Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Monday, July 14, 2008

*A High Schoo; Boy who sleeps with his Mother

●母親と床につく中学生(A High School Boy who sleeps with his Mother)
A boy (age 14) has been sleeping with his mother every night in the same bed. His mother seems to have a kind of mental disorder.

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R氏の長男(中学2年生)は、
今でも、母親と毎晩、抱き合うように
して寝ているという。

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R氏(父親、45歳)からの相談。
相談というより、グチ?
現在、「妻とは、形だけの夫婦」とか。
息子(中2)と娘(小5)がいる。
が、「子どもたちは、今でも、妻といっしょに、
『川』の字になって寝ている』とのこと。

同じフトンの中で、だ。

R氏は、夕方からの仕事(=運送会社での
荷物の仕分け)をしている。
いつも帰宅するのは、朝の6時ごろ。

「離婚したくても、いろいろ事情があり
まして・・・」と、R氏は言葉を濁す。

「長男のヤツは、中学2年生というのに、
いまだに母親とくっついて寝ています。
よくないとは思いますが、どうしようも
ありません。
妻には、こわくて、何も言えません」と。

「どうしたらいいか?」という相談では
なく、「あきらめています」という
雰囲気の話だった。

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母子分離不安、夫婦分離不安というのは、ある。
しかし母子分離不安というのは、あくまでも
子ども側の問題。

これに対して、母親のほうが、子どもと離れられない
というケースもある。
中学2年生のその息子(=R氏の長男)にしても、
スポーツマンで、見た感じは、ごくふつうの
子どもである。

R氏の話から想像するような、ナヨナヨとした
印象は、まるで受けない。

R氏は、「母親のヤツが、放さないのです」と
言った。

こういうケースのばあい、子どもが、心の隙間
を埋める代用品になっていることが多い、
心の緊張感をいやすために、代償的に子どもを
常にそばに置く。・・・置きたがる。

あるいは本来、夫に向けるべき愛(?)まで、
子どもに注いでしまう。

たいていは母親側に、情緒的欠陥、もしくは
何らかの心の病気があると考えてよい。
そのため無理に母子関係を引き裂くようなことをすると、
母親の症状はさらに悪化する。

が、母親はそれでよいとしても、子どもに与える
影響は無視できない。
依存性は相互的なもので、母親が子どもに依存性を
もてばもつほど、子どももまた、母親に依存性を
もつようになる。

しかし(依存性)は、けっして、(愛)ではない。
ベタベタに依存しあっているからといって、
たがいの(愛)が、濃密ということにはならない。
(見た目には、仲がよく、たがいに深い愛情で結ばれて
いるように見えるが・・・。)

R氏の妻が子どもに示している、こうした愛を、「代償的愛」
という。
が、「愛」ではない。
「子どもを愛している」と言いながら、その実、
子どもを自分の支配化において、自分の思いどおり
にしたいだけ。
かんたんに言えば、「愛もどきの愛」ということに
なる。
一見、愛に見えるが、愛ではない。
似たようなケースに、ストーカーが見せる愛(?)がある。
相手の迷惑を顧みず、相手を追いかけまわす。

どこまでも自分勝手で、自己中心的な愛ということになる。

子育ての目標は、子どもを自立させること。
こうした依存性は、子どもの自立の妨げになることは
あっても、自立を助けることは、ない。

本来なら、母親は、子どもの親離れを促しながら、
子どもを自立させなければならない。
一般論からしても、親の添い寝は、子どもに情緒的な
問題がなければ、長くても小学2、3年生ごろまで。

そのころになると、子どもの自己意識が急速に発達
してくる。
子どもが親離れする時期とも重なる。

で、ふつうこういうケースでは、つまり、ベタベタの
親子関係がつづけば、子どもは、マザコン化する。

(マザコンについては、たびたび書いてきたので、
ここでは省略する。)

一方、R氏は、父親としての役割を、すでに放棄
してしまっているかのようである。
(1)母子関係の是正と、(2)社会性の構築、である。
わかりやすく言えば、「母子の間に割って入り、
子どもに狩りのし方を教える」。

加えてR氏のばあい、夫婦関係は、すでに冷え切って
しまっている。
(だからこそ、母親は、子どもを溺愛していると
いうふうにも、考えられる。)

似たようなケースに、昔、Y君という子どもがいた。
当時、中学3年生の男子だった。

Y君の母親は、Y君が恋心をいだいただけで、狂乱状態に
なってしまった。
「今は、受験で大切な時期だから、何とか交際を
やめさせてほしい」と。
が、それはまさに嫉妬に狂った女の姿だった。

で、私が、「それだけは、この私にもできません」と
言うと、Y君の母親は、その女の子の写真を、パラパラと
机の上に並べて、こう叫んだ。

私が、「かわいい子じゃないですか」と言ったのが
まずかった。

「先生、こんな女ですよ、こんな女ですよ! こんな
女のどこがいいですかア!」と。
Y君の母親は、私の目の前で、ワーワーと泣いた。

では、どうするか?

具体的に何か問題がないかぎり、この世界には、
『内政不干渉の大原則』というのが、ある。
R氏のケースでも、母親(=R氏の妻)から、「どうしたら
いいでしょう?」という相談がないかぎり、私としては
アドバイスのしようがない。

母親がそれでよいと言うなら、それでよい。
子どもがそれでよいと言うなら、それでよい。
マザコンはよく話題になるが、それほど深刻な問題ではない。
(最近では、多かれ少なかれ、つまり程度の差こそあれ、
たいはんの男児は、マザコン化しているとみてよい。)

つまり、そうでない人から見て、「どこかへん?」といった程度の
問題。

・・・というわけで、私はR氏に話を聞きながら、
「はあ、そうですか」と相槌を打つことしか、できなかった。

以上、記録として、ここに書きとめる。