Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Monday, May 02, 2011

●Eマガ創刊のころ(5)

件名:子育て情報(はやし浩司)8-7

 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄
 ===○=======○====KW(8)
    子育て最前線の育児論
 ================          
★★★★★★★★
01-8-7号(007)
★★★★★★★★
 by はやし浩司(ひろし)

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お元気ですか?
マガジン7号をお届けします。

今回は
(1)簡単なテストでわかる、子どもの知能(1)を送ります。
(2)子どもの巣立ちと老後を考えます

お役にたてればうれしいです。

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●簡単なテストでわかる、あなたのお子さんの合理的判断力
 (考える力の深さを、このテストで知ることができます。)

(方法)
(1)紙(B5~A4サイズ)と鉛筆を用意します。(クレヨン、サインペンでも構いません)
(2)子どもに次のものを描かせます。
(3)山→川→家→木を二本→道→花→白い雲→鳥→お日様
  (注意)最初は、「山を描いてごらん」と指示します。しかし次に
      何を描くかを、言ってはいけません。子どもが山を描き終えたら、
      そのときはじめて、「次に川を描いてね」と指示します。
      川を描くとき、瞬間ですが、子どもはどこに描くか、あるいは
      どういうふうに描くかを迷うはずです。しかしそのときでも
      決して、子どもを助けたり、アドバイスしてはいけません。
      子どもが川を描き終わるまで、静かに待ちます。
      (どんな絵になっても、この段階では、何も言ってはいけません。)
      こうして次々と、子どもに絵を描かせていきます。
(4)できあがった絵を見ながら、子どもの合理的判断力をみます。

(山)紙の中央に大きく描かれていればよしとします。
(川)山の下、あるいは山の上を流れていればよしとします。
   合理的判断力の育っていない子どもは、不自然な位置に川を書きます。
   また自分で考えるクセ(習慣)のない子どもは、山の横に言われるまま
   川を並べて描きます。
(家)山との大きさを比較してください。あまり考えない子どもは、山より
   大きな家を描いたりします。
(木を二本)木が二本、自然な位置にあればよしとします。三本~以上描くようで
   あれば、日ごろ、口うるさくないか疑ってみてください。
(道)自然な位置に、自然な形であればよしとします。子どもは無意識のうちにも
   自然な位置に道を描こうとします。これが合理的判断力です。
(花)子どもが描く花と、あなたが日ごろ描く花を見比べてみてください。
   親子の密着度が大きい親子ほど、同じ花(形、はなびらの様子など)を
   描きます。
(白い雲)雲が山より高い位置にあればよしとします。
(鳥)絵のじょうず、じょうずでないをこの鳥を見て判断します。(集団でこのテストを
   するとき、一つの基準とします。)
(お日様)最後にお日様を描かせて、テストをしめくくります。




「はやし浩司のホームページ」のほうで、
具体的に、子どもたちが描いた図を示しながら説明しておきました。
興味のある方は、そちらをご覧ください。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
(目次)→(子どもの指導法)→(子育て論文集)のコーナーです。



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今回は、「子どもの巣立ち」を考えてみました。
その時々は、遅々として進まない子育てですが、
終わってみると、あっという間のできごと……。
そんな思いを書いたのが、次の「子どもが巣立つとき」です。
よろしかったら、読んでいただけませんか?

+++++++++++++++++++++++++++++++++

子どもが巣立つとき……


 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私はそんな年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。息子が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイをしめてやったとき。そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのことだ。二男が毎晩、ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教えてくれた。「友だちのために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がないため、落とされそうだから」と。その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子どもというよりは、対等の人間として見るようになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育ても終わってみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられる。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてやればよかった」と、悔やむこともある。そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたときのこと。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわからなかった。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろから女房が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれが勝手なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。そのときはわからなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは! 子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たちも、ああだったなあ」と。

 問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれが皆、何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やがてくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
のほうで、「巣立ち、そして老後」というコーナーを新設しました。
「まだ先のこと……」と思っておられる方も多いと思いますが、いつかみなさんの
お役にたてればうれしいです。




以下前号です+++++++++++++++++++++++++++++++

今日は、また新しい角度から、子育てを考えてみました。
たとえば不登校。


「登校拒否」という言葉は、イギリスのI.T.ブロードウィンが、1932年に最初に
使い、1941年にアメリカのA.M.ジョンソンが、「学校恐怖症」と命名した
ことに始まります。

ジョンソンは、「学校恐怖症」を、(1)心気的時期、(2)登校時のパニック時期
(3)自閉期の3期に分けて、学校恐怖症を考えています。

私はそれをさらに4期に分け、それをわかりやすくまとめてみました。
それが以下の原稿です。

一度ご覧になっていただくと、お子さんの不登校を、第1期、もしくは第2期の
段階で、未然に防いでいただくことができます。

+++++++++++++++++++++++++++++


子どもが不登校児になるとき
●学校恐怖症の子ども

 子どもが不登校を起こす背景や原因は、決して一様ではない。いじめや暴力が原因で不登校を起こすケース、あるいは集団教育になじめず不登校を起こすケースなど。私の息子の一人はひどい花粉症で、毎年春先になると、決まって不登校を繰り返した。花粉症による睡眠不足が、その引き金になった。が、こうした不登校の中でも比較的多く、また期間が長期化するのタイプの不登校に、不安障害による不登校がある(長崎大・中根充文ほか)。一九四一年にアメリカのジョンソンという学者が、「学校恐怖症」と名づけたのが、それである。このタイプの不登校には、段階的な特徴があるのが知られている。

第一期・不調期…登校時刻になると、身体的不調を訴える。頭痛や腹痛、吐き気、気分の悪さ、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦怠感など。午前中は症状が重く、午後は軽くなり、夕方になると静かに収まってくる。床につく前に親が、「明日は学校へ行くの?」と聞くと、明るい声で「行く」と答えたりする。この段階で、親が学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめるから」とか言ったりする。そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめるから」と言い出したりする。ターゲット(原因とする人や理由)がそのつど移動するのが特徴である。

第二期・パニック期…登校時刻になるとパニック状態になり、はげしく抵抗したり、泣き叫んだりする。親が無理に学校へ連れていこうとすると、狂人のように暴れたりする。しかしいったん、学校へ行かなくてもよいとわかると、一転して今度は別人のように静かで穏やかな表情を見せる。あまりの変わりように、たいていの親は、「これが同じ子どもか?」と思うことが多い。

第三期・自閉期…親が学校へ行かせるのをあきらめ、子どももそれに慣れてくると、子どもは自分の世界に閉じこもるようになる。暴力、暴言などの攻撃的態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ち着く。ただ心の緊張感は残り、親の不用意な言葉などで、突発的に激怒したり、暴れたりすることはある。この状態で症状は、数か月から数年という単位で、一進一退を繰り返す。

第四期・回復期…少しずつ友人との交際を始めたり、外へ遊びに行くようになる。数日学校行っては休むというようなことを、断続的に繰り返したあと、やがて登校できるようになる。

●対処のまずさが、問題を深刻にする

 第一期で注意しなければならないのは、たいていの親はこの段階で、「わがまま」とか、「気のせい」とか決めつけ、その前兆症状を見落としてしまうことである。あるいは子どもの言う理由(ターゲット)に振り回され、もっと奥底にある子どもの(心の問題)を見逃してしまう。しかしこのタイプの子どもが不登校児になるのは、第二期の対処のまずさによることが多い。ある母親はトイレの中に逃げ込んだ息子(小一児)を外へ出すため、ドライバーでドアをはずした。そして泣き叫んで暴れる子どもを無理やり車に乗せると、そのまま学校へ連れていった。その母親は「このまま不登校児になったらたいへん」という恐怖心から、子どもをはげしく叱り続けた。が、こうした衝撃は、たった一度でも、それが大きければ大きいほど、子どもの心に取り返しがつかないほど大きなキズを残す。もしこの段階で、親が、「そうね、誰だって学校へ行きたくないときもあるわね。今日は休んで好きなことをしたら」と言ったら、症状はそれほど重くならなくてすむかもしれない。

 要は子どものリズムで考えるということ。あるいは子どもの視点で、子どもの立場で考えること。そういう謙虚な姿勢が、このタイプの子どもの不登校を、未然に防ぐことができる。


++++++++++++++++++++++++++++++
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
のほうで、「お母さんのためのコーナー」を用意しました。
(子どもの指導法)→(おうちの方へ)と進んでいただくと、
このコーナーにいきます。

++++++++++++++++++++++++++++++
おうちの方へ

先生の批判はタブー

子どもの前で、
学校の先生の批判や悪口は、
タブー中のタブー。
子どもはが先生の指導に従わなくなるばかりか、
あなたの話は、確実に、先生に伝わります。
子どもは、絶対に隠しごとはできません。
先生と接する時間のほうが、
長いのです。
だから、これは絶対に守ること。
もし先生への批判をするなら、
子どものいないところでします。
子どもとは関係のない世界でします。
これは家庭教育の
大鉄則です。


恩着せはしない

「産んでやった」だの、「育ててやった」だの、
子どもに恩着せはしない。
それが日常化すると、子どもは子どもで、
「産んでもらった」だの、「育ててもらった」だのと、言い出す。
日本人の悪いクセです。
無意識のうちに、そういう意識を
子どもに植えつけてしまう……。
あるいは植えつけられてしまう……。
結局は独り立ちできない親が、
自分の依存心を、子どもに植えつけているだけ。
子どもは子どもで、親離れできなくなってしまうだけ。
親は親で、前向きにいきる。
どこまでも前向きに生きる。
そういうひたむきな姿勢が、子どもを伸ばす。
子どもを自立させる。
子どもをたくましくする。


無条件の愛

見返りを求めない愛。
すべてを許し、受け入れる。
それが無条件の愛。
親の愛は、その無条件の愛。
裏切られても、裏切られても、
その愛を貫く。それが無条件の愛。


「立派な」は、もうやめよう!

「立派な社会人」思想。
それが戦後の日本の教育の根幹だった。
しかしこの言葉の裏で、
いかに多くの子どもたちがキズつき、倒れ、
そして日本の教育をゆがめたことか!
立派な社会人など、いらない。
人間に、立派な人も、そうでない人もいない。
人間は皆、同じ。平等。
みんな、自分がすべきことを、
自分ができることを、
懸命に、ただひたすら懸命にすればいい。
人がどう思おうと、
人が何と言おうと、
ただひたすら自分の道を進めばいい。
結果はあとからついてくる。
名誉や地位や肩書きは、あとからついてくる。
仮にそんなものなくても、
その人の価値とは関係ない。
あっても、その人の価値とは関係ない。
だからあなたも、自分の子どもに、
「立派な人になれ」と言うのをやめよう。
言うとしたら、「人に尊敬される人になれ」と、教えよう。
「心の美しい人になれ」と、教えよう。


子どもに洗ってもらおう

子どもは心の洗濯人。
子どもに接していると、
心が洗われる。
子どもの純粋さに、
あなたも心を洗ってもらおう。
汚れて、疲れた心を
洗ってもらおう。
知識や経験は、
時として
あなたを見苦しくする。
だから、知識や経験のない
子どもを笑ってはいけない。
下に見てはいけない。
あなたも子どものように、
虹を見て、感動しよう。
広い海を見て、感動しよう。
それともあなたは、
もう、あの純粋は心を
忘れてしまったとでも
いうのか。


許して忘れる

親は
許して、忘れる。
FOR・GIVE(許す) & FOR・GET(忘れる)
つまり、子どもに愛を与えるために子どもを許し、
子どもから愛を得るために、子どもを忘れる。
子育てで行き詰まりを覚えたら、
この言葉を思い出してみてほしい。
あなたは必ずその先に出口を見出すはず。






件名:子育て情報(はやし浩司)8-7-2

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★★★★★★★★
 by はやし浩司(ひろし)

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今回は
(1)簡単なテストでわかる、子どもの知能(1)を送ります。
(2)子どもの巣立ちと老後を考えます

お役にたてればうれしいです。

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●簡単なテストでわかる、あなたのお子さんの合理的判断力
 (考える力の深さを、このテストで知ることができます。)

(方法)
(1)紙(B5~A4サイズ)と鉛筆を用意します。(クレヨン、サインペンでも構いません)
(2)子どもに次のものを描かせます。
(3)山→川→家→木を二本→道→花→白い雲→鳥→お日様
  (注意)最初は、「山を描いてごらん」と指示します。しかし次に
      何を描くかを、言ってはいけません。子どもが山を描き終えたら、
      そのときはじめて、「次に川を描いてね」と指示します。
      川を描くとき、瞬間ですが、子どもはどこに描くか、あるいは
      どういうふうに描くかを迷うはずです。しかしそのときでも
      決して、子どもを助けたり、アドバイスしてはいけません。
      子どもが川を描き終わるまで、静かに待ちます。
      (どんな絵になっても、この段階では、何も言ってはいけません。)
      こうして次々と、子どもに絵を描かせていきます。
(4)できあがった絵を見ながら、子どもの合理的判断力をみます。

(山)紙の中央に大きく描かれていればよしとします。
(川)山の下、あるいは山の上を流れていればよしとします。
   合理的判断力の育っていない子どもは、不自然な位置に川を書きます。
   また自分で考えるクセ(習慣)のない子どもは、山の横に言われるまま
   川を並べて描きます。
(家)山との大きさを比較してください。あまり考えない子どもは、山より
   大きな家を描いたりします。
(木を二本)木が二本、自然な位置にあればよしとします。三本~以上描くようで
   あれば、日ごろ、口うるさくないか疑ってみてください。
(道)自然な位置に、自然な形であればよしとします。子どもは無意識のうちにも
   自然な位置に道を描こうとします。これが合理的判断力です。
(花)子どもが描く花と、あなたが日ごろ描く花を見比べてみてください。
   親子の密着度が大きい親子ほど、同じ花(形、はなびらの様子など)を
   描きます。
(白い雲)雲が山より高い位置にあればよしとします。
(鳥)絵のじょうず、じょうずでないをこの鳥を見て判断します。(集団でこのテストを
   するとき、一つの基準とします。)
(お日様)最後にお日様を描かせて、テストをしめくくります。




「はやし浩司のホームページ」のほうで、
具体的に、子どもたちが描いた図を示しながら説明しておきました。
興味のある方は、そちらをご覧ください。

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(目次)→(子どもの指導法)→(子育て論文集)のコーナーです。



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今回は、「子どもの巣立ち」を考えてみました。
その時々は、遅々として進まない子育てですが、
終わってみると、あっという間のできごと……。
そんな思いを書いたのが、次の「子どもが巣立つとき」です。
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子どもが巣立つとき……


 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私はそんな年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。息子が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイをしめてやったとき。そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのことだ。二男が毎晩、ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教えてくれた。「友だちのために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がないため、落とされそうだから」と。その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子どもというよりは、対等の人間として見るようになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育ても終わってみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられる。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてやればよかった」と、悔やむこともある。そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたときのこと。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわからなかった。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろから女房が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれが勝手なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。そのときはわからなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは! 子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たちも、ああだったなあ」と。

 問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれが皆、何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やがてくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 

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のほうで、「巣立ち、そして老後」というコーナーを新設しました。
「まだ先のこと……」と思っておられる方も多いと思いますが、いつかみなさんの
お役にたてればうれしいです。




以下前号です+++++++++++++++++++++++++++++++

今日は、また新しい角度から、子育てを考えてみました。
たとえば不登校。


「登校拒否」という言葉は、イギリスのI.T.ブロードウィンが、1932年に最初に
使い、1941年にアメリカのA.M.ジョンソンが、「学校恐怖症」と命名した
ことに始まります。

ジョンソンは、「学校恐怖症」を、(1)心気的時期、(2)登校時のパニック時期
(3)自閉期の3期に分けて、学校恐怖症を考えています。

私はそれをさらに4期に分け、それをわかりやすくまとめてみました。
それが以下の原稿です。

一度ご覧になっていただくと、お子さんの不登校を、第1期、もしくは第2期の
段階で、未然に防いでいただくことができます。

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子どもが不登校児になるとき
●学校恐怖症の子ども

 子どもが不登校を起こす背景や原因は、決して一様ではない。いじめや暴力が原因で不登校を起こすケース、あるいは集団教育になじめず不登校を起こすケースなど。私の息子の一人はひどい花粉症で、毎年春先になると、決まって不登校を繰り返した。花粉症による睡眠不足が、その引き金になった。が、こうした不登校の中でも比較的多く、また期間が長期化するのタイプの不登校に、不安障害による不登校がある(長崎大・中根充文ほか)。一九四一年にアメリカのジョンソンという学者が、「学校恐怖症」と名づけたのが、それである。このタイプの不登校には、段階的な特徴があるのが知られている。

第一期・不調期…登校時刻になると、身体的不調を訴える。頭痛や腹痛、吐き気、気分の悪さ、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦怠感など。午前中は症状が重く、午後は軽くなり、夕方になると静かに収まってくる。床につく前に親が、「明日は学校へ行くの?」と聞くと、明るい声で「行く」と答えたりする。この段階で、親が学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめるから」とか言ったりする。そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめるから」と言い出したりする。ターゲット(原因とする人や理由)がそのつど移動するのが特徴である。

第二期・パニック期…登校時刻になるとパニック状態になり、はげしく抵抗したり、泣き叫んだりする。親が無理に学校へ連れていこうとすると、狂人のように暴れたりする。しかしいったん、学校へ行かなくてもよいとわかると、一転して今度は別人のように静かで穏やかな表情を見せる。あまりの変わりように、たいていの親は、「これが同じ子どもか?」と思うことが多い。

第三期・自閉期…親が学校へ行かせるのをあきらめ、子どももそれに慣れてくると、子どもは自分の世界に閉じこもるようになる。暴力、暴言などの攻撃的態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ち着く。ただ心の緊張感は残り、親の不用意な言葉などで、突発的に激怒したり、暴れたりすることはある。この状態で症状は、数か月から数年という単位で、一進一退を繰り返す。

第四期・回復期…少しずつ友人との交際を始めたり、外へ遊びに行くようになる。数日学校行っては休むというようなことを、断続的に繰り返したあと、やがて登校C

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