Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, April 07, 2009

*how to live...that's the Matter

●不安

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80歳をすぎた近所の女性が、
数日前、救急車を呼んだ。

あとで理由を聞くと、便に
大量の血が混ざっていたからだという。

その女性は、自分が、がんになったと早合点して、
そうしたらしい。

しかし、がんではなかった。シロだった。ただ単なる、
切れ痔にすぎなかった。

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 私は知らなかったが、近所に住む女性が、救急車を呼んだという。今年、80歳になる
女性である。

 あとで人づてに理由を聞くと、便に大量の血が混ざっていたからだという。その女性は、
それをがんと早合点してしまったらしい。が、病院での検査の結果は、シロ。がんではな
かった。ただ単なる切れ痔にすぎなかったという。

 最初、この話をワイフから聞いたとき、私は笑ってしまった(失礼!)。その女性のよう
な心気症の人(=大病ではないかと、そのつど、大げさに悩む人)は多い。実は私もその
1人だが、しかし便に血が混ざっていたくらいでは、救急車は呼ばない。

 しかもその女性は、80歳だという。

私「80歳になっても、死ぬのがこわいのかねエ?」
ワ「何歳になっても、こわいみたいよ」
私「そういうものかねエ」と。

 そう言えば、私の母も、89歳になり、足が思うように動かなくなったとき、それを治
せない医師を、「ヤブ医者」と言って、怒っていた。姉が、「89歳にもなれば、みんなそ
うよ」と懸命になだめていたが、母には、理解できなかったようだ。

 この問題には、つまりその人の生死にかかわる問題には、年齢は関係ないようだ。老齢
になったからといって、死に対する恐怖感がやわらぐということはない。考え方が変わる
ということもない。

 むしろ現実は逆で、老齢になればなるほど、「生」に執着する人は、多い。ほとんどの人
がそうではないか。中に、「私はいつ死んでもいいですよ。覚悟はできていますよ」などと
言う人がいるが、たいていは、そう言いながら、かっこつけているだけ。本心でないと考
えてよい。

 「死」を受け入れるということは、たいへんなことである。

 イギリスのBLOGから、「死」について書いた賢人たちの言葉を、集めてみる。

★ I live now on borrowed time, waiting in the anteroom for the summons that will
inevitably come. And then - I go on to the next thing, whatever it is. One doesn't
luckily have to bother about that.

私は借りてきた時間の中で、召喚のための小部屋で待ちながら、生きている。それは避け
られないもの。で、それから私は、どうあっても、つぎの部屋に行く。幸運にも、人は、
それで心をわずらわす必要はない。
Agatha Christie, "An Autobiography"(アガサ・クリスティ「自叙伝」)


★ I shall tell you a great secret my friend. Do not wait for the last judgement, it takes
place every day.

友よ、私はあなたに偉大な秘密を話してやろうではないか。最後の審判を待ってはいけな
い。それは毎日起きていることなのだから。
Albert Camus

★To the well-organised mind, death is but the next great adventure.

よく準備された心には、死は、ただ単なるつぎの冒険でしかない。
Albus Dumbledore

★Even in the desolate wilderness, stars can still shine.

人に見放された荒野のようなところでも、星はまだ、輝いている。
Aoi Jiyuu Shiroi Nozomi (青い自由、白い望み?)

★ A Lizard continues its life into the wilderness like a human into heaven. Our fate is
entirely dependent on our life

とかげは、野生の中に向かって生きつづける。人間が天国に向かって生きつづけるように。
我々の運命は、私たちに生命に完全に支配されている。
Andrew Cornish

★ This existence of ours is as transient as autumn clouds. To watch the birth and
death of beings is like looking at the movements of a dance. A lifetime is a flash of
lightning in the sky. Rushing by, like a torrent down a steep mountain.

我々の存在は、秋の雲のように、一時的なもの。人の生死を見るということは、踊りの動
きを見ているようなもの。人生というのは、空に光る稲妻の閃光でしかない。あるいは、
急な山を下る急流のようなものでしかない。
Buddha (c.563-c.483 B.C.)(釈迦)

★100 per cent of us die, and the percentage cannot be increased.

私たちのうち100%は死ぬ。そのパーセンテージがふえるということは、ない。
C.S. Lewis, "The Weight of Glory"

★Who chants a doleful hymn to his own death?

だれが、自分の死に際して、悲しげな賛美歌を歌うだろうか。
Shakespeare

★ We are here to laugh at the odds and live our lives so well that Death will tremble to
take us.

私たちは、おおいに笑い、楽しく生きるために、ここにいる。そうすれば死は、私たちを
連れ去るのを、躊躇(ちゅうちょ)するだろう。
Charles Bukowski

★ All God does is watch us and kill us when we get boring. We must never, ever be
boring.

★ すべての神は、私たちをずっと見ていて、私たちがいつ、生きるのに飽きるかを見てい
る。だからそれゆえに、私たちは決して、自分の人生に飽きてはいけない。
Chuck Palahniuk, "Invisible Monsters"

 人生が瞬間的なものなら、80歳になるのも、瞬間にやってくる。若い人たちからみれ
ば、老後は、ありえないほど遠い未来に見えるかもしれないが、その老後は、瞬間にやっ
てくる。それがわからなければ、自分の過去をみることだ。

 少年、少女時代にせよ、青春時代にせよ、「私は生きた」という実感をもっている人は、
きわめて幸福な人だと思う。もし少年、少女時代にせよ、青春時代にせよ、それが何のた
めにあるかといえば、その「生きる実感」をつかむためにある。

 その「実感」が、灯台となって、それからのその人の人生の歩む道を、照らす。

 で、この年齢になってますますはっきりとわかってきたことがある。それは青春時代と
いうのは、人生の出発点ではないということ。青春時代は、人生のゴールそのものである
ということ。それはちょうど、あのサケが、最後には自分の生まれた源流をさかのぼり、
そこで死を迎えるようなもの。

 しかし悲しいかな、少年、少女時代にせよ、青春時代にせよ、その最中にいる人には、
それがわからない。「人生は永遠」と考えるのはまちがってはいないが、「永遠」と思うあ
まり、その時代を浪費してしまう。

 しかしその時代は、1回ポッキリで終わる。……終わってしまう。「まだ先がある……」
と思って、人は、生きていく。が、先は、ない。ないから、その日、その日を、悶々とし
た気分で過ごす。

 それが不完全燃焼感となって、心をふさぐ。悔いとなって、心をふさぐ。老後になれば
なるほど、それがより鮮明になってくる。

 冒頭に書いた女性だが、今回は、シロだった。が、この先、何年、生き延びることがで
きるというのだろうか。5年だろうか。10年だろうか。体の不調が起きるたびに、ビク
ビクしながら生きていくにちがいない。「生きる」といっても、死を先に延ばすだけの人生。
明日、その死がやってくるかもしれない。明日はだいじょうぶでも、あさって、やってく
るかもしれない。

 では、どう考えたらよいのか。どう死をとらえたら、よいのか。生きることを考えたら、
よいのか。

『友よ、私はあなたに偉大な秘密を話してやろうではないか。最後の審判を待ってはい
けない。それは毎日起きていることなのだから』と書いた、Albert Camus。『よく準備さ
れた心には、死は、ただ単なるつぎの冒険でしかない』と書いた、Albus Dumbledore。

 彼らの言葉の中に、その答につながるヒントがあるように、私は思う。