*Beyond the Hatred
●憎しみの向こうに
(Beyond the Hatred. The loser is the Winner. Or we are NOT the losers. They are the losers. Millions of people have been dying from hunger. We will never shoot down the Missile in any case. )
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危機はこれで去ったわけではない。
K国はすでにつぎの実験を計画しているという。
2、3か月後には、つぎのミサイルが発射されるという。
中国の軍事筋(軍事評論家)は、そう伝えている。
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憎しみは憎しみを生むだけ。(Hatred bring about hatred.)
恨みは恨みを生むだけ。(Grudge brings about grudge.)
あなたは知っているか?(Do you know their eys…)
あの人たちがもつ、燃えるような憎悪の念を。(with full of burning hatred and grudge.)
自分たちの歴史が、日本によって蹂躙(じゅうりん)されたという、(Can we understand…)
あの屈辱感を。(their sense of humiliation we gave during the War?)
加害者は害を与えたということを忘れ、
その分だけ、被害者は、妄想を増幅させる。
私たちの言い分はどうであれ、
彼らがそういう感情をもっている以上、
私たちは謙虚に、それに耳を傾けるしかない。
大切なことは、戦争を起こしてはならないということ。
それが避けられるものであれば、最後の最後まで避ける。
戦争は、始めるのは簡単。
しかし終えるのが、むずかしい。
いまだかって、すっきりと終わった戦争など、一例もない。
泥沼からは、泥沼が生まれ、地獄からは地獄が生まれる。
それがわからなかったら、イスラエルとパレスチナの関係を見ればよい。
ニクソンのベトナム戦争でも、ブッシュのイラク戦争でもよい。
日本よ、日本人よ、あんな国を相手にしてはいけない。
あんな国と心中してはいけない。
どこまでも貧しく、どこまでもあわれな国ではないか。
昨日、彼らが言うところの、衛星発射司令室の写真を見た。
40年前にゴジラ映画ですら、あんなた安っぽいセットは使わなかった。
見えと体裁、虚飾と虚栄。
どこまでも、どこまでも、心の貧しい国である。
準備は、しておけばよい。
「備え」だけは、しっかりしておけばよい。
生物兵器に対する備えは、しておけばよい。
薬品はそろっているか。
救護態勢は整っているか。
化学兵器に対する備えはしておけばよい。
シャルターは確保されているか。
救護態勢は整っているか。
さらに核兵器については、どうか。
救護態勢は整っているか。
治療設備は、整っているか。
すでに国内に潜伏しているという工作員への対策はできているか。
原子力発電所の安全は、確保できているか。
迎撃ミサイルだけを用意ずれば、それでよいという問題ではない。
ミサイルを迎撃すれば、それでよいという問題ではない。
彼らはそのミサイルに「命」をかけている。
こっけいな理屈に聞こえるかもしれないが、それが彼らの論理。
それが彼らの論理である以上、耳を傾けるしかない。
さあ、日本よ、日本人よ、おとなになろう。
今こそ、私たち日本人の良識が試されている。
先の戦争から学んだ教訓が、生かされようとしている。
私たちが前面に打ち出すのは、「良識」という旗印。
その良識を信じて、私たちは前に歩こう。
再び、そして三たび、危機はやってくる。
しかしそれが攻撃用のものでないかぎり、私たちはそれに耐えよう。
もし世界中が、もてる最新の武器を、惜しみなく使うようになったら、どうなる。
そのとき世界は、終わる。
ついでに言えば、迎撃ミサイルは、日本が開発したものでもなんでもない。
アメリカという軍事大国から、買っただけ。
そういう武器を、これ見よがしに並べて、「さあ、来い!」は、ない。
脅威なのは、テポドンではない。
すでに実戦配備されている、ノドン。
その数、320基?
それとも800基?
仮に10発、迎撃できたとしても、残りの数百発は、どうする?
どうであるにせよ、そんなミサイルを、どうやって防ぐ?
4月5日の日も、そうだった。
テポドンを1発撃ち落とせば、そのあと10~20発のノドンが追いかけてきた。
韓国の軍事専門家は、そう読んでいた。
日本の外務省も、そう読んでいた。
日本は、戦後、勝った。
勝ちつづけた。
それが今の、この繁栄ではないか。
みんな、健康で、文化的な生活をしているではないか。
本当の実力というのは、(作らないこと)で、試される。
核兵器など、いつでも作れるが、作らない。
大陸間弾道ミサイルなど、いつでも作れるが、作らない。
化学兵器や生物兵器など、いつでも作れるが、作らない。
それこそが私たち日本人の、本当の「実力」ではないのか。
が、一方、あの国は、負けつづけた。
10年前には、数百万人が餓死するという事態までになった。
今の今も、食べるものもじゅうぶんにないという。
平均身長で、韓国の若者と比べても、10~15センチも差がついたという。
ひとつぐらい負けたところで、どうということはない。
昔から、日本ではこう言うではないか。
『負けるが、勝ち』と。
ぜったいに、K国のミサイルを迎撃してはいけない。
構えを見せても、迎撃してはいけない。
相手は、(まともな国)ではない。
頭のおかしな指導者に率いられた、独裁国家である。
まともな思考力そのものを、失っている。
アメリカのある政府高官は、「Mad Dog(狂った犬)」と評した。
であるなら、なおさら、相手にしてはいけない。
ここは冷静に。
ここはがまん。
ひたすら、がまん。
その(がまん)を見せたとき、かならず、世界は動く。
「日本も変わった」と思う。
もしここで日本が軽率に動いたら、それこそ拉致された人たちの命さえあぶない。
そう、今こそ、私たち日本人は、戦前、戦時中の日本人でないことを示すとき。
勇気がいることだが、それが世界に伝わったとき、世界は変わる。
世界中の人たちは、良識のラッパを吹き鳴らす。
それが世界に平和をもたらす。
日本は、その先駆けになろう。
もし、ここで迎撃ミサイルを発射すれば、世界の人はこう思うだろう。
「日本は、何も変わっていない」と。
「やっぱり、戦時中のまま」と。
もちろん手をこまねいていてよいわけではない。
歴史を謙虚に反省し、韓国の人たちや、中国の人たちに、良識を訴えていこう。
頭をさげ、腰を低くして、接していこう。
日本人の私たちにはつらいことかもしれない。
しかし彼らは、まだ良識の通ずる人たちである。
そういう人たちと話し合いながら、あの国を抑えこんでいこう。
さらに言えば、私は「善」の存在を信ずる。
私は人間が本来的にもつ、「良識」を信ずる。
だからぜったいに、戦争だけは起こしてはならない。
叩かれても、蹴られても、最後の最後までふんばる。
大切なことは、ぜったいに戦争だけは起こしてはならないということ。
今の日本は、丸裸。
繰り返す。
迎撃ミサイルがあれば、それでよいと考えるのは、あまりにも短絡的。
劇画の世界では、そういう話も通ずる。
ゴジラ映画の中では、そういう話も通ずる。
しかしこれは劇画の世界の話ではない。
映画の世界の話でもない。
人間が死ぬのだぞ。
日本人が、死ぬのだぞ。
あなたの息子や夫が死ぬのだぞ。
ひょっとしたら、あなた自身も死ぬのだぞ。
何十万人も、何百万人も……。
「攻撃される前に、侵略する……」。
その論理で、日本はあの戦争を始めてしまった。
結果、300万人の日本人が死んだ。
同じく300万人の外国人を殺した。
この事実をもっと、謙虚に、見つめなおそう。
そこを原点として、ものを考えよう。
「あの戦争は正しかった」という論理が、はたして今、正当化されるものだろうか。
もしそれが正しいというのなら、逆のことも正しいと認めなければならない。
いつかすぐ、中国が強大な軍事力をもって、同じことをしても文句は言わないこと。
それがいやなら、ここは、がまん。
ひたすらがまん。
憎しみは憎しみを生むだけ。
恨みは恨みを生むだけ。
だから改めて、ミサイル迎撃、反対!
ぜったいにしてはならない。
つぎに彼らが載せるのは、生物兵器だぞ!
化学兵器だぞ!
核兵器だぞ!
今こそ、私たちの良識が試されようとしている。
そしてもし、この良識が力が証明されたら、そのときこそ、世界に平和が訪れる。
私たち日本人は、その壮大な実験を、今、しようとしている。
この闘いに負けたら、本当に日本は、太平洋の海溝に沈むことになる。
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