Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, July 13, 2010

●ADHD児  ●場面かん黙児

●掲示板投稿より(AD・HD児、場面かん黙児)

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最近、掲示板へ、2件の投稿があった。
1件は、AD・HD児についてのもの。
もう1件は、場面かん黙児についてのもの。
2件とも、そうした子どもをもつ親からの
相談だった。

この2件で特徴的なことは、親たちが、
それぞれの子どもについて、正式な診断名を
掲示板の中で、明記していること。
つまり医師の診断を受けていること。
そういう相談であれば、それについて書く私と
しても、返事を書きやすい。
言い替えると、この段階まで親が、自分の
子どもを理解するのは、容易なことではない。
そこに至るまでには、長い道のりと、迷い、
心配、不安がある。
病院へ連れていくについても、相当な覚悟と
決断が必要である。
その上での診断名である。

が、それまでの苦しみが長ければ長いほど、
自分の子どもがどういう状態であるかを
知ることにより、かえってほっとするのも事実。
「ああ、そうだったのか」と。

もちろんそれで問題が解決するわけではない。
解決するわけではないが、そこをスタートラインに
して、前に向かって歩み出すことができる。

それに今は、子どもに問題があったからといって、
(個人)の責任にする時代ではない。
みなが、将来の日本、あるいは将来の世界を
支える子どもとして、暖かく見守る時代である。
この浜松市でも、そうした子どもたちを重点的に
集め、指導、教育している学校がふえている。
「拠点校」と呼んでいる。

そうした拠点校へ、むしろ親の方が望んで
子どもを通学させる時代になってきている。
S小学校(拠点校)の校長は、こう話してくれた。

「昔は、『お宅のお子さんには、問題がありますよ』
と言っただけで、親たちは、半狂乱になったものです。
が、今は、ちがいます。
親たちの方から、『お願いします』といって、子ども
たちを連れてきます。
みなさんの表情が、たいへん明るくなったのには、
驚かされます」と。

この問題は、そういう問題。
深刻に考える必要はない。
また深刻に考えたところで、どうにもならない。
大切なことは、繰り返しになるが、「今」を
スタートラインにして、前向きに考えること。
大切なことは、どんな子どもであれ、前向きに、
伸び伸びと、生きていくこと。
その道筋を用意してあげること。

今時、AD・HD児にしても、場面かん黙児にしても、
「問題」と考える人はいない。
モーツアルトも、チャーチルも、エジソンも、みな、
AD・HD児だった。
最近の研究によれば、あのアインシュタインも、
AD・HD児だったと言われている。

また場面かん黙児にしても、その年齢がくれば、
自己管理能力が発達してくる。
小学3~4年生前後を境に、急速に「角」が
取れてくる。
症状が残ることは多いが、だからといって、それが
どうしたというのか。

私自身は、ペチャペチャと調子よくしゃべる子ども
より、静かで、沈思黙考型の子どもの方に、
より人間的な深みを覚える。
どうしてそれがいけないことなのか?

2つの記事を、並べて掲載する。

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(1)【Mさんより、はやし浩司へ】

2年に渡って勝手なことを書いているバカな母親です。

これまで13年間毎日怒り続けてきた私は何だったのだろうと思う
出来事がありました。

これまでも教育センターの教育相談なるものを
受けたことも数回ありましたが、わからなかったこと。

そう、春休みに思い立って児童精神科に受診しました。

医者の最初のひとこと
「ADHDのお母さんはどこの家でも毎日起こっています。
 白黒はっきりさせましょう。」
でした。

なるほどと思うありがたいお言葉!

予約や諸般の事情で3ヶ月間かかってわかったこと。
うちの息子はADHDでした。不注意優位型。中程度。IQは100。
先生は「息子さんはこれまでよくがんばっていましたよ」と
とてもほめてくださいました。

いつものように私の勝手な満足ですが、
ADHDと診断されてよかった。
それなら、個性を生かして行く道があるからです。

薬の治療を始めました。
コンサータは集中度が上がったのが本人にもわかるようです。
ただし、あまりに気持ちが悪くなるようなので、
ストラテラに変更中です。

薬が良いとは思いませんが、黒板を写すような作業が苦手なことも判明。
授業などに集中できるためには、必要な手段かと思っております。

兄弟関係も30%はADHDとのことで、妹もこれから検査を受ける予定です。

私はといえば、丁度去年の今頃からこの1年間、これからは、独身のときの
ように仕事をがんばる!という方向で残業の毎日です。
子供たちには少し不自由もあるかもしれませんが、
今仕事をしなくていつ働く!、
なぜダンナばかりが何の不自由もなく働く!そして
私に自慢する!です。
毎日、不満だらけなのは言うまでもありませんでした。
ただ、今の私はとにかくお金のために働く。それだけです。
でもこれからは、死ぬときは、いい人生だったと思えるような
生き方をしたいと(またまた自己満足ですが)、心がけていこうと思っています。

ところで、話しは戻りますが、ADHDは、私の中では
花粉症くらいに考えることにしています。
いろいろあって、たまたま検査でわかったことなので、
知らなければ知らないで、私がいつも怒っているキチガイだった、
で終わったことかもしれません。
ただし、わかった以上本人の特性を見つける、
もしくは、本人の一生に関わることなので、どうアドアイスすればよいのか?
または、何もしなくてよいのか?
そのあたりを教えていただけないでしょうか?

よろしくお願いいたします。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(2)【Kさんよりはやし浩司へ】

はじめまして。
小学3年の息子の事でご相談させて頂きたく書き込み致しました。

先日ネットで検索して初めて知った
場面緘黙症に息子の状態が当てはまります。
ただ症状はとても軽い方だとは思います。
youtubeで先生の動画も拝見いたしました。

このまま放って置いて、自然治癒しそうな感じではありますが
大人になっても
同じ状態であったり更に酷くなると困ると思い
数日前、心療内科を受診し、
心理テストや診断の予約を1ヵ月後にとりましたが
症状が軽い場合、子供にとって
はっきりと病名等を診断された方が良いのか
それとも逆効果になってしまわないか、と悩んでいます。


息子は4人兄弟姉妹の末っ子で
生まれた時から一番おとなしく人見知りが激しい子供で
あまり外に出ず、家の中でよく遊ぶ子供でした。
3歳児健診の時にも
本人は分かっている筈なのに図形や絵柄を答えられず
保健士さんから何度か様子を尋ねる電話を頂きました。
その後、幼稚園、小学校へとすすみますが
毎年かわる担任の先生にはなかなか慣れず
授業中の本読みでもほとんど声が聞こえないような状態です。
懇談ではいつも
先生が話しかけても恥ずかしそうにしていたり
目玉をきょろきょろさせているが
ちょこちょこ悪い事もしているし友達とも遊んでいるので
心配無いですよ。と、どの先生にも言われていました。

先日、3年になって初めての懇談では
先生が話を聞きたいと思って息子に何か尋ねても
全く答えないし、しびれを切らせてイエスかノーで答えられる質問に変えたら
声はでないけど首を振って答える。
何を考えているのかわからないので指導がしにくい、
先生に慣れるのに1年もかかる様では・・・と言われました。
その夜、私が息子に
『どうして先生と話さないの?』と尋ねると
『こころの中で先生に返事したいと思っているのに声が出ない』と言いました。
それでネット検索していると場面緘黙にたどり着きました。

自宅でも私や兄が強く怒ると
言葉が全く出てこなくなり、スネると机の隅っこにまるまって入ったりしますし
近所の大人には挨拶もできないので
先生と話せない様子は目に浮かびます。
かと言って、おもちゃ屋のおじさんとは親しくも無いのに会話したり
一人でお使いや歯医者に通ったりは出来ています。
はじめて逢ったお友達とも遊んだりできますが
自分から遊ぼうと誘いに行くことはほとんど無いようです。

心療内科を受診した日の夜、
『頑張って話すようになるわ』と突然私に言ってきたので
『別に頑張らなくてもいいよ』と、言っておきましたが、
次の学校での本読みは大きな声では無いけれど
いつもより声がでていたそうです。
(担任には経過報告しましたが心療内科を受診した事に
相当驚かれていました)

ここまでの息子の状況だけですと、
私もそう気にする事も無かったと思うのですが
気がかりなのが父親との関係(遺伝)です。
20年間一緒に暮していても気づかなかった
多重債務と嘘が原因で2~3年の別居後、
カウンセラーとも相談し昨年協議離婚したのですが
父親も場面緘黙だったのだろうと思い当たる節がたくさんあります。
質問しても返事を待つのに長い長い時間がかかったり
親しい方からお祝いを頂いてもお礼が言えなかったり(頭だけ下げる)
無口で義母の友達でさえ声を聞いたことが無いと言っていました。

父親の話は息子にしていませんが
父親と同じようになって欲しくない。という強い願いが私にあります。
それが根本にあるので、
本当なら息子は通わなくても良い程度なのに
心療内科に向かわせているのかもしれない・・・・
と、その判断ができずに悩んでいます。

普段はなるべく明るい雰囲気で毎日暮せる様
冗談や馬鹿な事を言ったり、
母親というより友達の様な感覚で暮しています。

長々とまとまりの無い文章で申し訳ございません。
何かアドバイス頂けると嬉しいです。
宜しくお願いいたします。

(以上、2編、原文のまま)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【はやし浩司より、Mさん、Kさんへ】

●AD・HD児

 ADHD児については、小学3、4年生を境に、症状は急速に改善してきます。
子ども自身の自己管理能力が発達してくるためです。
中学生になるころには、どこか騒々しさは残りますが、その子どもの過去を知らない
人には、ほかの子どもたちと区別すらできなくなります。

それに反比例して、もともとの(良さ)が前面に出てきます。
能力的にも恵まれた子どもであることが多く、ものおじないしない態度、積極性、
行動力がよいほうに作用します。

 大切なことは、それまでに症状をこじらせないこと。
指導する先生にとってはたいへんでしょうが、私自身は、薬物の投与には、あまり
賛成ではありません。
以前は、リタリンを投与していました。
2000年前後のことです。
当時すでに本場のアメリカでは、リタリンの副作用が問題になり、投与を控える動きが
ありました。
私はいち早くその文献を手に入れ、それを翻訳してHP上で発表したことがあります。

 で、今は、リタリンについては、現在、原則として、どこの治療機関も投与を
控えています。
つまり、「安全性」という点から、こうした精神薬には疑問をもっています。
専門のドクターとよく相談して、投与するにしても慎重に決定してください。
(コンサータについては、投与する医療機関を限ることで、制限を加えています。)

●場面かん黙児

 また場面かん黙児については、自分の子どもがそうであることに気づくだけでも、
たいへんな進歩です。
「進歩」という言い方は失礼かもしれません。

 実のところ、そうであるかないかは、この私でも、会った瞬間に判断できます。
しかし教育の世界では、診断名を口にするのは、タブー中のタブーです。
ですから知らないフリをして、指導を始めますが、多くの親はそれでは納得しません。
子どもをはげしく叱ったり、あるいは私の指導の仕方がおかしいとか言って、教室
から去っていきます。
教える側が、はげしい虚脱感というか、虚しさを覚えるのはそういうときです。

 が、診断名をつけてもらえば、また親もそれを納得すれば、指導ができます。
そこがスタートラインになります。
いろいろな文献を資料として与えたり、またそういう子どもを専門に指導している
施設を紹介したりもできます。
「心の問題」ですから、解決方法は、いくらでもあります。

(ただ場面かん黙児については、解決しようと子どもを追い込んではいけません。
そういう子どもであると認めた上で、5年単位の根気のつづく指導が必要です。
あるいはそういう子どもであることを忘れて指導すること。
『暖かい無視』というのは、そういう子どものためにある言葉と考えてください。)

●Mあん、Kさんへ

 ともあれ私は2つの投稿記事を読んで、久々に心が軽くなるのを感じました。
「そうなんすよ」と、そういう言葉が、自然と私の口から漏れました。
言い替えると、「日本も、ここまで進歩した」ということです。
ほんの10年前、15年前には、考えられなかったことです。
子どもたちや、子どものかかえる問題を見る目が、大きく変わってきたということです。
たとえば以前は、幼児教育といえば、お遊戯にお絵かき、あとは季節ごとの行事を
追いかけるだけのものでした。
またそれをもって、幼児教育と誤解している人が多かったです。

 が、今は、心理学や大脳生理学、さらには教育学の3つが、三位一体となって、
子どもの世界をながめるようになってきています。
「治療」という言葉はあまり好きではありませんが、それぞれの問題について、
さらに科学的な原因追及も進んでいます。
当然のことながら、教師のレベルも高くなり、専門性も要求されるようになって
きています。
あと10年もすれば、簡単な診断名をつけるくらいは、現場の教師にも許される
ようになるかもしれません。
(医療機関は反対するでしょうが……。)

 ともあれ、この2人の親には、「それでよかったのですよ」と。
そう言いたいです。
あとはここをスタートラインにして、前に向かって進んでいく。

 最後に、Kさん(場面かん黙児)についてですが、(1)早急な解決は、
あきらめなさい。
(2)それがその子どもの性格として、受け入れなさい、です。
本人は、もうじゅうぶん、がんばっています。
ここであれこれ言うと、かえって子どもが自信をなくしたり、神経症を発症したり、
症状をこじらせてしまいます。
そのかわり、ほんの少しでも改善が見られたら、おおげさにそれをいっしょに
喜んでみせてあげてください。
「よかったわ」「すばらしかったわ」「うれしかったわ」とです。
(3)あとは5年単位の時間をみてください。
「5年前とくらべて、どうか」とです。
1~2単位の変化で、一喜一憂しないこと。
またこの問題は、(何も問題ではありませんが)、そういう問題です。

 ただ周囲の先生や子どもたちには、誤解を招きやすいので、それとなく、
率直に子どもの診断名や症状名を話しておくことも大切です。
私のところでも、ときどきこのタイプの子どもが、いじめの対象になることがあり
ます。
そういうときは、相手の親(いじめをする子どもの親)に、手紙を書いたり、
会って話をしたりして、理解を求めるようにしています。

 ともかくも、掲示板への投稿、ありがとうございました。
あとは、ヤフーの検索エンジンなどを使って、「はやし浩司 ADHD」、
あるいは「はやし浩司 場面かん黙」などを検索してみてください。
具体的な指導法は、あちこちに書いてきました。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ADHD児 AD・HD児 場面かん黙児 緘黙児 はやし浩司)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司