Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, July 27, 2008

*True Love

●真の愛

 「子育てが生きがい」という人は多い。明けても暮れても、頭の中は、子どものことば
かり。しかしそういう人は、子どもの奴隷になっているだけ。親は親で、それで構わない
かもしれないが、それから受ける子どもの負担感には、相当なものがある。
 あるときある中学生は、母親に向かって、こう叫んだという。「お母さん、ぼくのことは
もういいから、お母さんはお母さんで、自分の人生を生きてよ!」と。
 親が子どもに感ずる愛には、三種類ある。(1)本能的な愛、(2)代償的愛、そして(3)
真の愛。本能的な愛というには、赤子のオギャーオギャーと泣くのを聞いたときに、親が
感ずるような愛をいう。親はその声を聞くと、いたたまれない気持ちになる。
 代償的愛というのは、いわば「愛ももどきの愛」をいう。子どもを自分の支配下におい
て、自分の思いどおりにしたいという愛をいう。親自身の情緒的欠陥、精神的未熟性が、
その背景にあることが多い。
 たとえば子どもの受験競争に狂奔する親というのは、「子どもを愛している」とは言うも
のの、その実、自分勝手な愛を、子どもに押しつけているだけ。自分が感ずる不安や心配
を解消するための道具とて、子どもを利用しているだけ。
 では、真の愛とは何か。…実は、「愛」ほど、実感しにくい感情はない。何かあったとき
に、顔を出すことはあるが、日ごろは、「平凡」の中に、埋もれてしまっている。が、真の
愛を知る方法はないわけではない。『許して、忘れる』。つまりその度量の深さで、真の愛
の深さを知ることができる。
 『許して、忘れる』というのは、英語では、「FOR・GIVE & FOR・GET」という。こ
の単語をよく見ればわかるように、「FOR・GIVE(許す)」は、「与えるため」とも訳せる。
同じように「FOR・GET(忘れる)」は、「得るため」とも訳せる。つまり『許して、忘れ
る』は、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れる」ということ
になる。その度量の深さによって、真の愛が決まる。
 が、誤解してはいけないのは、「許して、忘れる」と言っても、子どもに好き勝手なこと
をさせろという意味ではない。子どもがどんな子どもであっても、その苦しみや悲しみを
共有し、それを許し、忘れるということ。
 親は子どもを産むことで親になるが、真の愛にたどりつく道は、遠い。険しい。何度も
道に迷いながら、ときに袋小路に入って、もがく。苦しむ。「ああ、もうだめだ」と思うこ
ともある。
 そういう幾多の山を越え、谷を越えて、やがて親は、真の親にたどりつく。そのときの
言葉が、これ。『許して、忘れる』。いつかあなたも子育てで行きづまりを感ずることがあ
る。そんなとき、この言葉を、思い出してみてほしい。あなたはその先に、「真の愛」を見
出すはず。心が救われるはず。