Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Monday, June 06, 2011

●恋愛至上主義






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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      6月   17日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【悪しき恋愛至上主義の弊害&社会的害毒】


●映画『アジャストメント』

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おととい、急に思い立って、映画
『アジャストメント』を観てきた。
急に思い立ったのは、ワイフ。
「4時に間に合うから、行こう」と。

で、家を出たのが、3時10分ごろ。
映画館には、10分ほど前についた。

主演は、マット・デイモン、エミリー・ブラント。
映画そのものは、かなり期待はずれ。
星は、3つの★★★。

が、その映画を観ていて、こんなことを考えた。

++++++++++++++++++

●恋愛至上主義

 神がかった『アジャストメント・ビューロウ(調整局)』は、マット・デイモンが演ずる
デイビットを、ゆくゆくは大統領にし、世界を変えようともくろむ。
調整局は、人の運命を自由に操ることができる。
しかしデイビットは、エミリー・ブラントが演ずるエリースに恋をする。

 調整局は、何とかして2人の間を裂こうとする。
さまざまな妨害工作を繰り返す。
理由は、エリースと結婚すると、デイビットは大統領になれなくなる。
そういう「運命」を、2人はかかえている。
が、2人はそうした(運命)を乗り越え、愛を誓いあう。
それを見て、つまりその愛の深さに感動して、調整局の議長(チェアマン)は、2人の運
命を、2人に任す……。

 要するに『愛が全て』という映画である。
つまり恋愛至上主義映画。

●若い男女の愛は、「愛」か?

 が、若い男女の「恋愛」は、本当に「愛」と言えるのか。
またそれでもって、「すべて」と考えてよいのか。

 端的に言えば、若い男女の「恋愛」というのは、ただの熱病。
もう少しわかりやすく言えば、本能に応じて分泌される恋愛ホルモン(フェニルエチルア
ミン)によるもの。
そこらのスズメやハト、犬や猿の恋愛とどこもちがわない。
そういうものを見て、神(天使)は感動する。
感動して、2人を許す。
最後はハッピーエンド。
つまりその部分が、おかしい。

 「恋のホルモン」について書いた原稿をさがしてみる。
少し回り道になるが、許してほしい。

●フェニルエチルアミン(2009年5月24日記)

++++++++++++++++

脳の活動は、「ニューロン」と呼ばれる
神経細胞が司っている。
それは常識だが、しかしでは、その
神経細胞が、「心」を司っているかというと、
そうではない。

最近では、心の原点は、脳内の化学物質、
つまり脳内ホルモンであるという説が、
半ば常識化している。

私たちの心は、常に、この脳内ホルモンに
よって、影響を受け、コントロールされて
いる。
その例としてわかりやすいのが、
フェニルエチルアミンというホルモン
ということになる。
そのフェニルエチルアミンについて書いた
原稿がつぎのものである。

+++++++++++++++++

●恋愛の寿命

+++++++++++++++++

心ときめかす、恋心。しかしその恋心
にも、寿命がある。

+++++++++++++++++

 その人のことを思うと、心がときめく。すべてが華やいで見える。体まで宙に浮いたよ
うになる……。恋をすると、人は、そうなる。

 こうした現象は、脳内で分泌される、フェニルエチルアミンという物質の作用によるも
のだということが、最近の研究で、わかってきた。恋をしたときに感ずる、あの身を焦が
すような甘い陶酔感は、そのフェニルエチルアミンの作用によるもの、というわけである。
その陶酔感は、麻薬を得たときの陶酔感に似ているという人もいる。(私自身は、もちろ
ん、麻薬の作用がどういうものか、知らない。)しかしこのフェニルエチルアミン効果の
寿命は、それほど長くない。短い。

 ふつう脳内で何らかの物質が分泌されると、フィードバックといって、しばらくすると
今度は、それを打ち消す物質によって、その効果は、打ち消される。この打ち消す物質が
分泌されるからこそ、脳の中は、しばらくすると、再び、カラの状態、つまり平常の状態
が保たれる。体が、その物質に慣れてしまったら、つぎから、その物質が分泌されても、
その効果が、なくなってしまう。

しかしフェニルエチルアミンは、それが分泌されても、それを打ち消す物質は、分泌さ
れない。脳内に残ったままの状態になる。こうしてフェニルエチルアミン効果は、比較
的長くつづくことになる。が、いつまでも、つづくというわけではない。やがて脳のほ
うが、それに慣れてしまう。

 つまりフェニルエチルアミン効果は、「比較的長くつづく」といっても、限度がある。も
って、3年とか4年。あるいはそれ以下。当初の恋愛の度合にもよる。「死んでも悔いはな
い」というような、猛烈な恋愛であれば、4年くらい(?)。適当に、好きになったという
ような恋愛であれば、半年くらい(?)。(これらの年数は、私自身の経験によるもの。)

 その3年から4年が、恋愛の寿命ということにもなる。言いかえると、どんな熱烈な恋
愛をしても、3年から4年もすると、心のときめきも消え、あれほど華やいで見えた世界
も、やがて色あせて見えるようになる。もちろん、ウキウキした気分も消える。

 ……と考えると、では、結婚生活も、4年程度が限度かというと、それは正しくない。
恋愛と、結婚生活は、別。その4年の間に、その2人は、熱烈な恋愛を繰りかえし、つぎ
のステップへ進むための、心の準備を始める。

 それが出産であり、育児ということになる。一連のこうした変化をとおして、今度は、
別の新しい人間関係をつくりあげていく。それが結婚生活へとつながっていく。

 が、中には、そのフェニルエチルアミン効果による、甘い陶酔感が忘れられず、繰りか
えし、恋愛関係を結ぶ人もいる。たとえばそれが原因かどうかは別にして、よく4~5年
ごとに、離婚、再婚を繰りかえす人がいる。

 そういう人は、相手をかえることによって、そのつど甘い陶酔感を楽しんでいるのかも
しれない。

 ただここで注意しなければならないのは、このフェニルエチルアミンには、先にも書い
たように麻薬性があるということ。繰りかえせば繰りかえすほど、その効果は鈍麻し、ま
すますはげしい刺激を求めるようになる。

 男と女の関係について言うなら、ますますはげしい恋愛をもとめて、さ迷い歩くという
ことにもなりかねない。あるいは、体がそれに慣れるまでの期間が、より短くなる。はじ
めての恋のときは、フェニルエチルアミン効果が、4年間、つづいたとしても、2度目の
恋のときは、1年間。3度目の恋のときは、数か月……というようになる(?)。

 まあ、そんなわけで、恋愛は、ふつうは、若いときの一時期だけで、じゅうぶん。しか
も、はげしければはげしいほど、よい。二度も、三度も、恋愛を経験する必要はない。回
を重ねれ重ねるほど、恋も色あせてくる。

が、中には、「死ぬまで恋を繰りかえしたい」と言う人もいるが、そういう人は、このフ
ェニルエチルアミン中毒にかかっている人とも考えられる。あるいはフェニルエチルア
ミンという麻薬様の物質の虜(とりこ)になっているだけ。

 このことを私のワイフに説明すると、ワイフは、こう言った。
 「私なんか、半年くらいで、フェニルエチルアミン効果は消えたわ」と。私はそれを横
で聞きながら、「フ~ン、そんなものか」と思った。さて、みなさんは、どうか?

(はやし浩司 恋愛 恋愛の寿命 フェニルエチルアミン ドーパミン効果 麻薬性 は
やし浩司 恋の寿命 恋の命 恋愛の命 脳内ホルモン フィードバック (はやし浩司 
家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 恋のホルモン)

●恋愛至上主義

 恋愛至上主義は、まさにアメリカからもたらされた、「社会毒」と考えてよい。
今の若い人たちを見ると、それがよくわかる。
「恋こそすべて」と考えている。
また「愛があれば、すべて許される」と考えている。
それがある一定の範囲内にあれば、まだよい。
それが過激なほどまでに、行きすぎてしまっている。

が、そんなものは「愛」ではない。
脳内ホルモンの奴隷になっているだけ。
さらに言えば、本能の奴隷になっているだけ。

 ただし、それが悪いというのではない。
それが原点となって、もろもろのドラマが展開される。
人間の行動の原点にもなっている。
だからあのフロイトはこういう言葉を使った。

「性的エネルギー」。

「人間のすべての行動の原点には、性的エネルギーがある」と。

 それを補完すべく、最近の大脳生理学は、つぎのように説明する。
「子どもの気力」について書いた原稿だが、「性的エネルギー」を説明するのには、わかり
やすい原稿と思う。

 またまた少し回り道をするが、許してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもの気力

+++++++++++++++++++++++

最近の研究によれば、生命の根源、つまり(生きる
力)の根源は、どうやら脳の中枢部にある、視床下部
というところにあることがわかってきた(アメリカ・
サイエンス誌・2009)。

そこから脳みそ全体に、強力なシグナルが発せられ、
それが脳みそ全体の活動の根源、しいては人間の
生命活動の根源になっている(?)。

+++++++++++++++++++++++

●強力なシグナル

「強力なシグナル」と書いたが、当然、個人差がある。
シグナルの強い人もいれば、弱い人もいる。
そう考えてよいことは、特別養護老人ホームにいる
老人たちを見ればわかる。

先日も久しぶりに、母がいたホームを訪れてみたが、
その中に1人、こんな女性がいる。
年齢は今年95歳になるという。
母が1年半前に入居したときもそうだったが、そのときも、
大きな声で、看護士や介護士さんたちに向かって、こう言って
叫んでいた。
「飯(めし)は、まだかア!」
「わっち(私)は、何も食べておらんぞ!」と。

大半の女性たちは、(そこは女性専用のフロアなので)、
ぼんやりとした表情のまま、時間をつぶしている。
何割かの女性は、大きな車椅子に横になったまま、鼻からチューブを
通して、一日中、眠っている。
そういう中なので、よけいにその女性が目立つ。

恐らく視床下部からの指令を受けて、ドーパミンが大量に分泌され、
それが線条体という組織を刺激しているのだろう。
性欲、食欲など、人間の欲望は、こうして生まれる。

おなじ高齢者なのに、たとえば私の母もそうだったが、
自分の意思をはっきりと持っている人もいれば、そうでない人もいる。
このちがいこそが、シグナルの強弱ということになる。

私という素人が考えた仮説なので、あまりあてにはならないが、
しかしそう考えると、子どもの世界がよく理解できる。

●萎縮した子ども

 たとえば親の過干渉、あるいは過関心などで精神活動そのものが、
萎縮してしまった子どもがいる。
「萎縮児」とも呼ばれる。
覇気(はき)がなく、おとなしく、静か。
自我の核形成も遅れ、つかみどころがない。
何を考え、何をしたいのかも、よくわからない。
一見、従順で、人なつっこい。
好奇心も弱く、遊びといっても、ごく限られた範囲で、
同じことしかしない。
一部が萎縮しているというよりは、人格全体が萎縮している。

あるいは何らかの原因で燃え尽きてしまった子どもや、
荷をおろしたように無気力になってしまった子どもでもよい。

そういった子どもを見ていると、脳の中枢部、つまり視床下部
あたりから出るシグナルが、弱いのではないかと考えてしまう。
このばあいは、親の過干渉、過関心などで、脳の機能そのものが、
変調したと考えられる。
(本当にそうであるかどうかは、わからないが……。)

つまり私たちが俗に言う、「気力」というのは、そういうものでは
ないか。
「やる気」と言い換えてもよい。

●視床下部

 先の女性でいえば、95歳という高齢にもかかわらず、食欲だけは、
異常に旺盛。
それが好ましいことかどうかという判断は別にするとして、視床下部
あたりから出るシグナルが、人一倍強いことだけは、確か。
それがその女性の(生きる力)の根源になっている。
だからまわりの看護士や介護士さんたちは、みな、こう言う。
「こういう人は、100歳まで生きますよ」と。

実は私の母も、今年(08年)の2月ごろまでは、その女性に、
勝るとも劣らないほどの生命力をもっていた。
一個の茶菓子を取り合って、テーブルの向かい側に座っている
別の女性と、ものを投げ合って喧嘩までしていた。
が、2月ごろ、脳梗塞を起こした。
そのあと、別人のように、静かで穏やかになってしまった。
私が見たところ、生命力そのものが、その日を境に、しぼんで
しまったかのように感ずる。

●エネルギーの根源

 こうしたことから、私たちがいうところの(気力)というのは、
脳の奥深くにある根源的な部分から生まれると考えてよい。
視床下部から発せられるシグナルならシグナルでもよい。
そのシグナルが、やがて(気力)につながっていく(?)。
(そうでないかもしれないが、ここでは、そうであるという
仮定の上で、話を進める。)
そのシグナルが強い人は、あらゆる面で旺盛な気力を示し、そうでない
人は、そうでない。

では、どうすればよいのか。

こと子どもに関していえば、子どもというのは、あるべき環境の
中で、あるべきように育てれば、自然とそういう力を発揮する。
DNAレベルで、そのようにプログラムされている。

が、ここでいう気力にしても、それをつぶすのは、簡単。
ガミガミ、ガンガンと、子どもを叱りつづければよい。
ついでに親の気分で、罵声を浴びせたり、暴力を振るったりすればよい。
無視、冷淡、育児拒否などがあれば、さらに効果的。
子どもは、確実に萎縮する。
動作そのものが、緩慢になることもある。
(あるいは同じような家庭環境であるにもかかわらず、反対に粗放化する子どももいる。
親の過干渉、過関心に抑えられてしまった子どもが萎縮児、
それに反発し、やり返した子どもが粗放児と考えるとわかりやすい。
同じような環境であるにもかかわらず、兄が萎縮し、弟が粗放化する
というケースは、多い。)

●環境

 わかりやすく言えば、(気力)を奪うのは、環境ということになる。
とくに親の接し方ということになる。
だから英語では、「教育」を、「education<educe(引き出す)」という。
つまり能力は、すべての子どもが平等にもっている。
あとはそれを(引き出すか、つぶすか)、そのちがいによって、
子どもは伸びたり、反対に萎縮したりする。
それが教育ということになる。

 なおここで「脳の機能が変調した」という言葉を使った。
これは私が使い始めた言葉だが、ひとつの例として、夜尿症(おねしょ)
がある。
本来なら睡眠中は、脳の命令によって腎臓での尿の生産が抑制される。
が、脳の機能が変調すると、その抑制に乱れが生ずる。
最近では、それが夜尿症の原因と考えられている。
だから夜尿症にしても、ここに書いた子どもの気力にしても、
(しつけ)によって、どうこうなるような問題ではない。
いわんや叱ったり、説教したりして、なおるような問題ではない。
(心の問題)というより、(大脳生理学の問題)。
そういう前提で、こうした問題を考える。

 ずいぶんと荒っぽい書き方をしてしまったが、大筋ではそれほど
まちがっていないと思う。
大切なことは、無理や強制などで、子どものやる気を奪ってしまわないこと。
一度幼児期に萎縮させてしまうと、その後遺症は一生つづくと言っても
過言ではない。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
子どもの気力 子供の気力 子どものやる気 子供のやる気 視床下部 ドーパミン
ドーパミン効果 夜尿症 おねしょ 萎縮する子供 萎縮児 緩慢動作 緩慢行動)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
●変化する日本人

 話をもどす。

 私たちの時代には、「家族」というときには、そこに「祖父母」がいた。
「父と母」がいた。

 が、今の若い人たちが「家族」というときには、「祖父母」はもちろん、「父と母」もい
ない。
いるのは、自分たち「夫婦」と「子ども」だけ。
しかしこれは日本人が昔からもっていた家族観ではない。

 たとえばよく知られた本に、『きけわだつみのこえ(声)』がある。
「第二次世界大戦末期に戦没した日本の学徒兵の遺書を集めた遺稿集」(ウィキペディア百
科事典)である。
その中でも、学徒兵たちは、みな、「お父さん」「お母さん」という言葉を使っている。
「お父さん、さようなら」「お母さん、ありがとう」と。
が、それが今は、「妻」や「恋人」に置き換わった。
学徒兵の残した遺書だから、それが当然かもしれないが、私の時代にあっても、それほど
ちがっていたわけではない。
結婚したあとも、妻や息子たち以上に、実家の父や母のことを心配した。

●デキスギ!

 ずいぶんと遠回りをしたが、映画『アジャストメント』にしても、しかり。
天使(運命を操作しているのは天使という想定になっている)にしても、最後は2人の男
女の深い愛(?)に、心を打たれ、自らその場から引き下がる。
つまりデキスギ!

 最近の若い人たちは、そういう映画を観ても、違和感を覚えないだろう。
当たり前のこととして、受け入れてしまうだろう。
しかし私たちの世代はちがう。
祖父母や親たちの意向を無視して、結婚に走る……ということは、事実上、ありえなかっ
た。
たまに駆け落ち事件というのはあるにはあったが、例外。
「事件」になるほど、例外。
さらにその一世代前はというと、見合い結婚がふつうだった。
私の父と母ににしても、2度目の見合いで結婚を決めた。

 が、それが今は、逆。
「恋愛があれば、すべてが許される」と。
親の意見など、無視。
聞く耳すら、もたない。
昔から「恋は盲目」とは言うが、盲目以上の盲目になって、恋愛から、多くは結婚へと突
っ走っていく。

 が、責められるべきは、こうした風潮。
何も親の意見を聞けと言っているのではない。
「自由」にブレーキをかけろと言っているのではない。
恋愛イコール、欲望と考え、「欲望の奴隷になってはいけない」と、私は説く。
事実、脳下垂体から発せられる信号に応じて、ドーパミンが分泌される。
そのドーパミンの働きは、恋愛による反応も、また喫煙者やアルコール中毒者が見せる反
応とどこもちがわない。
平たく言えば、「新しい車がほしい」と思うのも、「女性を抱きたい」と思うのも、脳内の
メカニズムは、同じということ。

 つまりその原点には肉欲があり、その肉欲には中毒性があるということ。
恋愛至上主義の害は、すべてこの一点に集中される。

●愛論

 映画『アジャストメント』を観て、こうも考えた。
「神様も幼稚だな」と。

 あくまでもこの映画の中で表現されている「神」をいうが、「愛」の解釈そのものがちが
う。
好いた、惚れたというのは、「愛」ではない。
(当の本人たちは、「愛」と思っているかもしれないが……。)
そんなことは、キリスト教の世界では、常識ではないのか?
が、この映画の中では、それが「主題」になっている。
だから「幼稚」。

 で、私はこう考えた。

 最近の若い人たちは、こういう映画ばかり見せつけられているから、それを「愛」と誤
解し、恋愛至上主義に突っ走ってしまう、と。
言うなれば(まがいものの愛)を「愛」と思い込んでしまう。
が、繰り返すが、そんな程度の恋愛なら、そこらの犬や猫でもしている。
犬や猫でもしているような恋愛をもって、「愛」と誤解する。

 ……と書くからといって、先にも書いたように、私は何も恋愛を否定しているのではな
い。
それはそれですばらしい。
人生の花と言ってもよい。
私たち人間だって、もとを正せば動物。
犬や猫と、それほどちがわない。
が、恋愛至上主義に走るあまり、自分を見失ってはいけない。
欲望の奴隷になってはいけない。

 たとえば恋愛するにも、ルールがある。
「自分たちさえとければそれでいい」と考えるのは、まさにルール違反。
そんな身勝手な恋愛は、それ自体が「自己愛」。
自己中心性が凝縮した状態を、「自己愛」という。

●アメリカ映画の弊害

 アメリカ人がどんな文化をもとうが、それはアメリカ人の勝手。
しかし日本には日本の風土、文化というものがある。
優劣はない。
ないが、人間はそれでよいとしても、日本の風土、文化が、それをフォローできないとき、
そこに弊害が生まれる。
たとえば冒頭に書いた、「家族」。

 古来よりこの日本では、年老いた両親は、息子や娘たちがめんどうをみることになって
いた。少なくとも私たちの世代まではそうだった。
が、今はちがう。
「恋愛しました。結婚します。お父さん、お母さん、ハイ、さようなら!」と。

 老後の社会環境がシステムとして確立している欧米なら、まだそれも許される。
しかしこの日本では、そうでない。
老人たちだけが、ハシゴをはずされた状態になってしまう。
その結果が今。
独居老人、孤独死、無縁死……。
老人ホームに入るのにも、2年待ち、3年待ち……。

 「宗教心はありません。墓など不要です」と言うのは若い人たちの勝手だが、ものの価
値観というのは相互に認めあってこそ、意味をもつ。
「自分たちは正しい」と思うのは、その人の勝手だが、その返す刀で、相手に向かって「あ
なたはまちがっている」と切り捨ててはいけない。
もちろん相手が親であっても、だ。

 が、今の若い人たちは、古い世代を平気で切り捨てる。
恋愛至上主義にしても、そうだ。
そこには親がいる。
兄弟もいる。
家族がいる。
そういうことを忘れて、それだけが「すべて」と思ってはいけない。

 映画を見終わったあと、私はこう思った。
「こういう映画ばかり観ていると、ますます恋愛至上主義者がふえるだろうな」と。
これをアメリカのたれ流す「社会毒」と言わずして、何という?

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 恋愛至上主義 社会毒 はやし浩司 恋の寿命 恋愛の寿命 フェニ
ルエチルアミン はやし浩司 フェニールエチルアミン フェニルエチルアミン 恋のホ
ルモン 恋愛論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


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