Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, March 18, 2009

*How do Children grow up to be Adults?

●この世vsあの世

+++++++++++++++

またまた同じ話で、ごめん。
前にも書いたが、仮にあの世があるとするなら、
私は、私たちが「この世」と呼んでいる、この世界のほうが、
実は「あの世」ではないかと思っている。
そして私たちが「あの世」と呼んでいる、死後の世界のほうが、
「元の世界」ではないかと思っている。

というのも、私たちが住んでいるこの世のほうにこそ、
天国もあり、地獄もあるからだ。

+++++++++++++++

●あの世がこの世?

人は死んだら、あの世へ行くと言う人がいる。
私は信じていない。
いないが、仮に、「あの世」があるとするなら、
ここでひとつの矛盾が生まれてくる。

あの世には、天国があり、地獄があるという。
ならば、なぜ、今、この世界で、地獄以上の地獄があり、
天国以上の天国があるのか、ということになる。
今さら地獄がどんな世界で、天国がどんな世界かを、
ここに書く必要はない。

そこで私たちが言う「あの世」について考えてみる。
一般的には、「あの世は広大無辺に広く、時の流れもない」という。
となると、そんな世界から見ると、人間が今住んでいるこの世界など、
ちっぽけなもの。
100歳まで生きたとしても、宇宙的規模で見るなら、星のまばたきの
一瞬にもならない。
人類の歴史を、20万年にしても、同じようなもの。

となると「あの世」のほうこそ、「元の世界」と考えたところで、何ら、
おかしくない。
私たちは、「あの世」から「この世」へやってきて、地獄や天国を、
この世で経験している。

●あの世の矛盾

空想の世界で、「あの世」を考えてみる。
が、それは、択一的に考えるなら、
(1) 想像を絶するほど、この世とちがう世界。
(2) あるいは、この世とかぎりなく似ているか、同じ世界、ということになる。

中間というのは、考えられない。
人間だけを中心にして、(命)を考えてはいけない。
魚なだって、鳥だって、命。
バクテリアだって、虫だって、命。
人間にだけあの世があると考えてはいけない。
もしそうなら、いつからあの世ができたかという問題に直面する。
1000年前なのか、それとも10万年前なのか?

・・・と、まあ、考えれば考えるほど、矛盾に満ちてくる。

が、逆に、あの世こそが、元の世界で、この世があの世と考えると、
かなりの矛盾が解消される。
どこかの世界に、私たちの知らないまったく異質の世界がある。
その世界から、ときどき、あたかも旅行でもするかのように、
この世に(命)がやってきて、それぞれの世界を体験する。

頭のどこかに、映画『マトリックス』に出てきたような世界を思い浮かべてもらえばよい。

●実益

こんなことを考えて、何の役に立つのかと思う人もいるかもしれない。
しかしそう考えると、この世の見方そのものが、大きく変わる。
たとえば「この世はすべて、幻覚」「大切なのは、この世を生きる、
私やあなたの命」と。

あるいはモノのもつ、無意味さというか、それがよくわかる。
私たちが懸命に追い求めている名誉や地位や財産にしても、命の前では
カスミのようなもの。
カスミにもならないかもしれない。

が、何よりもすばらしいのは、ほんとうに大切にしなければならないものと、
そうでないものを、区別することができるようになること。

さらに言えば、自分の住んでいる世界を地獄にするのも、天国にするのも、
私たちの考え方しだいということになる。

話が飛躍したので、順に説明する。

●希望論

こんな例で考えてみよう。
私の知人の中に、現在、地獄のような(?)、経験をしている人がいる。
ことの発端は、2人の息子の離婚である。

2人の息子が、あいついで離婚した。
詳しい原因はともかくも、それぞれに2人ずつの子ども(孫)がいた。
まだ養育費が必要な子ども(孫)たちであった。

そこで2人の息子は、養育費を毎月支払うことで合意した。
同時に、私の知人(父親)が、その連帯保証人になった。
2人の息子たちが養育費を払えないときは、知人がそれを払うことになった。

が、この不況。
2人の息子は、職を失ってしまった。
養育費が払えなくなった。
とたん、その支払い請求書が、知人のほうに回ってくるようになった。
家庭裁判所で作成した連帯保証契約である。
「払えません」「お金がありません」では、通らない。
最終的には、強制執行力のある請求書である。

知人は、こう言ってがんばっている。
「私は年金生活者だ」「収入がない」と。
さらに「家屋敷を取られたら、何代にもわたってつづいたM家が、
断たれてしまう」と。
しかし土地や家、借家がある以上、こういう言い逃れはできない。
それでその知人は、「地獄のような(?)、経験をしている」、ということに
なる。

しかしこう考えたら、どうだろうか。

大切なのは、命のつながった孫たちの幸福、と。
その幸福を前にしたら、「家」の価値など、取るに足らないもの。
家や財産にこだわるほうが、おかしい。
あるいは自分の息子や娘が、困窮していたら、あなたはどうするだろうか?
それでも、「息子や娘の幸福より、家のほうが大切」と、あなたはがんばる
だろうか。
もしあなたがそう考えるとしたら、
私は「?」マークを100個くらい、並べたい。
相手が孫でも、同じ。
離婚して、連絡が途絶えたとしても、孫は孫。

どうせこの世は、幻覚。
目に見えるすべてのモノは、幻覚。
「命」至上主義で考えれば、モノのもつ空しさ、はかなさが、よくわかる。
それもそのはず。
この世そのものが、あの世、つまり元の世界から見れば、幻覚。
そんな幻覚に心を奪われ、命を粗末にするほうが、どうかしている。

知人は地獄のような経験をしているが、ものの考え方をほんの少し
変えれば、今の世界を、天国にすることもできる。

●研ぎ澄まされた現実論

こう書くと、「林の考え方は、現実的ではない。むしろ現実から遊離している」と
批判されそうである。
しかし実際には、その逆。

私たちは、この現実世界にありながら、あまりにも非現実的なものに毒されすぎている。
たとえばものの価値観、幸福観、人生観、成功・失敗論などなど。
中身にある(現実)を見る前に、外観である(非現実)に、心を奪われてしまっている。
もっと言えば、先にも書いたように、「大切なものを、大切でないと思い込み」「大切で
ないものを、大切」と思い込んでしまっている。

その一例として、「モノ」をあげた。

今では、どの家にも「モノ」があふれかえっている。
モノ、モノ、モノ……で足の踏み場もないような家も多い。
中には、そういう家ほど、「豊か」と誤解している人もいる。
さらに言えば、金持ちイコール、成功者イコール、人格者と誤解している人もいる。
私は、そういう人たちこそ、現実離れしていると言っている。

が、この世を(あの世)と考えることによって、(あくまでも空想の世界での話だが)、
こうした現実から、一度、目をそらすことができる。
そして今一度、何が、本当に大切なのかを知ることができる。
そう、私たちが今、「現実」と思っている世界こそのほうが、「非現実」の世界という
ことになる。
それを知るためにも、一度、「この世」と「あの世」を置き換えてみる。
とたん、その向こうに、「研ぎ澄まされた現実」が見えてくる。

●無

私たちは、「幻想という現実」の中で生きている(?)。
仏教者の中には、それを「無」と表現した人もいる。
「この世はすべて無である」と。
この私にしても、光と分子の織りなす世界で、ただ踊らされているだけ(?)。

そんなわけで、「あの世」こそ、実は、「元の世界」であり、「この世」こそが、
「仮の世界」と考えても、何もおかしくない。

あくまでも「あの世」があるとするなら、という前提での話だが……。
しかしそう考えると、また別の世界が、その向こうに見えてくる。


Hiroshi Hayashi++++++++March. 09+++++++++はやし浩司

●エリクソンの心理発達段階論

+++++++++++++++++++

エリクソンは、心理社会発達段階について、
幼児期から少年期までを、つぎのように
区分した。

(1) 乳児期(信頼関係の構築)
(2) 幼児期前期(自律性の構築)
(3) 幼児期後期(自主性の構築)
(4) 児童期(勤勉性の構築)
(5) 青年期(同一性の確立)
(参考:大村政男「心理学」ナツメ社)

++++++++++++++++++++

●子どもの心理発達段階

それぞれの時期に、それぞれの心理社会の構築に失敗すると、
たとえば子どもは、信頼関係の構築に失敗したり(乳児期)、
善悪の判断にうとくなったりする(幼児期前期)。
さらに自主性の構築に失敗すれば、服従的になったり、依存的に
なったりする(幼児期後期)。

実際、これらの心理的発達は4歳前後までに完成されていて、
逆に言うと、4歳前後までの育児が、いかに重要なものであるかが、
これによってわかる。

たとえば「信頼関係」にしても、この時期に構築された信頼関係が
「基本的信頼関係」となって、その後の子ども(=人間)の生き様、
考え方に、大きな影響を与える。
わかりやすく言えば、基本的信頼関係の構築がしっかりできた子ども
(=人間)は、だれに対しても心の開ける子ども(=人間)になり、
そうでなければそうでない。
しかも一度、この時期に信頼関係の構築に失敗すると、その後の修復が、
たいへん難しい。
実際には、不可能と言ってもよい。

自律性や自主性についても、同じようなことが言える。

●無知

しかし世の中には、無知な人も多い。
私が「人間の心の大半は、乳幼児期に形成されます」と言ったときのこと。
その男性(40歳くらい)は、はき捨てるように、こう反論した。
「そんなバカなことがありますか。人間はおとなになってから成長するものです」と。

ほとんどの人は、そう考えている。
それが世間の常識にもなっている。
しかしその男性は、近所でも評判のケチだった。
それに「ためこみ屋」で、部屋という部屋には、モノがぎっしりと詰まっていた。
フロイト説に従えば、2~4歳期の「肛門期」に、何らかの問題があったとみる。

が、恐らくその男性は、「私は私」「自分で考えてそのように行動している」と
思い込んでいるのだろう。
が、実際には、乳幼児期の亡霊に振り回されているにすぎない。
つまりそれに気づくかどうかは、「知識」による。
その知識のない人は、「そんなバカなことがありますか」と言ってはき捨てる。

●心の開けない子ども

さらにこんな例もある。

ある男性は、子どものころから、「愛想のいい子ども」と評されていた。
「明るく、朗らかな子ども」と。
しかしそれは仮面。
その男性は、集団の中にいると、それだけで息が詰まってしまった。
で、家に帰ると、その反動から、疲労感がどっと襲った。

こういうタイプの人は、多い。
集団の中に入ると、かぶらなくてもよい仮面をかぶってしまい、別の
人間を演じてしまう。
自分自身を、すなおな形でさらけ出すことができない。
さらけ出すことに、恐怖感すら覚える。
(実際には、さらけ出さないから、恐怖感を覚えることはないが……。)
いわゆる基本的信頼関係の構築に失敗した人は、そうなる。
心の開けない人になる。

が、その原因はといえば、乳児期における母子関係の不全にある。
信頼関係は、(絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け入れ)の上に、
成り立つ。
「絶対的」というのは、「疑いすらいだかない」という意味。
「私は何をしても許される」という安心感。
親の側からすれば、「子どもが何をしても許す」という包容力。
この両者があいまって、その間に信頼関係が構築される。

●自律性と自主性

子どもの自律性や自主性をはばむ最大の要因はといえば、親の過干渉と過関心が
あげられる。
「自律」というのは、「自らを律する」という意味である。
たとえば、この自律性の構築に失敗すると、子どもは、いわゆる常識はずれな
言動をしやすくなる。

言ってよいことと悪いことに判断ができない。
してよいことと、悪いことの判断ができない、など。

近所の男性(おとな)に向かって、「おじちゃんの鼻の穴は大きいね」と
言った年長児(男児)がいた。
友だちの誕生日に、バッタの死骸を詰めた箱を送った小学生(小3・男児)が
いた。
そういう言動をしながらも、それを「おもしろいこと」という範囲で片づけて
しまう。

また、自主性の構築に失敗すると、服従的になったり、依存的になったりする。
ひとりで遊ぶことができない。
あるいはひとりにしておくと、「退屈」「つまらない」という言葉を連発する。
これに対して、自主性のある子どもは、ひとりで遊ばせても、身の回りから
つぎつぎと新しい遊びを発見したり、発明したりする。

●児童期と青年期

児童期には、勤勉性の確立、さらに青年期には、同一性の確立へと進んでいく
(エリクソン)。

勤勉性と同一性の確立については、エリクソンは、別個のものと考えているようだが、
実際には、両者の間には、連続性がある。
子どもは自分のしたいことを発見し、それを夢中になって繰り返す。
それを勤勉性といい、その(したいこと)と、(していること)を一致させながら、
自我の同一性を確立する。

自我の同一性の確立している子どもは、強い。
どっしりとした落ち着きがある。
誘惑に対しても、強い抵抗力を示す。
が、そうでない子どもは、いわゆる「宙ぶらりん」の状態になる。
心理的にも、たいへん不安定となる。
その結果として、つまりその代償的行動として、さまざまな特異な行動をとる
ことが知られている。

たとえば(1)攻撃型(突っ張る、暴力、非行)、(2)同情型(わざと弱々しい
自分を演じて、みなの同情をひく)、(3)依存型(だれかに依存する)、(4)服従型
(集団の中で子分として地位を確立する、非行補助)など。
もちろんここにも書いたように、誘惑にも弱くなる。
「タバコを吸ってみないか?」と声をかけられると、「うん」と言って、それに従って
しまう。
断ることによって仲間はずれにされるよりは、そのほうがよいと考えてしまう。

こうした傾向は、青年期までに一度身につくと、それ以後、修正されたり、訂正されたり
ということは、まず、ない。
その知識がないなら、なおさらで、その状態は、それこそ死ぬまでつづく。

●幼児と老人

私は母の介護をするようになってはじめて、老人の世界を知った。
が、それまでまったくの無知というわけではなかった。
私自身も祖父母と同居家庭で、生まれ育っている。
しかし老人を、「老人」としてまとめて見ることができるようになったのは、
やはり母の介護をするようになってからである。

センターへ見舞いに行くたびに、あの特殊な世界を、別の目で冷静に観察
することができた。
これは私にとって、大きな収穫だった。
つまりそれまでは、幼児の世界をいつも、過ぎ去りし昔の一部として、
「上」から見ていた。
また私にとっての「幼児」は、青年期を迎えると同時に、終わった。

しかし今度は、「老人」を「下」から見るようになった。
そして自分というものを、その老人につなげることによって、そこに自分の
未来像を見ることができるようになった。
と、同時に、「幼児」から「老人」まで、一本の線でつなぐことができるようになった。

その結果だが、結局は、老人といっても、幼児期の延長線上にある。
さらに言えば、まさに『三つ子の魂、百まで』。
それを知ることができた。

●では、どうするか?

私たちはみな、例外なく、乳幼児期に作られた「私」の上に載っている。
「乗っている」と書くほうが正しいかもしれない。
そのために、「私」を知るためには、まず自分自身の乳幼児期をのぞいてみる。

ほとんどの人は「乳幼児には記憶はない」と思っているが、これはとんでもない誤解。
あの赤ん坊にしても、外の世界から、怒涛のように流れ込んでくる情報をすべて、
記憶している(ワシントン大学、メルツォフ、ほか)。
「記憶として取り出せないだけ」で、記憶として、ぎっしりと詰まっている。
言い換えると、あなたや私は、そのころ作り上げた(自分)に、それ以後、
操られているだけと考えてよい。
自分を知れば知るほど、それがわかってくる。

たとえば先にあげた、「子どものころから、だれにも愛想のいい子」と評されて
いた子どもというのは、私自身のことである。
私は、子どものころ、だれにでもシッポを振り、そのつど、「いい子」と思われる
ことで、自分の立場を取りつくろっていた。
中学へ入ってから猛烈に勉強したが、好きだったからしたわけではない。
どこか自虐的だった。
先にあげた、(1)攻撃型の変形と考えられる。
本来他人に向かうべき攻撃性が、自分に向かった。
が、それは「私」であって、「私」ではなかった。

私自身は、疑い深く、嫉妬深く、それだけに、だれにも心を許さないタイプの
子どもだった。
おとなになってからも、そうだった。
表面的には、だれとでもうまく交際したが、それはあくまでも表面的。
相手が一線を越えて、私の中に踏み込んでくるのを許さなかった。
また相手がたとえ心開いていても、それを理解できなかった。
あるいはその下心を疑った。

そんな私が現在の仕事を通して、自分に気づき、そしてやがてどうあるべきかを
知った。
教えている幼児の中に、自分に似た幼児を発見したのが、きっかけだった。
それが「自己開示」という方法である。

●自己開示

「自分のことを、他人に開示していく」。
「あるがままの自分を、まず他人に語っていく」。
「偽らず、思ったことを言い、文章にして書いていく」。

自己開示にも段階論がある。
最初は、自分の過去から話す。
つづいて心の中を話す。
最終的には、自分にとって、もっとも恥ずかしい話や、さらには性遍歴まで
開示していく。
(もっともそれは、他人といっても、身内のごく親しい人に対してで、
じゅうぶんだが……。)
その段階まで開示してはじめて、それを「自己開示」という。

私のばあいは、こうして文章にすることによって、自己開示をしている。
最初は、家族のことを書き、やがて自分のことを書いた。

……といっても、それにも、10年単位の時間が必要である。
「今日、気がついたから、明日から……」というわけには、いかない。
この問題は、「根」が深い。
乳幼児期の発達心理段階が、「本能」に近いレベルまで、脳の奥にまで
刻み込まれている。
自分の意思や理性の力で、コントロールできるようなものではない。

だから……と書けば、あまりにも見え透いているが、乳幼児期の子育てというのは、
一般で考えられているよりも、はるかに奥が深く、重要である。
それに気がつくかどうかは、ひとえに、「知識」による。
言い換えると、こと子育てに関して言えば、無知そのものが、罪と考えてよい。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家 子供 子供の問題 家庭教育 エリクソン 社会心理学 発達段階論 幼児の自立性 
幼児の自主性 信頼関係 基本的信頼関係 自己開示)

(補記)
こうした発達段階には、連続性がある。
(信頼性の構築)→(自律性の構築)→(自主性の構築)→(勤勉性の構築)
→(自我の同一性の構築)へ、と。
そして青年期前期の(親密性の構築)→後期の(生殖性の構築)→老年期の
(統合性の構築)へとつながっていく。

当初の(信頼性の構築)に失敗すると、自律性、自主性がそこなわれる。
自主性がなければ、勤勉性は生まれない。
さらに(親密性の構築)に失敗しやすくなる。
具体的には、恋愛、結婚へと、自然な形で進めなくなる。
が、最大の問題は、老年期の(統合性の構築)ということになる。
人は、最終的に、(人間としてすべきこと)を発見し、そこへ自分を統合させていく。
この(統合性の構築)に失敗すると、老後そのものが、あわれでみじめなものになる。
悶々とした孤独感と悲哀感を闘いながら、それこそ1年を1日にして過ごすようになる。
何度も書くが、孫の世話と庭いじり。
それがあるべき老後の姿ではない。
理想の老後でもない。

私たちは、命の最後に、その「命」を、つぎの世代の人たちのためにつなげていく。
具体的には、真・善・美の追求がある。
その真・善・美の追求には、(終わり)はない。
それこそ死ぬまで、ただひたすら、精進(しょうじん)あるのみ。
「死」は、その結果としてやってくる。

(補記2)
私たちの世界から見ると、小学1年生ですら、大きな子どもに見える。
いわんや中学生や高校生ともなると、おとなというより、反対に若い父親や母親を
見ていると、高校生と区別できないときがある。
それはともかくも、そうした若い人たちが、たとえば異性との間でうまく恋愛感情が
育てられないとか、あるいは結婚までもちこめない、さらには、夫婦の性生活が
うまく営めないというのは、こうした心理発達段階の過程で、何らかの障害があった
ためと考えてよい。

が、こうした問題(障害)が起きると、どの人も、その時点での修復を試みる。
しかし先ほども書いたように、「根」は、もっと深いところにある。
その「根」まで掘り起こさないと、こうした問題の本質は見えてこない。
また本質を見ることによって、問題の解決の糸口を手にすることができる。
まずいのは、そうした「根」に気づかず、ただいたずらに、振り回されること。

というのも、愛情豊かで、かつ恵まれた環境の中で、スクスクと(?)、
心理的発達を遂げる人のほうが、実際には、少ない。
ほとんどの人が、それぞれの立場で、それぞれの環境の中で、何らかの問題を
かかえながら、おとなになっている。
問題のないおとなのほうが、少ない。
だから問題があるからといって、自分を責める必要もないし、過去をのろう必要も
ない。
(私も一時期、父や母をうらんだことがあるぞ。)

大切なことは、まず、「私」に気がつくこと。
あとは時間が解決してくれる。
「すぐに……」というわけにはいかないが、あとは時間が解決してくれる。

(補記3)
そういう意味でも、幼児教育のおもしろさは、この一点に凝縮される。
子どもを見ながら、いつもそこに「私」を見る。
「私の原点」を見る。
が、幼児を未熟で未完成な人間と見るかぎり、それはわからない。
幼児を「上」からだけ見て、「こうしてやろう」「ああしてやろう」と考えて
いる間は、それはわからない。
幼児に対して謙虚になる。
1人の人間として、認め、そこから幼児を見る。
すると幼児のほうから、「私」を語ってくれる。
「あなたは、こうして『私』になったのですよ」と、幼児のほうから話してくれる。


Hiroshi Hayashi++++++++MARCH・09++++++++++++はやし浩司

●Who wants to live forever?

++++++++++++++++++

よく知られた曲に、「Who wants to live forever?(だれが永遠に生きたいか?)」
というのがある。
いろいろなシンガーが歌っているが、私はグレゴリアンが歌うのが、好き。
おごそかで、それに重みがある。

++++++++++++++++++

●どう死ぬか

「だれが永遠に生きたいか?、いや、だれもそんなことを望んでいない」と。
が、もし、私から(考える力)が消えたとしたら……。
「死んでもいい」とは思わないかもしれないが、「生きていても意味はない」と
思うかもしれない。
どこかのオバチャンと、意味のない会話をつづけるようになったら……。
(オバチャンでなくても、オジチャンでもよいが……。)
考えるだけでもゾッとする。

それにいつまでも無駄に生きて、ワイフや息子たちや、その家族の死を見るように
なったら、たぶん、今の私なら、それに耐えられないだろう。
生きていることをのろうようになるかもしれない。

人は、いつも、どう生きるか考える。
しかしそれではいつまでたっても、結論は出てこない。
そこで発想を変えて、どう死ぬかを考える。
その結果として、どう生きるかが決まってくる。

「永遠に生きよう」と思うから、苦しむ。
悩む。
しかし「永遠に生きても無駄」と考えることによって、その先に、生き様(ざま)が
見えてくる。

それがわからなければ、あのオバチャンたちの、とりとめのない、いつまでも
つづく無意味な会話に耳を傾けてみることだ。
(繰り返すが、オバチャンでなくても、オジチャンでもよい。
以下、すべて同じ。)
ペチャペチャ、クチャクチャ……と。
人生の晩年にあって、しかも人生の完成期にあって、その程度の会話しかできない。
そういう自分に恥じることもなく、ただしゃべりつづける。

「隣の息子がね……」「うちのダンナがね……」「娘の婿がね……」と。

●脳みその穴

ある年齢になると、脳みその下に、穴があく。
その穴から、知識や知恵、経験が、ボロボロとこぼれ落ちていく。
もっとも私がそれに気づいたのは、50歳も過ぎてからのことだった。
当時、こんなことがあった。

何かの原稿を書いているとき、「?」と思った。
「以前にも、同じことを書いたことがあるぞ」と。
そこで自分の原稿集をさがしてみると、ほとんど同じ内容の原稿があることを知った。
しかも私にとってショックだったのは、「遠い昔に書いた原稿」と思っていた
その原稿が、ほんの、その数年前に書いた原稿だったことだ。
つまりその数年の間に、自分が書いた原稿の内容すら、忘れてしまっていた。

以来、私はいつも自分の脳みそを疑ってみるようになった。
つまりそれまでの私は、脳みそというのは、進歩することはあっても、退化する
ことはないと信じていた。
とくに私が考えて、自分で書いた文章については、そうだった。
しかし実際には、書いた先から、ボロボロとこぼれ落ちていく。

●穴との戦い

脳みその穴にパッチを当てる方法は、残念ながら、ない。
それは健康法と似ている。
運動をやめたとたん、肉体は衰え始める。
不健康になっいくのを止める方法はない。
それと同じように、穴は穴として認める。
その穴からは、常に一定の知識や知恵、経験は、ボロボロとこぼれ落ちていく。
であるとするなら、それ以上のものを、上から補充していくしかない。
これも健康法と似ている。

放っておいたら、肉体の健康はどんどんと衰えていく。
であるとするなら、それ以上の運動をして、自分の体を鍛えるしかない。
日々の鍛錬こそが、健康法の秘訣ということになる。

が、それには常に、ある種の苦痛がともなう。
寒い朝に、ジョギングに出かけるような苦痛である。
あるいは難解な数学の問題を与えられたときのような苦痛である。
その(苦痛)を乗り越える勇気と努力が必要。
それがなければ、人間は、どんどんと、あのオバチャンになっていく。

●「♪だれが永遠行きたいか?」

「♪だれが永遠に生きたいか?」は、もともとは、SF映画の主題歌では
なかったか。
時代を超えて戦う、勇者と悪魔の戦いの映画だった思う。
映画そのものは、見るに耐えないというか、駄作(失礼!)。
で、主題歌だけが、ひとり歩きの形で、よく知られるようになった。

で、その曲を聴きながら、私はこう考えた。
「オバチャンのようになって、だれが永遠に生きたいか?」と。

……こう書くと、世のオバチャンたちは、怒るかもしれない。
しかしあえて言うなら、私が言うオバチャンというのは、こうした文章を
ぜったいに読まない。
電車やバスの中で、大声で、ギャーギャー、キャハハハと騒ぐことはあっても、
こうした文章は、読まない。
そもそも、そういう向上心をもっていない。
向学心もない。
あるいは、こういう文章を見せても、手で払いのけてしまう。
「私には、そういうものを読んでも、わかりません!」と。

(追記)
先日も、電車の中で、実にそれらしいオバチャンが、2人、こんな会話をしていた。
一部だけだが、こう言った。
「うちのあのバカ○(=弟の名前らしい)ったら、親の一周忌にも来なかった。
親の葬式に来ないようなヤツは、地獄よねエ」
「そうよ。親の一周忌くらい、どんなことがあっても、来るべきよねエ」と。

私の頭の中で、脳細胞がショートするのを感じた。
バチバチ、と。
それでその女性たちの会話に、耳を傾けた。
けっして盗み聞きしたわけではない。
向こうのほうから声が聞こえてきた。

……が、話の内容をコメントするつもりは、まったくない。
あまりにも愚劣で低劣。
言い忘れたが、年齢は2人も50歳くらい。

その話を電車を降りてからワイフにすると、ワイフはこう言った。
「ああいう人たちが、古い常識を、つぎの世代に伝えていくのね」と。
そう、そういう人たちが、(大勢)を作っていく。
そしてそれが大きな流れとなって、つぎの世代に伝わっていく。
が、この(大勢の流れ)を変えることは容易なことではない。
巨大な流れである。

私「そういう流れを変えないかぎり、日本は変わらないよね」
ワ「そうよね。100年後も、200年後も、同じようなことを言う人が
出てくるわ」
私「しかしいつも不思議だと思うのは、そういう女性たちでも、若いときがあった
と思う。そういう若いとき、何をしていたんだろう」
ワ「自分を変える暇など、なかったのよね」と。

本来なら、若い人たちが問題意識をもって、古い因習やタブー、それにカビの生えたような常識を変えていかねばならない。
しかしそれをしないまま、歳だけは取っていく。
そして大半の女性たちは、私が見たようなオバチャンになっていく。

それでいいのか、世の女性たち!
このままでいいのか、世の女性たち!


Hiroshi Hayashi++++++++MARCH・09++++++++++++はやし浩司

●H-島

+++++++++++++++++++++

今日は、静岡県熱海市の沖合い、連絡船で
25分ほどのところにある、H-島へ行ってきた。
島の周囲、約4キロを、ワイフと歩いた。
ゆるい山坂があり、ちょうど季節もよく、
たいへん気持ちよくウォーキングができた。

+++++++++++++++++++++

熱海へはときどき、来る。
講演で来るときは、熱海で、電車を乗り換えることが多い。
が、いつも熱海へ来るたびに、こう思う。
「高いなあ」と。

H-島で、刺身定食を食べた。
それが2000円。
ワイフは、海苔丼を食べた。
それが1000円。
プラス、イカの丸焼き。
それが800円。

観光地とはいえ、まさに東京価格。
食べ物の値段が高いと、急速にその場所への親近感が失せる。
「二度と来ないぞ!」と。

要するに、観光客から、取れるだけ取れ、という発想らしい。
それがわかったとたん、心がそのままスーッと冷える。
食い物のうらみは、恐ろしい!

なお、H-島では、住民の世帯数と人数は、限られているそうだ。
ガイドの女性が、そう話してくれた。
正確な数字は忘れたが、40数世帯と限られていて、跡を継ぐ
長男だけが、島に残ることができるそうだ。
それ以外は、島を出ていかねばならない、と。
つまりそういう形で、住民の数を限定することにより、島民のもつ
既得権を守ろうというわけである。

しかしもしこれが事実とするなら、この「掟(おきて)」は、どう考えても、おかしい。
憲法違反に抵触する可能性すらある。
もし逆に、日本中の村々が、そういう「掟」を作ったら、どうなる?

私はその話を聞いたとき、「憲法違反で訴える人はいないのか?」と思った。
しかし訴えたら、今度は、そういう社会だから、訴えた人は、村八分に遭遇するに
ちがいない。
そういう意味では、日本は、まだ原始国家に近い。
外観だけは近代国家になった。
しかし中身は、昔のまま。

現実に、小さな村になると、外からの移住者を認めないところが多い。
ほとんどの村が、暗黙のうちに、そういう「掟」を定めているのではないのか。
外部からの移住者たいして、いやがらせや、意地悪をするという話は、
私も今まで、たくさん聞いた。

H-島の人にはきびしい意見になるが、「もし、ガイドの言ったことが事実とするなら、
あなたたちがしていることは、日本国憲法で定められた、居住の自由権を侵害している」。
その結果として、刺身定食が2000円であるとするなら、私は抗議したい。

……とまあ、ひとりでがんばっても、どうしようもない。
そんな「掟」があるなら、私は、そんな島に移住したいとは、思わない。
窮屈で、窮屈で、そのうち窒息してしまうだろう。

帰りのバスの中で、ガイドの女性がこう聞いた。
「H-島に住んでみたいと思う人は、いますかア?」と。
しかしそれに答えて、だれも、手をあげなかった。
当然である!

(補記)
日本国憲法・第22条、『何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する』


Hiroshi Hayashi++++++++March. 09+++++++++はやし浩司

● 従兄弟(いとこ)
My Cousin

私の従兄弟に、ものすごく頭のよい人がいる。
超一級の頭脳の持ち主である。
私は子どものころから、その人だけには、一目置いている。
たとえば子どものころ、みなで集まって、小型のモーターを作ったことがある。
7~8人の従兄弟で、それぞれが1つずつ、作った。
しかし電池をつないだとき、回ったのは、その従兄弟のモーターだけだった。
たぶん、その従兄弟はモーターを作りながら、その原理を解明していたに
ちがいない。

が、学歴はない。
G県の山奥で生まれ育った。
家庭も貧しかった。
が、もしその従兄弟が、都会に住み、それなりに恵まれた環境で
育っていたら、彼はまちがいなく、ドクターになっていただろう。
へき地(当時)に住んでいただけでに、独学で医学を学んでしまった。
私はその従兄弟を、陰ながら尊敬してきた。

「陰ながら」というのは、歳が私より、5~6歳、年上で、
親しくつきあうには、恐れ多い相手だった。
その従兄弟と、このところ、電話でよく話す。
昨夜も、電話で1時間ほど、話した。

心理学にせよ、教育学にせよ、要点をズバズバ見抜いているのには、
いつもながら驚く。
で、私はこう考えた。
今の今も、こうしたすぐれた人材が、その環境に恵まれなかったというだけで、
社会の隅に埋もれてしまっているのではないか、と。
本来なら、こういう人材を学校の教師が見出し、家庭環境に関係なく、
学歴を身につけさせることこそ、重要。
これを日本の損失と言わずして、何と言う。

昨夜も、電話で話しながら、こう思った。
「今、この従兄弟が、大都市の大病院の院長をしていても、おかしくない」と。
もちろん、それは言わなかったが、従兄弟は従兄弟で、懸命にあれこれ話して
くれた。
その懸命さが、私はうれしかった。

沼津から礼のつもりで、海産物を送った。