*April 9th 2009
●4月9日
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長かった春休みも、今日でおしまい。
明日から、忙しくなりそう。
今年度は、地元の中日ショーッパーが、
教室の宣伝をしてくれたこともあり、
昨年よりも、~教室も、教室がふえた。
ほとんどを、無料でしてくれた。
中日ショッパー様(「様」をつけるのも
おかしいが……)、ありがとうございました!
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●休み最後の日
ワイフが最後だから、どこかへ行こうと私を誘った。
しかしこのところどうも睡眠調整がうまくいかない。
午前10時には、もう眠気。
まぶたを開けているだけでも、つらい。
が、寝ているわけにはいかない。
いくつか雑用をこなし、郵便局へ。
デジタルカメラの調子が悪かったので、カメラ屋へも。
それからパソコンショップにも立ち寄った。
今使っている、SDのカードリーダーは、2GBまでしか
認識しない。
いろいろと不便を感ずるようになった。
それで新しいのに、買い換えた。
今度のは、32GBまで、認識する。
この世界の進歩には、本当に驚かされる。
で、そのまま山荘へ行ったが、そこでも雑用。
バーベキュー・コーナーの配水管がつまった。
それでその清掃、などなど。
で、そのあとやっと昼寝。
あとで時計を見たら、何と、2時間も眠ってしまった!
人と会う約束もなく、そのまま家に。
書斎にこもって、いくつか、原稿を書いた。
夕方、BW教室のOBのOさんからメールが届いた。
息子さんが、無事、K高校の入試に合格したとあった。
(K高校……静岡県でもNO1の進学校。)
が、BW教室の実力が試されるのは、これから。
「今では、みな、ウソのように、天下のS大やA大に
入学していきますよ」と、返事を書いた。
幼児期に方向性だけ作ってやれば、あとは子どもは
自分の(力)で伸びていく。
その方向性を作るのが、私の役目。
●NINTENDOのDSi
昨日、アメリカにいる孫に、ニンテンドーの
DSiを買って送った。
誕生日が近い。
メールでそのことを知らせると、誕生日には、
フロリダのディズニーランドへ行くとのこと。
「そのとき(DSiを)、もっていく」と。
DSiといっても、カメラにもなる。
ミュージック・プレヤーにもなる。
もちろんゲームもできるが……。
(私も、ごくふつうのジジ・バカ?)
●誠司
HPのトップ画面を飾っている、孫の誠司の
写真を交換した。
私にはかわいく見える孫。
ほかの人が見ても、そうは思わないだろう。
みんな、自分の孫は、かわいく見えるもの。
ときどき、「かわいいお孫さんですね」と言って
くれる人もいる。
お世辞とわかっていても、うれしい。
HPへは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
から!
●畑
庭の隅に、小さな畑がある。
そこに今日、新たに、ピーマンとシシトウの苗を、2本ずつ植えた。
それにキューリの苗、2本も。
その畑から、昨日、ワイフが早々と、レタスの収穫をしてきた。
「まだかわいそうだよ」と言いながら、食べた。
おいしかった。
Hiroshi Hayashi++++++++April. 09+++++++++はやし浩司
最前線の子育て論byはやし浩司(090409)
●講演会
今度、県の教育委員会主催の、ある総会で基調講演をすることになった。
たいへんな総会で、あとになって、つまり今になって、ジワジワと緊張感が、
わいてきた。
昨日は、「わかりました」と、軽い気持ちで引き受けたのだが……。
最近、脳みその働きが、どんどんと悪くなっていく感じがする。
ボケが始まったのか……?
少し心配。
講演の内容を、少し書いてみる。
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【心の正体】
●性欲からの解放
54、5歳ごろのことでした。
人は、「男の更年期」と言いましたが、初老性のうつ病だったかもしれません。
ふと気がついてみると、私は女性に「女」を感じなくなってしまっていました。
それは実にサバサバとした気分で、そのころ私は、ワイフにこう言ったのを
覚えています。
「あのなあ、今なら、女性と混浴しても平気だぞ」と。
で、それに答えてワイフがこう言いました。
「どうしてあなたは、そんなにおめでたいの?
相手の女性がいやがるわよ」と。
ナルホド!
ともかくも、私はそのときはじめて、性からの解放を経験しました。
と、同時に、それまでの自分が、いかに性の奴隷であったかを、知りました。
●性の奴隷
私たち人間の行動は、土の中に住むミミズと、基本的には同じ。
どこがちがうかといえば、人間の行動の方が、やや複雑なだけ。
あのジークムント・フロイトが言っているように、私たちの(生命)の
原点になっているのが、「性的エネルギー」。
人間のありとあらゆる行動は、その性的エネルギーの支配下にあると考えて
まちがいないようです。
男性がスポーツか何かで、目立ちたがるのも、また女性が、電車の中で、
せわしく化粧するのも、その原点にあるのが、性的エネルギーということに
なります。
みんな「私は私だ」「自分で考えてそうしている」と思っているかもしれませんが、
つまるところ、私であって私でないものに動かされているだけということに
なります。
最近では、脳科学が急速な進歩を遂げ、科学的にそれが証明されつつあります。
たとえば昨年(08年)、アメリカのサイエンス誌に、こんな興味深い論文が
掲載されました(※1)。
それは人間の、(これは人間にかぎりませんが)、条件反射についての論文ですが、
人間を基本的な部分で動かすシグナルは、どうやら脳下垂体の下部から
発せられているらしいということがわかってきました。
そこからシグナルが発せられると、たとえばドーパミンという神経伝達物質が
放出され、それが線条体を刺激する。
それがどうやら(欲望)の源になっているらしいのです。
わかりやすく言いますと、脳の中心部、奥深くで、(生きるための信号)が
常に発せられ、それが生きることの原点になっているというのです。
で、生きることの原点とは何かといいますと、言わずとしれた、
種族の保持です。
もっとわかりやすく言えば、生殖ということになります。
●作られる意識
さらに興味深い研究結果が公表されました。
それによりますと、私たちの意識にしても、それを意識として意識する前に、
脳の中の別のところで、それが作られているというのです(※2)。
最近では、脳の中をリアルタイムに、その動きを観察することができる
ようになりました。
それでそういうことがわかるようになったのでしょう。
たとえば、こういうことです。
あなたが台所へ行ったとします。
そこであなたは喉の渇きを覚え、冷蔵庫を開け、飲み物を手にしたとします。
そのときあなたは、自分の意思でそうしたいから、そうしたと思うかも
しれません。
しかし実際には、そういう行動に移る前に、脳の別の部分で、別の意識が
作られているのだそうです。
(喉が渇いた)→(台所の冷蔵庫から、何か飲み物を取り出せ)、と。
しかしそのときは、意識として、まだあなたに自覚されることはありません。
あなたは表面的には何も考えず、台所へ行き、そのあたりではじめて、
「喉が渇いた」と思うようになるのです。
そしてつぎに冷蔵庫を開ける……。
つまり私たちが意識と思っている意識にしても、実に怪しげなものだという
ことです。
もっとはっきり言えば、「私は私」と思ってしている行動にしても、そのほとんどが、
実は、脳の中の別の部分で、あらかじめ作られているものだということ。
さらに言えば、私たちは、その別の部分の奴隷にすぎないということです。
ためしに、電車の中でいそいそと化粧を始めた女性にこう聞いてみると
よいと思います。
「あなたは今、化粧をしているが、自分の意思でそれをしていますか?」と。
するとその女性は、まちがいなく、こう答えるでしょう。
「もちろん、そうです! 私の意思です。私がしたいから、しているのです」と。
●性的エネルギー
いくつかの例を出してみましょう。
よく知られた話ですが、あのコカコーラ。
当初は、ほとんどといって、売れなかったそうです。
そこで経営者は、ビンの形を変えてみた。
それまではずん胴だったビンの形を、女性の肉体のように、くびれのある
なまめかしい形にしたのだそうです。
とたん売れ行きが爆発的によくなり、現在のコカコーラになったそうです。
ほかにもビデオ産業があります。
ゲーム産業もそうです。
さらにはインターネットの世界も、そうです。
これらの産業が急速に発展した陰には、(スケベ)があります。
その(スケベ)を、刺激したとたん、ビデオにせよ、ゲームにせよ、
さらにはインターネットにせよ、爆発的に普及しました。
私たちの行動は、すべてどこかで、(性的エネルギー)と結びついている
というわけです。
ただ誤解してはいけないことは、これに対して、あのユングは、(生的
エネルギー)という言葉を使いました。
(性的エネルギー)と(生的エネルギー)。
この解釈の対立により、フロイトとユングは、決定的に対立することになります。
●生的エネルギー
余談になりますが、昨年、私は母を亡くしました。
享年、92歳でした。
で、最後の1年半は、近くの特別養護老人ホームにいましたが、そこでの
ことです。
ときどき見舞いに行って、ほかの老人の方々を観察させてもらったのですが、
みなさん、食欲だけは旺盛でした。
中には、大きな声で、「メシはまだかあ!」と、始終、怒鳴り声をあげている
老人もいました。
ああいうのを見ていると、ひょっとしたら、ユングのほうが正しかったかな
と思います。
あるいは(性的エネルギー)のさらに、その下の原点になっているエネルギー、
それが(生的エネルギー)かな、と。
先ほども書きましたように、なぜ私たちが生きているかといえば、結局は、
種族保持のためです。
ありとあらゆる生物がそのために生きているわけで、人間だけが例外ということは、
ありえません。
どちらにせよ、私たちは、私たちの中の、別の私たちによって動かされて
いるということです。
言い換えると、「私は私」と思っている部分ほど、いいかげんなものはないと
いうことです。
(つづきは、またの機会に……。眠くなった。)
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