Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, April 15, 2009

*In order to know Myself

●自分を知る


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私の教室(BW教室)のビデオを撮るようになって、
ちょうど2か月。
ほとんど手を加えないで、そのまま紹介している。
「ほとんど」というのは、「選択、カット、編集を
しないで」、という意味。


そのビデオを見ていて、たくさんのことに気づいた。
それまでの私が気がつかなかった部分である。
よい面もあるし、悪い面もある。
ときどき「私って、こうだったんだ」と、自分で
へんに納得することもある。


そういう(私)。
(ジョンハリの窓)理論によれば、私の「盲点領域」と
いうことになる。
それに気づいた。


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●ジョンハリの窓


アメリカの心理学者の、ルフトとイングラムの2人が、こんな学説を提唱した。
つまり「私」というときの「私」は、つぎの4つに区分されるという。


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自分も気がついていて     +     自分が気がついていなくて、
他人も気がついている部分   +     他人が気がついている部分 
(開放領域)         +     (盲点領域)  
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自分は気がついているが、   +     自分も気がついていなくて、
他人が気がついていない部分  +     他人も気がついていない部分 
(隠ぺい領域)        +     (未知領域)
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         (参考:深堀元文監修、「心理学のすべて」(日本実業出版社)


2人の学者の名前を取って、「ジョン・ハリの窓」という。
で、私が自分のビデオを見て、再発見した部分は、このうちの(盲点領域)と、
(未知領域)ということになる。


たとえば癖(くせ)。
ビデオを見ながら、「私にはこんな癖があったのだ」と。
これはジョンハリの窓に従えば、(盲点領域)ということになる。
もちろんジョンハリの窓でいう(盲点領域)は、癖のことを言っているのではない。
心の奥深くに潜む、深層心理を言ったものである。
しかし癖は手がかりにはなる。


たとえば私は子どもたちを指導するとき、すぐ「わかった?」とか、「わかったか?」
と言う。
よい言葉ではない。
私はそう言いながら、わからないでいる子どもを無視して、そのまま先へと進んで
しまう。
この言葉は、そういうときの自己弁解として使われる。
つまり、イヤ~~ナ言葉!


で、それを見て、このところその言葉をできるだけ使わないようにしている。
ほかにもある。


●未知領域


自分でも気がついていなくて、他人も気がついていない部分を、「未知領域」
という。
が、中に、「私のことは、私がいちばんよく知っている」と豪語(?)する人がいる。
しかしそういう人ほど、本当のところ、自分のことがまったくといってよいほど、
わかっていない。
というのも、脳みその活動領域をみるまでもなく、私たちが「私」として意識
する部分というのは、恐ろしく小さい。
一説によると、数10万分の1と言われている。


だから謙虚になるのが、よい。
「私は自分のことが何もわかっていない」という前提で、自分を見る。
すべては、ここから始まる。


いろいろな方法がある。
たとえば私のばあい、幼児を教えることによって、始終、自分を見つめることができる。
これには、2つの意味がある。


よく幼児の中から、幼児期の私に似た「私」をさがすことがある。
「私も幼児のころ、こういう子どもだったんだなあ」と。
そういう子どもを手がかりに、自分を知る。
あるいは自分と同じような生い立ちをもった子どもを知る。
そういう子どもを手がかりに、自分を知る。


たとえばこの方法で、私はいつだったか、私も、帰宅拒否児であり、愛情飢餓の状態
だったことを知った。
そしてそれがいまだに尾を引いているのを知った。


もう一つは、相手が幼児のばあい、容赦なく、私を批評する。
「先生の口は臭い(=口臭がする)」に始まって、「先生は、ジジイだ」というのまで
ある。
子どもというのは、そういう意味で正直。
私の盲点を、ズケズケと指摘する。
頭にカチンと来ることもあるが、そこはそこ。


そういう意味では、私は、職場を通して、いつも自分を見つめなおすことができる。


●私を知る


最近の研究によれば、「私」と言える部分は、実はほとんどなく、そのほとんどは、
脳みその中の別の部分に操られているだけということがわかってきた。
条件反射運動を例にあげるまでもない。


愛煙家は、タバコの臭いをかいただけで、あるいはアルコール中毒の人は、
酒のコマーシャルを見ただけで、猛烈な欲求がわくのを感ずる。
そういう人たちは、「私は私だ」「自分で考えて行動している」と思いがちだが、
実際には、ドーパミンという神経伝達物質によって操られているにすぎない。


これが「性欲」となると、人間の活動のほとんどの部分にまで、影響を及ぼしている。
中学生や高校生が、スポーツでがんばるのも、あるいはファッションに興味をもつのも、
その原点にあるのが、「性的エネルギー」(フロイト)ということになる。
私たちは操られるまま、操られているという意識ももたず、操られている。


だから「私」がわからない。
自分の心を解剖してみたとき、どこからどこまでが「私」で、どこから先が「私」
でないか、それがわからない。
実際には、「私」と言える部分というのは、ほんのわずかかもしれない。


話が脱線したが、「私を知る」ということは、それほどまでにむずかしいということ。


●どうすればよいか?


未知領域があるとして、では、どうすればその未知領域を知ることができるか。
このことは、病識のない認知症の人たちを観察してみると、わかる(?)。


私の近くに、このところどうも(?)という女性(60歳くらい)がいる。
……いた。
(最近になって、アルツハイマー病と診断されたようだが……。)
最初は平気で約束を破ることが気になった。
しかしそのうち、その女性は約束を破るのではなく、約束そのものを忘れてしまう
ことに気がついた。


日時を忘れる。
モノを忘れる。
支払いを忘れる。
預かったお金を忘れる。
計画を忘れる、など。


その一方で、その女性は、こまかいことにたいへんうるさく、私にあれこれと
指示をした。
一言ですむような話を、くどくどと1時間くらいかけて話したりした。
で、私がやんわりとその女性の会話をさえぎった。
「私は、そんなバカではないと思います」と。


するとその女性は何を勘違いしたのか、突然、ヒステリックな声を張りあげて、
こう叫んだ。
「私だって、バカではありません!」と。


これには驚いた。
驚くと同時に、「この女性は自分のことがまるでわかっていない!」と。
私は何も、その女性のことをバカと言ったつもりではない。
で、しばらくして、こうも思った。


「この女性が未知領域について気がつくときは、あるのだろうか?」と。


しかし答は、わかっている。
その女性がそれに気がつくよりも早く、認知症は進む。
つまりその女性は生涯、自分の中の未知領域に気がつくこともなく、人生を
終えるだろう。


……と考えたとき、それはとりもなおさず、私自身の問題であることを知った。
認知症にならなくても、この先、脳みその活動は、加齢とともに、ますます
鈍くなる。
(その女性)イコール、(私自身の近未来の姿)と考えてよい。


●心理学の世界では……


「心理学のすべて」(深堀元文監修)によれば、未知領域を知るために、いろいろな心理
テストが用意されている。
しかしここでは割愛させてもらう。
というのも、これはテストによってどうこうという問題ではなく、日頃の私たちの
生き方に、深く関係しているからである。
またこのエッセーを書く、目的でもない。


先にも書いたように、「私の中には、私が知らない部分のほうが多い」を知り、
自分自身に対して、謙虚になる。
それによって、私たちは自分のことをより深く知ることができる。
またそういう視点を常にもつ。
つまりは日頃の心がけの問題ということになる。


繰りかえしになるが、もし今、あなたが、「私のことは、私がいちばんよく知っている」と
思っているなら、あなたは、かなりあぶないと考えてよい。


さらに蛇足になるが、もし今、あなたが、「私の子どものことは、私がいちばんよく
知っている」と思っているなら、それも、かなりあぶないと考えてよい。
それについては、あちこちで何度も書いてきたので、そちらを参考にしてほしい。


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