Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, March 08, 2009

*What is the Common Sense for us?

●カルチャー・ショック

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今日、浜名湖を、雄踏(ゆうとう)側から
村櫛(むらくし)海岸まで
歩いてみた。
往復で、ちょうど2時間。
距離にすれば、8~10キロ。
よい運動になった。

で、その帰り道、ふと見ると、いくつかの
グループが、堤防の手前の空き地で、
サッカーをしていた。
ランニングしている人も、何人かいた。
サイクリングをしている人も、何人かいた。
今ではどこにでもある、見慣れた光景だが、
40年前には、そうではなかった。
たった、40年前、である。

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●驚きの連続

私がオーストラリアへ渡ったのは、1970年。
大阪万博の開かれた年である。

毎日が、驚きの連続だった。
大学生の中には、青いボールペンを使って、青字でメモを取っている
のがいた。
日本では、「ビックス」は、菓子屋で、飴として売られていた。
が、オーストラリアでは、風邪薬だった。
私はカレッジで、乾燥機なるものを生まれてはじめて見たし、
綿棒にしても、そうだ。
ブルーベリーのジャムも、生まれてはじめて食べた。
何よりも驚いたのは、向こうの学生たちが、オレンジを袋単位で
買っていたこと。
日本では、一個売りがふつうだった。

見るもの、聞くもの、すべてが珍しかった。
そんな中、ある日、郊外の友人宅を訪れると、ちょうど土曜日
ということもあって、みなが、戸外でスポーツを楽しんでいた。
その光景を見て、私は、驚いた。
驚いたということは、それまでそういう光景を、日本では
見たことがなかった。

●今でこそ……

今でこそ、日本には、何もかもある。
青いボールペンもある。
綿棒もある。
乾燥機もある。
しかし当時のオーストラリアには、日本にはまだないものが、
山のようにあった。

「サンベイジング(Sun-Bathing)」というのも、そうだった。
まだ春先の寒い日だったが、みなが、サンベイジングに行こうと言った。
今でいう日光浴だが、私はそんな春先に、水着など来たことがない。
言われるままついていくと、海岸で、みなが、日光浴をしていた。

また別の日。
その日は雨が降っていた。
見ると一人の友人が、キャンピングの準備をしているではないか。
「どこへ行くのか?」と聞くと、「キャンプだ」と。
「雨の日に行くのか?」と聞くと、「ぼくは雨が好きだ」と。
オーストラリアは、乾燥大陸。
雨に対する感覚が、私たちのそれとは、ちがっていた。
それはわかるが、「雨の日にキャンプする」という感覚は、日本人の
私には理解できなかった。

ほかにも、ある。
女子学生でブラジャーをしているのは、いなかった。
中には、パンティをはいていないのもいた。
裸に対する感覚も、日本人のそれとは、ちがっていた。

毎日が、この連続。
日本人の私がもっている常識は、ことごとく破壊された。

●常識

で、私はそういう意味では、ラッキーだったと思う。
青年期という、かなり早い段階で、自分の常識を疑うようになった。
このことは、そのあと、日本だけに住み、日本しか知らない人たちの
それとくらべてみると、よくわかる。

私たちがもっている常識などというものは、その国の、その地方の、
その家族の中で、作られたもの。
けっして、世界の常識ではない。
が、そんなことも理解できず、いまだに、その国の、その地方の、
その家族だけにしか通用しない常識にしばられている人は、
ゴマンといる。

が、それだけではない。
それまでの常識をこなごなに破壊された私は、まったく別の常識を、
自分の中でつくりあげることができた。

「できた」というと、大げさな言い方に聞こえるかもしれないが、
今という時代からあの時代をながめると、そう思う。

●職業観

いちばん大きな影響を受けたのが、職業観ということになる。
先日、劇場で、『おくりびと』という映画を見てきた。
よい映画だった。

その中で、1人の男性(公務員)が、主人公の納棺師に向かって、
「まともな仕事をしろ」と言うシーンがあった。
主人公の妻ですら、夫が納棺師であることを知って、家を出る。
こうした職業観というのは、日本独特のもので、世界には、類はない。
日本人は、江戸時代の昔から、職業、それに地位や立場で、その人の
価値を決める。
「私はちがう」と思っている人でも、江戸時代の、あの身分制度という
亡霊を、いまだに引きずっている。

常識をこなごなにすることによって、私は、その向こうに別の常識を
見た。
だから三井物産という会社をやめて、幼稚園の講師になったときも、
まったくといってよいほど、抵抗はなかった。
「やりたいことをする」
「お金に名前はついていない」と。

●意識のちがい

が、そういう常識に縛られている人も、少なくない。
「まともな仕事論」を口にする人は、今でも多い。
しかし(まともな仕事)とは、何か?
そんなものは、今も、昔もない。

たとえば前にも書いたが、オーストラリアでは、銀行員の仕事は、
高卒の仕事ということになっていた(当時)。
日本では、大卒の仕事ということになっていた(当時)。
またオーストラリアでは、4年生の大学の工学部を出た人でないと、
ユンボやブルドーザーを動かすことができなかった(当時)。

さらに私のいちばん仲がよかった友人のD君は、自ら、外交官の
仕事を蹴飛ばしてしまった。
「アメリカやイギリスなら生きたいが、残りの99%の国へは
行きたくない」と。
もともとあの国は移民国家。
「外国へ出る」という意識そのものが、日本人のそれと、180度
ちがっていた。

●偏見との闘い

日本へ帰ってきてからの私は、まず、そうした偏見と闘わねば
ならなかった。
たとえばこの浜松市では、地元の人間の価値を認めなかった(当時)。
何でも、「東京から来た」というだけで、ありがたがった。
田舎根性というか(失礼!)、目が東京のほうばかりに向いていた。
(今でも、その傾向は強いが……。)

逆に、東京の人は、地方の価値を認めていなかった(当時)。
出版社で本を出すときも、地位や肩書きのない私は苦労した。
ごく最近でも、「あなたの本を出してもいいが、○○教授の名前でなら
出してもいいが、どうか?」と打診してきた出版社があった。
40年前の当時には、そうしたインチキが、ごく当たり前のように、
なされていた。

一方、おもしろいことに、東京に住んでいる人は、何でも「外国から来た」という
だけで、ありがたがる。
最近でも、どこかの飲料水会社が、幼児教育を始めるという。
イタリアの幼児教育を、日本へもってくるという。
東京の人たちは、そういう話になら、すぐ飛びつく。

こうした中央集権意識というか、権威主義というのも、やはり日本独特のもの。
それまでの常識を、こなごなに破壊して、はじめてわかる。

●職意識

振り返ってみると、あの当時の常識を、世界の常識と思い込んだまま、
その世界だけで生きてきた人は、かわいそうだと思う。
その世界しか知らない。
そのすぐ外には、まったく別の、もっと広い世界が広がっている。
それにすら、気がつかない。
気がつかないまま、人生を、棒に振った。

たいへん失礼な言い方に聞こえるかもしれないが、多くの人は、
それすら認めようとしない。

で、最近、「職意識」という言葉を耳にすることが多くなった。
「日本人の職意識を変えよう」とか、何とか。
つまり日本人は、「仕事」というと、「就職」、つまりどこかの会社に
入ることしか考えない。
自分で独立して、何かをするということを考えない。

もちろん独立を考える人もいるにはいるが、まだまだ少数派。
いても、親の仕事を引き継ぐ程度。
だからその意識を、根本から変える。
何も大会社に就職して、そこで一生を終えるのが、あるべき人生の
姿ではない。
理想の姿でもない。
そういう人も必要かもしれないが、しかしみながみな、それに従う必要はない。

「私は私」という部分さえ確立できれば、仕事は、そのつぎにやってくる。
その結果として、就職ということもあるかもしれない。
しかし何も就職に縛られることはない。
むしろ『みなと同じことをしていると感じたら、自分が変わるべきとき』
(マーク・トゥエイン)。

あなたがどんな仕事をしていたところで、構わない。
納棺師だって、構わない。
すばらしい仕事ではないか。
もしそういうあなたを笑う人がいたら、反対に笑ってやればよい。
「じゃあ、あなたはどんな人生を歩いているのですか」と。

●再び常識論

私たちがもつ常識といっても、その時代、その時代で、作られるもの。
もちろん今の常識が、正しいというわけではない。
今の常識だって、100年後には、笑い話になるかもしれない。
しかし大切なことは、そういう笑い話になるかもしれないという前提で、
今の常識を、常に疑っていくこと。
けっしてそれを「正しいもの」と思い込んで、立ち止まってはいけない。
立ち止まったとたん、あなたは保守派に変身し、その向こうにある、
もっと広い世界を見失うことになる。

もっとも、それをよしとするなら、それもよし。
しかしそれでは、もったいない。
どうせたった一度しかない人生。
だったら、できるだけ広い世界を見る。
そのほうが楽しいし、おもしろい。

……帰りの車の中で、私とワイフは、そんな会話をした。

私「今では、みな、当たり前のように、ああしてスポーツを楽しんでいる」
ワ「40年前にもあったけど、学校の部活くらいなものだったわ」
私「そうだね。でもね、ぼくが驚いたくらいだから、当時の日本には、
なかったんだよ」
ワ「それだけ日本が豊かになったということ?」
私「そうだろうね」と。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
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Hiroshi Hayashi++++++++MARCH・09++++++++++++はやし浩

●ひねくれ症状

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心のひねくれた子どもというのは、いる。
10人に1人とか、20人に1人とかはいる。

たとえばこんな会話をする。

私「春になって、気持ちいいね」
子「花粉症になるから、いやだ」
私「そう、それはたいへんだね」
子「たいへんじゃないわよ。苦しいよ」
私「……」と。

あるいは以前、こんな子ども(年長女児)もいた。
私が「今日はいい天気だね」と声をかけると、
キーッとにらみ返して、こう言った。
「いい天気じゃない。あそこに雲がある!」と。

私「雲があっても、いい天気じゃない?」
子「雲があるから、いい天気じゃない」
私「少しくらいあっても、青い空は見えるよ」
子「雲があるから、いい天気とは言わない」と。

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幼児期から少年少女期にかけて、慢性的な欲求不満がつづくと、それが
抑圧となって、心をゆがめる。
ひねくれ症状もそのひとつ。

私「だれだ、こんなところで水をこぼしたのは!」
子「水じゃ、ない。お茶!」
私「どうしてこぼしたの?」
子「先生が、そんなところに、茶碗を置いておくから悪い」
私「悪いって、こぼしたら、ごめんと言えばいい」
子「わざとじゃないから、謝る必要はない」と。

さらに私は教室では、ノート類はただで渡している。
そのノートをA君(小4)に、「これを使ってね」と言って渡したときのこと。
横にいたB子さん(小4)が、すかさず、こう言った。
「どうせ、100金(100円ショップ)のよ」と。

これには私もカチンときた。
だからB子さんを、たしなめた。
するとB子さんは、こう言った。
「本当のことを言っただけよ。どうして本当のことを言ってはいけないの!」と。

一事が万事。

B子さんが、新しい筆箱をもっていた。
私が「いい筆箱だね」と声をかけると、「安いか高いか、わからないわ」と。
「値段が、わからない」という意味で、そう言った。
すなおに、「うん」とか、「そう」という言葉が出てこない。
そこで私が、B子さんに、「あのね、そういうふうに、相手が言うことを、
否定してはだめだよ」と教えると、すかさずB子さんは、こう言った。
「私は、何も否定なんかしてないわよ」と。

こういうのをパラドックスという。
「否定していないわよ」と言って、相手を否定する。

このタイプの子どもには、一定の特徴がある。

(1) 無意識下の言動であるため、「否定している」という意識そのものがない。
(2) 自分がまちがえたり、失敗しても、それを最後まで認めない。
(3) 「私は絶対に正しい」と思ったまま、カラの中に閉じこもってしまう。
(4) 相手の非をすかさず持ち出して、「先生だって、この前……!」と切り返す。

だからこのタイプの子どもと接していると、こちらまで気がへんになる。
相手は子どもなのだが、本気で怒りを覚える。
が、もちろん本人には、否定しているという意識はない。
相手がどうして怒っているかも、理解できない。

「どうして、そんなことで、先生は怒るの!」と言い返してくる。
だから私のほうもムキになって、一言「ごめんと言えばそれですむことだろ」と諭す。
が、それに対しても、「私は何も悪いことをしていないのに、どうして謝らなくては
いけないのよ!」と、言い返す。
こういう状態になると、何を言っても無駄。
そこで強く叱ると、「ごめんと言えばいいのね、じゃあ、言うわよ。『ごめん』」と。

少年少女期に、一度、こういった症状が出てくると、その症状は、おとなに
なってからも、ずっとそのままつづく。
恐らく、老人になって死ぬまで、それがつづく。
ものの考え方の基本として、定着してしまうためと考えてよい。

では、どうすればよいか?

まず、自分に気がつくこと。
そのためには、自分の少年少女期を、静かに振り返ってみる。
不平不満もなく、いつも明るく、すがすがしい毎日を送っていただろうか。
それとも、いつも何か悶々とした毎日を送っていただろうか。
あるいはツッパリ症状があっただろうか。
そういったところから、自分を見つめなおしてみる。

あとは時間に任せるしかない。
10年とか、20年とか、それくらいはかかる。
今日気がついたから、来週にはなおるという問題ではない。
「心」というのは、そういうもの。
だから昔の人は、こう言った。

『三つ子の魂、百まで』と。

大切なことは、あなたはそうであっても、子どもには、そういう不幸な
経験をさせないということ。
愛情豊かで、心の温まる家庭を用意する。
それは子どもをツッパらせないためだけではない。
子どもの心をつくるための、親の義務と考えてよい。


Hiroshi Hayashi++++++++MARCH・09++++++++++++はやし浩司