Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Saturday, February 28, 2009

*Obidience causes Trauma

【おとなしい子どもほど、心配】(子どもは削って、伸ばす)

●抑圧(Excessive Pressure causes Trauma)

Excessive Pressure against children often makes another rooms in children’s minds, which causes trauma.

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よくあるケース。
子どもがその年齢になると、親に向かって、こう叫ぶ。
「こんなオレにしたのは、お前だろ!」
「どうしてオレなんかを、産んだ!」
「オレなんか、産んでもらわなかったほうがよかったア!」と。

ふつうの言い方ではない。
親をはげしい口調でののしり、罵倒する。
今にも親につかみかかりそうな雰囲気で、そう言う。
実際そのとき、子どもに、殴られる親も多い。
さらに、ときにそのまま子どもに殺されてしまうことも……(絶句)。

が、この種の罵倒、暴言で、特徴的なのは、子どもが高校生になっても、
20歳になっても、さらに30歳になっても、40歳、50歳に
なっても、それが「ある」ということ。

ふつうの常識で考えれば、10年前、20年前、30年前の話を
もちだすこと自体、理解できない。
が、それだけではない。
さらに理解できないことは、その間、良好な親子関係があったとしても、
それは、ほとんど意味をもたないということ。
途中の記憶、思い出が、そのままどこかへ吹き飛んでしまう。

ある父親は、ときどき、同じようなセリフで、息子に罵倒さるという。
父親はこう言う。
息子といっても、結婚し、子どもも2人いる。
息子の年齢は、40歳を超えている。

「たしかに私は、けっしてほめられるような父親ではありませんでした。
しかし30年近くも前のことに、どうして息子は、こうまでこだわるのでしょう。
その間に、孫が2人、生まれ、それなりによい人間関係を築いてきた
つもりなのですが……」(G県、UT氏)と。

心理学の世界では、こうした現象を、「抑圧」という言葉を使って説明する。
抑圧の恐ろしさは、そのときはわからない。
10年とか、20年とか……時の流れを超えて、出てくる。
しかも症状が、はげしい!

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●心の別室

はげしい欲求不満がつづくと、人は、とくに子どもは、心の中の別室につくり、
そこに自分の欲求不満を閉じ込める。
閉じ込めることによって、その場をやり過ごす。 
それがトラウマ、つまり心的外傷となることがある。

よく教育の世界では、「おとなしい子どもほど心配」という。
あとあと何かと問題を起こし、指導がむずかしくなることをいう。
つまり親や教師の前で、従順で、おとなしく、それに素直に(?)従う。
一見、できのよい、ものわかりのよい子どもほど、実は心配。
教師の立場でいうなら、教えやすい子どもに見えるかもしれないが、その分だけ、
心をゆがめる。

ここでいう「抑圧」も、そのひとつ。
人は、そして子どもは心の中に別室をつくり、悶々とした自分を、その中に閉じ込める。
閉じ込めることによって、自分の心を守る。

●無時間の世界

ところで心の世界には、原則として、時間はない。
時間が働くのは、(現実)の世界だけ。
たとえば記憶にしても、よく「古い記憶」「新しい記憶」という言葉を使う。
しかし記憶は、時間的経緯の中で、脳の中に「層」になって蓄積されるわけではない。
てんでばらばらに、それぞれの部分に、蓄積される。

(記憶のメカニズムは、複雑で、未解明な部分も多い。)

だから記憶自体には、時間はない。
「古い記憶」「新しい記憶」といっても、デジカメの写真のように、
日付が書き込まれているわけではない。
記憶のどこかに、(09-02-28)とあれば、2009年の2月28日ということが
わかる。
そうした記録は、記憶にはない。

だから10年前の記憶にしても、それが10年前とわかるのは、その記憶の中の
自分の姿や、まわりの様子からである。
それがなければ、わからない。
つまり古い記憶だから、それなりにセピアカラーになるということもない。
つまりは、記憶が鮮明に残っているかどうかは、そのときの印象の強烈さによって決まる。

●呼び起こされる「抑圧」状態

別室に入った記憶は、何らかのきっかけで、呼び起こされる。
それが強烈であればあるほど、呼び起こされたときの反応も、また強烈である。
同じようによくある例が、夫婦喧嘩。

夫婦喧嘩をしながら、20年前、30年前の話を持ち出す人は多い。
結婚当初のこだわりを持ち出し、「どうしてお前は(あなたは)、あのとき……!」と。

もう一方の側にすれば、とっくの昔に忘れてしまってよいような話ということに
なる。
つまり別室に入っているため、その間に、いくら楽しい思い出があったとしても、
別室に入った記憶については、上書きされるということはない。
ずっとそのままの状態で、残る。

具体的な例をあげてみよう。

私の父は今でいうアルコール中毒者だったが、酒が入るたびに、20年前、30年前の
話をもちだして、母を責めた。
こんなことがあった。(……らしい。)

結婚が決まったときのこと。
母が母の家に来てほしいと言った。
それで父が、母の家に行くと、そこに母の兄弟がずらりと並んで待っていたという。
父はそれに驚いた。
で、そのとき母が、兄弟の側に座っていて、父にみなの前で、土下座させたという。
当時は、板間と、一段高くなった、畳の間に分かれていたらしい。
父は酒が入るたびに、こう言っていた。

「どうしてお前は、あのとき、オレに土下座させたア!」と。
父には、それがよほどくやしかったらしい。

●心の病気

心に別室をつくり、そこの抑圧された自分を閉じ込める。
その抑圧された自分が、時間を超えて、何かのきっかけで爆発する。
自分で自分をコントロールできなくなる。
興奮状態になり、怒鳴り散らしたり、暴れたり、暴力を振るったりする。

今では、それ自体が、(心の病気)として考えられるようになった。
症状からすると、パニック障害に似ている。
精神科にせよ、心療内科にせよ、そういうところへ行けば、立派な診断名を
つけてもらえるはず。

●病識

それはともかくも、この病気には、ひとつ、重大な別の問題が隠されている。
「病識」の問題である。
ほとんどのばあい、そういう自分を知りながら、それを病気と自覚している
人は少ない。
(子どもでは、さらにいない。)
つまり病識がない。
そういう病識のない人に、どうやってその病気であることを自覚してもらうか、
それが問題。

それがないと、ドクターであれば、つぎのステップに進めない。
子どもの指導でも、つぎのステップに進めない。
話し合いそのものが、できない。

だからことこの「抑圧」の問題に関して言えば、本人自身が、そういった心の
問題、つまりトラウマ(心的外傷)に気がつくこと。
そのためにそういった人たちの集まる会に出たり、あるいは、私が今、
ここに書いているようなことを自分で読む。
そして自分で自分の中の、(心の別室)に気がつく。

それに気がつけば、あとは時間が解決してくれる。
自分で自分をコントロールできるようになる。
ドクターにしても、薬で治せるような病気でないため、結局はカウンセリング
で、ということになる。

●「抑圧」自己診断

つぎのような症状があれば、心の別室があると判断してよい。

(1) ふだんはそのことを忘れている。
(2) しかし何かのきっかけで、時間を超えて古い過去をもちだし、パニック状態
になる。理性的なコントロールがきかなくなる。
(3) そのときの記憶が、つい数時間前のできごとであるかのように、鮮明に
呼び戻される。そのときの怒りや不満が、そのまま出てくる。
(4) その過去にこだわり、相手を罵倒したり、相手に暴言を吐いたりする。
ときにはげしい暴力行為をともなうこともある。
(5) パニック状態が終わり、再びふだんの生活にもどると、何ごともなかったかの
ように、また日常的生活が始まる。

診断名については、ドクターに相談して、つけてもらったらよい。
ここでは、「心の病気」とだけしておく。

●子どもの世界では

これで「おとなしい子どもほど心配」という言葉の意味をわかってもらえた
と思う。
子どもというのは、そのつど、言いたいことを言い、したいことをする。
それが子どもの(原点)ということになる。

強圧や威圧で、子どもは、一見、おとなしく従順になるが、それはけっして
子ども本来の姿ではない。
またそういう子どもを、理想の子どもと思ってはいけない。
あるべき子どもの姿と思ってはいけない。

まず好きなように、ワーワーと自己主張させる。
それを原点として、年齢とともに、少しずつ軌道修正していく。

以前、私は『子どもは削って伸ばせ』という格言を考えた。
つまりまず、四方八方に伸ばすだけ、伸ばす。
その上で、好ましくない部分については、削りならが修正していく。
けっして子どもを、盆栽のように、最初から、小さな箱の中に、閉じ込めてはいけない。
この格言の真意は、ここにある。

幼児教育においては、とくに大切なポイントのひとつということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
パニック障害 抑圧 心の別室 子どもの暴言 暴力 抑圧された心 抑圧の暴走 
はやし浩司 子どもは削って伸ばす 心的外傷 心的外傷後ストレス障害 トラウマ
幼児期のトラウマ)

(補記)
私の教室(BW教室)では、子どもたちに言いたいことを言わせ、したい
ことをさせる。
そこからまず、指導を始める。
具遺体的には、大声で、自分の言いたいことを表現させる。
この時期、(心の状態=情意)と(顔の表情)が、一致している子どもを、
「すなおな子ども」という。
うれしいときは、うれしそうな顔をする。
悲しいときは、悲しそうな顔をする。
そうした表情を、自然な形で表現できる子どもを、「すなおな子ども」という。
まず、そういう子どもにすることを目指す。

子どもを抑えるのは、簡単。
伸ばすのは難しいが、抑えるのは簡単。
抑えるのは、子ども自身にそれだけの抵抗力ができてから、ということになる。
年齢的には、年長児の終わりごろ。
それまでは、まず四方八方に伸ばす。

こうした子どもの様子は、私のHPの「BW公開教室」で、見ることができる。
一度、参考にしてみてほしい。
一見騒々しく見える教室だが、子どもたちの伸びやかな様子に、どうか注目!

はやし浩司のHP:
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
→(BW公開教室)


Hiroshi Hayashi++++++++FEB09++++++++++はやし浩司