Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, March 12, 2008

*A Mother's Choice *Silence


● ある選択(A Final Choice)
G-san’s husband is going to a city in Saitama-pref for his new job, and asked for my advice whether it is better for her to go with her husband or let her husband go alone. She has one daughter and one son. They are elementary school pupils. Which do you think it is better for her? The school teacher said to her, “It is better for your husband to go alone and leave your daughter and son here in Hamamatsu for their studies”.

Gさんが、こう相談してきた。

「夫が、今度、埼玉県に転勤することになりました。
ついて、私や子どもも同行すべきかどうかで、悩んでいます」と。

Gさんが悩むには、それなりの理由がある。

現在、娘(小6)と、息子(小2)が通っている学校が、子どもたちに
たいへん適した学校であるということ。「環境がすばらしい」と、Gさんは言った。

埼玉県は、受験競争がはげしく、のんびり屋の娘と息子には向かないのでは
ないかと心配している。
よい学校や、よい先生にめぐり会えるかどうか、それも心配している、と。

そこで学校の先生に相談すると、担任(小6の娘)の先生は、こう言ったという。
「お父さんだけが、単身で赴任をしたほうがいいのでは……」と。

学校の先生は、「転校したからといって、今より、よい学校に入れるとはかぎらない」
という意味で、そう言ったらしい。

わかりやすく言えば、Gさんは、(1)子どもの教育を中心にものを考えるか、
(2)家族のつながりを大切にしてものを考えるか、その選択に迫られている
ということになる。

夫が埼玉県へ単身で赴任すれば、その時点で、家族はバラバラになってしまう。
Gさんは、「だからどうしたら、いいか?」と。

で、私は、こう言った。
「夫婦の問題だから、夫婦のきずなを最優先にして考えたらいいのでは?」と。
というのも、こうした相談そのものが、たいへん日本的である。

もしアメリカあたりで、夫が単身でどこかへ赴任すると言いだしたら、妻のほうから
離婚を申し出るだろう。いわんや子どもの学校のために、夫婦がバラバラに暮らすと
言ったら、笑い話にもならない。

もし、それでも……ということになれば、子どもだけを、現地の寄宿舎学校に
残すという方法を選択するかもしれない。
さらに言えば、こうしたケースでは、子どもの意思も尊重しなければならない。
子どもは、どう望んでいるのか?

しかしこの日本では、そうはいかない。
「現実」がそこにある。
学校を離れて道はない。
学校に背を向けたら最後、コースの外にはじき飛ばされてしまう。
Gさんも、それをよく知っている。

そこで究極の選択。あなたならどうする?

子どもの教育を考えて、夫には、単身で赴任してもうか?
それとも、家族、とくに夫婦のきずなを優先させるか?


●沈黙の価値
The value of Silence
In western world they say, “Don’t speak out unless you know the value of silence”.
In Japan we also say that “Silence is Gold” or “The mouth is the beginning of a trouble”.
These proverbs mean that we had better not speak out unsure things in the public, or it often hurts other people’s minds unexpectedly. But I have found another meaning in the proverb while I am talking with a care-manager of old men. This is an article I write about the another meaning of it.

『沈黙の価値がわからぬものは、しゃべるな』という格言がある。
どこかで読んだ、西洋の格言である。
同じような格言だが、日本では、『沈黙は、金なり』という。
『口は災いのもと』というのもある。

要するに、つまらないこと、くだらないことは、しゃべるなという意味である。
が、最近、『沈黙の価値がわからぬものは、しゃべるな』には、もっと
別の意味があることを学んだ。

結論を先に言えば、ものごとは、考えてから、しゃべれということ。
さらに、知ったかぶりをするな。わかったフリをするな。
へたな同情をするな。だれかの不幸を、酒の肴(さかな)にするな。

さらに『沈黙の価値』がわかるようになると、相手の本心まで見ぬけるようになる。
相手がよく考えてしゃべっているか。本当にそのことを知っていてしゃべっているか。
本当にこちらの苦労が、わかっているか。本当に私に同情しているか。
本当に私の秘密を守ってくれるか。

ケアセンターでケアマネ(ケア・マネージャー)をしている人が、こんな話を
してくれた。

その女性(60歳)は、その地域でも、すばらしい女性と評価されていた。
ヒマを見つけては、ひとり住まいの老人宅を訪れて、そういった老人の世話を
していた。
ときには、一日がかりで、1人の老人のために、車を走らせることもあったという。

が、その女性の父親(当時、80歳くらい)が、認知症になってしまった。
その女性の介護を必要とするようになった。
とたん、その女性の様子が変わった。

あれほどにまで、こまめに他人のめんどうをみていた女性だったが、
ことそれが自分の親となったとき、今度は、虐待に近い行為をするようになったという。
たまたまそのケアマネの人が、訪れたときも、朝食も、昼ご飯も、
ご飯とみそ汁だけだったという。夕飯も、それに近いものだったという。

つまりその女性は、自分をよく見せるために、善人のフリをしていた。
もっと言えば、老人を、自分の(飾り)に使っていた。

だから会う人ごとに、それとなく自分の行為を吹聴していた。
方法は、こうだ。

まず、さもある老人に同情しているかのようなフリをする。
そして「かわいそうだ。あの人は、本当にかわいそうだ」と言う。
「ひとり住まいで、家族にも見捨てられている」と言う。
ときに、涙声になることもあったという。
そして相手が、自分の話術の中に入ってきたのを見届けると、おもむろに、自分の
自慢話をその中に混ぜる。

「私ね、見るに見かねて、書類を作ってあげたのよ。書類といっても、
隣町に住む息子さんのところまで、行かねばなりませんでしたよ」とか。

ケアマネの人は、こう言った。
「そのときはわかりませんでした。あの女性が、そういう人だったとはね」と。

こういう例は、多い。ウソで塗りかためたような善人である。

……ということで、つまりそういう話を聞いたあと、実は、私自身も、他人に対して、
その女性と同じようなことをしているのに気がついた。
ここでいう「へたな同情」というのが、それに当たる。

それほど悲しくもないのに、悲しんでいるようなフリをする。
それほどつらくもないのに、つらがっているようなフリをする。

そういうときの自分は、思い出しても、ぞっとする。
自分の醜さを、見せつけられるようで、ぞっとする。

一方、こんなこともある。

二男の嫁のことだが、生粋の南部生まれ。南部育ちのアメリカ人である。
その嫁のことを見ていると、「よくまあ、ここまで真正直に生きられるものだ」と、
感心することが多い。

日本的な、(おじょうず)や(体裁)を、まったく言わない。
言わないものは、言わないのであって、まったく言わない。
白人の世界のことはよく知っているつもりだったが、そんな私でも、
最初は、嫁の姿勢に面食らった。とまどった。

日本的に言えば、裏表がない。見たまま、言ったままが、嫁ということになる。
が、つきあうようになって、6年。

今では、もっとも信頼できる友人(?)の1人になっている。
ウソや隠しごとが、まったくない。
一度、「あなたにも恋人がいただろうに、どうして(アジア人の)息子なんかと
結婚したの?」と聞いたことがある。
すると嫁は、過去につきあった男性のことを、ことこまかく、まるでレポートの
ように書いて、私にメールで送ってきた。

これには私も驚いた。ワイフも驚いた。「別に、そこまで聞くつまりはなかったの
に……」と。

つまり嫁にすれば、何でも、ウソや隠しごとなく相手に伝えることが、親密さの
表れと取ったようだ。
またそれが嫁の住む世界では、常識だったのかもしれない。

やがて私たち夫婦も、自分たちのことを、ウソや隠しごとなく、話すようになって
いた。

で、その結果だが、私も、嫁に対してだけは、ウソをつかない。
どんな約束でも、きちんと守る。
嫁は嫁で、私が頼んだことについては、きちんとこたえてくれる。
どんなささいなことでも、だ。

そういう嫁を見ながら、ワイフはいつもこう言う。
「アメリカ人って、本当にわかりやすくていいわね」と。
と、同時に、私たちの周囲の人たちが、あまりにもわかりにくいので、驚く。
とくに郷里のG県のM町の周辺の人たちは、そうである。
(みなが、みな、そうというわけではないが……。)
ときに、何が本当で、ウソかまったくわからなくなるときがある。
いつもキツネとタヌキの化かしあい。そんな印象すらもっている(失礼!)。

表ではニコニコ笑いながら近づいてきて、話を聞く。裏では、こっそりとそれを
酒の肴にしたり、私の悪口を言ったりする。
「油断もスキもあったものではない」というのは、ああいう地方で、使う言葉
なのかもしれない。

だからあえて言う。『沈黙の価値のわからぬものは、しゃべるな』と。
それは同時に、私とあの郷里の決別を意味する格言でもある。

(あ~あ、これで私はますます郷里へ帰りにくくなるぞ!)