Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Friday, April 04, 2008

*Chinese Medical Science & its Romance

【特集・東洋医学】

●目で見る漢方診断

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みなさんは、「漢方(医学)」をご存知ですね。
広くは、「東洋医学」とも言います。

最近では、「東洋医学」と呼ぶほうが、
一般的になっているようです。

その「漢方」、ルーツは、「黄帝内経・素問」と、
「黄帝内経・霊枢」という、2冊の書物です。
それぞれ、「こうていだいけ・そもん」
「こうていだいけい・れいすう」と読みます。

「書物」というよりは、「バイブル」と呼んだ
ほうが、正しいかもしれません。

私たちが現在、東洋医学と呼んでいるものは、
これら、黄帝内経・素問、黄帝内経・霊枢に
始まり、同じく、黄帝内経・素問、黄帝内経・
霊枢に終わると言っても過言ではありません。

今度、私のHPのほうで、私が若いときに
書いた、『目で見る漢方診断』を、全ページ、
公開することにしました。

そのこともあって、かつて黄帝内経について
書いた原稿を、ここに再録することにしました。

「漢方!」と、どうか、逃げないでください。
黄帝内経には、日常で役立つ健康法が、
いっぱい書かれています。

もしみなさんが、ここに再録した原稿を
読んでくださり、またHPに収録した
『目で見る漢方診断』に目を通してくだされば、
あなたは、ちょっとした、漢方の「通(つう)」
になれますよ。

おもしろい世界です。
どうか、一度、ドアをたたいてみてください。

Welcome to Chinese Medical Science!

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●謎の書物、黄帝内経(こうていだいけい)

 若いころ、東洋医学の勉強をしているとき、私は、こんなことに気づいた。「ひょっとしたら、東洋医学のバイブルと言われている、『黄帝内経(こうていだいけい)』は、人間によって書かれたものではないのではないか」と。言うまでもなく、東洋医学は、この黄帝内経に始まって、黄帝内経によって終わる。

 とくに、黄帝内経・素問(そもん)は、そうである。しかしもともとの黄帝内経は、そののち、多くの医家たちによって、原型をとどめないほどまでに、改ざん、加筆されてしまった。今、中国に残る、黄帝内経は、その結果だが、皮肉なことに、原型に近い黄帝内経は、京都の仁和寺(にんなじ)に残っている。

 その仁和寺の黄帝内経には、いくつか不思議な記述がある。それについて書くのが、ここの目的ではないので、省略するが、私はいつしか、中国の「帝王」と、メソポタミアの「神」が、同一人物でないかと思うようになった。

黄河文明を築いた、仰韶(ヤンシャオ)人と、メソポタミア文明を築いた、シュメール人には、ともに、不可思議な共通点がある。それについて書くのも、ここの目的ではないので、省略する。

 むずかしい話はさておき、今から、約5500年ほど前、人類に、とてつもないほど、大きな変化が起きたことは、事実のようだ。突然変異以上の、変異と言ってもよい。そのころを境に、サルに近い原始人が、今に見る、人間になった。

 こうした変化の起爆剤になったのが、何であるのか、私にはわからない。わからないが、一方、こんな事実もある。

●月の不思議

 月の南極の写真を見ていたときのこと。ちょうど南極付近に、きれいな円形の2つのクレーターがある。「きれいな」と書いたが、実際には、真円である。まるでコンパスで描いたような真円である。

 そこで2つのクレーターの直径を調べてみた。パソコンの画面上での測定なので、その点は不正確かもしれないが、それでも、一方は、3・2センチ。もう一方も、3・2センチ! 実際の直径は、数10キロはあるのもかもしれない。しかしその大きさが、ピタリと一致した!

 しかしこんなことが、実際、ありえるのだろうか。

 もともとこのあたりには、人工的な構造物がたくさん見られ、UFO研究家の間でも、よく話題になるところである。実際、その二つのクレーターの周囲には、これまた謎に満ちた影がたくさん写っている。

 そこでさらに調べてみると……というのも、おかしな言い方だが、ともかくも、あちこちのサイトを開いてみると、こうした構造物があるのは、月だけではないことがわかった。火星はもちろん、水星や、金星にもある。エウロパやエロスにもある。つまりいたるところにある。

 こうした写真は、アメリカのNASAから漏れ出たものである。一説によると、月だけでも、NASAは、数10万枚の写真をもっているという。公開されているのは、そのうちの数パーセントにすぎないという。しかも、何かつごうの悪い写真は、修整されたりしているという。しかし、クレーターまでは、消せない。それが、ここに書いた、2つのクレーターである。

【写真に興味のある人は、私のホームページから、(右下・ビデオであいさつ)→(動画コーナー)へと進んでみてほしい。一覧表の中から、月のクレーターを選んでクリックすれば、その写真を見ていただける。】

●下からの視点、上からの視点

 地球上に、それこそカビのようにはいつくばって東洋医学の勉強をした私。そしてその私が、天を見あげながら、「ひょっとしたら……」と考える。

 一方、宇宙には、すでに無数のエイリアンたちがいて、惑星間を回りながら、好き勝手なことをしている。中には、月そのものが、巨大なUFOだと主張する科学者さえいる。

 もちろん私は、宇宙から地球を見ることはできない。しかし頭の中で想像することはできる。そしてこれはあくまで、その想像によるものだが、もし私がエイリアンなら、人間の改造など、何でもない。それこそ、朝飯前? 小学生が電池をつないで、モーターを回すくらい簡単なことではないか。

 この2つの視点……つまり下から天をみあげる視点と、天から人間を見る視点の2つが、合体したとき、何となく、この問題の謎が解けるような気がする。「この問題」というのは、まさに「人間に、約5500年前に起きた変化」ということになる。

 その5500年前を境に、先に書いたように、人間は、飛躍的に進化する。しかもその変化は、メチャメチャ。その一つが、冒頭にあげた、『黄帝内経』である。黄帝というのは、司馬遷の「史記」の冒頭を飾る、中国の聖王だが、だからといって、黄帝内経が、黄帝の時代に書かれたものと言っているのではない。

 中国では古来より、過去の偉人になぞらえて、自説を権威づけするという手法が、一般的になされてきた。黄帝内経は、そうして生まれたという説もある。しかし同時期、メソポタミアで起きたことが、そののち、アッシリア物語として記録され、さらにそれが母体となって旧約聖書が生まれている。黄帝内経が、黄帝とまったく関係がないとは、私には、どうしても思われない。

●秋の夜のロマン

 あるとき、何らかの理由で、人間が、エイリアンたちによって、改造された。今でいう、遺伝子工学を使った方法だったかもしれない。

 そして人間は、原始人から、今でいう人間に改造された。理由はわからない。あるいはエイリアンの気まぐれだったかもしれない。とりあえずエイリアンたちが選んだ原始人は黄河流域に住んでいた原始人と、チグリス川、ユーフラテス川流域に住んでいた原始人である。

 改造された原始人は、もうつぎの世代には、今でいう現代人とほとんど違わない知的能力をもつようになった。そこでエイリアンたちは、人間を教育することにした。言葉を教え、文字を教えた。証拠がないわけではない。

 中国に残る甲骨文字と、メソポタミアに残る楔形(くさびがた)文字は、たいへんよく似ている。形だけではない。

 中国では、「帝」を、「*」(この形に似た甲骨文字)と書き、今でも「di」と発音する。「天から来た、神」という意味である。一方、メソポタミアでは、「神」を、同じく、「*」(この形に似た楔形文字)と書き、「dingir」と発音した。星という意味と、神という意味である。メソポタミアでは、神(エホバ)は、星から来たと信じられていた。(詳しくは、私が書いた本「目で見る漢方診断」(飛鳥新社)を読んでいただきたい。)

 つまり黄河文明でも、メソポタミア文明でも、神は「*」。発音も、同じだったということ。が、これだけではない。言葉の使い方まで、同じだった。

 古代中国では、「帝堯(ぎょう)」「帝舜(しゅん)」というように、「位」を、先につけて呼ぶならわしがあった。(今では、反対に「~~帝」とあとにつける。)メソポタミアでも、「dingir ~~」というように、先につけて呼んでいた。(英語国などでも、位名を先に言う。たとえば、「キング・ジェームズ」とか、など。)

 こうして今に見る人間が生まれたわけだが、それがはたして人間にとって幸福なことだったのかどうかということになると、私にも、よくわからない。

 知的な意味では、たしかに人間は飛躍的に進化した。しかしここでも、「だからどうなの?」という部分がない。ないまま進化してしまった。それはたとえて言うなら、まさにそこらに群れるサルに知恵だけ与えたようなものである。

 わかりやすく言えば、原始的で未発達な脳の部分と、高度に知的な脳の部分が、同居することになってしまった。人間は、そのとたん、きわめてアンバランスな生物になってしまった。人間がもつ、諸悪の根源は、すべてここにある?

 ……これが私の考える、私の大ロマンである。もちろん、ロマン。SF(科学空想)。しかしそんなことを考えながら天の星々を見ていると、不思議な気分に襲われる。どんどんと自分が小さくなっていく。そしてその一方で、それとは反比例して、どんどんと自分が大きくなっていく。「人間は宇宙のカビ」と思う一方で、「人間は宇宙の創造主」と思う。相矛盾した自分が、かぎりなく自分の中で、ウズを巻く。

 あさって(27日)も、天気がよければ、望遠鏡で、月をのぞくつもり。山荘から見る夜空は、どこまでも明るい。
(030925)

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ついでにもう1作!

日付を見ると、2004年の
原稿ということになっています。

内容が一部、ダブりますが、
お許しください。

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【壮大なロマン】

● 人間は、宇宙人によって、作られた?

 私は、人間は、宇宙人によって、つくられた生き物ではないかと思っている。

 「作られた」というよりは、彼らの遺伝子の一部を、組み込まれたのではないかと、思っている。それまでの人間は、きわめてサルに近い、下等動物であった。

 たとえば人間の脳ミソをみたばあい、大脳皮質と呼ばれる部分だけが、ほかの動物とくらべても、特異に発達している。そこには、100~140億個とも言われる、とほうもない数の神経細胞が集まっているという。

 長い時間をかけて、人間の脳は、ここまで進化したとも考えられる。しかし黄河文明にせよ、メソポタミア文明にせよ、それらは、今からたった7500年前に生まれたにすぎない。たった7500年だぞ! 

地球の歴史の中では、まさに瞬時に、変化したと言うにふさわしい。 

それ以前はというと、新石器時代。さらにそれ以前はというと、人間の歴史は、まったくの暗闇に包まれてしまう。

 私は、今から7500年前。つまり紀元前、5500年ごろ、人間自体に、何か、きわめて大きな変化があったのではないかと思っている。そのころを境に、人間は、突然に、賢くなった(?)。

●古代神話

 中国の歴史は、黄帝という帝王で始まる。司馬遷も、『史記』を、その黄帝で書き始めている。それと同じころ、メソポタミアでは、旧約聖書の母体となる、『アッシリア物語』が、生まれている。ノアの方舟に似た話も、その物語の中にある。

 この黄帝という帝王は、中国に残る伝説によれば、処女懐胎によって、生まれたという。この話は、どこか、イエスキリストの話に似ている。イエスキリストも、処女懐胎によって生まれている。

 この時期、この地球で、ほぼ同時に、二つの文明が生まれたことになる。黄河文明と、メソポタミア文明である。

 共通点はいくつかある。

 黄河流域で使われたという甲骨文字と、メソポタミアに残る楔形(くさびがた)文字は、よく似ている。さらに、メソポタミア文明では、彩色土器が使われていたが、それときわめてよく似た土器が、中国の仰韶(ヤンシャオ)地方というところでも、見つかっている。

 メソポタミアのシュメール人と、中国のヤンシャオ人。この二つの民族は、どこかで、つながっている? そしてともに、その周囲の文明とはかけ離れた文明を、築いた。一説によると、シュメール人たちは、何の目的かは知らないが、乾電池まで使っていたという。

 もちろん、ここに書いたことは、神話とまではいかないが、それに近い話である。黄河文明にしても、ヤンシャオ人が作った文明とは、証明されていない。私が勝手に、黄河文明イコール、ヤンシャオ人と結びつけているだけである。

 ただ、「帝」を表す甲骨文字と、「神」を表す楔形文字は、形のみならず、意味、発音まで、ほぼ、同じである。中国でいう帝王も、メソポタミアでいう神も、どこか、遠い星からやってきたとされる。

●壮大なロマン

 私は、ある時期、シュメール人や、ヤンシャオ人について、いろいろ調べたことがある。今でも、大きな図書館へ行くと、新しい資料はないかと、必ず、さがす。

 が、いつも、そのあたりで、ストップ。本来なら、中国やイラクへでかけ、いろいろ調べてから、こうしてものを書くべきだが、それだけの熱意はない。資金もない。それに、時間もない。

 まあ、そうかな?……と思いつつ、あるいは、そうでないのかもしれないな?……と思いつつ、35年近くを過ごしてきた。

 しかしこうした壮大なロマンをもつことは、悪いことではない。あちこちに、そういった類(たぐい)の、「古代~~展」があったりすると、「ひょっとしたら……」と思いつつ、でかける。何か、目標や目的があるだけでも、そうした展示品を見る目もちがってくる。

 「やっぱり、ぼくの自説は正しいぞ」と思ってみたり、「やっぱり、ぼくの自説はまちがっているかもしれない」などと、思ってみたりする。

 私は考古学者ではない。多分、この原稿を読んでいるあなたも、そうだ。だから、夢、つまりロマンをもつことは許される。まさに壮大なロマンである。

 とくに、眠られぬ夜には、こうしたロマンは、役にたつ。あれこれ頭の中で考えていると、いつの間にか、眠ってしまう。あなたも、私がここに書いたことを参考に、古代シュメール人や、中国のヤンシャオ人に、興味をもってみたらどうだろうか。

 彼らには、私たちの心をとらえてはなさない、何か大きな、不思議な魅力がある。
(040607)