*May 26th, 2008
【今日・あれこれ】(5月26日)
May 26th: I woke up at 5 o’clock in the morning and spent abt one hour with some routine works. Now is 6 o’clock and until around 9 o’clock, it is completely my private time, writing what I want to write. By the way an Irish song, called “Salley Gardens” teaches us to live easy, like this: “She bid me take love easy, as the leaves grow on the tree”. I would agree if I were much younger than I am now.
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今日も、始まった!
時刻は、午前6時。
書斎へ入ったのが、5時。
1時間ほど、雑用をしたことになる。
これから9時ごろまで、私の時間。
私だけの時間。
そのころ、ワイフが
階下から声をかけてくる。
「朝ご飯、食べるウ~?」と。
この習慣は、この20年近く、
ほとんど変わっていない。
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●キトラ古墳
昨日、久しぶりに、キトラ古墳について書いた。
そのキトラ古墳と同じころ作られた古墳に、
高松塚古墳がある。
7世紀終わりから、8世紀初めにかけて
作られた古墳だという(東京文化財研究所)。
その古墳の中に、「飛鳥美人」と呼ばれる、
女子群像の絵がある。
かなり傷みがひどいらしい。
今度は、「直径6~7センチの陥没が、
3、4か所見つかった」(報道・08・05)という。
その飛鳥美人だが、あの絵を見て、
「昔の日本人」と思う人は、まずいない。
日本の着物ともちがう。
どこからどう見ても、百済、もしくは高句麗の
女性である。
さらにキトラ古墳、高松塚古墳の近くに、
カヅマヤマ古墳というのも、見つかっている。
「土を焼いて作った朝鮮半島の「せん」を使った
石室を意識した構造で、被葬者は天武天皇の客人
だった、百済王昌成(こうだらのこきししょうじょう)ら、
渡来人の人物がふさわしいのでは」(前園奈良芸術短大教授)
とのこと。
カヅマヤマとキトラは、距離にして、1・5キロしか
離れていない。
7世紀後半といえば、天武天皇の時代だが、
どうして天武天皇という人は、こうまで、朝鮮様式
の墳墓にこだわったのか。
(天智天皇もそうだが……。)
今度、ワイフと、これらの古墳群が並ぶ、
明日香村の西南部へ行ってみよう。
全体でも幅3キロ前後というから、歩いて
散策できる。
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●音楽
今、ワイフは、アイルランドの民謡の、「Sally Gardens」
の歌詞を、懸命に暗記しようとしている。
「1週間で暗記してみせる」と言っているが、どうかな?
Down by the salley gardens my love and I did meet;
She passed the salley gardens with little snow-white feet.
She bid me take love easy, as the leaves grow on the tree;
But I, being young and foolish, with her would not agree.
In a field by the river my love and I did stand,
And on my leaning shoulder she laid her snow-white hand.
She bid me take life easy, as the grass grows on the weirs;
But I was young and foolish, and now am full of tears.
柳の庭を下ったところで愛する人と逢ったんだ
彼女は白雪のような足で柳の庭を抜けて行った
彼女は僕に言った
恋は木の葉が茂るみたいに気楽に
でも若くて愚かだった僕は肯けなかった
川のほとりの原っぱに愛する人と立っていて
彼女は白雪のような手を僕の肩に掛けた
彼女は僕に言った
人生は堰に草の茂るみたいに気楽に
でも若くて愚かだった僕は今涙で一杯だ
(訳、ウィキペディア百科事典より)
音楽そのものは、YOU TUBEで
聴くことができる。
私のHPのトップページから、(音楽と私)
に進んでもらってもよい。
どこか淡く、切なく、美しい曲である。
●Salley Gardens
YOU TUBEを楽しむようになってから、
私の音楽の世界が、ぐんと広がった。
それまでは、限られた範囲の、限られた
曲しか聴いていなかった。
「Sally Gardens」も、YOU TUBE
を通して知った曲である。
いろいろな歌手が、それぞれの歌い方をしている。
それを知って、「有名な曲だたんだア」と驚いた。
言いかえると、私たちは、加齢とともに、
自分の住む世界を、どんどんと小さくしていく。
小さくしながら、それにすら気づかない。
考えてみれば、これほど恐ろしいことはない。
音楽にしても、「好きな曲は?」と聞かれたとき、
頭に思い浮かぶのは、数曲だけ……というのでは、
困る。
「困る」というより、その人の脳みそは、
かなり退化している(=ボケている)と考えてよい。
中には、「音楽など、聴いたことがない」と
いう人さえいる。
つまり脳みその退化と闘うためには、自分の住む
世界を、広くしていくしかない。
常に新しいことに興味をもち、それに向かって
挑戦していく。
その努力を怠ったとたん、脳みそは退化していく。
ところでその「Salley Gardens」だが、
こう歌う。
「人生は堰に草の茂るみたいに気楽に」と。
つまりあれこれ難しいことは考えないで、人生は気楽に
過ごしたらよい、と。
たしかに、そうかもしれない。
しかし、そうでないかもしれない。
考えるから、気楽でないということにはならない。
考えないから、気楽ということにもならない。
私も、書斎を離れたら、ワイフとはバカ話ばかり
している。
ヒワイな話も、よくする。
さらに子どもたちに接したとたん、心まで、子どもたちの
レベルにまで戻ってしまう。
6歳児と接するときは、6歳児に。
10歳児と接するときは、10歳児に。
それに若いときは、気楽に生きればよい。
時間はたっぷりとある。
1度や2度の失敗など、平気で取り返せる。
しかし今は、ちがう。
「あと20年」と言われたりすると、「今までの
20年のように、あっという間に過ぎて
しまうだろうな」と思ってしまう。
「たったの20年!」と思うこともある。
たとえば「死」についても、若いときは、
それは(個人)の死でしかなかった。
が、しかし、今は、ちがう。
私という(個人)よりも、この宇宙全体が、
「死」とともに、永遠に消えることを意味する。
「死」の重み、そのものが、ちがう。
さて再び、「Salley Gardens」。
私はこの歌は、失恋の歌だと思う。
どこにもそうは書いてないが、その(切なさ)が、
この歌を歌っていると、ジンと伝わってくる。
「♪あのときあの恋人が言ったように、静かに
人生の流れにの中に身を置いていたら、
私はあのまま、あの恋人と、幸福な人生を
送っていただろう。私は若くて、バカだった」と。
ついでに……。
先の「私は音楽など、聴いたことがない」と言った
人だが、今年、70歳くらいになる女性である。
私の印象では、どこか小ずるく、どこか薄汚い。
ペラペラとよくしゃべるが、中身がまったくない。
音楽を聴かない人というのは、ああなるのか?
それとも認知症の初期症状?
どうであるにせよ、音楽を聴くことは、大切なこと。
それによって生まれる感動は、生活のあらゆる部分に
影響を与える。
絵を見て感動する。
映画を見て感動する。
人と会って感動する。
そういうふうに、つながっていく。
そうでない人は、そうでない。
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