Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, February 20, 2011

●日本人の隷属性について

【日本人の隷属性について】(民主主義を完成させるために)

++++++++++++++++

日本人が民族的にもつ隷属性について。
たまたま今日、ある人と、それについて
議論した。
「何をもって、君は隷属性というか?」と。
その人は、そう言った。
私は、ひとつの例をあげた。

++++++++++++++++

●江戸時代から明治時代へ

 江戸時代には、徳川家康の悪口、批判は、タブー中のタブー。
悪口を言ったり、批判する人など、いなかった。
実際には、300年をかけて、徳川家康の都合の悪い事実は、徹底的かつ、
繰り返し、抹消された。
結果、今に見る、「徳川家康」が生まれた。

 が、それはそれでよい。
問題は、そのあと。
その徳川時代……徹底した独裁政治であったが、その時代が終わると、今度は、
明治時代。
徳川時代も、明治時代も似たようなものだった。
それはそれとして、そのとき日本人の意識は、どう変化したのか。
徳川家康を本当に信奉していた人も、いたはず。
が、そういう人たちは、どこへ消えたのか?
あるいはなぜ、明治政府に抵抗しなかったのか?
武士の話をしているのではない。
一般庶民の話をしている。

 同じように戦後。
軍国主義は、敗戦とともに、崩壊した。
が、とたん、今度は、アメリカ様々。

広島に原爆が落ちた同じ月。
8月の終わりには、アメリカ軍の調査団が、広島を訪れている。
そのときのこと。
アメリカ軍は、日本人によって、大歓待を受けている。
旅館で、アメリカ軍の調査団が、どのような待遇を受けたかについて、ちゃんとした
記録が残っている。
軍人の話をしているのではない。
一般庶民の話をしている。

 つまり日本人にしてみれば、「頭」など、だれでもよい。
徳川家だろうが、天皇家であろうが、はたまたアメリカであろうが、だれでもよい。
その「だれでもよい」という部分が、日本人が民族的にもつ隷属性ということになる。
「今日から、天皇です」と言えば、ハハア~と頭をさげる。
「今日から、アメリカです」と言えば、ハハア~と頭をさげる。
これが隷属性である。

●DVD「The Wave」(ドイツ映画)

 最近、私は映画「ウェイブ」(DVD・ドイツ映画)という映画を見た。
実際にあった話を基にしているという。
内容は、こうだ。

 ある高校で、「独裁主義」についての講義が開かれた。
その講師(指導教師)が、同載主義というのはどういうものか、それを実際に
体験させようとする。
生徒たちに白いシャツを着せ、あいさつの仕方を考える、など。
グループのマークまで作る。

 が、途中から、講義が講義でなくなってしまう。
集団化した高校生たちが、暴走し始める。
講師の制御がきかなくなる。
が、講師はそこに危険なものを感じ、講義を中止。
とたんそれに抗議して、2人の高校生が死ぬ。

 どの程度、「実際にあった話」なのか、私にはわからない。
が、それにたいへんよく似た事件に、「スタフォード大学の監獄実験」というのがある。
心理学の教科書にも載っている、有名な事件である。
それについて、2007年に書いた原稿があるので、そのまま紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【スタンフォード大学の監獄実験】

+++++++++++++++++++

今から、15年ほど前、アメリカの
スタンフォード大学で、興味ある
実験がなされた。

「スタンフォード監獄実験」というのが、
それである。

この実験を通して、改めて、人間のもつ
弱さというか、本来的な欠陥が明らかに
なった。

+++++++++++++++++++

 ウィキペディア百科事典から、直接、そのまま原稿を引用する。

【スタンフォード・監獄実験】

1971年8月14日から1971年8月20日まで、アメリカ・スタンフォード大学心理学部で、心理学者フィリップ・ジンバルドー(Philip Zimbardo)の指導の下に、刑務所を舞台にして、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまう事を証明しようとした実験が行われた。模型の刑務所(実験監獄)はスタンフォード大学地下実験室を改造したもので、実験期間は2週間の予定だった。
新聞広告などで集めた普通の大学生などの70人から選ばれた被験者21人の内、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を実際の刑務所に近い設備を作って演じさせたところ、時間が経つに連れ、看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになるという事が証明された。
+++++++++++++++++++++++

●実験の内容

ジンバルドーは役割を与えられた者達に自ら与えられた役割をよりリアルに演じさせるため、逮捕から始まり、囚人役に対して指紋をとり、シラミ駆除剤を拭きつけ、屈辱感を与えるために下着を着用させず、トイレへ行くときは目隠しをさせ、看守役には表情が読まれないようサングラスを着用させたり、午前2時半などに囚人役を起こさせたりした。

次第に、看守役は誰かに指示されるわけでもなく、自ら囚人役に罰則を与え始める。反抗した囚人の主犯格は、独房へ見立てた倉庫へ監禁し、その囚人役のグループにはバケツへ排便するように強制され、耐えかねた囚人役の一人は実験の中止を求めるが、ジンバルドーはリアリティを追求し、「仮釈放の審査」を囚人役に受けさせ、そのまま実験は継続された。

精神を錯乱させた囚人役が、1人実験から離脱。さらに、精神的に追い詰められたもう1人の囚人役を、看守役は独房に見立てた倉庫へうつし、他の囚人役にその囚人に対しての非難を強制し、まもなく離脱。

離脱した囚人役が、仲間を連れて襲撃するという情報が入り、一度地下1階の実験室から5階へ移動されるが、実験中の囚人役のただの願望だったと判明。

●実験の中止

ジンバルドーは、実際の監獄でカウンセリングをしている牧師に、監獄実験の囚人役を診てもらい、監獄実験と実際の監獄を比較させた。牧師は、監獄へいれられた囚人の初期症状と全く同じで、実験にしては出来すぎていると非難。

看守役は、囚人役にさらに屈辱感を与えるため、素手でトイレ掃除(実際にはトイレットペーパの切れ端だけ)や靴磨きをさせ、ついには禁止されていた暴力が開始された。

ジンバルドーは、それを止めるどころか実験のリアリティに飲まれ実験を続行するが、牧師がこの危険な状況を家族へ連絡、家族たちは弁護士を連れて中止を訴え協議のすえ6日間で中止された。しかし看守役は「話が違う」と続行を希望したという。

後のジンバルドーの会見で、自分自身がその状況に飲まれてしまい、危険な状態であると認識できなかったと説明した。ジンバルドーは、実験終了から約10年間、それぞれの被験者をカウンセリングし続け、今は後遺症が残っている者はいない。

●実験の結果

権力への服従
強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいると、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまうのである。

非個人化
しかも、元々の性格とは関係なく、役割を与えられただけでそのような状態に陥ってしまう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●心の盲点

 以上が、「スタンフォード大学の監獄実験」のあらましである。
この話と、暴徒にあげた映画「ウェイブ」は、よく似ている。
「ウェイブ」については、DVDが出回っているので、どうか自分で観てほしい。
映画としては退屈なものだが、人間の心理を知るには、たいへん参考になる。
映画の中でも、最初は遊びや演技のつもりだったが、それがある時点から、暴走し始める。
が、その底流にあるものは何かといえば、……つまり共通した部分は何かといえば、
それが「隷属性」ということになる。

 実際、だれかに隷属するというのは、甘美な世界である。
自分では、何も考えなくてもよい。
ただその人が喜ぶようなことだけを、すればよい。
カルト教団の信者たちを見れば、それがわかる。
ああしたカルト教団内部では、信者同士が兄弟以上の兄弟、親子以上の親子になる。
固い団結で結ばれ、共通の利害をもち、集団で行動する。

 なぜ人間は、そうなるかということを論じても意味はない。
心には、そういう盲点がある。
その盲点に、何かのきっかけで、スポッと入りこんでしまう。
私はそれを「心のエアーポケット」と呼んでいる。
ごくふつうの、良識のあるような人でも、入りこんでしまう。
そしてあとはお決まりの信者となり、上層部に操られるまま、ロボット化する。

 江戸時代には、徳川家のロボット。
戦時中は、天皇家のロボット。
そして今は、アメリカのロボット?

 ……というのは書き過ぎかもしれない。
しかし考えてみれば、この隷属性こそが、他方で民主主義の敵ということになる。
この日本では、何も考えず、盲目的に為政者に従う人たちが、あまりにも多すぎる。
民主主義といっても、名ばかり。
「酒を一杯おごられたから、恩義がある」という、どうでもよい理由をこじつけて、
その候補者に一票を入れる。

●16人の忠臣蔵

 どうしてその「ある人」と、日本人の隷属性についての議論が始まったか?
実は、その前に、私たちは民主党の話をしていた。
今回、民主党は内部分裂してしまった。

小沢一郎に近い「小沢派」が、民主党に反旗を翻した。
その数、16名。
私はそれをさして、「平成の忠臣蔵」と呼んだ。
けっして称えて、そう呼んだのではない。
「バカげている」という意味で、そう呼んだ。

 が、西洋だったら、逆の現象が起きていただろう。
自分たちを裏切った小沢一郎に、文句を言うことはあっても、忠義を尽くすということは
ありえない。
「私はあなたを信頼して、政治家になった。どうしてその信頼を裏切ったのだ!」と。

 このことは、40年前、私自身が、経験している。
つまりこの日本と、西洋のちがい。
それを経験している。
それについても原稿を書いたことがある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●忠臣蔵

 浅野さん(浅野内匠頭)が、吉良さん(吉良上野介)に、どんな恨みがあったかは知らないが、ナイフ(刀)で切りかかった。
傷害事件である。が、ただの傷害事件でなかったのは、何といても、場所が悪かった。
浅野さんが吉良さんに切りかかったのは、もっとも権威のある場所とされる松之大廊下。
今風に言えば、国会の中の廊下のようなところだった。
浅野さんは、即刻、守衛に取り押さえられ、逮捕、拘束。

 ここから問題である。
浅野さんは、そのあと死刑(切腹)。
「たかが傷害事件で死刑とは!」と、今の人ならそう思うかもしれない。
しかし三〇〇年前(元禄一四年、一七〇一年)の法律では、そうなっていた。

が、ここで注意しなければならないのは、浅野さんを死刑にしたのは、吉良さんではない。
浅野さんを死刑にしたのは、当時の幕府である。
そしてその結果、浅野家は閉鎖(城地召しあげ)。
今風に言えば、法人組織の解散ということになり、その結果、四二九人(藩士)の失業者が出た。
自治体の首長が死刑にあたいするような犯罪を犯したため、その自治体がつぶれた。
もともと何かと問題のある自治体だった。

わかりやすく言えばそういうことだが、なぜ首長の交代だけですませなかったのか? 少なくとも自治体の職員たちにまで責任をとらされることはなかった。……と、考えるのはヤボなこと。
当時の主従関係は、下の者が上の者に徹底的な忠誠を誓うことで成りたっていた。
今でもその片鱗はヤクザの世界に残っている。親分だけを取り替えるなどということは、制度的にもありえなかった。

 で、いよいよ核心部分。
浅野さんの子分たちは、どういうわけか吉良さんに復讐を誓い、最終的には吉良さんを暗殺した。
「吉良さんが浅野さんをいじめたから、浅野さんはやむにやまれず刀を抜いたのだ」というのが、その根拠になっている(「仮名手本忠臣蔵」)。そうでもしなければ、話のつじつまが合わないからだ。

なぜなら繰り返すが、浅野さんを処刑にしたのは、吉良さんではない。幕府である。
だったら、なぜ浅野さんの子分たちは、幕府に文句を言わなかったのかということになる。
「死刑というのは重過ぎる」とか、「吉良が悪いのだ」とか。もっとも当時は封建時代。幕府にたてつくということは、制度そのもの否定につながる。
自分たちが武士という超特権階級にいながら、その幕府を批判するなどということはありえない。そこで、その矛先を、吉良さんに向けた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

もう一作。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●大河ドラマ

++++++++++++++++

NHKの大河ドラマについては、
たびたび批判してきた。

理由の第一。封建主義時代の負の
側面に目を向けることなく、ただ
一方的に、あの時代を美化しては
いけない。

理由の第二。私たち日本人は、
封建時代の暴君たちの目を通してしか
その歴史を見ない。しかし私たちの
祖先の99・99%は、その暴君に
虐げられた庶民であった。
それを忘れてはいけない。

++++++++++++++++

 戦国時代の日本がどういう国であったかを知りたかったら、現在、部族紛争を繰りかえ
しているアフリカ諸国を見ればよい。あるいはそれ以下であったかもしれない。もちろん
歴史は歴史だから、それなりの評価はしなくてはいけない。しかし必要以上に美化しては
いけない。

 今の今でも、織田信長や豊臣秀吉を、理想のリーダーとして考えている人は多い。徳川
家康ともなると、もっと、多い。しかし江戸時代という時代が、いかに暗黒かつ、恐怖政
治の時代であったか、それを忘れてはいけない。中には、おめでたい人がいて、「日本は、
戦国時代の昔から、先進国だった」と信じている人がいる。

 しかし現実には、明治のはじめですら、当時の日本の国力は、当時のインドネシア程度
であったと言われている。何も、私は日本をけなしているのではない。私たち日本人にい
ちばん欠けている歴史観といえば、そのつど、歴史そのものを、ナーナーですませてしま
ったこと。

 江戸時代という封建主義時代ですら、日本人は、一度とて、清算していない。さらに戦
前の軍国主義時代というあの時代ですら、一度とて、清算していない。清算しないまま、
つまりわかりやすく言えば、反省することもなく、それをつぎの時代につなげてしまった。

 だからいまだに、封建主義時代の亡霊たちが、この日本にのさばっている。軍国主義時
代の亡霊たちが、この日本にのさばっている。

 だから私たち日本人は、声を高くして、正義を主張することができない。隣に封建主義
そのものの国があっても、あるいはまた軍国主義そのものの国があっても、「あなたがたは
まちがっている」と、言うことすらできない。

 いくら「私たち日本人は、自由だ、平等だ」と叫んでも、その声は、そのまま空のかな
たに消えてしまう。日本が、本当に民主主義国家だと思っている人は、いったい、この世
界に、何パーセントいるだろうか。もう30年前にはなるが、オーストラリアの大学生が
使うテキストには、「日本は官僚主義国家」となっていた。別のテキストには、「君主(天
皇)官僚主義国家」となっていた。

 その状況は、今でも変わっていない。変わっていないばかりか、時代はまさに、逆行し
つつある。日本の大勢がそれでよいというのなら、それはそれでかまわない。しかしどう
して今、この2007年という年にあって、『風林火山』なのか。それを、私たちは、一度
ここで立ち止まって考えてみる必要があるのではないだろうか。

+++++++++++++++++++++

『世にも不思議な留学記』として
書いた原稿です。

+++++++++++++++++++++

●珍問答

 私の部屋へは、よく客がきた。「日本語を教えてくれ」「翻訳して」など。中には、「空手
を教えてくれ」「ハラキリ(切腹)の作法を教えてくれ」というのもあった。

あるいは「弾丸列車(新幹線)は、時速150マイルで走るというが本当か」「日本では、
競馬の馬は、コースを、オーストラリアとは逆に回る。なぜだ」と。

さらに「日本人は、牛の小便を飲むというが本当か」というのもあった。話を聞くと、「カ
ルピス」という飲料を誤解したためとわかった。カウは、「牛」、ピスは、ズバリ、「小便」
という意味である。

●忠臣蔵論

 が、ある日、オリエンタルスタディズ(東洋学部)へ行くと、4、5人の学生が私を囲
んで、こう聞いた。「忠臣蔵を説明してほしい」と。いわく、「浅野が吉良に切りつけた。
浅野が悪い。そこで浅野は逮捕、投獄、そして切腹。ここまではわかる。しかしなぜ、浅
野の部下が、吉良に復讐をしたのか」と。

加害者の部下が、被害者を暗殺するというのは、どう考えても、おかしい。それに死刑
を宣告したのは、吉良ではなく、時の政府(幕府)だ。刑が重過ぎるなら、時の政府に
抗議すればよい。また自分たちの職場を台なしにしたのは、浅野というボスである。ど
うしてボスに責任を追及しないのか、と。

 私も忠臣蔵を疑ったことはないので、返答に困っていると、別の学生が、「どうして日本
人は、水戸黄門に頭をさげるのか。水戸黄門が、まちがったことをしても、頭をさげるの
か」と。私が、「水戸黄門は悪いことはしない」と言うと、「それはおかしい」と。

 イギリスでも、オーストラリアでも、時の権力と戦った人物が英雄ということになって
いる。たとえばオーストラリアには、マッド・モーガンという男がいた。体中を鉄板でお
おい、たった一人で、総督府の役人と戦った男である。イギリスにも、ロビン・フッドや、
ウィリアム・ウォレスという人物がいた。

●日本の単身赴任

 法学部でもこんなことが話題になった。ロースクールの一室で、みながお茶を飲んでい
るときのこと。ブレナン法学副部長が私にこう聞いた。

「日本には単身赴任(当時は、短期出張と言った。短期出張は、単身赴任が原則だった)
という制度があるが、法的な規制はないのかね?」と。そこで私が「何もない」と答え
ると、まわりにいた学生たちまでもが、「家族がバラバラにされて、何が仕事か!」と叫
んだ。

 日本の常識は、決して世界の常識ではない。しかしその常識の違いは、日本に住んでい
るかぎり、絶対にわからない。が、その常識の違いを、心底、思い知らされたのは、私が
日本へ帰ってきてからのことである。

●泣き崩れた母

 私がM物産という会社をやめて、幼稚園の教師になりたいと言ったときのこと、(そのと
きすでにM物産を退職し、教師になっていたが)、私の母は、電話口の向こうで、オイオイ
と泣き崩れてしまった。「恥ずかしいから、それだけはやめてくれ」「浩ちゃん、あんたは
道を誤ったア~」と。

だからといって、母を責めているわけではない。母は母で、当時の常識に従って、そう
言っただけだ。ただ、私は母だけは、私を信じて、私を支えてくれると思っていた。が、
その一言で、私はすっかり自信をなくし、それから30歳を過ぎるまで、私は、外の世
界では、幼稚園の教師をしていることを隠した。一方、中の世界では、留学していたこ
とを隠した。どちらにせよ、話したら話したで、みな、「どうして?」と首をかしげてし
まった。

 が、そのとき、つまり私が幼稚園の教師になると言ったとき、私を支えてくれたのは、
ほかならぬ、オーストラリアの友人たちである。みな、「ヒロシ、よい選択だ」「すばらし
い仕事だ」と。その励ましがなかったら、今の私はなかったと思う。
 

+++++++++++++++++

 若い人たちにしてみれば、60年前というのは、遠い昔かもしれない。しかし私のよう
なものにしてみれば、60年前といっても、つい昨日のようなもの。

 私自身は戦後の生まれだが、それでも子どものころは、毎日、軍歌を口ずさみ、戦艦大
和の話をしていた。当時はまだ、「天皇」と呼び捨てにすることさえできなかった。一度だ
けだが、私がそう言ったとき、父は、私を殴った。「陛下と言え!」と。

 さらに江戸時代ともなると、遠い遠い昔かもしれない。しかし私のようなものにしてみ
れば、120年前といっても、たったの2倍。つまり60年の2倍。私の祖父は、明治生
まれだったが、江戸時代をそのまま引きずって生きていた。

 その祖父の時代に、江戸時代は終わっただろうか。私の父の時代に、軍国主義時代は終
わったのだろうか。答は、「NO!」。

++++++++++++++++++

みんなで、もう一度、「武士道」について
考えてみよう。

++++++++++++++++++

●武士道

トム・クルーズの『ラスト・サムライ』がヒットしたこともある。NHKの『新撰組』
もそうだ。そのせいか、今、日本は、武士道一色といってもよい。O女子大教授の、F
M氏などは、「日本が誇るべき民族精神である」(「文言春秋」04・05)などと、賞賛
している。

 しかし武士道とは、いったい何なのか。たとえば今、話題の、『新撰組』。

 あの新撰組が、京都の町に現れたとき、京都の町は、恐怖のどん底に叩き落された。新
撰組は、我がもの顔に刀を振り回し、自分たちの意に沿わない者を容赦なく殺していった。

そういう連中が、いかに恐ろしい存在であったは、数年前に佐賀県で起きた『バス・ハ
イジャック事件』を思い出してみればわかる。あのときは、刃渡り40センチ足らずの
包丁をもった少年に、日本中が震えた。

 そこで武士道。

 江戸時代には、士農工商という、明確な身分制度がしかれていた。この身分制度でいう、
「士」が、武士ということになる。つまりは、刀をもった、為政者。日本人全体としてみ
れば、数パーセントに満たない人たちであった。

 大半の日本人は、その武士の圧制、暴力の影におびえながら、細々と生活をしていた。
つまり江戸時代という時代は、世界の歴史の中でも、類をみないほど、暗黒かつ恐怖政治
の時代であった。私たちがいう武士とは、そういう時代の「武士」であったことを、忘れ
てはならない。

 こんな話を、15年ほど前、山村に住む90歳(当時)くらいの女性に聞いた。

 明治時代の終わりごろ。江戸時代が終わって、20~30年近くもたっていたというが、
そのときですら、まだ、旧武士たちは士族と呼ばれ、刀をさして歩いていたという。

 その人が歩いてくると、遠くからカチャカチャと、鞘(さや)が、当たる音がしたとい
う。すると、皆は、道の脇により、頭を地面にこすりつけるようにして、ひざまづいたと
いう。

 「私が子どものころはそうだったよ」と、その女性は笑っていたが、武士道には、そう
いう側面がある。

 私たち日本人は、こういう話を聞くと、自分の視点を、武士の目の中に置いて、考えが
ちである。「頭をさげた平民」ではなく、「頭をさげさせた武士」の目を通して、日本を見
る。

 これは日本人独特の、オメデタさと考えてよい(失礼!)。今でも、つまり2004年の
今でも、「私の先祖は、旧M藩の家老でした」「私の先祖は、官軍の指揮官でした」などと、
自慢する人は多い。残りのほとんどの先祖は、町民や農民であったことについては、目を
つぶる。

 「私の先祖は、武家だった」と主張するのは、その人の勝手。またそれを誇りに思うの
も、その人の勝手。しかしそれがどうしたというのか? あるいは、そんなことは、そも
そも、誇るべきことなのか。

 江戸時代が終わって、140年近くもたったいるのに、いまだに、そういうことを言う
というのは、つまりは、それくらい、あの江戸時代という時代が、恐怖政治の時代であっ
たということを意味する。民衆は、骨のズイまで、魂を抜かれた。一つの例をあげよう。

+++++++++++++++++

●新居の関所

 浜名湖の南西にある新居町には、新居関所がある。関所の中でも唯一現存する関所とい
うことだが、それほど大きさを感じさせない関所である。

江戸時代という時代のスケールがそのまま反映されていると考えてよいが、驚くのは、
その「きびしさ」。

関所破りがいかに重罪であったかは、かかげられた史料を読めばわかる。つかまれば死
罪だが、その関所破りを助けたもの、さらには、その家族も同程度の罪が科せられた。

新居の関所破りをして、伊豆でつかまった男は、死体を塩漬けにして新居までもどされ、
そこでさらにはりつけに処せられたという記録も残っている。移動の自由がいかにきび
しく制限されていたかが、この事実ひとつをとっても、よくわかる。が、さらに驚いた
ことがある。

 あちこちに史料と並んで、その史料館のだれかによるコメントが書き添えてある。その
中の随所で、「江戸時代は自由であった」「意外と自由であった」「庶民は自由を楽しんでい
た」というような記述があったことである。

当然といえば当然だが、こうした関所に対する批判的な記事はいっさいなかった。私と
女房は、読んでいて、あまりのチグハグさに思わず笑いだしてしまった。「江戸時代が自
由な時代だったア?」と。

 もともと自由など知らない人たちだから、こうしたきゅうくつな時代にいても、それを
きゅうくつとは思わなかっただろうということは、私にもわかる。あの北朝鮮の人たちだ
って、「私たちは自由だ」(報道)と言っている。あの人たちはあの人たちで、「自分たちの
国は民主主義国家だ」と主張している。(北朝鮮の正式国名は、朝鮮人民民主主義国家。)

現在の私たちが、「江戸時代は庶民文化が花を開いた自由な時代であった」(パネルのコ
メント)と言うことは、「北朝鮮が自由な国だ」というのと同じくらい、おかしなことで
ある。

私たちが知りたいのは、江戸時代がいかに暗黒かつ恐怖政治の時代であったかというこ
と。新居の関所はその象徴ということになる。たまたま館員の人に説明を受けたが、「番
頭は、岡崎藩の家老級の人だった」とか、「新居町だけが舟渡しを許された」とか、どこ
か誇らしげであったのが気になる。

関所がそれくらい身分の高い人(?)によって守られ、新居町が特権にあずかっていた
ということだが、批判の対象にこそなれ、何ら自慢すべきことではない。

 たいへん否定的なことを書いたが、皆さんも一度はあの関所を訪れてみるとよい。(そう
いう意味では、たいへん存在価値のある遺跡である。それはまちがいない。)そしてその関
所をとおして、江戸時代がどういう時代であったかを、ほんの少しでもよいから肌で感じ
てみるとよい。

何度もいうが、歴史は歴史だからそれなりの評価はしなければならない。しかし決して
美化してはいけない。美化すればするほど、時代は過去へと逆行する。そういえば関所
の中には、これまた美しい人形が八体ほど並べられていたが、まるで歌舞伎役者のよう
に美しかった。

私がここでいう、それこそまさに美化の象徴と考えてよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●終わりに

 昔からこの日本では、「長いものには巻かれろ」と言う。
しかしそれこそここでいう隷属性の原点。
隷属性そのもの。
そうした意識をもっているかぎり、日本人の心の中に、民主主義は根付かない。
そうした意識を変えないかぎり、民主主義は完成しない。

 そういう視点で、この原稿を読んでみてほしい。
またそういう視点で、日本人が民族的にもつ「隷属性」について、考えてみてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 日本人の隷属性 はやし浩司 忠臣蔵 民主主義と隷属性 従属性 意識改革)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司