Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Saturday, February 05, 2011

●マガジン(2-14)






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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   14日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1月1日の予定


 何人か、年始のあいさつに回り、そのあと、映画を観てくる。
『ハリーポッター』。
そのあと今夜は市内の、ビジネスホテルに一泊。
ダブルベッドルームで、5500円。
朝食は無料(クレタケ・イン)。


 明日は、ワイフの兄弟会。
明後日は、N町の友人を訪問。
車で2時間ほど、かかるかな?


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司
はやし浩司 牧之原市 相模 相模海岸 はやし浩司 2011-01-01


●夫婦げんか


 昨日(1月1日)、ワイフとこんなことを誓いあった。
「もう過去のことを持ち出して、けんかするのはやめよう」と。
というのも、私たちの夫婦けんかのパターンは、いつも同じ。
それには理由がある。


 私は何でも口に出して、パッパッとものを言う。
ワイフは、それに反して、何でも胸の中にためこんでしまう。
それが臨界点に達すると、爆発する。
何を言っても、反発する。
そのときに、いつも過去の話を持ち出す。
「あのとき、あなたは!」と。
私も負けじと、「お前だって!」とやり出す。


 あとはお決まりのエスカレート。
だから誓いあった。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ヘリコプターママ】

●溺愛ママの子育てブルース

++++++++++++++++++

ある日、ある母親(47歳)は、娘(22歳)
から、三下半(みくだりはん)を突きつけられた。
娘が大学を卒業した直後のことだった。

江戸時代、簡略に離婚事由と再婚許可文書を、
3行半で書いた。
そのことから、そういう。
ふつうは、夫から妻に出す離縁状をいう。

が、実際に、三下半だった。
携帯電話のメールで、娘は母親にこう伝えた。

「今後生涯にわたって、絶縁します。
一切、連絡はしないでほしい。
私を捜すこともしないでほしい。
         ○○圭子」

++++++++++++++++++

●ヤボな話

 これはヤボな話かもしれない。
しかしこういうケースのばあい、母親は、娘を訴えることができるか。
それまでの養育費と学費、それに慰謝料を請求することができるか。
法律的には可能かもしれない。
しかし実際には、子育てに対する構え方によってもちがうが、裁判沙汰にする親は
いない。
泣き寝入りするのが、ふつう。
実際、その母親はそれがきっかけで、うつ病を発症し、気が変になってしまった。

●溺愛の果て

 親が子どもを溺愛して、よいことは何もない。
親はよかれと思い、子どもを溺愛するが、子どものほうこそ、ありがた迷惑。
親が思うほど、子どもは感謝していない。
そればかりか、それを「干渉」ととる。
ある男子高校生は、母親にこう言って叫んだ。

「いつオレが、お前に産んでくれと頼んだ!」と。
母親の存在感が大きすぎた。
その男子高校生は、それに反発した。

●溺愛ママ

 溺愛ママについては、たびたび書いてきた。
全体としてみると、もっぱら、子どもの立場で書いてきた。
しかしここでは親の立場で考えてみたい。
というのも、「溺愛ママ(パパでもよいが)」というと、自業自得と考える人が多い。
子育ての失敗が原因で、結果として、親自身がひどく傷つく。
だから自業自得、と。

 しかしそうとばかりは言えない。
溺愛ママと呼ばれる人は、それなりに愛情も深い。
子育てに没頭する分だけ、子どもに時間とヒマ、それにお金をかける。
子どものためならと、どんな苦労も厭わない。
ただ子どもを溺愛する母親(父親でもよい)には、情緒的な欠陥があることが多い。
未熟性といってもよい。
それが母親をして、子どもを溺愛に走らせる。
が、それは母親自身の責任ではない。
その母親を育てた、両親の責任である。
溺愛ママだけに、自業自得と、責任をおおいかぶせるのは、あまりにも酷。
かわいそう。

++++++++++++++

溺愛ママについて書いた原稿を
さがしてみます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●溺愛

親が子どもに感ずる愛には、3種類ある。本能的な愛、代償的な愛、それに真の愛である。
本能的な愛というのは、若い男性が女性の裸を見たときに感ずるような愛をいう。たとえ
ば母親は赤ん坊の泣き声を聞くと、いたたまれないほどのいとおしさを感ずる。それが本
能的な愛で、その愛があるからこそ親は子どもを育てる。もしその愛がなければ、人類は
とっくの昔に滅亡していたことになる。

つぎに代償的な愛というのは、自分の心のすき間を埋めるために子どもを愛することをい
う。一方的な思い込みで、相手を追いかけまわすような、ストーカー的な愛を思い浮かべ
ればよい。相手のことは考えない、もともとは身勝手な愛。子どもの受験競争に狂奔する
親も、同じように考えてよい。「子どものため」と言いながら、結局は親のエゴを子どもに
押しつけているだけ。

三つ目に真の愛というのは、子どもを子どもとしてではなく、一人の人格をもった人間と
意識したとき感ずる愛をいう。その愛の深さは子どもをどこまで許し、そして忘れるかで
決まる。英語では『Forgive & Forget(許して忘れる)』という。つまりどんなに子ども
のできが悪くても、また子どもに問題があっても、自分のこととして受け入れてしまう。
その度量の広さこそが、まさに真の愛ということになる。

それはさておき、このうち本能的な愛や代償的な愛に溺れた状態を、溺愛という。たいて
いは親側に情緒的な未熟性や精神的な問題があって、そこへ夫への満たされない愛、家庭
不和、騒動、家庭への不満、あるいは子どもの事故や病気などが引き金となって、親は子
どもを溺愛するようになる。

 溺愛児は親の愛だけはたっぷりと受けているため、過保護児に似た症状を示す。

(1)幼児性の持続(年齢に比して幼い感じがする)、
(2)人格形成の遅れ(「この子はこういう子だ」というつかみどころがはっきりしない)、
(3)服従的になりやすい(依存心が強いわりに、わがままで自分勝手)、
(4)退行的な生活態度(約束や目標が守れず、生活習慣がだらしなくなる)など。全体
にちょうどひざに抱かれておとなしくしているペットのような感じがするので、私は「ペ
ット児」(失礼!)と呼んでいる。柔和で、やさしい表情をしているが、生活力やたくまし
さに欠ける。

 溺愛ママは、それを親の深い愛と誤解しやすい。中には溺愛していることを誇る人もい
る。が、溺愛は愛ではない。このテストで高得点だった人は、まずそのことをはっきりと
自分で確認すること。そしてつぎに、その上で、子どもに生きがいを求めない。子育てを
生きがいにしない。子どもに手間、ヒマ、時間をかけないの3原則を守り、子育てから離
れる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ブルース

 自分の中に溺愛性を感じたら、子どものためというよりは、自分自身のために、子育て
から離れたほうがよい。
その時期はできるだけ早いほうがよい。
溺愛にのめりこめばのむほど、あとあと傷口が深くなる。

 親が子どもを溺愛して、子どもが親の望み通りになるケースは、100に1つもない。
ご注意!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 溺愛 でき愛 溺愛ママ でき愛ママ でき愛ママブルース)

●モンスターママvsヘリコプターママ

●ヘリコプター・ママ(Helicopter Mothers in South Korea)

++++++++++++++++++

韓国には、「ヘリコプター・ママ」と呼ばれる
母親たちがいるそうだ。

「ヘリコプターのように子どもの周囲を駆けずり回り、
あれこれ世話をする母親」(朝鮮N報)という意味だ
そうだ。

++++++++++++++++++

朝鮮N報、8月10日付け(2008)に、こんな興味深い記事が載っていた。
少し日本語を読みやすくして、紹介する。

+++++++++++++以下、朝鮮N報より+++++++++++++

ある名門大学の経営学科に通うキム某君(19)は、夏休みを利用してソウル・鐘路にある
有名な公認会計士試験予備校に通っている。母親が「次の学期の“会計原理”の授業で良い成
績を取らなければならないから、夏休みに予備校へ通っておく必要がある」という話を周
囲の人たちから聞き、どの予備校が良いか調べた上で、登録までした。

キム君の母親は、息子が次の学期に履修する科目をすべて決めていた。「公認会計士試験に
向け、徹底的に準備するためには、会計分野の専門教育科目が重要だから、この科目は英
語ではなく国語の授業として臨めばよい。○○教授の講義は上手いというから、必ず取らな
ければならない」といった形だ。

 大学1年のチェ某君(19)は、ある金融機関でインターンとして働いている。まず大学
の就職情報センターや学科のホームページで情報を集めた後、「ここ(金融機関)で働いた
経歴は、就職の際に一番プラスになるだろうから、ここへ行きなさい」という母親のアド
バイスを聞き、その通りにしている。チェ君の母親は、息子に代わって自動車教習所の登
録もしている。

 キム君やチェ君の母親のような人が最近増え、「ヘリコプター・ママ」と呼ばれている。
ヘリコプターのように子どもの周囲を駆けずり回り、あれこれ世話をする母親という意味
だ。自分の子どものことを何でもしてあげることで、子どもを「マザコン」に仕立て上げ
ているともいえる。

 ソウル大宗教学科のユ・ヨハン教授は「成績を出した後、教授に直接会って“うちのこの
成績が良くないと、専攻を決める際に人気のない学科に行かされるかもしれないから、成
績を上げてくれ”と懇願する母親もいた」と話す。

 釜山に住む主婦のユン某さん(49)は、大学1年の息子が「ほかの人よりも早く司法試
験の準備をしたい」と言ったため、その願いを叶えるために東奔西走した。息子の軍隊へ
の入隊や大学の休学の時期をすべて調整し、さらに自らソウルへ行って、司法試験の合格
者を多く出しているという冠岳区新林洞一帯の予備校を探し歩いた。

 京畿道に住む主婦キム某さん(54)は、31歳になる会社員の息子の「金融アドバイザー」
だ。銀行や不動産鑑定士に依頼して綿密な分析をし、利回りが良いファンドや株式投資、
積立口座などを選んで、息子に代わって加入するとともに、毎月の収益実績をチェックし
て資金の運用までしている。息子の月給の管理も母親の役目だ。息子が女性と会えば、条
件や趣向などを把握し、引き続き会ってもよいかどうかを息子に言い聞かせてもいる。

 問題はこうした「ヘリコプター・ママ」の下で過保護に育てられた子どもたちが、困難
な状況に直面したとき、自らの力で問題を解決していく経験が絶対的に不足しているとい
うことだ。その子どもたちもまた、「マザコン」になってしまうのではないかという不安を
感じているという。

 高麗大社会学科の玄宅洙(ヒョン・テクス)教授は「就職難が続き、“ニート”が増える中、
子どもが大学を卒業した後の進路を決めることも、親(特に母親)の役目になっている。
母親の“行き過ぎた親心”が、成人した子どもの親への依存度を高め、“一人では何もできな
い”大人に仕立て上げている」と苦言を呈した。

+++++++++++++以上、朝鮮N報より+++++++++++++

日本でいう「モンスター・ママ」に似ている。
少し前は、「教育ママ」と読んだ。
要するに、過干渉、過関心、過保護、それに溺愛を複合した母親ということになる。
本来なら、社会や自分自身に向けるべき生きがいまで、すべて子どもに向けてしまう。
その結果、朝鮮N報にもあるように、子どもは、マザコン化する。
50代、60代になっても、母親のうしろを、いそいそとついて歩いたりする。

が、もちろん、本人自身に、その自覚はない。

自分では、「親孝行の、すばらしい息子」と思っている。
あるいは「自分の親は、自分がそうするに足る、すばらしい親」と思いこんでいる。

問題は、なぜ、こういう母親が生まれるかということ。
それには、社会の不備があげられる。

女性は結婚し、家庭に入ると、その時点から、子どもを産み、子どもを育てる(道具)と
しか見られなくなってしまう。
いくら才能やキャリアがあっても、家庭の中では、それを生かすこともできない。
またその途中で、自分を磨くこともできない。
勉強といっても、せいぜい資格試験のため。
その先がない。

約30%の女性は、それでよいと考えている(某、調査)。
しかし大半の女性は、不完全燃焼症候群の中で、悶々とした日々を過ごす。
それから生まれるストレスは相当なもので、「家庭は、女性にとっては監獄である」と説い
たイギリスの評論家さえいた。

つまりそうしたエネルギーを、すべて子どもに向けてしまう。

モンスター・ママにせよ、ヘリコプター・ママにせよ、ゆがんだ男女差別観が生んだ、犠
牲者にすぎない。

韓国も日本も、この点では、よく似ている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist はやし浩司 ヘリコプター
ママ ヘリコプター・ママ モンスター・ママ モンスターママ)

Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【離婚問題、私たちのケース】(孤独論)


●初老期クライシス


今日は、明日の初日の出を見るため、
牧之原市相良にある、ペンションにやってきた。
「ワイフが、どこかの海で、初日の出を見たい」と言った。
それでそうした。

ワイフと長男、それに私。
「海まで歩いて、1分」とか。
海が見えるペンションではないが、それは
しかたない。


……ところで日の出は、何時何分か。


今、ふと、そんなことを考える。
朝、6時はまだ、暗い。
6時30分になると、明るくなる。
「6時ごろ起きればいいかな?」と、
そんなことを考える。


車で来るとき、ワイフとこんな話をする。
「初老期になると、さまざまな問題が、
どっと起きてくるね」と。
「みんな、それぞれの方法で、解決して
いるみたいだけど、あまり表には出てこない」とも。


何が問題というわけではない。
しかし初老期の倦怠期は、それまでの倦怠期とは、
大きくちがう。
今までの倦怠期には、「未来」という出口があった。
倦怠期といっても、どこかへ寄り道するような感じだった。
が、初老期の倦怠期には、その「未来」がない。
そのまま暗い袋小路に入ってしまう。
寄り道というよりは、分かれ道。
後戻りのできない、分かれ道。
そのまま離婚してしまう人も多い。


現在の私たちも、そうだ。
私は私。
ワイフはワイフ。
そんな考え方をしているうちに、いつの間にか、
心が離れてしまった。
とくに意見が衝突するというわけではない。
会話が途絶えたわけでもない。
むしろ以前より、よくしゃべる。
が、たがいにどこか理解しあえない。
どこか分かりあえない。
一方的に、私は私の意見を言う。
ワイフはワイフの意見を言う。
それが時として、言い争いになる。
数日前の夜も、そうだった。

 原因は、ささいなことだった。
いつもの夫婦げんかだった。

たがいに言いあっているとき、ワイフのほうから、
こんな言葉が出てきた。
覚悟はしていたが、しかし実際にそう言われると、
その言葉が、槍のように胸を刺す。


「別れましょうか?」と。
おとといの夜のことだった。


●初老期


初老期に、どっとやってくるのが、
初老クライシス。
生活のリズムが、大きく変わる。
夢や希望が消え、生きる目的が見えなくなる。
老後への不安が、それに拍車をかける。
病気があれば、なおさら。
なくても、病気への不安は、いつもそこにある。
が、とくにこわいのが心の病気。
脳の病気。
ボケ。


若いときは気力でそれを乗り越えることができる。
が、加齢とともに、その気力も弱くなる。
ごまかしがきかなくなる。
それまで隠してきた精神的な(もろさ)が、表に出てくる。
中には60歳を過ぎて、人格が極端に後退する人もいる。
そうでなくても、50歳を過ぎると、知力も落ちてくる。
知恵や知識も、脳みその下から、容赦なく、こぼれ出て行く。
まるで穴のあいたバケツのよう。

よい例が、英語の単語。
新しい単語など、100に1つも脳に残らない。
(若いときに覚えた単語は、今でも忘れないが……。)
歌にしても、そうだ。
歌詞を覚えるのに苦労する。
メロディーなど、最近の曲は、楽譜を見ても歌えない。


が、何が怖(こわ)いかと言って、「孤独」ほど、怖いものはない。
孤独に苛(さいな)まれるようになると、目の前で、「死」がちらつくようになる。
自殺の道を選ぶ人も多い。
そうでなくても、心を狂わす。
腐らせる。
この時期、離婚率もピークを迎える。
「熟年離婚」という言葉も定着した。
初老クライスに破れ、40年来の縁を切る夫婦も多い。


そこで孤独論。
初老期イコール、孤独との闘い。
「喪失の時代」と位置づける人もいる。


●孤独論


 大前提として、孤独でない人はいない。
みんな孤独。
みな、孤独が怖いから、それをごまかして生きているだけ。
はしゃいでいるだけ。
楽しそうに見えるが、それは表面だけ。
うわべだけ。
その日、その日をごまかして生きているだけ。
その下では、孤独が渦を巻いている。
その人が落ちてくるのを、「今か、今か」と、そこで待っている。
手招きをしながら、待っている。


孤独であることを、隠す必要はない。
恥じる必要はない。
あなたは悪人でも、罪人でもない。
ごくふつうの人。
ごくふつうの人だからこそ、孤独になる。


 たしかに孤独は、怖い。
恐ろしい。
足下をすくわれるような恐怖感。
が、怖いからといって、逃げてもしかたない。
もがいては、だめ。
苦しんでは、だめ。
逃げれば逃げるほど、孤独はキバをむいて、あなたに襲いかかってくる。
追いかけてくる。
もがけばもがくほど、苦しめば苦しむほど、あなたは心をむしばみ、やがて「死」を
考えるようになる。
「孤独」は、いわばガン細胞のようなもの。
心のガン細胞。
あなたを食いつぶし、やがて自らも命を絶つ。


孤独になったら、静かに身を任す。
流れに身を横たえ、流れに身を任す。
身を任せ、とことん孤独の世界に身を横たえる。
行き着くところまで行き着けば、やがて身は止まる。
必ず、止まる。
それまでは苦しい。
苦しいが、歯をくしばる。


が、孤独は、真理を開く扉。
真理にたどりつくための関門。
第二の産道。
母の胎内から外に出るのが、第一の産道。
孤独の世界から真理の世界に出るのが、第二の産道。


とことん孤独になる。
ドン底に落とされる。
そのとき、その先に小さな光が見えてくる。
それが愛という希望の光。
『絶望した人間だけが、その先に希望を見る』と
言った賢人がいた。
同じように、『孤独をくぐりぬけた人間だけが、
真理を知る』。


その世界を見たとき、あなたは大粒の涙を流すだろう。
熱い涙。
そのときは、泣きたいだけ、泣けばよい。
大声で、泣きたいだけ、泣けばよい。


♪孤独、
孤独は、いやなもの。
孤独、
孤独は、つらいもの。
だけど、孤独から逃げてはいけない。
孤独、
孤独は、恐ろしい。
逃げれば逃げるほど、
キバをむく。
あなたに襲いかかってくる。
孤独、
孤独は真理に至る、関門。
一度は通り抜けなければならない、関門。


あのイエス・キリストですら、
孤独に苦しんだ。
「ハンガー(飢え)」という孤独に苦しんだ。
その結果、「愛」にたどり着いた(マザーテレサ)。


♪父は死んだ。
母も死んだ。
友も死んだ。
ワイフは去っていった。
息子たちも去っていった。
残されたのは、私だけ。


私は孤独におびえ、
身を震わす。
誰も愛することができない。
誰にも愛されない。
それが無間地獄。

が、私たちが探し求めている真理は、その向こうに隠されている。
言うなれば、孤独は真理を取り囲む「砦(とりで)」。
巨大な砦。
戦っても、あなたに勝ち目はない。
勝つ必要もない。
あなたはただ静かに、それを受け入れればよい。
それであなたはその砦を、粉々にすることができる。


私はさみしかった。
いつもひとりぼっちだった。
心を開くこともできず、
だれにも心を開かせなかった。


私は孤独だった。
毎晩、暗闇の中で、
体を丸めて眠った。
助けを求めた。
だれも答えてくれなかった。


が、今は、ちがう。
私はその向こうに、小さな光を見た。
「希望」という名の、小さな光を見た。


うれしかった。
心が軽くなった。
穏やかで、やさしくなった。
安らいだ気持になった。


その夜も、ワイフは私に背を向けて寝ていた。
体を固くしていた。
このところ同じふとんの中でも、どうも居心地が悪い。
一体感が消えた。

私はそっとワイフの背中に手をかけた。
反応はなかった。
もう一度、そっと手をかけた。
うるさそうに、ふとんの中に顔をもぐらせた。

そのとき私はこう言った。
「やっぱり、離婚するのはよそう」と。
ワイフは、「ウン」とうなずいてくれた。


(2010年12月31日夜、牧之原市相良・ペンション・リリカルにて)



(はやし浩司 孤独論 孤独 孤独は第二の産道 孤独は関門 孤独という砦 孤独は
第二の関門 はやし浩司)


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司


●1月1日


 今日から2011年。
「2010年」は過去になった。
時刻は、午前5時53分。
私はベッドの中。


 トリプル・ルームということになっている。
しかしひとつは、子どもの2段ベッド。
そこで昨夜は、2つのベッドをひとつにし、私とワイフ、それに長男の3人で
雑魚寝をすることにした。
こんな寝方をするのは、30年ぶり?
長男の横顔が、子どもの顔に見えた。
いとおしさが、ググーッとわいてきた。


 もうすぐ6時になる。
起きて支度をしなければならない。
今日の初日の出は、ビデオに収め、YOUTUBEにアップする。
が、ワイフは横で、いびきをかいて眠っている。


 部屋は西向きで、空の様子がわからない。
それに今朝も冷え込んでいる。
外は寒そう。


●読み直し

 
 することもないので、暗闇の中で、パソコンを開く。
昨夜書いた原稿を読み直す。
そのあと、先の文を書く。


 時刻は午前6時を過ぎた。


 もう5~10分もしたら、起きよう。


(ぼんやりとしたまま、時間だけ過ぎる。)


 初老期を総括すると、こうなる。


「何かをしなければならない」「しかし何をしたらよいか、わからない」
「何かができるはず」「しかし何をしても、空回り」


そういう思いが頭の中で、堂々巡り。
そのうち精神がよどんでくる。
腐ってくる。
取り越し苦労とヌカ喜び。
この2つを、繰り返す。


 一本の筋道が見えてくればよい。
その道筋が見えてこない。
それが初老期。
……というか、私の知る初老期。


 初老期のみなさん、
苦しいのは、あなただけではない。
さみしいのは、あなただけではない。
みんな、そうだ。


 新年、あけまして、おめでとうございます。
新年早々、暗い話で、すみません。
我が家もいろいろあります。
外から見ると、幸福そうな家庭に見えるかもしれませんが……。


 大切なのは、ドラマ。
そのドラマに生きる価値があるのですね。
だから失敗を恐れない。
いつもそこを原点にして、前に進む。
それが人生ですね。


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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