*Nuclear Armament of Japan????????
●映画『ディファイエンス』(Defiance=抵抗)
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春休みも、残すところ、あと2日。
夕食を用意しているとき、ワイフが
「映画に行こう」と、私を誘った。
ネットで調べると、ちょうどよい時間帯の
映画に、ダニエル・クレイグ主演の
『ディファイエンス』があった。
ダイニエルクレイグ……往年のスティーブ・
マックィーンを思わせる俳優。
「007」の新作以来、私は彼のファンに
なった。
あのクールな表情がよい。
で、星は4つから5つの、★★★★+。
よかった!
感動した。
ポロポロと涙が出た。
『シンドラーのリスト』以来の、秀作。
ただあまり前評判はよくなかったようだ。
深夜劇場ということもあり、客の入りは、チラホラ。
映画というのは、こういうもの。
期待した映画ほど、がっかり。
期待しなかった映画に、ときとして、感動する。
冒頭に、「これは真実の物語です」とあった。
それだけに私はそのまま画面に吸い込まれた。
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● 日本も核武装?、国連脱退?
(Nuclear Armament? What’s the stupid idea?)
またまたとんでもない意見が、J党から出てきた。
読売新聞は、つぎのように伝える。
『J党の7日の役員連絡会でSG組織本部長がK国のミサイル発射に対し、日本も核武装をすべきだと述べた。
SG氏は「向こう(K国)は核を保有している。日本も『核を保有する』と言ってもいいのではないか」と述べ、国連脱退にも言及したという。
SG氏はその後、記者団に、「日本が核武装も国連脱退もできないことはわかっている。ただ、K国に強く臨むため、例え話をした」と説明した』(090407)と。
どうしてこういう意見が出てくるのか、私には理解できない。
これでは暴力団抗争と、どこもちがわない。
どこがちがうのか。
あまりにもレベルが低い。
低すぎる。
これでは街にたむろするチンピラの意見と同じではないか。
理性や知性は、どこにある?
「本当に、こんな人物が、日本人の代表として国会を運営しているのか?」と、
私は我が耳を疑った。
核武装したところで、また国連を脱退したところで、日本の平和と安全が
守られるわけではない。
日本は、あまりにも小さい。
一説によれば、100メガトン級の水爆であれば、たった3発で、日本人は全滅
すると言われている。
すでに中国は、そうした核兵器とミサイルを、私の推定でも数百発はもっている。
アメリカとロシアは、それぞれ数万発以上、もっている。
今、ここで日本が核兵器をもったところで、どうにもならない。
……ウ~~~ン?
あのマムシにしても、へたに毒をもっているから、人間に見つかると、すぐ
殺される。
スズメバチにしても、そうだ。
毒には、毒をという発想そのものが、まちがっている。
「日本」というより、「日本人」を本当に守る気があるなら、まずすべきことが
山のようにある。
全国、津々浦々に、日本人全員分の核シェルターを用意するとか、など。
それが無理というのなら、核兵器などもってはいけない。
マムシやスズメバチになってはいけない。
あのインドのネール首相が言ったように、『相手の平和と安全を考えてやってこそ、
自国の平和と安全を守ることができる』である。
中国はまだ道理の通ずる国である。
日本は言論という手段を用いて、彼らの良識に訴えていく。
その場としての「国連」を脱退するなどという意見は、バカげているというより、
あきれてものも言えない。
国連を脱退したら、日本は、いったいどこでどのように自国の正義を主張できる
というのか?
さらに言えば、日本人は、未来を暗く思ってはいけない。
少し前だが、恩師の田丸先生にこのことを聞いたとき、田丸先生は、こう言った。
「情報革命の進歩にはめざましいものがあります。
やがて中国も、国際社会の中で、国際化していきますよ。
そうなれば、日本も中国もなくなりますよ」と。
念を押すなら、K国のような国は、例外。
情報の出入りそのものを、遮断している。
そういう国を相手に、「核武装」だの、「国連脱退」だのというほうが、
おかしい。
SG氏も、K国のあの独裁者も、つまるところレベルは同じということになる。
Hiroshi Hayashi++++++++APRIL・09++++++++++++はやし浩司
●うつ病の周りで
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うつ病というと、その当人だけの問題と多くの人は考える。
しかし実際には、その周囲の人たちにも、大きな影響を
与える。
たとえばある会社で、ある上司がうつ病になったりすると、
部下に、うつ病患者が続出するようになることもあるそうだ。
何かの本で、そう読んだことがある。
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●パニック
実の母親の介護をするようになって、娘のN子さん(当時60歳)は、
そのつど大騒ぎを繰り返した。
パニック状態になった。
「母が、小便を漏らすようになったア!」
「母が、コンロの火を消し忘れたア!」
「母の介護で、内職ができなくなったア!」と。
で、親戚が相談して、その母親を、グループホームへ入れることにした。
が、それについても、
「費用がかかるウ!」
「旅行にも行けなくなるウ!」
「グループホームを追い出されたら、どうしたらいいイ!」と。
そこでみなが改めて相談して、費用は2人の妹たちが全額負担する
ことにした。
が、それでN子さんのパニック障害が、収まったわけではない。
「つぎの老人ホームが見つからないイ!」
「息子が、盲腸で入院したア!」
「町内会の仕事ができないイ!」と。
N子さんのターゲットは、そのつど変化した。
(「ターゲット」という言い方は、私が考えた。
うつ病の人は、ある特定のことにこだわりを見せることが多い。
そのこだわりの対象を、「ターゲット」という。)
近くに住んでいる妹のK子さん(当時55歳)は、当時、こう言っていた。
「ひとつの問題を解決してやると、それについてはケロッと忘れて、
今度は、別のことを言い出すのです」と。
●それから数年
で、ここまでは、数年前に私が聞いた話である。
私はその話を聞いて、つまり当時、私も母の介護をしていたので、
「そういう人もいるんだなナ」と、どこか「?」に思っていた。
というのも、いやかいやでないかと聞かれれば、いやに決まっている。
しかし割り切ってしまえば、親の介護など、何でもない。
私も親の介護をしながら、「何だ、こんなものだったのか」と、
かえって拍子抜けしてしまったのを覚えている。
少なくとも、赤ん坊の世話よりは、はるかに楽。
で、その後まもなく、その母親は他界。
N子さんは、親の介護から解放されたことになった。
少なくとも周囲の人たちは、N子さんの様子がおかしくなったのは、
親の介護からくる負担のせいと理解していた。
私もそう思っていた。
だから親が他界した今、N子さんは、ずいぶんと気が楽になったのでは、と。
ところがで、ある。
ここからが私の理解できないところだが、N子さんの症状が、
かえって重くなってしまったのである。
現在は、心療内科で、「うつ病」と診断され、家の中に引きこもっている
ことが多いという。
●周りの人
ワイフがこう言った。
「あのN子さん、うつ病なんだってエ……」と。
こういうケースのばあい、いろいろ考えられる。
あくまでもこれは私という素人の判断だが、
(1) 親の介護の負担がきっかけとなって、うつ病を引き起こした。
(2) もともとN子さんは、うつ病だった。
(3) あるいは(1)と(2)が、同時進行の形で進んだ。
どうであるにせよ、N子さん自身も気の毒だが、その周りの人たちも、
たいへんな迷惑をこうむったことになる。
先の妹さんのK子さんは、こう言った。
「毎週のように電話がかかってきて、ギャーギャーと、1~2時間も
グチがつづきました。
ときどき主人(=妹の夫)が、代わりに電話に出て、話を聞いてくれましたが、
主人でさえ、気が変になりそうと言っていました」と。
●迷惑
うつ病というと、当然のことながら、その人自身の問題として考えられる。
またその範囲だけで、ものを考える傾向が強い。
しかしその周辺の人たちのことについて語られることは、まず、ない。
たとえば認知症にしても、その人自身については、たいへん気の毒なこととは思う。
しかしその周辺の人たちも、それによって、たいへんな影響を受ける。
初期の段階では、とくにそうである。
つまりその(影響)という部分については、あまり問題にならない。
N子さんの妹のK子さんについても、結局はN子さん自身の病気に、引きずり回された
ことになる。
もしN子さんの妹のK子さんが、N子さんがそういう病気であると最初から
わかっていたら、対処の仕方も変わっていたかもしれない。
が、そのときはわからなかった。
だから引きずり回された。
同じような話は、認知症になった人の周辺からも聞く。
ささいなことで怒鳴り込まれたとか、屋根に牛乳瓶を投げつけられたとか、など。
会社で上司に、いきなり、「お前はクビだ。明日から(=来月から)会社へ
来なくていい」と言われた人もいる。
その上司は、それからまもなく、認知症と診断された。
●うつ病
うつ病といっても、症状はさまざま。
みながみなそうというわけではない。
しかし、当人が病気になることによって、その周りの人たちが、
たいへんな迷惑を受けることがある。
もちろんだからといって、その病気になった人に、責任があるというわけではない。
しかしこの病気を考えるときは、当人だけの問題と考えてはいけない。
たとえば先のN子さんのケースでも、近くにN子さんの夫がいた。
その夫が、N子さんと周りの人たちとの調整役をすべきだった。
N子さんの異変に早い段階で気づき、手を打つべきだった。
その中には、もちろんN子さんを病院へ連れていくということも含まれるが、
周りの人たちにも、それを知らせることも含まれる。
「うちのN子は、少し様子がおかしいですから、気にしないでください」とか。
そういう一言でもあれば、周りの人たちは救われる。
私「ぼくも似たような経験があるよ。
ほら、Yさんという女性に、事務所まで怒鳴り込まれたことがあるだろ。
あのときも訳がわからなかった。
そこでYさんの家に電話をすると、夫が出て、こう言った。
『どうか気にしないでください。わかっていますから……』とね。
その一言で、ぼくはピンときた。それで救われた」
ワ「私たちもうつ病になったら、注意しなくちゃあ」
私「そうだね」と。
なおこの病気だけは、だれしも、無縁であるというわけいにはいかない。
明日の私、明日のあなたの病気かもしれない。
けっして他人ごとに思ってはいけない。
なおN子さんについて言えば、母親の介護がきっかけでうつ病になったという
よりは、もともとそういう傾向のある人だったということになる。
取り越し苦労と、ぬか喜び……。
この2つを繰り返しながら、N子さんの症状はさらに悪化した(?)。
(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家 子供 子供の問題 家庭教育 うつ病 鬱病 周辺の人たち 介護 介護疲れ)
(補記)
この話には、裏話がある。
妹のK子さん(=ワイフの古くからの友人)が、こんな話をしてくれたという。
妹のK子さんも「?」に思ったことが何度かあるという。
そこで姉のN子さんの夫に、それとなくその話をしようとしたことがあった。
「あのう、姉のことですが……」と。
が、そのつど剣もほろろに、否定されてしまったという。
「N子は、何ともない!」「だいじょうぶだ」と。
すごい剣幕だったという。
K子さんは、こう言った。
「きっとダンナも薄々、気づいていたのね。
だからああいう反応を示したのね」と。
Hiroshi Hayashi++++++++APRIL・09++++++++++++はやし浩司
●アルツハイマー病
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人は自分の弱点を指摘されると、過剰に
反応する。
そういう傾向がある。
心がそのことで緊張状態にあるため、
それがきっかけとなって、情緒は一気に
不安定になる。
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●アルツハイマー病の女性
アルツハイマー病の初期症状のひとつとして、(1)怒りっぽくなる
ということあるそうだ。
「あなたおかしいわよ」と言われただけで、それだけでパニック状態に
なったりする。
こうした現象は、「病識がない」というよりは、「心当たりがある」から
そうなるというふうには、考えられないだろうか。
自分でもおかしい(?)と思っている。
で、何とか自分で解決しようとしている。
そういうとき、だれかからそれを指摘されたりする、カッとなる。
ふつうなら何でもないような、ささいなことでパニック状態になる。
A「……では、下諏訪市ですね」
B「私、下諏訪市なんて、言っていません!」
A「でも、あなた、先ほど、下諏訪市とおしゃいましたよ」
B「上山田市です。諏訪市ではありません!」
A「ああ、そうですか……」
B「どうして、そういうウソをつくんですかア!」と。
これはワイフが、ある女性とした会話である。
ふつうなら、「あら、まちがえました?」と笑ってすむような話でも、
アルツハイマー病の人には、それができない(?)。
何かのミスを指摘しただけで、パニック状態になる。
つまりそれだけ心の余裕がなくなる。
それが外の人には、「怒りっぽくなったように見える」ということになる。
●心の余裕
そこで「心の余裕」ということになる。
それについては、何度も書いてきたので、その先を考えてみたい。
心の余裕を測る方法として、いくつか考えられる。
(1) 心の繊細さがあるかどうか。(相手と繊細な会話ができる。)
(2) ジョークが理解できるかどうか。(ジョークが通ずる。)
(3) 相手の立場で考えられるかどうか。(よき聞き役になれる。)
(4) おだやかさ、やさしさがあるかどうか。(ピリピリしていない。)
アルツハイマー病になると、こうした心の余裕を失う(?)。
言い換えると、こうした心の余裕があれば、だいじょうぶということになる(?)。
あるいは心の余裕を養えば、ひょっとしたら予防に役立てることができる(?)。
専門のドクターが聞いたら、笑われるかもしれないが、心理学の世界では、
(心の余裕)は、その人の人格の完成度を知るための、重要なバロメーターに
なっている(IQ論、ピーター・サロベイ、ほか)。
もちろんアルツハイマー病の人は、人格の完成度が低いというわけではない。
しかし重度になると、人格そのものが崩壊する。
これもよく知られた事実である。
●心の緊張状態
もっとも気になっていることを指摘されたとき、カッとなるのは、何も
アルツハイマー病の人たちだけにかぎらない。
またアルツハイマー病になった人がみな、そうなるというわけでもない。
私たちだって、(この私にもすでにその初期症状が出ているのかもしれないが)、
気にしていることを指摘されると、カッとなることがある。
たがいに一定の信頼関係で結ばれていれば、まだよい。
それがないと、「何だ!」となる。
つまりそれだけ心の緊張感がつづいているということになる。
その状態のとき、不安や心配ごとが飛び込んでくると、心はそれを
解消しようと、一気に不安定になる。
よい例が、子どもの受験である。
子どもの受験のことで、ハラハラしている親に向かって、不用意なことを
口にすると、たいてい親は混乱状態になる。
だからこの世界では、『受験生をもつ親は、病人家族』という。
病気で苦しんでいる人に向かって、「どんな病気ですか?」「あと余命は
どれくらいですか?」と聞く人はいない。
同じように、受験生をもつ親に、「どこを受験しますか?」「結果は、
いかがでしたか?」と聞いてはならない。
相手のほうから話しかけてくるなら、それはそれでよい。
しかしそっとしておいてやることこそ、思いやりというもの。
話がそれたが、そのためにも、日ごろから私たちは、常に心の余裕を
大切にする。
それには、精進、ただひたすら精進、精進あるのみ!
結論は、そういうことになる。
Hiroshi Hayashi++++++++APRIL・09++++++++++++はやし浩司
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