばかりしている。

大切なことは、できるだけ早い時期に、「私」を知り、その私を
追求すること。
その時期を逸すると、繰りかえすが、結局は貴重な時間を無駄にし、ついで
自分の人生を無駄にすることになる。

そういう人を、私は、すでに、何人も見てきた。

方法は簡単。つまりそうならないための方法は、簡単。
いつも「だから、それがどうしたの?」と、自分に問いかけながら
行動するとよい。

もちろん人の話を聞くときも、そうだ。
「だから、それがどうしたの?」と。