*Workers' Day
【今朝・あれこれ】(11月24日)
●勤労感謝の日
昨日、11月23日は、勤労感謝の日だった。
その振り替えということで、今日、11月24日は、祭日。
しかし「勤労感謝の日」とは、何か?
どこか(こじつけ)のような感じがしないでもない。
ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
『日本の国民の祝日の一つ。日付は11月23日。国民の祝日に関する法律(祝日法)では
「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」ことを趣旨としている。1948年(昭
和23年)公布・施行の祝日法で制定された。
戦前の新嘗祭(にいなめさい; しんじょうさい)の日付をそのまま「勤労感謝の日」に改め
たものである』と。
「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」とは、あのK国のあちこちに
掲げられているポスターの標語みたいで、おもしろい。
が、また疑問。
「新嘗祭(にいなめさい)」とは、何か。
改めてウィキペディア百科事典をひいてみる。
『11月23日に、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、また、自らもこれ
を食して、その年の収穫を感謝する祭儀。宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われる。
秋に新穀を供えて神を祭る稲作儀礼である。
飛鳥時代の皇極天皇の御代に始められたと伝えられている。一時中断されたが、元禄時代
の東山天皇の御代に復活した。1873年の太陽暦採用以前は旧暦の11月の2回目の卯の日
に行われていた。1873年から1947年までは大祭日となっていた。
戦後は、勤労感謝の日として国民の祝日となった。新嘗祭自体は伊勢神宮及びそれに連な
る神社の祭儀となり、伊勢神宮には天皇の勅使が遣わされて、大御饌(おおみけ・神が召
し上がる食事)を供える形式となった』と。
天皇家の稲作儀礼の日が、戦後そのまま勤労感謝の日になった。
簡単に言えば、そういうことらしい。
が、祝日は祝日。
それ以上に、「働くことができる喜び」というのは、それを失ってみたとき、はじめて
わかる。
「働ける」というのは、健康な人の大特権と考えてよい。
そういう意味で、勤労に感謝するということについては、異論はない。
おおいに感謝すべきである。
感謝するというより、それをすなおに喜ぶ。
息ができる。
目が見える。
音が聞こえる。
冬の冷気を肌で感ずることができる。
まさに、感謝、感謝、感謝。
そう言えば、今朝の私は快調。
風邪らしき症状は、みな、消えた。
体も軽い。
しかし今、大不況のまっただ中で、職を失った人も多いはず。
そういう人たちは、今日の祝日をどうながめているのだろう?
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●葬儀が終わって……
母の葬儀が終わって、ちょうど40日目になる。
92歳という年齢もあったが、静かな葬儀だった。
あっけないというか、こんなものかなあと思うような葬儀だった。
が、それから40日。
母の葬儀が、見えないところで、思わぬ波風を立てているのを知った。
参列してくれた人、参列してくれなかった人……。
私自身は、この浜松市で葬儀をしたということもあり、参列してくれなかった人に
対して、どうこう思っていない。
……まったく思っていなかった。
最初から、内々で、静かにすませたいと願っていた。
しかしみなが、みな、同じように考えるわけではないらしい。
それぞれの立場で、それぞれが非難しあっているのを、知った。
「あの人は、どんなことがあっても、来るべきだった」とか、なんとか。
今は、その火消しに追われている。
どうかみなさん、心安らかに。
私自身は、なんとも思っていない。
ただこういうことは、感じた。
若いころ、10年といっても、それほど大きな変化はなかった。
しかし今は、ちがう。
同じ10年でも、みな、大きく変化していく。
たとえば70歳の人は、80歳になる。
今は、伯父が1人、叔母が2人だけになってしまったが、みな、
歩くのもままならないという状態。
葬儀のあと、礼の電話をしてみて、はじめてそれを知った。
少し前、学生時代の友人がこう言った。
「林、60歳を過ぎるとな、どんどんみな、死んでいくぞ」と。
そんな変化を目(ま)の当たりに見せつけられた感じだった。
これからは1年、1年、もっとしっかりとまわりを見つめながら、
生きていこう。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
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