Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, August 25, 2010

●なぜものを書くか

●あと3日の命(徘徊記・2010年8月)

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もしあと3日の命と宣言されたら、
私はいったい、何をどう書くだろうか。
命をもてあそぶようなテーマで、
あまり気が進まない。
それに暗い。
が、もしそう宣言
されたら何をどう書くだろうか。
それをテーマに、少し考えてみたい。
というのも、このところ私はどうでもよい
ことばかり書いている。
意味のない駄文ばかり。
自分の文章に緊張感をもたせるため、
一度、それについて考えてみたい。

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●書く相手

 「あと3日の命」と宣言されたら、ものを書きたいという意欲も消えうせる
かもしれない。
絶望という暗闇の中で、ただ呆然と立ちすくむだけ。
「考え」そのものを、まとめることができない。
あるいは何も考えられなくなるかもしれない。
ただ書くとしたら、遺書めいたものか。
墜落していく飛行機の中で、家族にメモを残した人がいる。
相当な気力がないと、そんなことはできない。
私ならワーワー、ギャーギャーと叫んで、それで終わっていたかもしれない。
それに今の私には、その書く相手もいない。
書くとしたら、相手はワイフだけ。

●墓石論

 私は「書く」ということは、「墓石を残すようなもの」と、いつもそう考えている。
書くことによって、「私」を残す。
「私」という人間が、この世に生きたという「証(あかし)」を残す。
あとに残された人たちに、私が得た知恵や知識を伝える。
さみしく思う人がいたら、その人をなぐさめる。
そのために、私は書く。

 だから書くとしたら、最後の3日間をどう生きたかを書くだろう。
自信はないが、しかしひょっとしたらその3日間、書いて書いて書きまくるかもしれない。
書くことによって、死の恐怖から逃れる。
「書くこと」には、そういう力もある。

●ありのままを……

 が、何を書くか。
ここで重要なことは、ありのままを書くということ。
子どもたちの作文指導をするとき、私はよくそう教える。
「そのまま書け!」と。

 たとえば1人の子どもが、「書くことがない」と言ったとする。
そういうとき私は、こう言う。
「だったら、そう書け」と。
「『何も書くことがありません。考えても何も思いつきません』と」と。
ものを書くとき、すべてはそこから始まる。
「何も書くことがありません」と書いていると、つぎの文章が思い浮かんでくる。
だったらつぎには、それを書けばよい。

●真実

 今もそうだ。
「あと3日の命」と宣告されたら、私はそのとき感じたことを、そのまま書く。
書きたいという気力そのものがなかったら、「気力がわいてこない」と書く。
絶望感に襲われたら、「絶望感に襲われている」と書く。
3日しかないから、何かを残そうと思うと、何も書けなくなる。
文章を書くとき、何が恐ろしいかといって、気負いほど恐ろしいものはない。
気負えば気負うほど、文章が汚くなる。
自分を飾る。
そういう文章は、あとで読み返しても、後味が悪い。

 反対に、どんなにへたくそな文章でも、それがそのときの「真実」であれば、
それでよい。
あとあと光り輝く。
つまり文章というのは、じょうず・へたで決まらない。
真実かどうかで、決まる。

●山荘

 「あと3日の命」と宣告されたら、真実を書く。
ウソを書いて、文章を飾っても意味はない。
それこそ、その3日間を無駄に過ごすことになる。
ありのままの「私」をぶちまける。
悲しいこと、つらいこと、さみしいこと、何でもよい。
それをそのまま、書く。

 たとえば今だったら、……実は今、私は山荘に、ひとりで来ている。
車の運転ができないから、バスでやってきた。
一度、市の中心部までバスで出て、そこで山荘行きのバスに乗り換える。
市の中心部からは、バスでちょうど1時間の距離である。

 バスを降りたら、今度は山の坂道を登る。
車だったら、3~4分の距離である。
が、歩くと、20分はかかる。
その坂道を汗だくだくになって登る。
今日も気温は、35度を超えた。

●徘徊癖

 ときどき私はこうした行動を繰り返す。
老人の徘徊のようなもの。
というより、徘徊癖がすでに始まっているのかもしれない。
何かつらいこと、さみしいことがあると、私はあまり深く考えないで、家を出る。
ワイフもそれをよく知っている。
私をさがしたりはしない。
追いかけてくるということも、ない。

 家を出るとき、ワイフは気分が悪いと言って、床に伏せていた。
20分ほど、私もいっしょに横で寝たが、居心地が悪かった。
ワイフは一度「殻(から)」にこもると、異常なまでにがんこになる。
融通性を失い、冗談が通じなくなる。
それで私は起きて、山荘に向かった。

●山荘で

 市の中心部では時計を見ながら、買い物をすませた。
デパートの地下で、食べ物を調達した。
で、予定通り、山荘へ。
着くとそのまま扇風機をかけて、横になった。

 1時間、2時間……。
2時間は眠ったかもしれない。
あたりを見ると、すでに夕暮れ時になっていた。
遠くでツクツクホウシが鳴いているのが聞こえた。
それにセミの声?
私の耳鳴り?

 起きてしばらくぼんやりしていた。
血圧が低いこともあって、頭が働きだすまでに時間がかかる。
それまではゾンビ!

●あと3日の命

 そこで最初の話。
「あと3日の命と宣告されたら、どうするか」。
……というのも、こういうときというのは、楽しい話は浮かんでこない。
気分そのものが落ち込んでいる。
「死ねば楽になるかもしれない」という思いも、どこかにある。
それが「3日の命」という言葉につながった。
もともとこのテーマは、うつ病的。
健康な人なら、こんなことは考えない。
しかしこのところ、何かにつけ、暗い話がつづく。
あるいは何を考えても、悪いほうへ、悪いほうへと話をつなげてしまう。
その結果、生きているのが、めんどう臭くなってしまう。

●懺悔(ざんげ)

 が、それでも書くとしたら、私の過去ということになる。
告白でもよい。
文章を通して、世界中の人たちに懺悔(ざんげ)する。
で、その中で第一の懺悔と言えば……。

 私はいつも自分を偽って生きてきた。
たいした善人でもないくせに、善人ぶって生きてきた。
仮面をかぶって生きてきた。
ワイフに対してもそうだったし、息子たちに対してもそうだった。
もちろん世間に対しても、そうだった。

 あちらに妥協し、こちらに妥協し、自分を曲げてばかりいた。
他人に自分がどんな印象を与えるか、そんなことばかりを気にしてきた。
「私は私だ!」といくら叫んでも、その声は10メートル先までは届かない。
自分だけの小さな世界で生きてきた。

 もっと何かができるはずという幻想にしがみついて、結局は何もできなかった。
もっと何かができたはずという、悔恨の念ばかり。
そのつど最善の道を歩んできたはずなのに、その実感がない。
つまり「最善だった」という自信がもてない。

●同情?

 たとえば現在、あのK国のS州というところが、大洪水に見舞われている。
中国との国境を流れるK川の流域である。
報道によれば、K国側の堤防は貧弱で、それで被害を大きくしたという。
また聞くところによると、K国では、セメントの3分の1程度が、金xxの
要塞作りのために使用されているという。
それでは強固な堤防など、望むべくもない。

 そういうニュースを読んだりすると、私の中を2つの考えが横切る。
「それミロ!」という思い。
「ああいう独裁国家で家を失った人はかわいそうだ」という思い。
が、ものを書くときは、前者のようには書けない。
後者だけをふくらませて、書く。
しかし本音の本音を言えば、「ザマーミロ」とまでは思わないが、それに近い。
同情したくても、その同情心がわいてこない。
拉致問題、核問題、ミサイル問題などなど。
この10年間だけでも、日本はK国にさんざん、だまされ、脅されつづけてきた。
それを乗り越えて、「同情します」「みんなで助けてやろう」とは、なかなか書けない。
もしそう書くとしたら、自分を偽ることになる。
だから黙る。
黙って、自分を偽る。
つまりそういう(偽り)を、私はいつもどこかでしてきた。

●ワイフに電話

(この間、10分ほど、休憩。)

 たった今、ワイフに電話をした。
「こちらは涼しいよ」と伝えると、「そちらへ行く」と。
少しは心配してくれていたらしい。
つまりは、それが私の「希望」ということになる。
仮に私がここで死んでも、心配してくれる人はほかにいない。
ミイラになっても、心配してくれる人はほかにいない。
自殺でもすれば、みな、「そらミロ!」と言うかもしれない。
「物書きにまともな者は、いない」と。
そう、まともな者は、いない。
頭でっかちばかりで、実行力はゼロ。
映画評論にしても、評論するだけで、自分では一本も映画を作ることができない。
 
 そんな思いだけが、どんどんと心を塞ぐ。

●残り3日間
 
 ……となると、「あと3日の命」と宣告されたら、私に残された道はただひとつ。
ワイフと静かなときを過ごす。
だれにもじゃまされず、だれにも会わず、だれとも連絡を取らず、ワイフとだけ、
静かなときを過ごす。
(ワイフはいやがるかもしれないが……。)

 もちろんワイフにも謝りたいことがある。

 私のワイフは、私と不本意な結婚をしてしまった。
私が強引に結婚してしまった。
だから深層心理の奥深くでは、私を恨んでいる。
嫌っている。
憎んでいる。
「この男は、私の人生を台無しにした」と、考えている。
それが私には、よくわかる。
ワイフはいつもそれを否定するが、私には、よくわかる。
 
 それがときどき顔を出して、私と衝突する。
今朝の状態がそうだった。
顔にタオルを当てたまま、口もきかなかった。

●いよいよ最期

 そうして3日目の朝になる。
夜でもよい。
「何を書くか」と聞かれれば、やはり別れの言葉か。
そのときまだ電子マガジン(BLOG)を発行していたら、あいさつを書く。
文面はまだ決めていないが、たぶん、「ありがとう。さよなら」と書くだろう。

 あとのことは、あとの人たちに任せればよい。
10年たって、私の書いた文章のうち、10%も残っていればうれしい。
墓石だって、10年もすれば苔が生える。
100年もすれば、ボロボロになって形さえ残らない。
私の文章も、また同じ。
またそれでよい。

 ……とまあ、本当に暗い話になってしまった。
暗い!
が、これではここまで読んでくれた人に申し訳ない。
気分一新!
少し視点を変えてみる。

●ひとつのアイデア

 現在、たとえばマガジンの発行をするとき、「予約」というのができる。
たとえば8月25日に、1か月先の9月25日のマガジンの発行予約ができる。
長いところで、1か月半程度。
つまり1か月半先までしか、発行予約ができない。
この期間を、1年とか2年、あるいは3年と延ばせないものか。
サービス会社にしてみれば大きな負担になるだろうから、有料でもよい。

 こうすれば、「インターネット墓地」というのも、可能になる。
これはあくまでも私の考えだが、あらかじめ、1年後、2年後、3年後の未来に
向けて文章を書いて残しておく。
それを発行予約という形で、残しておく。
形としては、ホームページ風でよい。
遺族の人たちは、命日になったら、それを開いて読む。

 こういう私の考えに対して、「それでは霊を供養することにはならない」と思う人も
いるかもしれない。
ならば逆に聞きたい。
「どうして遺骨なら、供養になるのか」と。

●脳のコピー

 いつかやがてその人の人格(脳みそ全体)がコピーされ、小さな記憶装置に収納される
時代がやってくる。
その記憶装置が、どこか一か所に、その人の「全記録」として格納される時代が
やってくる。
2050年ごろには、そのプロトタイプが生まれる。
2100年ごろには、ごくありふれた装置として、使われるようになる。
そういう時代を見越して、インターネット墓地を今から用意する。
うまくいけば、私の書いたものすべてが「はやし浩司の記録」として、どこかに残る
かもしれない。

 さらに……。

 私の書いたものをひとつの人工頭脳にインストールすれば、その人工頭脳と未来の
人たちが会話できるようになるだろう。

人「あなたはだれですか?」
コ「ワタシハ、ハヤシ浩司です」
人「あなたの人生観を語ってください」
コ「イイデショー……」と。

 人は死んだら、なぜ墓石を残すか?
それは残された人たちを、さみしくさせないため。
自分が生きてきた証(あかし)を残すため。
自分が得た知識や経験を、後世の人たちに伝えるため。
というふうに考えれば、私のアイデアは、たいへん有効ということになる。

●終わりに……

 先ほど、ワイフが車で迎えに来てくれた。
たった一言、「どうして携帯電話をもってこなかったの?」と。
それに答えて、私も一言。
「忘れた、ごめん!」と。

 本当は忘れたのではなく、だれにもじゃまされたくなかった。
徘徊というのは、そういうもの。
家出というのは、そういうもの。

 帰りにコンビニで、「プレイボーイ」という週刊誌を買う。
「日本の上空には、UFOがうようよ」という記事が気になった。
日本の上空には、UFOがいっぱい飛んでいるという内容。
それにアイスクリームとパソコン雑誌を一冊。
あとはいつもの日常。
たわいもない世間話をしながら、家に帰った。
口数は、いつもより少なかったが……。

(一言)

 私は徘徊(家出)するとき、いつもパソコンだけは忘れない。
パソコンさえあれば、ものを書いて、さみしさを癒すことができる。
退屈をしのぐことができる。
これもパソコンのひとつの使い方ではないか。


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司

●BW教室

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地元の中日ショッパー紙が、無料で教室の
宣伝を載せてくれた。
うれしかった。

モデルには、いつも孫の誠司を使っている。
この写真は、満6歳のときのもの。
現在は満8歳になった。

中日ショッパーのみなさんへ、
いつもありがとうございます。
こうした応援がなかったら、私の教室はとっくの
昔につぶれていたはずです。
ありがとうございます。

及ばずながら、つぎの更新から、中日ショッパーの
広告を私のメイン・HPに載せさせていただきます。

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(中日ショッパー紙・2010年8月26日、マンスリー・ショッパー)


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司