Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, April 28, 2009

*Obsession

●強迫観念(Obsession)

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いつも何かに追い立てられているような感じ。
じっとしていると、それだけで罪の意識を覚える。
「何かをしなければ」とは思うが、それが
何であるか、わからない。
悶々とした閉塞感。
焦燥感。
加えて、時おり胸をふさぐ、妄想。
ひとつのことが気になると、それが心からずっと離れない。
「ああではないか」「こうではないか」と、
心配を繰り返す……。

何かに背後から脅迫されているような感じがする
ところから、こうした心の状態を、「強迫観念」という。

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●封印された記憶

抑圧された記憶は、思いだすこと自体が、苦痛。
そのため心の奥に封印された記憶は、表に浮かびあがってくることは、まずない。
しかしその記憶が、私やあなたを、心の裏側から操る。
強迫観念も、そのひとつ。

●自由連想法

フロイトは、「自由連想法」という言葉を使った。
これは患者に、自由に自分のことを語ってもらい、その中から、病巣となっている
(こだわり)や(わだかまり)を知るという方法である。
この自由連想法を、自分自身に応用できないものか?
それができれば、私たちは自分で、「私」を知ることができる。
たとえばフロイトも、自分の夢判断を、弟子のユングにさせている。

●「時間がない!」

よく人から、「あなたは、忙しいか?」と聞かれることがある。
そういうとき私は決まって、こう答えるようにしている。
「忙しくはないが、時間がない」と。
すると相手の人は、それが理解できなくて、たいてい怪訝(けげん)な顔をする。
そんなことから、「忙しくはないが、時間がない」などと言う人は、
何かの強迫観念の持ち主と考えてよい。
この私がそうであるから、それがよくわかる。

●原因

「暗くて、憂うつな毎日だった」。
それが、私の少年時代である。
稼業は自転車屋だったが、私が思春期に入るころには、すでに開店休業状態。
商売べたの父は、いつ来るともわからない客を待ちながら、じっと店先で
座っていた。
私が今のような強迫観念をもち始めたのは、そのころではなかったか。
そういう父や、そして兄の姿を見ながら、私は毎日が、不安でならなかった。

●父のトラウマ

今にして思うと、父にも深いトラウマがあったように思う。
父は、戦地の台湾で、アメリカ軍と戦い、貫通銃創を受けている。
その後、傷痍(しょうい)軍人として帰国。
やがて酒に溺れるようになった。
つまり父とて、戦争の犠牲者だった。
が、当時、それを理解できる人は、まだだれもいなかった。
「トラウマ」、つまり「精神的外傷」という言葉すら、まだこの日本にはなかった。

●どこも、子どもだらけ。

加えて団塊の世代。
数日前、映画『ALWAYS、3丁目の夕日』を見た。
あの風景が、私たちの少年時代ということになる。
すばらしい映画だったが、が、いくつかの点で、納得できないことがあった。
そのひとつ。
当時は、街角や路地には、子どもたちの姿があふれていた。
どこを見ても、子ども、子ども、また子ども……。
そんな時代だった。

●ボール遊び

私が今のような私になったのは、そのせいかもしれない。
ガツガツしなければ生きていかれなかった。
どこへ行っても、競争と喧嘩。
遊ぶといっても、すぐ場所の取りあいが始まった。

で、私もよく遊んだが、その中でも、ひとつだけ苦手な遊びがあった。
ボール遊びである。
どういうわけか、ボール遊びだけは苦手だった。
理由として思い浮かぶのが、「銃殺刑ごっこ」。
鬼をつくり、その鬼を立たせて、背後からボールを当てるという遊びである。
記憶にはないが、私も何度か、その鬼になった。
それでボールに対して、恐怖心を覚えるようになった。

●だれにでもあるトラウマ

こうして思い出してみると、心というのは、トラウマのかたまりのようなもの。
無数のトラウマが積み重なって、その人を作る。
「私」を作る。
トラウマのない人はいないし、またトラウマを恐れていたら、この世界では、
生きていくことはできない。
子育てもできない。
それが強迫観念に結びついたからといって、それはそれ。
大切なことは、自分にどんなトラウマがあるかを知り、それとうまくつきあうこと。

●「私」さがし

……こうして自由に(?)、私は自分の過去を振り返ってみた。
思いつくまま書いたので、エッセーとしての意味はない。
しかしなぜ今の私が、私なのかは、過去を振り返ってみることによってわかる。
先にも書いたように、私の強迫観念も、どうやらあのころできたらしい、と。
今の今も、それがつづいている。
もし神様か何かがいて、私をもう一度、あの少年時代に戻してやると言ったら、
私は迷うだろう。
私にとっては、いやな時代だった。
あのころのボール遊びが、それを象徴している。

●私もあと10年

加えてこのところ、老いることに恐怖心をもち始めている。
母の介護を通して見た、「老人の世界」、
それは私にとっては、地獄絵図そのものだった。
みながみなそうなるわけではないが、少なくとも特養で余生を過ごす人たちは、
(人間であることをやめた人)と言っても、過言ではない。
中には70代の人もいた。
そんな人たちが、うつろな目つきで、一日中、車椅子に座っている……。
それを知って、「私もよくて、あと10年」と思うようになった。

●強迫観念は悪か?

強迫観念というのがその人にとって好ましいものでないことは、わかる。
が、悪いことばかりではない。
強迫観念があるからこそ、こうして毎日、ものを書いたり運動したりする。
もし強迫観念がなければ、私とて、こうまでがんばることはないだろう。
「そこにある何かを知りたい」。
そういう思いが、私を急(せ)き立てる。

要するに、先にも書いたように、それはそれとして、つまり強迫観念があるなら
あるで構わないが、あとは、それとうまく付きあうこと。
とくに大切なのは、これはあくまでも私の個人的な問題としてとらえ、
それによって、周囲の人たちに迷惑をかけてはいけないということ。
あせるのはあなたの勝手だが、その中に、妻や子どもを巻き込んではいけない。

(付記)

子どもの勉強をみていて、言いようのない不安や心配を覚える人は、
その人自身が、何らかの強迫観念をもっていると考えてよい。
それはそれとして仕方のないことかもしれないが、それを子どもにそのまま、
ぶつけてはいけない。
いわんや、子どもをして、自分の不安や心配を解消するための道具にしては
いけない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
強迫観念 不安 心配 焦燥感 焦り あせり)


Hiroshi Hayashi++++++++April. 09+++++++++はやし浩司

●心の開放

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昔、ベトナムへ行った、若いオーストラリアの
兵士が、こんな話をしてくれた。

「みな、サイゴン(南ベトナムの当時の首都)へ
戻ると、いっせいに、女を買いに行った」と。

女を買うといっても、Sxxが、目的ではない。
「みな、一晩中、女の乳房を吸っていた」と。

戦場では屈強な兵士に見える彼らも、
内側の世界では、ただのか弱き(人)でしか
なかった……。

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●ペルソナと開放

人はだれしも、仮面(ペルソナ)をかぶって生きている。
教師は教師の仮面。
医師は医師の仮面。
牧師は牧師の仮面などなど。
私もかぶっている。
あなたもかぶっている。
しかし仮面をかぶっていると、疲れる。
心を偽るということは、そういうこと。
言いたいことも、ぐいとこらえて、笑顔で答える……。

そこで人は、内界に向っては、つまり自分の心に適応するため、心を開放する。
心のバランスを図る。

●マザコン?

このことは、子どもを見ているとわかる。
幼稚園や学校では、(しっかり者)の子どもが、家へ帰ると、まるで赤ちゃんのように
なってしまう子どもは、珍しくない。

ある子ども(小5・男児)は、柔道選手として県の大会に出るような活躍を繰り返して
いた。
が、家に戻ると、まったく別人だった。
食事のときなど、いつも母親のひざに抱かれていた。
風呂も母親といっしょに入っていた。

このタイプの子どもを、私たちは「マザコン」と呼ぶが、このタイプの子どもは、
そういう形で、心の緊張感を解きほぐす。
そういう例は、たいへん多い。

●かん黙児

さらに顕著な形で現れるのが、かん黙児と呼ばれる子どもたちである。
このタイプの子どもは、外の世界では、極度の緊張状態を強いられる。
(表情だけを見て判断してはいけない。
外の世界では、どこか意味のわからない笑みを浮かべていることが多い。
こうした現象は「遊離」(=心と表情が遊離している)という言葉を使って説明される。)

外の世界で「いい子?」ぶる半面、その反動として、家の中では、大声を出して
騒いだり、暴れたりする。

●心の開放

心の中に別室を作り、そこへ自分を逃避させる人もいる。
子どもにも多い。
心理学の世界では、「抑圧」という言葉を使ってそれを説明するが、心の別室は、
心そのものをゆがめることがある。

そこで大切なことは、「開放」ということになる。

したいことをし、言いたいことを言う。
すべてはここから始まり、ここに終わる。
子どもを指導するときもそうで、まず、したいことをさせ、言いたいことを言わせる。
私たちが「すなおな子ども」というときの子どもは、そういう子どもをさす。

同じように、私たち自身も、したいことをし、言いたいことを言う。
最初は勇気がいることだが、一歩、踏み出してしまえば、心はあとからついてくる。
心をすなおにすれば、そこに待っているのは、すがすがしい世界。
すがすがしい人間関係。
私たちは、そのすがすがしい人生をめざす。

その第一歩が、心の開放ということになる。