Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Friday, September 24, 2010

●チャイナ・リスク

●老人たちよ、声をあげよう!

 老人たちよ、もっと声をあげよう。
自分の言いたいことを言おう。
主張したいことを、主張しよう。
でないと、私たち老人は、若い世代の人たちに、よいように料理されてしまう。

 現在、「75歳以上は、手術をしない」「80歳以上は検査はしても、
治療はしない」が、医師たちの間で暗黙の了解事項になっているという。
義兄(76歳)がそう言っていた。
義兄は前立腺がんになり、この4、5年、その病気と闘っている。
「75歳」という数字は、前立腺がんに関してだけのものかもしれない。
もともとおとなしいがんだから、75歳以上の人は、手術をせず、ホルモンに
よる温存療法をすることが多いという。
そういう意味で、医師はそう言ったのかもしれない。

しかし私の実兄(当時68歳)も、担当の医師にはっきりと、こう言われたことがある。
「私は治る見込みのある患者は治療しますが・・・」と。
「私の兄のように(当時)、治る見込みのない患者は治療しない」という意味に取れた。

また叔母(85歳)の1人は、最期の最期まで尿道炎で苦しんだ。
菌が耐性をもってしまったらしく、どんな薬も効かなくなってしまっていた。
で、従姉が「何とか治してやってほしい」と懇願したときのこと。
担当の医師は「歳が歳ですから・・・(あきらめてほしい)」と。

 この先、その年齢が引き下げられることはあっても、引き上げられることはない。
が、医師を責めてはいけない。
今でさえ医療制度は破綻状態。
私たちがへたに長生きすればするほど、その負担は、若い人たちにのしかかっていく。

●精進

 が、老人たちは早い時期に、自ら身を引いてしまう。
またそれが老人として、あるべき姿のように考えてしまう。
しかしわかりきったことだが、私たちは生きているかぎり、人間。
死ぬまで人間。
それまで人間として、主張すべきことは主張する。
そうした声が、老人の存在感を明確にする。

 ただ残念なことに、老人にも問題がないわけではない。
ある時期を過ぎると、自ら進歩するということをやめてしまう。
が、誤解してはいけない。
停滞イコール、現状維持ではない。
停滞したとたん、脳みその底に穴があいたような状態になる。
その穴から、知恵や知識、経験がどんどんと漏れ出ていく。

 50歳になるとそれが自分でもはっきりとわかるようになる。
60歳になると、さらにそれが加速する。
たった数か月前に覚えたことすら、忘れてしまう。
それと闘うためには、漏れ出ていく以上の分を、補充するしかない。
新しい分野に興味をもち、それにチャレンジしていく。
それが「精進(しょうじん)」ということになる。
和式仏教では別の意味で使っているが、それが「精進」である。

 人は最期の最期まで精進を繰り返す。
知力だけではない。
「心」についても、精進を繰り返す。

それはちょうど健康論に似ている。
究極の健康論がないのと同じように、究極の精神論というものもない。
1週間も運動をサボれば、その瞬間から、健康は下り坂に向かう。
東洋医学の世界では、『流水は腐らず』と教える。
が、それは肉体の健康というよりは、精神の健康をいったもの。
その精神が腐り始める。

 私は幸いなことに、毎日子どもたちと接することができる。
若いときはそれほど深くは考えなかった。
が、最近は、よくこう考える。
「子どもたちと接してきて、よかった」と。
1週間も休みがつづいたりすると、気分がどんどんと滅入っていく。
自分でもそれがよくわかる。
だから私はこう言う。
「職場が、ストレス発散の場です」と。

 これは誇張でも、ウソでもない。
子どもたちの顔を見たとたん、気分がパッと晴れる。
そういうことは、毎回のようにある。

●存在感

 話はそれたが、自分がその年齢になってみて気がついた。
つまり「私たち老人は、(まだ自分では「老人」とは思っていないが)、
おとなしすぎる」と。

 内々で威張っている老人は多い。
内々でそれらしいことを主張している老人は多い。
しかし「内々」。

 重要なことは、個々の老人ではなく、「老人」がもつ存在感を、
もっと訴えていくということ。
「老いては子に従え」というのではいけない。
私たちは人生の先輩として、若い人たちのリーダーになる素質を、
じゅうぶん備えている。
無駄に生きてきたのではない。
その知識と経験を、もっとアピールしていく。

 iPod?
アンドロノイド?
・・・「そんなもの、知らない!」ではなく、私たちはそれを知る。
買う。
買って、使う。
使って、若者たちの前で遊んで見せる。

またけっして自分を、完成された人間と思ってはいけない。
思ったとたん、社会からはじき飛ばされてしまう。
が、これだけは忘れてはいけない。

 今、若い人たちは別の目を使って、冷ややかに私たちを観察している。
そしてその目は、年を追うごとにきびしくなってきている。
以前は「粗大ゴミ」と言われた。
今では、幼稚園児ですら、私たち老人を見て、「クソジジー」とか、
「クソババー」とか、平気で言う。
親たちもそれを制しなくなってきている。

 私たちには、やるべきことがある。
そのやるべきことを追求する。
体が動かなくなり、頭が働かなくなるまで、追求する。
そういう姿を見て、若い人たちは、私たち老人を評価する。
「孫の世話と、庭いじり?」。
そんなものは、老人がすべきことではない。
あるいはあるべき理想の老後の姿ではない。

 で、最初の言葉。 

 老人たちよ、もっと声をあげよう。
自分の言いたいことを言おう。
主張したいことを、主張しよう、と。

今朝は起きて、すぐ、そんなことを考えた。
久しぶりの快晴。
土曜日。
山荘からは、遠く太平洋まで見渡すことができる。
さわやかな気候。
秋がやってきた。
気分は、最高。
今日もがんばる!

2010年9月25日、土曜日


Hiroshi Hayashi++++++Sep 2010++++++はやし浩司

●山荘

 昨夜遅く、山荘へやってきた。
最近は山猿が出没するようになった。
10~20匹の集団で行動している。
ときに群れどうしが、衝突することもある。

 が、昨夜山荘へ来てみると、敷地内のじゃりが、波を打ったように、
荒立っていた。
どうやらイノシシのしわざらしい。
イノシシは両手で手前に引きながら、地面に穴をあける。
そのため三角形様の穴があく。
(もっとも敷地内の下地は、コンクリートを敷いたように硬くなっている
ので、穴といってもたいした穴ではないが・・・。)

 イノシシは、こうして何かの根をさがして、夜中じゅう、歩き回る。

●どこかのサル

 どこかのサルは、たった一匹で、がんばっているという(?)。
あちこちに出没して、人間に危害を加えているという。
しかしサルというのは、追い回してはいけない。
追い回せば追い回すほど、凶暴になる。
(すでに凶暴化してしまったようだが・・・。)

 このあたりでもサルが多く出没するようになった。
第二東名の道路工事が始まって以来のこと。
山に住めなくなったサルたちが、追われてこのあたりまで
やってくるようになった。
最近では、谷下の部落の中にも出没するようになったという。

 そのためこのあたりの農家の人たちは、農作物を耕作するのを
あきらめてしまった。
どの家にも、果物の木があったが、それを切り倒してしまった。
私の家にも、栗の木、柿木、桃の木などがあった。
しかしこの春、切り倒してしまった。
梨の木もあったが、それも切り倒してしまった。
残っているのは、ビワの木。
それに背丈は低いが、キンカン。
これらもこの秋には切り倒すつもり。

 サルというのは、やっかいな動物で、高いところを伝って移動する。
たとえば私の家の東に、ビワの木がある。
西に栗の木がある。
そういうときサルは、ビワの木から電線を伝ってまず私の家の屋根に
やってくる。
屋根を横切って、そこから栗の木に飛びつくいていく。
そのとき、屋根の樋(とい)を破壊したり、テレビのアンテナを折ったり
する。

 で、来週は、中部電力の人に来てもらうことになっている。
電線に、トゲつきのカバーをかけてもらう。
本来は鳥よけのものだそうだが、それをサルよけに使ってみる。

 人間から見れば、「知恵比べ」ということになる。
しかしサルから見れば、生存をかけた「命がけ」ということになる。
冒頭で、「がんばっている」と書いたが、少し不謹慎。
それはよくわかっている。
しかしこのあたりには何10匹ものサルが出没し、被害は甚大。
が、ニュースにもならない。
「たった一匹程度で、何だ!」という気持ちで、そう書いた。


●日本、危うし(チャイナ・リスク)

 中国が、まともな国でないことは、今回の一連の事件でわかったはず。
昨日の報道によれば、「(中国は)領土問題では、一歩も譲歩しない」という
ようなことまで言い出した。

 最終的には、「沖縄も、中国の領土」と言い出すだろう。
すでに中国国内では、公然とそう主張する学者が出始めている。
考えてみれば、「日本」を、「NIPPON」と音読みにすること自体、
おかしなこと。
(どこの国が、外国語で自分の国を呼んでいるか?
「NIPPON」というのは、中国語だぞ!)
また「日本」というのは、「日(=太陽)が出る国」という意味だが、
「太陽が出るか出ないか」は、中国から見てわかる話。
日本に住む日本人の発想ではない。
つまり「日本だって、もとは中国の領土」?

 ・・・ということはないにしても、日本の天皇のルーツは、韓国人。
そういう話は、韓国では常識。
「奈良(ナラ)」という名前にしても、「国」を意味する韓国語。
「奈落の果てにある国」という意味で、奈良は「奈良」になった。
その昔は、「奈落」と書いていたという(金素雲氏)。
しかし「奈落」では言葉が悪い。
そこで「奈良」にした。

 さらに天皇を取り囲んでいた、物部(もののべ)氏一族は、
「ものを述べる人イコール、通訳」だったという説もある。
「君(キミ)」「僕(ボク)」という言葉は、「金氏朝鮮」「朴氏朝鮮」に由来するという
説もある。

 だから若いころ私は金素雲氏に、「証拠がありますか」と問い詰めたことがある。
が、氏はこう言って笑った。
「仁徳天皇の陵墓を発掘すればわかることです」と。
金素雲氏というのは、当時の韓国を代表する歴史学者だった。

●チャイナ・リスク

 ・・・つまり私がここで書きたいのは、ことアジアに関して言えば、
国境など、あってないようなもの。
それぞれの民族がたがいに入り交ざりながら、現在に至っている。
あの朝鮮半島にしても、中国は、渤海国を口にしながら、「もとはと言えば
中国の領土」と言い出している。

 チャイナ・リスク・・・中国に偏りすぎると、その分だけ、経済的な
リスクが大きくなる。
現に今、中国は、レアメタルの対日輸出を全面的に停止している。
つまりこういうメチャメチャなことを平気でするのが、またできるのが、中国。
大国としての威厳など、どこにもない。
やっていることは、そこらのチンピラか、街の暴力団と同じ。
「チャイナ・リスク」の本当の恐ろしさは、ここにある。

 日本は、今、10年後、20年後を見据えて、対中国戦略を練り直す
必要がある。
中国なしでもやっていかれる国作り。
それを早急に推し進める必要がある。


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司