Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, January 11, 2009

*Garbage House

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの気力

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最近の研究によれば、生命の根源、つまり(生きる
力)の根源は、どうやら脳の中枢部にある、視床下部
というところにあることがわかってきた(アメリカ・
サイエンス誌)。

そこから脳みそ全体に、強力なシグナルが発せられ、
それが脳みそ全体の活動の根源、しいては人間の
生命活動の根源になっている(?)。

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「強力なシグナル」と書いたが、当然、個人差がある。
シグナルの強い人もいれば、弱い人もいる。
そう考えてよいことは、特別養護老人ホームにいる
老人たちを見ればわかる。

先日も久しぶりに、母がいたホームを訪れてみたが、
その中に1人、こんな女性がいる。
年齢は今年95歳になるという。
母が1年半前に入居したときもそうだったが、そのときも、
大きな声で、看護士や介護士さんたちに向かって、こう言って
叫んでいた。
「飯(めし)は、まだかア!」
「わっち(私)は、何も食べておらんぞ!」と。

大半の女性たちは、(そこは女性専用のフロアなので)、
ぼんやりとした表情のまま、時間をつぶしている。
何割かの女性は、大きな車椅子に横になったまま、鼻からチューブを
通して、一日中、眠っている。
そういう中なので、よけいにその女性が目立つ。

恐らく視床下部からの指令を受けて、ドーパミンが大量に分泌され、
それが線条体という組織を刺激しているのだろう。
性欲、食欲など、人間の欲望は、こうして生まれる。

おなじ高齢者なのに、たとえば私の母もそうだったが、
自分の意思をはっきりと持っている人もいれば、そうでない人もいる。
このちがいこそが、シグナルの強弱ということになる。

私という素人が考えた仮説なので、あまりあてにはならないが、
しかしそう考えると、子どもの世界がよく理解できる。

たとえば親の過干渉、あるいは過関心などで精神活動そのものが、
萎縮してしまった子どもがいる。
「萎縮児」とも呼ばれる。
覇気(はき)がなく、おとなしく、静か。
自我の核形成も遅れ、つかみどころがない。
何を考え、何をしたいのかも、よくわからない。
一見、従順で、人なつっこい。
好奇心も弱く、遊びといっても、ごく限られた範囲で、
同じことしかしない。
一部が萎縮しているというよりは、人格全体が萎縮している。

あるいは何らかの原因で燃え尽きてしまった子どもや、
荷をおろしたように無気力になってしまった子どもでもよい。

そういった子どもを見ていると、脳の中枢部、つまり視床下部
あたりから出るシグナルが、弱いのではないかと考えてしまう。
このばあいは、親の過干渉、過関心などで、脳の機能そのものが、
変調したと考えられる。
(本当にそうであるかどうかは、わからないが……。)

つまり私たちが俗に言う、「気力」というのは、そういうものでは
ないか。
「やる気」と言い換えてもよい。

先の女性でいえば、95歳という高齢にもかかわらず、食欲だけは、
異常に旺盛。
それが好ましいことかどうかという判断は別にするとして、視床下部
あたりから出るシグナルが、人一倍強いことだけは、確か。
それがその女性の(生きる力)の根源になっている。
だからまわりの看護士や介護士さんたちは、みな、こう言う。
「こういう人は、100歳まで生きますよ」と。

実は私の母も、今年(08年)の2月ごろまでは、その女性に、
勝るとも劣らないほどの生命力をもっていた。
一個の茶菓子を取り合って、テーブルの向かい側に座っている
別の女性と、ものを投げ合って喧嘩までしていた。
が、2月ごろ、脳梗塞を起こした。
そのあと、別人のように、静かで穏やかになってしまった。
私が見たところ、生命力そのものが、その日を境に、しぼんで
しまったかのように感ずる。

こうしたことから、私たちがいうところの(気力)というのは、
脳の奥深くにある根源的な部分から生まれると考えてよい。
視床下部から発せられるシグナルならシグナルでもよい。
そのシグナルが、やがて(気力)につながっていく(?)。
(そうでないかもしれないが、ここでは、そうであるという
仮定の上で、話を進める。)
そのシグナルが強い人は、あらゆる面で旺盛な気力を示し、そうでない
人は、そうでない。

では、どうすればよいのか。

こと子どもに関していえば、子どもというのは、あるべき環境の
中で、あるべきように育てれば、自然とそういう力を発揮する。
DNAのレベルで、そのようにプログラムされている。

が、ここでいう気力にしても、それをつぶすのは、簡単。
ガミガミ、ガンガンと、子どもを叱りつづければよい。
ついでに親の気分で、罵声を浴びせたり、暴力を振るったりすればよい。
無視、冷淡、育児拒否などがあれば、さらに効果的。
子どもは、確実に萎縮する。
動作そのものが、緩慢になることもある。
(あるいは同じような家庭環境であるにもかかわらず、反対に粗放化する子どももいる。
親の過干渉、過関心に抑えられてしまった子どもが萎縮児、
それに反発し、やり返した子どもが粗放児と考えるとわかりやすい。
同じような環境であるにもかかわらず、兄が萎縮し、弟が粗放化する
というケースは、多い。)

わかりやすく言えば、(気力)を奪うのは、環境ということになる。
とくに親の接し方ということになる。
だから英語では、「教育」を、「education<educe(引き出す)」という。
つまり能力は、すべての子どもが平等にもっている。
あとはそれを(引き出すか、つぶすか)、そのちがいによって、
子どもは伸びたり、反対に萎縮したりする。
それが教育ということになる。

なおここで「脳の機能が変調した」という言葉を使った。
これは私が使い始めた言葉だが、ひとつの例として、夜尿症(おねしょ)
がある。
本来なら睡眠中は、脳の命令によって腎臓での尿の生産が抑制される。
が、脳の機能が変調すると、その抑制に乱れが生ずる。
最近では、それが夜尿症の原因と考えられている。
だから夜尿症にしても、ここに書いた子どもの気力にしても、
(しつけ)によって、どうこうなるような問題ではない。
いわんや叱ったり、説教したりして、なおるような問題ではない。
(心の問題)というより、(大脳生理学の問題)。
そういう前提で、こうした問題を考える。

ずいぶんと荒っぽい書き方をしてしまったが、大筋ではそれほど
まちがっていないと思う。
大切なことは、無理や強制などで、子どものやる気を奪ってしまわないこと。
一度幼児期に萎縮させてしまうと、その後遺症は一生つづくと言っても
過言ではない。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
子どもの気力 子供の気力 子どものやる気 子供のやる気 視床下部 ドーパミン
ドーパミン効果 夜尿症 おねしょ 萎縮する子供 萎縮児 緩慢動作 緩慢行動)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【過去の奴隷たち】

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全国あちこちに、「ゴミ屋敷」と呼ばれる
家がある。
家の内外、ゴミだらけ。
マスコミでも、ときどき話題になる。
が、ゴミの多い家は少なくない。
家の外には少なくても、家の中はゴミだらけ
という家もある。
あるいは部屋の中がゴミだらけという家もある。

要するに何をゴミにするかということ。
そのモノによって、家の外にもゴミがあふれる
ということにもなる。

たとえば衣服を中心に集める人は、家の中を
衣服でいっぱいにする。
古くて使えそうもないような衣服まで、
そこにある。
以前、破れたズボンまで、たたんでしまっている人もいた。

人それぞれだが、とにかくゴミはゴミ。

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●肛門期

乳幼児はいくつかの原始的な心理発達段階を経て、少年、少女期へと移行していく。
そのひとつが、「肛門期」。
便をためる快感、便を排出する快感、その2つの快感を同時に経験する(フロイト)。
その「ためる」「捨てる」部分が、未成熟のままおとなになると、
異常なケチになったり、冒頭に書いたように、「捨てられない人」になる。
あるいは時には、見境なく高価なモノを買って、安心したりする。

数年前だが、ある人の家に寄ったとき、私は心底驚いた。
かなり大きな家だったが、玄関先からモノがいっぱい。
1間幅(1・8メートル)の玄関だったが、体を横にしないと、中へは
入れなかった。
モノ、モノ、モノ……。
その向こうにも、モノ、モノ、モノ……。
天井からも、衣服類が、ところ狭しと、吊りさげられていた。

しばらく待っていると、中から人が出てきたが、その人自身も、モノと
モノの間に足を入れながら歩いてやってきた。
ふつうなら、(こういうケースのばあい、「ふつう」という言い方をするのは、
たいへん危険だが……)、使わないもの、価値のないもの、古いものは、
どんどんと捨てる。
が、このタイプの人は、それができない。
いろいろなケースがある。
私が実際見たケースを書いてみる。

(ケース1)
たんすや戸棚には、衣服がぎっしりと詰まっている。
亡くなった祖父母の着物類から、息子や娘が子ども時代に使っていた
衣服類まで。
その人(女性、60歳くらい)のばあいは、そういった衣服をきちんと
箱に入れて、しまっていた。
そして暇なときは、それを出したり、入れたり……。
それだけを毎日のように、繰り返していた。
ときに箱からつぎつぎと出し、足の踏み場もないほどになったりすることもある。

(ケース2)
そういう関係の仕事をしていたこともあり、不用品として出されたものの
中から、まだ使えそうなものを見つけると、片っ端から自分の家の中に
持ち込んでいた。
その人は男性(50歳くらい)で、独身だったが、女性の美容器具まで、
その中には含まれていた。
部屋という部屋には、モノがいっぱい。
そのため窓までモノでふさがってしまい、昼間でも、電気をつけなければ、
部屋から部屋へと歩けないような状態だった。

(ケース3)
自分の趣味のものを買い集めたりしていた。
中古でも、値段が安いと買い集めていた。
その男性(30歳くらい)は、同じものでも、自分が気に入ったものは、
つぎつぎと買い足していた。
部屋の中はモノであふれかえっていたが、部屋のある部分だけを使うため、
その部分の畳は擦り切れて、穴があいていた。
掃除などしたことがないといったふうだった。

ほかにもテレビなどにもよく紹介される人がいる。
たいていは家の外にまでモノがあふれ、ときに近隣の人たちに迷惑を
かける。
社会問題になる。

原因としては、フロイト学説に従えば、乳幼児期における「肛門期」に
問題があったということになる。
この時期に、何らかの原因があって、(たいていは、愛情問題と考えてよい)、
精神的に未発達のまま、おとになになったと考えられる。
たとえば異常にケチな人というのは、その時期に問題があったとみる。
よくあるケースは、下の子ども(弟や妹)が生まれたことにより、
愛情飢餓の状態に置かれるなど。
生活態度そのものも、防衛的になる。

ただ驚くべきことに(ホント!)、冒頭にあげた玄関先にまでモノを置く人にしても、
(ケース1、2、3)の人たちにしても、みな、それぞれ、会って話してみると、
ごくふつうの人であったということ。

ふつうのサラリーマンであったり、通りであえば、こぎれいでサッパリと
した人たちであったりした。
そういう様子だけを見ていると、だれも家の中がそういう状態になっている
とは思わないだろう。
またそういう話をしても、だれも信じないだろう。
つまりはそういうタイプの人たちであった。

●捨てる美学

ガランと何もない部屋。
その居心地のよさは、それを知っている人は、知っている。
それを知っているから、モノを買わない。
不要になったら、すぐ処分する。
が、それができない人は、できない。
それこそ道路に捨ててあるゴミまで拾って、もってきたりする。
そのちがいは、どこからどう生まれるのか?

そこでよく観察してみると、捨てる人も、捨てられない人も、
まさに『チリも積もれば……』という状態で、そうなることがわかる。
ある日、突然、ゴミ屋敷になるわけではない。
仮に、古い衣服を、1週間に1着、部屋のどこかに吊りさげたとする。
1年では、それが50着になる。
10年では、500着になる。
20年では、1000着になる。
こうしていつの間にか、その部屋は衣服で埋まってしまう。
ゴミにしても、そうである。

一方、部屋の中がガランとしている人もそうである。
(ただし潔癖症の人は、別。)
いつも何かを、無意識のまま処分している。
その前に、モノをあまり買わない。

一般論で言えば、戦前から戦後に生まれた人たちは、モノに対して、
独特の執着心をもっている。
モノ=財産という考え方をする。
貧しい時代の遺物と考えてよい。
そのため(まだ使えそうなもの)、(いつか使うかもしれないという
可能性のあるもの)があったりすると、それを捨てることができない。
さらにそれが高じたりすると、同じものがあっても、捨てることができない。
そのため同じものが、いくつもになったりする。

そこで「捨てる美学」。

●捨てる美学

実は私は今年の秋、実兄と実母を、つづいて亡くした。
で、実家は、だれも住んでいない。
そのあと始末にときどき実家へ帰っているが、これが結構、たいへん。
「たいへん」というのは、小さなモノならまだしも、大きなたんすなどの
家具類の始末がたいへん。
母や兄が大切にしていたものだから、それなりに保存しておいてやりたい。
しかしそういったものを、私の家に持ち込むことはできない。
それこそ足の踏み場もなくなってしまう。
しかしそこは心を鬼にするしかない。

捨てるものは、思い切って捨てる。
それがここでいう『捨てる美学』ということになる。
これは私の息子たちに迷惑をかけないためでもある。
が、誤解しないでほしいのは、捨てるのが美学というのではない。
捨てることによって、身辺がスッキリする(=clearになる)。
結果として、気持ちよく家を使うことができる。
それが『美学』ということになる。

●心の病気

こうして考えてみると、モノを捨てられない、モノをためこむという人は、
心に何らかの病気があるとみてよいのではないか。
(もちろん当人たちは、否定し、それに猛反発するだろうが……。)
しかし常識で考えて、ある一線を超えている人は、そうであると考えてよいのでは?

素人の私がこう書くのは、たいへん危険なことは承知している。
しかしふつうの心理状態でないことだけは、確か。
だから今、モノをつぎつぎと買い込んだり、集めたりしている人は、一度、自分自身の
心の中をのぞいてみるとよい。

フロイト理論で考えるなら、年齢的には、2~4歳前後に、心に影響を与える
ような何らかの大きな事件が、日常的につづいたということになる。
親の無視、冷淡、虐待、育児放棄など。
家庭騒動や離婚問題(離婚が問題と言っているのではない。離婚に至る
騒動が問題と言っている。誤解のないように!)、さらには赤ちゃん返りも
その中に含まれる。

そういう問題が、心をふさぎ、精神の発達を阻害した?
病気と言えるような病気ではなかったかもしれないが、それがおとなになっても、
尾を引いている?

もちろんこの日本では、他人に迷惑さえかけなければ、一応、何をしても
よいということになっている。
それがその人の家であれば、モノで足の踏み場がなくても、それはその人の
勝手。
その人がそれでよい、あるいは住み心地がよいと言うのであれば、それでよい。
他人である私がとやかく言う問題ではない。

というのも、私たち自身も、いろいろな形で、乳幼児期という(過去)を
引きずっている。
私も引きずっているし、あなたも引きずっている。
心の世界では、「正常」とか、「正常な人」という言葉は存在しない。
その定義すら、ない。
ただ大切なことは、いつかどこかで、自分でそれに気がつくということ。
そのために一度は、自分の心の中をのぞいてみるということ。

そういう意味でも、自分を知るということは、難しい。
本当に難しい。

たとえば私の知人の中には、異常なまでにケチな人がいる。
どうケチであるかを説明しても、説明しきれない。
たとえばコンドームでも、何度も洗って使っている。
そういうケチである。

そういう人でも、一度自分の過去をのぞいてみたら、もう少しは
自分の姿を客観的にとらえることができるようになるかもしれない。
そしてそれができれば、自分で自分をコントロールできるように
なるかもしれない。

まずいのは、そういう過去があることも知らず、(あるいは気づかず)、
いつまでもその過去に引きずり回されること。
しかしそれは同時に、自分であって自分でないものに支配されることを
意味する。
言うなれば(過去の奴隷)?
もしそうであるなら、いつまでたっても、真の自由を手にすることはできない。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
はやし浩司 心の奴隷 ゴミ屋敷 ごみ屋敷 ゴミを捨てられない人)

(補記)

ときどき異常なほどまでに、小銭にケチな人がいる。
年齢には関係ない。
「ぼくにはお金がないから……」を、いつも口癖にする。
実際には、1円も払わない。
それでいて財産がないかというと、そうでもない。
結構な遺産を引き継いでいたり、あるいは、市からの補償金を
手に入れたりしている。

そういう人に共通する特徴をあげてみると、まず気がつくのは、
「損になることは、何もしない」という生活態度。
具体的にはボランティア活動のようなことは、いっさいしない。
(中にそれらしきする人もいるが、あくまでも他人の目を意識して、
そうするに過ぎない。)

そこで大切なのが、『損の美学』。
人は、損をすることで、成長する。
心を広くすることができる。
が、それだけではない。
モノ、マネーに対する執着心を消すことができる。
それはすがすがしく、この世を生きるための鉄則でもある。

ただし同じ(損)でも、欲得がからんだ損は、意味がない。
たとえば債券投資で損をしたとか、株の売買で損をしたとかなど。
他人にだまされた損も、含まれる。

ここでいう「損」とは、自己犠牲を伴う損をいう。
たとえばボランティア活動が、それに当たる。
が、欲得がからんだ「損」は、その人をますますケチにする。

無私、無益で損を重ねる。
それが損ともわからないほどまで、損を重ねる。
私がいう『損の美学』というのは、それをいう。

(参考)

ウィキペディア百科事典より、抜粋。

***********以下、ウィキペディア百科事典より*************

フロイトによれば、この時期の小児性欲の中心は肛門である。子供は排便を意識し、コン
トロールの方法を教えられ、適切なときと場所でトイレに行くという「トイレットトレー
ニング(排泄訓練)」が可能になる。時期については諸説あるがおおむね2歳から4歳頃ま
でとされる。この時期の子供には自己中心的、情動的な傾向が強い。そのため自分の欲求
を即座に満たそうとする場合がままある。排泄という肉体的反応を適切に行なえるように
なることで、そうした情動的な性格に対し何らかの影響があるとされる。

この時期の子供に対して親は規則正しく衛生的に排便するように励ますことが求められる。
そうした親からの働きかけが社会的圧力となり、適切な排泄行為をしなければならない、
という抑圧とそれが達成できたときの達成感や充実感を得る。また排便のタイミングを自
分で判断することにより、自信と「ものをあきらめる能力」が発達し、子どもは自律のた
めの重要な一歩を踏み出す。ただし、子供をトイレに無理矢理いかせたり、過度にタイミ
ングや清潔さに厳しすぎると、子供のパーソナリティにさまざまな問題を生じる可能性が
あるともされる(後述の肛門的固着参照)。

+++++++++++++++

●肛門期的性格が固着すると、どんなものでも捨てるのを嫌がるようになることあ
る。そういうひとは、ためこみ屋でけち(典型的な肛門保持)になることがある。
これはトイレを強要するだけではなく、適切な圧力をかけない放任でも起こること
があり、親と子供の性格や関係にもよってまちまちである。

●規則的にトイレに行くことばかりを強要すると、極度に時間に正確だったり、あ
るいは、常に遅刻するようなタイプの人間になったりする。

●清潔さを強調しすぎると強迫観念的なパーソナリティになり、いつも掃除や整理
を気にする人間になることがある。あるいは、反発していつもだらしない人間にな
ることもある。

**********以上、ウィキペディア百科事典より*************

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
肛門期 ためこみ屋 けち ごみ屋敷)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【生きる皮肉】

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他人の不幸を笑うものは、
かならずその仕返しを受ける。
仮にあなたが受けなくても、
あなたの子どもが受ける。
仮にあなたの子どもが受けなくても、
あなたの孫が受ける。
かならず受ける。
だから他人の不幸を笑ってはいけない。
笑えば笑った分だけ、
あるいはそれ以上に、
あなたが今度は、自分の言葉で苦しむ
ことになる。

それにはちゃんとした理由がある。

++++++++++++++++

●人間のクズ?

少し前、自分の姪に、(姪に、だぞ!)、「工員は人間のクズ。そういう人と
結婚してはいけない」と諭(さと)した(?)、女性がいた。
(こうした話は、フィクションとして書くことが多いが、これは実話である。)
その話を、ワイフがどこかで聞いて、私に話してくれた。

何という、偏見!
何という、職業観!
私はそれを聞いて、しばらく怒りが収まらなかった。
私の長男も、その工員である。
そこで私なりに、その女性の夫の職業を調べてみた。
どうにもこうにも、怒りが収まらなかった。
そういう言葉を使うのは、どこのだれか、それを知りたかった。
どんなアホか、それを知りたかった。
で、夫の職業は、O市に住む、元役人ということがわかった。
退職前は、国の出先機関の副局長をしていたという。
(ここまでの話は、以前にも書いた。)

が、同じような話を、別の知人からも聞いた。
こんな話である。

その家の長女が選んだ相手は、隣の町の小さな工場で働いていた工員。
が、親はその結婚に、猛反対。
理由など改めてここに書かなくてもよい。
で、その長女は、駆け落ち。
そのあと現在に至るまで、20年間、音信がないという。
その過程でも、いろいろあったらしい。

が、20年たってみると、事情は一変した。
その下に2人の息子がいたが、2人とも、暴力団の事務所に
出入りするようになった。
現在、2人とも刑務所で服役しているという。
しかし親は、そのことを必死で隠そうとしている。

刑務所にいることが問題と書いているのではない。
善人も悪人も紙一重。
悪人といっても、ほんの少し歯車が狂っただけ。
自分の意思とは無関係に、ズルズルとそうなってしまう。
大きくちがうようで、どこもちがわない。

私が書きたいのは、「必死で隠そうとしている」という部分。
たとえば近所で葬儀があったりすると、息子たちの名前で花輪を出していた。
そして近所の人たちには、「仕事で来られない」とか、「中国に出張で出かけている」
などと言っていた。

正直に言えばよいとは書かない。
しかしウソまでつく必要はない。
近くにいなければいないで、よいではないか。
というのも、娘が家出したことも、2人の息子が刑務所で服役しているということも、
近所の人たちは、みな、知っていた。
知らないと思っているのは、当の両親だけ。

しかし(隠す)といっても、ものすごいエネルギーを消耗する。
悶々とした毎日。
いつ晴れるともわからない、心の霧。
つまりその両親を苦しめていたのは、娘でも息子たちでもない。
その両親のものの考え方、ということになる。
その両親は、自分自身がもっている偏見で、苦しんだ。

……というような例は多い。
だからこういうふうにも言える。
未来を作っていくのは、私たち自身であるということ。
しかも知らず知らずのうちに作っていく。

たとえば冒頭に書いた、「人間のクズ」と表現した女性にしても、
たまたま今は、よい(?)かもしれないが、先のことはわからない。
自分の息子や娘が、その工員になるかもしれない。
そうなったとき、その女性は、自分の言った言葉、つまりは
自分自身の偏見と職業観で苦しむことになる。
だれでもない、自分自身の偏見と職業観で、である。

私はその女性の夫の職業を知ったとき、「ナルホド!」と合点した。
同時に、「何を偉そうに!」と思った。
ほんの少し、人生の入り口がよかったというだけで、エリート意識を
もってしまう。
自分たちだけが、特別の人間と思ってしまう。
江戸時代の士農工商の亡霊をいまだに引きずっている。
どこまでも愚かで、哀れな女性である。
笑われるべきは、その女性自身ということになる。

(付記)
「江戸時代は終わった」
「封建時代は関係ない」
「私は近代的な人間」と思っている人も、一度は、立ち止まって、自分を
見つめなおしてみてほしい。
本当に、そうか、と。

今でも封建時代のあの時代を、賛美する人は多い。
武士道こそ日本が誇るべき、精神的バックボーンであると説く人もいる。
しかし、本当に、そうか、と。

私たちは過去の、負の遺産にこそ、目を向けるべきである。
そのひとつが、ここでいう職業観ということになる。
ほかに男尊女卑観、さらには上下意識、権威主義などなど。
いろいろある。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec 08++++++++++はやし浩司

●6万3000誌の中で、「マガジン・オブ・ザ・イヤー」(メルマガ)に選ばれる!

++++++++++++++++++

昨夜、メルマガ社から連絡が届き、
私が発行する電子マガジンが、
2008年度の、「マガジン・オブ・
ザ・イヤー」に選ばれた!

電子マガジンの発行元は、日本には、
10数社あるが、その中でも最大級
なのが、メルマガ。
発行マガジン数は、6万~6万3000誌
もあるという。

うれしいというより、その実感がない。
もともと無私無益で発行しているから、
よい意味でも、悪い意味でも、「どうでも
よい」と言った感じがしないでもない。
しかし読者あっての電子マガジン。
読者の方たちには、感謝している。
読者の方たちが励ましてくれなかったら、
こうまで長くつづけることはできなかった
だろう。
実際、何度か、途中で、やめようと
思ったことがある。
が、そのたびに、少しずつだが読者の方の
数がふえ、それが大きな励みになった。

選考は、投票によって決まったという。
詳しくはわからないが、ともかくも、
めでたいことにはちがいない。

みなさん、ありがとうございました!

++++++++++++++++++

●新しいデザイン

……ということで、ますます「がんばろう!」という意欲がわいてきた。
メルマガの受賞が、強化の原理として働いている!
で、何をしようかと考えて、まっさきに思い浮かんだのが、ヘッドの
改変!
「ヘッド」、つまり本でいうなら、表紙の部分。
P社製のパソコンには、おまけとして(絵文字)の反対の(文字絵)がついている。
それを少し改変してみる。


 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   彡| ⌒ ⌒ |ミ
q ∩ ∩ XXXXX  ∂ ∂ p m
(″ ▽ | ⌒ ⌒ |″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ 0 ゛)\    厂 ̄
 ┏━━○━━━━━━━○━━━┓
 ┃最前線の育児論byはやし浩司┃
━━━━━━━━━━━━BW

そこでこれを参考にして、自分なりに、いろいろ工夫してみる。

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目を細めれば、「H.HAYASHI」と読める?
これを基本に、飾りを入れてみる。

最前線の子育て論byはやし浩司*********************
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■□□■□■□■□□■□■□■□□□■□□■□■□■■■■□■□□■□■
          2009年   月   日号
**************♪♪♪♪♪♪****************

しかしどこかつまらない?
どうしたらよいものか?
こういうことは、寝る前、もしくは寝起きに、ふとんの中で考えるのがよい。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

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