Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Friday, November 21, 2008

*Short Essays(1)

●エイズが増加

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エイズ(HIV感染者の発症)が、
ふえている。
先進諸国の中で、ふえているのは、
この日本だけという。

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ヤフー・ニュースは、つぎのように伝える。

+++++++++++++以下、ヤフー・ニュースより++++++++++++++

 厚生労働省のエイズ動向委員会は19日、国内のHIV(エイズウイルス)感染者が累計で1万人を超えたと発表した。新規感染のペースは右肩上がりに増えており、厚労省は「先進諸国が横ばいの中で日本の感染率上昇は目立っており、啓発が遅れている」と警戒を強めている。

 厚労省によると、7~9月に報告があった新規感染者は294人で、四半期ベースでは過去最多。血液製剤で感染した薬害被害者を除く感染者は累計で、1万247人(男性8305人、女性1942人)に達した。85年の最初の感染報告から5000人突破までは17年かかったが、ここ数年でペースが急激に上がり、03年1月以降の5年9カ月で5107人の感染者が見つかった。

+++++++++++++以上、ヤフー・ニュースより++++++++++++++

子どもたちを守るのは、子ども自身。
方法は簡単。
心のスキを作らない。……作らせない。

自分のしたいことを夢中になってやっている子どもは、
心にスキがない。
(自己概念)と(現実自己)が一致している。
これを心理学の世界では、自己の同一性という。

その自己の同一性の確立している子どもは、心に
スキがない。
つまり外からの誘惑に強い。
抵抗力がある。

が、この同一性の構築に失敗すると、心にスキができる。
とたん、心は抵抗力を失い、外からの誘惑にもろくなる。

大切なことは、子どもの中に一定の方向性を見つけたら、
子どもといっしょに、その方向性に向かって、興味付けを
手伝うこと。
子どもが「バスの運転手さんになりたい」と言ったら、
すかさず、「すばらしい仕事ね。今度の日曜日に、
バスに乗って、町を一周してみようね」と話しかける。

こうした興味付けが子どもを伸ばす。
伸ばすだけではなく、心の抵抗力をつくる。
その抵抗力が、子ども自身を守る。

……これだけで子どもをエイズから守ることができるとは思わない。
しかしぐんと、遠ざけることはできる。


Hiroshi Hayashi++++++++NOV 08++++++++++はやし浩司

●眠られぬ夜

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午後8時ごろ、猛烈な睡魔。
「早く寝ようか」とワイフに声をかけると、
すなおに従ってくれた。

が、そこへ電話。
ある母親からの、相談の電話だった。
それに30分ほど、応対した。
とたん、頭が冴えてしまった。

気温が低かったこともあり、足が冷えた。
ストーブはすでに止めてあった。
それがよくなかった。
その分だけ、頭のほうに血が上った(?)。
こういうの東洋医学では「逆上」という。

そのあと床についたが、(お目め、ぱっちり!)。
ワイフはすぐ寝息をたてたが、私は、ふとんの
中で、じっとがまん。
どこか息苦しかった。
動けばワイフの睡眠を妨げる。

そこで私は起き上がってしまった。
が、こうなると、もう眠られない。
たぶん、夜中の1時ごろまで無理だろう。

しかたないので、居間のコタツに座って、愛用の
ミニパソコンに電源を入れた。
メールを読んで、ニュースに目を通す。

軽い神経痛があるのは、風邪の後遺症か。
頭の側面をピリッ、ピリッと小さな痛みが走る。

私のばあい、こういうときは、無理をしない。
起きていたいだけ、起きている。
そのうち眠くなったら、寝る。
ものの本によれば、人間というのは、1日や2日、
眠らなくても、死ぬことはないそうだ。

しばらくすると、ワイフが心配して起きてきた。
「あなた、だいじょうぶ?」と。

「ぼくはだいじょうぶだから、先に寝てよ」と答える。
長年の習慣というか、ワイフはワイフで私の温もりがないと、
眠られないらしい。
私もそう。
どんなはげしい夫婦喧嘩をしても、その夜にはいっしょに
寝ることにしている。
つまり寝ている間は、休戦。

ひとりで寝るのはつらい。
私のような人間を、「ワイフコン」という。
私が考えた言葉。
つまり「マザコン」と同列の、「ワイフコン」。
ワイフがいないと、何もできない。
あわれな、どこまでもあわれな夫。

日本語では「尻に敷かれた夫」。
英語では「親指の下の夫(a husband under the wife’s thumb)」。

しかしこうしてのんびりと、意味のない文章をたたくのも、
悪くない。
文を書くというよりは、パソコンをいじっていることそのものが、
楽しい。

そう言えば先日、新しいパソコンのキーボードにシールを
張っていたら、一人の母親が、「楽しそうですね」と言った。
私は、「。」「F7」「back space」のキーには、シールを張ることにしている。
よく使うキーだからである。
「F7」は、カタカナ・キーとして使っている。

「こういうことが楽しいです」と答えると、その母親もうれしそうに
笑った。
きっとその母親も、パソコンが大好きなのだろう。
たがいの趣味が、ビンビンと一致した。

で、今、使っているパソコンで、いちばん気に入っているのが、
HP社の2133。
つぎがACER社のアスパイア(1)。

書斎には大型のデスクトップが2台置いてあるが、名前はない。
MCJ社の高性能パソコン。
ほかにNECのLaviと、FujitsuのFMVも居間に置いてある。
最近は、めったに使わない。

使い勝手はあまりよくないが、どういうわけか、このところ
ミニ・パソコンが気に入っている。
小さくて、かわいくて、それでいて一人前。
どこへでも持っていかれる。
その利便性が、よい。

……時計を見ると、午前12時を少し回ったところ。
何となく、頭の中がぼんやりとしてきた。
頭のほてりも収まってきたよう。
もうすぐ眠くなるはず。
そうなったら、ふとんの中に潜り込む。

眠られない夜は、無理をしない。
眠くなるまで、好き勝手なことをして時間をすごす。
何よりも、それがいちばんよい。

そうそうハーブ系の睡眠薬、もしくは精神安定剤が
効果的。
これからその睡眠薬をのむところ。
忘れていた!


Hiroshi Hayashi++++++++NOV 08++++++++++はやし浩司

●退職後の男たち

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定年退職をしたあと、まったく
仕事をしなくなる男性は多い。
約50%がそうではないか。

しかし私のばあい、そういう状態には、
それほど長くは耐えられない……と思う。

気がへんになってしまう。
というのも、仕事をするから、気が紛れる。
仕事をしなくなってしまったら、
気を紛らわすことができなくなる。
もともと(うつ)タイプの人間だから、そのまま
一気にうつ病になってしまうかもしれない。

が、中にはそうでない人もいる。

知人(私と同じ、満61歳)は、最近まで
家の中でゴロゴロしていたという(妻の言葉)。
が、このところ毎日のように、ゴルフに
出かけているという。
コースを回るときもあるという。

そういえば、別の知人(満61歳)もそうだ。
しばらく家の中でゴロゴロしていたあと、
ゴルフ場に通うようになった。

が、その先は、どうなるか?

そういうときは、70歳とか、80歳の男性を
観察してみればわかる。
仕事に復帰する人もいるが、60歳で一度遊び
始めると、急速に社会適応性を失う。
つまり職場復帰がむずかしくなる。

だからできるだけ長く、仕事はつづけたほうがよい。
60歳で引退というのは、早すぎる。
早すぎるというより、もったいない。

が、ここで新しい問題が起きる。
夫が家の中でゴロゴロし始めると、妻のほうが、
それを負担に感ずるようになる。
さざ波が立つように、たがいの間に、緊張感
が走るようになる。
この緊張感がストレスとなって、妻に
はねかえる。

こうなったとき、解決方法は、2つに1つ。
夫が家を出るか、妻が家を出るか。
そこで夫は、ゴルフに通うようになる。
もっとも手っ取り早く、だれにでもできる
運動である。
それにひとりで、できる。

が、つづいても10年。
5~6年もすると、たいていみな、やめる。
やめて家の中に引きこもるようになる。
それが老後の始まり。

みんなそれぞれ、自分で考えて、自分で判断して
行動しているのだろうが、総じてみると
ひとつの「形」をつくるところが、おもしろい。

ということは、定年退職後の男性は、つぎの
ような段階を経て、老人になると考えることも
できる。

称して、「はやし浩司風、老人段階論」。

第1期……ゴロゴロ期(家の中でゴロゴロする。)
第2期……軽い運動期(何かの運動を始める。)
第3期……倦怠期(病気か何かがきっかけで、運動をやめてしまう。)
第4期……老人期(老化が一気に進む。)

あとは要支援→要介護という段階を踏み、要介護5を経て、
あの世行き。

だからやはり仕事はしていたほうがよい。
どこかで生活の緊張感を保ったほうがよい。
その緊張感が、結局は健康につながる。
肉体はもちろん、精神の健康にもつながる。

東洋医学でも、『流水は腐らず』と教える。
英語では『ころがる石は、コケをつけない』と教える。

だから、満60歳になった、みなさんへ、
もう少しがんばってみようよ。
あわてて老人になることはない。

今夜はこれで、おやすみなさい!


Hiroshi Hayashi++++++++NOV 08++++++++++はやし浩司

●オバマ氏の対北朝鮮政策

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あちこちのニュース・サイトを読む。
オバマ氏の情報を集める。
どんな人で、どんな考え方をする人か知りたい。
が、こと極東アジア政策については、未知数。
今朝、やっとその一部が、あるニュース・サイトに
載った。

北朝鮮に対しては、(1)2国間の首脳会談をする。
(2)「アメ」と「ムチ」の政策を実行する、と。

一方、自分を売り込もうと必死になっているのが、
C・ヒル氏。
北朝鮮を擁護しつつ、北朝鮮側の作業は順調に
進んでいる、と。
6か国協議も、12月中に開くことができると
主張している。

なおC・ライス氏は、退任後は、すでに大学の教授に
なることが決まっている。


Hiroshi Hayashi++++++++NOV 08++++++++++はやし浩司

●それぞれの家庭の事情

私には、約60~64人もの従兄弟(いとこ)がいる。
自分でも、すごい数だと思う。
そういう従兄弟たちをながめてみると、人、みなそれぞれということがわかる。
しかも他人とちがい、それぞれの家庭の事情が、直接肌を通して伝わってくる。
他人のような距離感がない。

が、そういう従兄弟でも、60年を経てみると、ここに書いたように、
人、みなそれぞれ。

兄弟姉妹で、友人以上に熱い関係を作りあげている従兄弟もいれば、
兄弟姉妹でありながら、他人以上に疎遠になってしまった従兄弟もいる。
親子、兄弟姉妹の間で、たがいに縁を切ったという従兄弟もいる。

そういう従兄弟たちをながめながら、私は改めて、こう思う。

「自分がそうであるからといって、他人もそうであるとか、そうであるべきと
考えてはいけない」
「自分がそうでないからといって、他人もそうでないとか、そうであっては
いけないと考えてはいけない」と。

が、中には思慮の浅い人がいる。
平気で自分の考えを、他人に押しつけてくる。
このタイプの人は、安易な『ダカラ論』をふりかざす。
あるいは古い因習や伝統を、もちだす。

「お前は子だろ」
「お前たちは兄弟だろ」
「親子だろ」
「親は親だからな」と。

しかしこうした安易なダカラ論ほど、その当事者たちを苦しめるものはない。
(血が通っている分)だけ、その人を苦しめる。

その人の思慮深さは、その人の人間関係についての意見を聞けばわかる。
思慮の深い人ほど、口が重くなる。
一方、思慮の浅い人ほど、無神経、無頓着。
平気でズカズカと他人の家にあがりこんでくるようなことをする。
平気で内政干渉をしてくる。

さらに加齢とともに、繊細に曇りが生じてくる。
相手への思いやりはもちろん、相手の立場でものを考えるということが
できなくなる。
認知症が加われば、なおさらである。
思慮がどんどんと浅くなる。

つまりその人の思慮の深さは、他人への共鳴性の深さで決まるといってもよい。
いくら歳をとっても、その繊細さだけは、失わないようにしたい。


●自尊心vs自意識

自分のもつ人間としての尊厳さ。
それを自尊心という。
これは私たちが生きていくうえで、最後の最後まで大切にしなければならない。
自尊心をなくしたら、おしまい。

その自尊心とよく似たものに、自意識がある。
「私は私」と思うのは、大切なことだが、そのワクを超えて、「私だけが特別」と
思うのは、自意識。
このタイプの人は、自分の価値は認めても、相手の価値は認めない。
自己中心性が肥大化したものが、自意識ということになる。

で、どんな世界にも、自意識が過剰な人というのはいる。
世界が自分を中心に回っていると錯覚する。
ウソや冗談ではない。
本気でそう信じている。

最近、こんな女性(80歳)がいることを知った。
何でも美容院へ行くたびに、1万円のチップを払っているという。
だれしも、ものすごい金持ちと思うかもしれない。
しかし現実は、その反対。

実の娘(65歳)と同居しているが、その娘は近くの事務所で
事務員として働いている。
収入は、それほど多くない。
その娘から金を出させて、そうしている。
(1万円のチップだぞ!)

世間体を気にする人というのは、何歳になっても、そうする。
変わらない。
そしてその世間体の基盤になっているのが、ここでいう自意識である。
それが過剰になればなるほど、世間体を気にするようになる。
本当はだれにも相手にされていないのに、まただれも相手にしていないのに、
自分では、相手にされていると思い込んでいる。
自分は注目されていると思い込んでいる。

私の母にしても、そうだった。

自分の実家の稼業をけなすようでつらいが、私の実家の稼業は、自転車屋。
ただの自転車屋。
先日も中学時代の同窓会に出てみたが、みなが、そういう目で見ているのが
よくわかった。
「林、お前は、あの自転車屋の林だろ」と。
「自転車屋」という部分だけ、ことさら強調する。
(これは私のひがみ意識か?)

大正時代の昔は知らないが、今では、その社会的評価は、あまり高くない。
職業に上下はないが、「上」とは、とても言えない。
ここでいう(そういう目)というのは、そういう目をいう。

が、母だけは、ちがった。
過去の亡霊を、自分から切り離すことができなかった。
町の酒屋や醤油屋、さらには医院と並んで、名門家と思い込んでいた。
晩年になってからでも、私が、「ただの自転車だろ」などと言おうものなら、
パニック状態になって、私を叱った。
「そんなこと、あらへん(ない)!」と。

そういう意味では、母は、きわめて自意識の強い女性だった。
自分が落ちぶれた自転車屋の女主人であることが、人に知られるのを、何よりも
恐れていた。
祖父(私の祖父)の時代の財産など、当の昔に使い果たしてしまっていた。
にもかかわらず、「おじいちゃん(=私の祖父)が財産を残してくれたから、
生活できる」と。
いつも決まって祖父を自慢していた。

こうした偏狭な自意識と闘うためには、自分の住んでいる世界を広くする。
何も自転車屋をつまらない職業と思えというのではない。
大切なのは生き様。
生き方。
それが確立していれば、職業というのは、それこそただの金儲けの手段にすぎない。
おかしな上下意識にまどわされて、卑下する必要は、まったくない。
総理大臣だろうが、自転車屋だろうが、職業は職業。

が、自分の姿を客観的に見るのは、むずかしい。
自分の立場を客観的に知るのは、さらにむずかしい。
しかし方法がないわけではない。

常に相手の目の中に自分を置く。
そこから、自分を見る。
「この人には、自分はどんなふうに見えるだろうか」と。

ただこの時点で注意しなければならないことは、仮にどんなふうに見えても、
気にしないこと。
気にしたとたん、(世間体)が顔を出す。
そのときこそ、「私は私」を貫く。


●エセ科学

今日のネット・ニュースを見ていたら、2つの興味深い記事が目についた。

ひとつは、エセ科学を糾弾する記事。
もうひとつは、霊感商法で犠牲になった人たちの記事。
「最近のスピリチュアル・ブームで、ハードルが低くなったため」とか。

つまりスピリチュアル・ブームでハードルが低くなった分だけ、
霊感商法に対する抵抗力が弱くなり、その犠牲者になる人がふえているという。
その理由として、「テレビ」をあげる。

それについては、何度も書いてきたので、ここでは省略する。

エセ科学と闘うための方法として、まず疑ってみること。
自分の頭で考えてみること。

その記事の中には、こんな記述もあった。

「あの人が言っているからまちがいないだろうという、主体性の
なさが、エセ科学の温床になっている」と。

言いかえると、「テレビで言っているのだから、まちがいない
だろう」という、主体性のなさが、エセ科学の温床になっている。

スピリチュアル……?
いつまでもアホなことを言っていないで、いいかげんに目を覚まそう!


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 08++++++++++はやし浩司