Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Friday, July 25, 2008

*Japan Has Changed!

●幸せに慣れた者は、不幸の意味がわからない

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時代は変わった。
若者たちも変わった。
ものの考え方も、変わった。

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最近の若い人たちは、「ぼくたちは不幸だった」と言う。
これだけ恵まれた世界に住みながらも、そう言う。
「こんな世の中、生まれてこなければよかった」と言った若者もいた。
心のすみに、そういういじけた心を閉じこめておく、牢屋のようなものがあるらしい。
何かの口論になったようなとき、そういう言葉が、ふと口から漏れる。

そういう言葉を聞くたびに、私はこう思う。
「何が、不幸だ」「不幸の意味も知らないくせに」と。

私たちが子どものころには、家族旅行などという言葉すら、なかった。
私の家が特別というわけでもないが、私の家族が家族旅行なるものをしたのは、
私が小学4年生のときが、はじめて。
数えてみれば、たったの1度だけ。
それも行った先は、伊勢。
その伊勢で、父は酒をあおってしまい、旅館で、大暴れ。
私たちは泊まることもなく、そのまま夜中に、家に帰ってきてしまった。
無惨な、あまりにも無惨な、家族旅行だった。

しかし私は親たちに向かって、「不幸だった」とか、「生まれてこなければよかった」などと、言ったことはない。
そういう発想そのものが、私たちにはなかった。

日本が今にみるような豊かな国になったのは、ここ20~30年のこと。
不幸と言えば、それ以前の日本がどういう国であったかを知らないことほど、不幸なことはない。
「今の状態」を当たり前と思うあまり、そこにある「幸福」に気づかない。

食事を口にすることができる。
寝泊まりする家がある。
洗濯された服が、そこにある。

今では高校生でも、親に感謝しながら高校に通っている子どもは、ゼロ。
大学生にしても、口では「ありがとう」とはいうものの、本当に感謝しているかどうかとなると、疑わしい。
「高校へ行くのは、当たり前」「大学へ行くのは、当たり前」という前提で、ものを考える。
へたに、「進学をあきらめてくれ」などと親が言おうものなら、即座に子どものほうが、それに反発する。

私は私で、生きていくだけで、精一杯だった。
それこそ身を粉にして働いた。
ある時期は、休みは、月に1度しかなかった。
今の若い人たちは、そういう(過去の現実)を知らない。

だからこう言った若者がいた。
「ぼくのおやじは、金儲けばかりしていた」と。
そこで私が、「君たちが大学へ行くのだって、お金がかかったんだよ」と言うと、こう反論する。

「子どものときから、勉強、勉強と、勉強で追われた。その責任を取るのは、親の義務」と。

もし当時、当時の日本人が、アメリカ人のような父親、たとえば『名犬ラッシー』に出てくるような父親を演じていたら、その翌年には、一家心中……ということになっていたかもしれない。
そういう過去の(現実)が、まったくわかっていない。

だからある日、私は自分がしてきたことが、バカらしく思えたことがある。

私の時代には、息子というのは、収入の半分を、実家へ仕送りするというのが、ひとつの習わしになっていた。
みながみなではないが、私の周囲にも、同じようなことをしている人が、何人か、いた。
盆や正月には実家へ帰り、親に金銭を渡したり、贈り物をするという習慣も残っていた。

が、今では、それが逆転している。
親のほうが息子や娘、それに孫に金銭を渡したり、贈り物をしている!
いろいろな調査結果を見ても、「将来、親のめんどうをみる」と考えている子どもは、40%もいない。
「めんどうをみる」という意味すら、わかっていない。
へたにそういう話題をもちだすと、「そんなのは親の責任」と言われそう。
つまり死ぬのも、私たち自身の責任で死ねということか。

その点、私のワイフなんかは、ずいぶんと前に、割り切ってしまっている。
たとえば私が息子たちにいくらかの金銭を渡すたびに、「そんなことはしなくてもいい」と、ブレーキをかける。

とは言うものの、息子たちから何かの贈り物が届くというのは、うれしいもの。
三男は大学生のころから、旅の先々から、その土地の名物を送ってくれる。
その三男が、おととい、電話で、こう言った。

「パパ、NAPA(=アメリカ)での訓練が終わったら、1か月、休暇がもらえる。いっしょに旅行に行こう」と。

うれしかった。
楽しみがふえた。

私たちには、その「幸福」が、よくわかる。
身にしみる。

ワイフはさっそく、旅行先を選び始めた。