Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, November 23, 2008

*Our Brain-less Prime Minsiter of Japan

●「マンガ脳首相」(週刊B春)

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AS首相のボロが、ボロボロと出てきている。
なんともお粗末な首相である。
「おバカ首相」(週刊S潮)とまで書かれている。
実際、おバカだから、どうしようもない。
しかしこんなことは、AS氏が外務大臣だった
ころから、わかっていたこと。
神輿(みこし)のように持ち上げるおバカが
多いから、あんな程度の人物が、首相に
なってしまった!
その責任は、だれが取るのか。

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『利口な人からは、バカな人がよくわかる。
バカな人からは、利口な人がわからない』と。
これは私が考えた格言だが、ここではその先。
つまり、自分がバカなとき、それを知ることは
可能なのか。
つまり自分で自分がバカであることを、知る方法は
あるのか。

たとえばAS首相にしても、(あくまでも見た感じ
の話だが……)、自分ではおバカとは思っていない
だろう。
それがわかったら、とても首相など、恥ずかしくて
できない。
その前に、総裁選で、立候補など、しない。

おバカを防ぐ方法があるとするなら、思慮深く
なること。
日々に脳みそを研鑽(けんさん)すること。
そうでなくても、AS首相も含めて、私たちの
年代になると、脳みそに穴があいたような状態に
なる。

知恵や知識が、どんどんとこぼれ落ちていく。
思考力や理解力も鈍ってくる。

が、一国の宰相ともあろう立場の人が、
「国際社会の動きは『ゴルゴ13』で勉強する」
(週刊B春・11・27)とは!
あきれるというよりも、情けない。
前にも書いたが、日本人が一億、みな、
総ギャク化している!

そこでこう考えてみる。
AS首相のような人物に、(人物と言ってよいかどうか
わからないが)、自分がおバカであることを
わからせるためにはどうしたらよいか、と。

この問題だけは、神経細胞的にも、基本的レベルの
ものであるだけに、むずかしい。
人は、より自分が賢くなったときだけ、それまでの
自分が愚かだったことを知る。
もしAS首相が自分で自分がおバカであることを
気がつくとしたら、自分でより賢くなったときだけ。
が、その研鑽もしていないとなると、ほぼ
絶望的としか、言いようがない。

そのAS首相はあれこれ理由にもならない理由を
並べて、政権の座に居座ろうとしている。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2932)

●うつ病一考

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うつ病になると、その人自身も苦しむ。
病気は、病気。
しかし同時に、その周囲の人たちも、苦しむ。
が、それだけではない。

私の印象では、(あくまでも私の印象だが)、
うつ病になると、見た目には精神構造が二重になる。

内にひっこみながら、ときとして外の世界に
向かって、攻撃的になる。
たいていはその双方が、状況に応じて、交互に
現れる。

うつ状態になっても、いつも心は緊張状態。
ささいなことが引き金となって、突発的に
錯乱状態になる。

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数日前、どこかの県でどこかの人が、隣人を車でひき殺すという事件が起きた。
隣家との境界問題で、仲がこじれていたという。
間の道幅は、2メートルしかなかったという。
それで「うちの土地にお前の車が入った」「お前の車が、うちの塀をこすった」
という争いになったらしい(報道)。

隣家でも、土地問題がからむと、とかく感情的になりやすい。
が、これに似た話となると、だれしも、1度や2度は経験しているはず。
つまり1度や2度、隣の家と、境界問題で争ったことがある。
が、それはそのとき。
あるいは隣家との関係を考えて、たいていは黙ってそのまま見過ごす。
が、今回の事件は、内容がやや複雑なようだ。

ひき殺された男性の横には、カメラがころがっていたという。
つまりひき殺された方の男性は、相手が自分の土地を侵害しているという
証拠写真のようなものを撮ろうとしていたのではないか。
それを見て、車を運転していた男性が、逆上した(?)。
そしてそのまま車で体当たりして、相手をひき殺した。

この事件と、うつ病とは、まったく関係ない。
ないが、一方、こんな話も聞いたことがある。

その男性は、道路の車が異常なまでに気になるらしい。
どこかのだれかが車を道路にとめただけで、すぐパトカーを呼んだ。
近所の人が、車をとめたりすると、カメラで写真を撮り、それを警察署に
送り届けたりしていた。
道路といっても、団地内の、ほとんど車が通ることがない道路である。
そこに車がとまっていても、それほどその人が迷惑するという感じでもない。
で、最近は、認知症(?)も加わって、とまっている車に、いたずらを
するようになった。

釘やコインで、車に傷をつけたり、あるいはナンバープレートにペンキを
塗ったりする、など。
(もちろん証拠がないので、その男性の犯行とは断言できないが……。)

あとは一日中、家の中に引きこもっている。
言い忘れたが、その男性の年齢は、75歳前後(当時)。

こういうケースのばあい、事件そのものよりも、その男性自身の心の問題を
疑ってみたほうがよい。
その第一が、うつ病ということになる。

そのうつ病の第一の特徴といえば、(こだわり)ということになる。
何かのことで、ひとたびこだわると、そのことが、心の壁にペタッと張りついた
ような状態になる。
そしてそのことばかりを考えるようになる。
「考える」というよりは、ループ状態になる。
そしてその状態を繰り返しているうちに、妄想だけがどんどんとふくらんでいく。
冷静に考えれば何でもないような問題であっても、「ああでもない」「こうでも
ない」と悩み始める。

今回、どこかの県で起きたその事件にしても、どちらかの側の人に、こうした
心の問題があった可能性がある。
あるいは隣家の問題がこじれたことが原因で、そうなったのかもしれない。
どちらであるにせよ、ふつうの心の状態では、こうした事件は起きない。
車で相手をひき殺した男性は、そのまま相手の家にあがりこみ、相手の妻まで
殺害している。

一般的にうつ病というと、悶々と悩むのは、その人自身で、外部の人には
迷惑をかけないと考えられがちである。
しかし実際には、心はいつも緊張状態に置かれ、ささいなことで、それが
爆発することが多い。
突発的に錯乱状態になる。

悪意をもった相手に、カメラを向けられたときの不快感は、それを経験した
ものでないとわからない。
(私のワイフは、一度、ある。)
一方、自分の土地を侵害されたときの不快感も、これまたそれを経験したもの
でないとわからない。
(私も何度かあるが、そのすべてで、泣き寝入りしてすませた。)
そうした不快感が、日常的につづけば、だれだって悶々とした状態、
つまりうつ病になったところで、何ら、おかしくない。

……ここまで書いてワイフに話しかけると、ワイフはこう言った。
「そこまでこじれる前に、どうして話しあわなかったのかしら?」
「警察に間に入ってもらい、話しあえばよかったのに」と。

しかし警察には、『民事不介入』という大原則がある。
こうした民事上の争いには、警察は、ぜったいに協力しない。
またしてはならない。
あくまでも当事者どうしの問題である。
(もちろん法律違反があれば、話は別だが……。)

話を戻す。

こうした事件をみたとき、その断面だけを見て、判断してはいけない。
もちろん表面だけを見て判断してはいけない。
こういう事件にいたる背景には、それまでの確執がある。
そしてここにも書いたように、心の問題がからむことも多い。
繰り返すが、だからといって、当事者のうちのだれかが、うつ病だったとか、
そういうことを言っているのではない。
ふつうの心の状態では、こうした事件は起きないということ。
ふつうでなかったから、事件は起きた。

どうか、誤解のないように!

今回のこの事件が、とても他人ごとのようには思えなかったので、
あえて私の意見を書いてみた。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov・08++++++++++++++はやし浩司

●たたり

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こんな事例があったとする。
あくまでも仮定の話だが、似たような事例は、
あなたのまわりにも、いくつかあるはず。

その家には4人の兄弟姉妹がいる。
しかしどの兄弟姉妹も、結婚まではするのだが、
そのあと、みな、離婚してしまった。
みなそれぞれ、子どもがいたが、子どもたちはみな、
相手方に手放してしまった。

(だからといって、離婚するのが悪いと言うのではない。
今どき、離婚など、珍しくも何ともない。)
平均25%の離婚率として、2人の子どもが離婚する確率は、
16分の1。
3人の子どもが離婚する確率は、64分の1。
4人の兄弟姉妹がみんな離婚する確率は、256分の1。

ふつうに生活していても、兄弟姉妹が4人とも離婚する確率は、
256分の1。
しかし実際には、離婚は兄弟姉妹間で連鎖性をもちやすいので、
うち1人が離婚すると、「私も……」「ぼくも……」となる。
離婚家庭の子どもは離婚しやすいという統計上の数字もある。

が、親は、「これは何かのたたりにちがいない」と考えて、近くの
神社の神主に頼んで、「お祓(はら)い」をしてもらった。

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悪いことが重なると、それは自分たちの理解を超えた、何かの(力)によって
そうなったと考えやすい。
これは人間が本来的にもつ、脳の欠陥のようなものと考えてよい。
(たたり)という言葉は、そういう脳の欠陥を埋め合わせるために生まれた。
しかし(たたり)などというものは、ない。
あるわけがない。
わざわざ「科学的に……」という言葉など、つけるまでもない。
バカげている。

似たようなものに、(バチ)がある。
それについても、これだけ人間が多い中で、いちいちそんなことを
気にしている神や仏がいたとしたら、そんな神や仏は、エセと考えてよい。

たとえば北極周辺に住む白熊にしても、あと半世紀足らずのうちに絶滅する
と言われている。
原因は、言わずとしれた、地球の温暖化である。
その白熊が、つぎつぎと死んでいく仲間の姿を見ながら、それを(たたり)
とか(バチ)と考えたとした、あなたはどう思うだろうか。

こんな例もある。

その家には3人の息子と娘がいる。
しかし3人とも高校へ入るころから、非行に走るようになり、3人とも、
みな高校を退学させられた。

こういうケースでは、まず疑ってみるべきは、親の育児姿勢。
(バチ)とか(たたり)に結びつけるほうが、おかしい。

さらに交通事故や大病がつづくこともある。
そうなると人は、ますます(バチ)や(たたり)を信じやすくなる。
そしてひとたびそのワナにかかると、それがずっと頭から離れなくなる。
うつタイプの人なら、そのまま、本当にうつ病になってしまうかもしれない。

ところがそういう言葉が、堂々とテレビの中で使われている。
誤解しないでほしいのは、占星術にしても、スピリチュアル(霊)にしても、
それを信ずるのは、立派なカルトであるということ。
言うなれば天下のテレビ局が、テレビという天下の公器を使って、堂々と
カルトを垂れ流している。
まず、この異常さに、みなが、気がつくべきである。

仮に(たたり)というものがあるとするなら、毎日牛肉を食べている人が、
どうして牛にたたられないのか。
仮に(たたり)というものがあるとするなら、病院の医師たちは、どうして
死んだ患者にたたられないのか。

それに(バチ)にせよ、(たたり)にせよ、常に多面性をもっている。
かなり前、1人の子ども(小5男児)がこう言った。
「昨日、遠足だったけど、雨が降ったのは、バチが当たったからだ」と。
そこで私がすかさず、「そんなのはバチではないよ。
このところの水不足で、農家の人たちは、みな喜んでいるよ」と。

……議論するのも、バカバカしい。
意見を書くのも、バカバカしい。

私も15年ほど前、ある宗教団体を攻撃する本を、何冊か書いたことがある。
そのため、その教団の信者たちが、何組か押しかけてきて、私たち夫婦を
脅かしたことがある。

「お前たちは地獄へ落ちる」とか、なんとか。

しかし結局のところ、なにも起きなかった。
もちろん地獄へ落ちることもなかった。
最初は少なからず、そういうおどしに怯(おび)えたが、
(というのも、中に、頭のおかしい人もいたので、)
今は、もう何を書いても、こわいと思ったことがない。
一連の騒動を経験して、私は、勇気と、それにものを書く
思慮を手に入れることができた。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司