Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, July 23, 2008

*Ibuki-yama(1)

●幸福は長く延ばして、使うもの

++++++++++++++++++H.Hayashi

幸福は、細いゴムひものようなもの。
幸福を感じたら、できるだけそれを長く、延ばして使う。
おそるおそる、慎重に、かつ、ていねいに延ばして使う。

++++++++++++++++++H.Hayashi

幸福というのは、どのみち、長続きしない。
不幸と不幸の間にあるもの。
それが幸福ということになる。

だから心のどこかで幸福を感じたら、できるだけそれを長く、延ばして使う。
あせってはいけない。
無理をしてもいけない。
まちがっても、コップの中の水を、ぐぐっと飲み干すようなことはしてはいけない。
少しずつ、少しずつ、あふれた水をなめるようにして飲む。

一方、不幸を感じたら、動いてはいけない。
ジタバタしてもいけない。
熊が冬眠するように、じっと穴の中で、時間が過ぎるのを待つ。
不幸は、夏の終わりの嵐のようなもの。
長くはつづかない。
長くつづくと思ってもいけない。

愚かな人ほど、(ヌカ喜び)と(取り越し苦労)の中で、自分を見失う。
幸福のヒモを、自ら、断ち切ってしまう。
不幸を、さらに倍加させてしまう。


●観光地

伊吹山へ行く途中、「醒井(さめがい)」という観光地に寄った。
中仙道の街道宿場町で、その街道に沿って流れる地蔵川が、
そのあたりでも名所になっている。

透明度の高い川で、川の中には、ちょうど梅香藻という川藻が、5ミリ前後の
小さな花を満開させていた。
それが陽光を浴びて、キラキラと輝く水に流されていた。
都会の観光客の人たちにとっては、たまらないほど魅力的な景色かもしれない。
古い板壁の家。
木の格子戸。
石垣で組んだ小川などなど。

しかし残念ながら、私には、そうではない。
私は同じような町に、生まれ育った。
むしろあまりにも似ていることに驚いた。
「M町(=私の故郷)そっくり」と、ワイフに何度か言った。

観光地は、それぞれの特色を売り物にして、観光客を集める。
私の故郷のM町は、「うだつの町」として、売り出している。
隣のS 町は、「刃物の町」として、売り出している。
しかし「うだつ」など、私にとっては、何でもない。
ただの瓦屋根。
珍しくも何ともない。

(うだつの説明は、あえて省略。)

むしろ、私は、玄関先で涼を取っていた70歳前後の男性のほうに
興味をひかれた。
コンクリートの階段のところで、両手を前にたらして座っていた。
私の祖父に似ていた。
視線が合うと、その男性が、「ごくろうさま」と言った。
私は「暑いですね」と答えた。
白いランニングシャツと、それがつくる人影の、くっきりとしたコントラストが
美しかった。

私の祖父も、暑いときは、そうして玄関先で涼を取っていた。
通りを歩く人たちに、気軽に声をかけていた。

おそらくその男性にすれば、「どうしてこんな町に……」と
思っているにちがいない。
私自身も、そうだった。
若いころ、観光客の人たちが私の町へくると、こう思った。
「何が楽しくて、こんなところへ来るのだろう?」と。
というのも、こうした古い町並みの中に住んでいる人たちは、
それほどその町を気に入っているわけではない。……と思う。
むしろ嫌っている人も多いはず。
(一方、『住めば都』という諺もあるにはあるが……。)
私のワイフにしても、ときどき遊びに行くのはよいとしても、
住むのは、ぜったいにいやと言っている。

家と家が隙間なく軒を並べ、しかも古いしきたりが、クサリの
ようにからんでいる。
その重苦しさ、息苦しさは、外からはわからない。

そう言えば、私の母なども父と結婚して、そのM町に70年近く
住んだが、認知症が始まるころから、M町の話をまったくしなくなってしまった。
記憶から、その部分がすっぽりと抜けたような状態になってしまっている。
醒井の町を歩きながら、そんなことを考えた。

そんなわけで、観光地としては、星1つの、★。
先日訪れた、近江八幡は、星3つの、★★★。
彦根城は、評価できない。
このあたりでお勧めの観光地としては、長浜がある。長浜は、星4つの、★★★★。


●伊吹山

「伊吹山」は、どうやら「いぶき・やま」と読むようだ。
パンフレットでは、みな、そうなっている。
私は子どものころから「いぶき・さん」と読んでいた。

その伊吹山。
標高は1377メートル。
中学2年生のときに登って以来、47年ぶり。
山小屋でしばらく時間をつぶしたが、女主人に、「40年前のままですか」
と聞くと、「ありましたよ」と。
「50年前のままですか」と聞くと、「ありましたよ」と。

とたん、なつかしさが、ぐぐっと胸の中に充満してきた。
私はその山小屋で仮眠を取り、翌朝のご来光を拝んだ。

ワイフに、「タイムスリップしたみたい」と言うと、
「よかったね」と。

伊吹山へ来てみて思い出したことが、いくつかある。
夜の山道を、ライトを照らしながら登ったこと。
その光の帯が、細く、長くつづいていたこと。
私たちは「ロッコー……何とか」と、掛け声をかけながら、
みなで山に登ったこと、など。

山小屋では、(現在は、床をはずされ、小屋全体がレストランに
なっていたが)、自分がどのあたりに眠ったかまで思い出した。

帰りは、みなで走りながら山道をくだった。
そんな思い出が断片的だが、つぎつぎとよみがえってきた。

山小屋でワイフは、伊吹牛乳というのを飲んだ。
私はソフトクリームをなめた。
なめながら、こんな話をした。

私「なあ、タイムスリップして、あのときのぼくに戻ったら、どうする?」
ワ「映画みたいね……」
私「そう映画みたいだ。……でね、中学生のぼくが、お前を訪ねていくという
話はどうだ?」
ワ「訪ねてきて、どうするの?」
私「ぼくは将来、君と結婚することになっていると告げる」
ワ「私、気味悪がって、逃げるかもしれないわ」

私「そうだな。……だったら、お前とぼくしか知らない話をすればいい」
ワ「なんて?」
私「一升瓶をもって、角の酒屋まで、酒や納豆を買いにきた話というのは
どうだ?」
ワ「私の兄弟なら、みんな知っているわ」
私「だったら、小学2年生のとき、近所の友だちと、お医者さんごっこを
したという話はどうだ?」

ワ「いやねえ……。よけい、気味悪く思うわよ」
私「そうだな。やっぱりそのときが来るまで待つしかないね」
ワ「その時って?」
私「ぼくたちが乗馬クラブで出会ったときの日だよ」
ワ「なかなかロマンチックね」と。

伊吹山はすっかり変わっていた。
今では最後の200メートルを残して、バスで登れるようになった。
しかし先にも書いたように、あの山小屋は、50年前のまま、そこにあった。

「このあたりだよ、たぶん……。みんなで記念撮影をしたのは……」と。

2度と、伊吹山に登ることはないだろう。
つぎの50年後には、私は110歳になっている。
生きてはいないだろう。

駐車場まで下りたとき、もう一度、あのどこか平らな伊吹山を、もう
一度、脳裏に深く刻み込んだ。

(追記)

ところで海抜1300メートルの伊吹山山頂で、なんと、あのツバメが
飛んでいた。
自由自在というか、まるで行き交う流星群のように飛び回っていた。
速い!
私はツバメというのはこの時期、人間の民家までおりてきて、そこで
巣をつくり、子育てをするものだとばかり思っていた。
ジェット戦闘機でも、あれだけの速度感は、ない。
ヒョイと身をかわすと、そのまま数百メートル飛び、そこでまたヒョイと
身をかわすと、別の方向に、そのまま数百メートルは飛ぶ。
そんな飛び方だった。

「同じツバメでも、ちがうものだな」と思った。
街中をチョコマカ、チョコマカ飛び回るツバメもいれば、抜けるような
天空を、思うがまま飛び交うツバメもいる!
「私なら……」と思った。
「私なら、街中よりも、こうした山の頂上付近を飛び回るツバメになる」と。
だれのためでもない。
自分のため、と。

眼下を見ると、白いモヤにかすんで、小さな民家が点在しているのが見えた。
ひょっとしたらツバメたちのネグラは、あの民家かもしれない。
ツバメの運動能力にすれば、1300メートルの高さなど、何でもない。
山頂まで来るのに、数分もかからない?
朝になるとここまでやってきて、夕方、また戻っていく?

いずれにしても、すごい運動能力!
私は、しばらくぼんやりと、ツバメの動きに見とれていた。


++++++++++++++++++H.Hayashi

●多数決という、非民主主義

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帰りの観光バスの中で、ガイドさんが、
「ビデオを見るかどうか、採決をします」と切り出した。
定番である。

「これからビデオを見るかどうかで、多数決を取ります。
ビデオを見たい人……手をあげてください。
ハイ、11人。
ビデオを見たくない人……手をあげてください。
ハイ、13人……」と。

よかった!
またまたあの『釣りバカ日誌』を見せられたら、私は発狂していたかもしれない。
私は、同じビデオを、もう3回も見せられた。

しかしこういうのを、民主主義とは言わない。
「多数決」には、限界がある。
それについて、説明したい。

たとえばここに、20人の人がいる。
ビデオを見たいと思っている人が、その中の15人。
しかしビデオを見ることで、迷惑する人が、5人。

採決をすれば、当然、ビデオを見たい人が多いわけだから、ビデオは、かけられる
ことになる。
が、こういうのを、民主主義とは言わない。
多数決イコール、絶対的な正義ではない。
もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

たとえばここに20人の人がいる。
そのうち、記念碑を作りたい人が、15人。
記念碑が作られることによって、迷惑を受ける人が、5人。
「15人」というのは、建設業がらみの人たちである。
「5人」というのは、その地域の人たちである。
そこである人が多数決を取ることにした。

「記念碑の建設に賛成な人……手をあげてください。
ハイ、15人。
記念碑の建設に反対の人……手をあげてください。
ハイ、5人」と。

こういうケースのばあい、それによって迷惑を受ける人が1人でもいたら、
その人がこうむるであろう不利益を、優先して考えなければならない。
記念碑というのは、なくても構わないものである。

ビデオについての採決についても、そうである。

たまたま今日は、「見たくない人」が多かった。
しかしそれは客のほとんどが、50~60代以上の人たちであったことによる。
伊吹山に登ったあとで、みな、クタクタ。
ガイドさんは若いから、まだ老人の生理というものがよくわかっていない。
この年齢になると、大半の人が、昼寝をする。
帰りの旅というのは、ちょうどその昼寝時間と重なる。

が、もし半分以上の客が、若い人たちだったら、採決の内容はちがったものに、
なっていたはず。
「では、ビデオを見ることにします」とか、なんとか。

一応、この日本は民主主義国家ということになっている。
多数決が意思決定の、大原則になっている。
しかしものごとすべてを、その多数決だけで決めていたら、それこそ、たいへんな
ことになる。
そのつど、弱者や少数者が、犠牲になる。

そこで民主主義の世界では、弱者や、少数者に、いかにやさしいかで、その
熟成度を知る。
当然のことながら、弱者や、少数者に、やさしい社会を、完成度の高い社会という。
そうでない社会を、そうでないと言う。

このばあい、ビデオをかけられることで、迷惑をする人がいたとしたら、(何も
ビデオというのは、見なければならないものではないのだから)、
ビデオはかけるべきではない。
「ビデオを見なければ、退屈で、気が変になる」という人がいれば、話は別だが、
そんな人はいない。
しかしここにも書いたように、ビデオなど、見なければ見なくても、すむはず。
また見なければならないものでもない。
だったら、「安眠を妨害されて迷惑する人」を、優先すべきである。
そういう人が、たとえ3人でも、4人でもいたら、ビデオの上映は、
やめるべきである。

それが民主主義である。
より完成された民主主義である。

わかるかな?

が、若いガイドさんには、それがわからない。
わからないから、単純に多数決を取ることで、ものごとを決めようとする。
つまりそれだけ、未熟ということ。

ガイドさんが未熟というより、日本の民主主義が、未熟ということ。