Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, May 27, 2008

*About the Care of Old Parents

●介護について(About the Care of Old Parents)

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親を含めて、肉親の介護には、
いろいろと問題がある。

実際、その介護をしてみて、,私が
感じたことを、ここに、記録として
残しておく。

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●介護は、重労働

当初から親と同居しているケースは別として、介護を必要とするようになってから、その親と同居するということは、不可能と考えてよい。またそういう前提で、介護の問題を考える。

現に欧米では、そういうケース、つまり介護を必要とするようになってから、その親と同居するというケースは、きわめて、稀(まれ)。

私も実際、母の介護をしてみて、それがわかった。母との間には、それまで、いろいろと確執はあるにはあったが、相手は、90歳の老人。介護を始めたとたん、「こんな老人を相手にしてもしかない」と思ったとたん、それまでのわだかまりは、ウソのように消えた。

母には、私たちの寝室を、与えた。風呂にもトイレにも近い。庭が見渡せるし、間取りも広い。その部屋に、ベッドとソファ類を置き、歩きやすいようにと、部屋中にパイプを設置した。そんな私でも、やがて「不可能」と感じるようになったのは、いくつか、事故が重なったからである。

「あわや!」と思われるような事故も、3回、つづいた。たまたま発見が早かったからよかったようなもの、もし発見が遅れていたら、母は確実に死んでいた。

が、私の家は、まだよいほう。母の部屋にしても、2方に広い窓(南側は、2間幅の履きだし窓)になっていた。木造だから、改変も自由にできた。
が、マンションのような鉄筋づくりだと、そうは、いかない。

●介護は、便との闘い

私はいつしか、「介護は、便との闘い」と思うようになった。
独特の加齢臭は、ファンを設置したりして、何とか軽減することができたが、問題は、やはり便だった。

日に何度か、パットを交換するのだが、日によって、母は、パットがぬれたりすると、紙おむつそのものまではずしてしまった。で、その状態で、ふとんの中で寝るから、毛布も、ふとんも、便で汚れてしまうということもあった。

それに予期せぬできごとも、つづいた。

たとえば私の家には、ハナという猟犬がいる。母とそのハナは、どういうわけか、相性が合わなかった。ハナは、母の姿を見るたびに、ワンワンと、けたたましく、吠えた。

母は、朝、4~5時ごろ、カーテンを開ける。それを見て、ハナが吠える。私たちも目を覚ます……。そこで私たちは、母の部屋を一日中、電気をつけっぱなしにし、夜、昼の区別が母にできないようにした、などなど。

……というのは、まだマイナーな問題かもしれない。

母に、無線の呼び出しベルをもたせたこともある。首にネックレスのようにして、それをかけさせた。が、母は、真夜中でも、それを押して、私たちを呼んだ。「水がほしい」「足が痛い」と。私たちが睡眠不足になってしまった。

が、これもまだ、マイナーな問題と考えてよい。

●老人にもいろいろ

介護老人といっても、私の母などは、まだよいほう。ふだんは、静かで、おとなしい。しかし老人の中には、一晩中、大声を出して暴れる老人もいる。ものを投げつけたり、暴力を振るう老人もいる。

足がじょうぶな老人だと、徘徊という問題もある。N氏は、そのとき90歳くらいだったが、裏の塀を乗り越えて、毎晩、出歩いていたそうだ。塀といっても、2メートルもあるような高い塀である。

こうなると、介護する側の疲れは、倍加する。そこへアルツハイマー病、ピック病、さらには血栓性の脳障害が加わると、さらにたいへん。介護疲れから、半年で、5~10キロも体重を減らしてしまった人もいる。

そうした事情も知らない人、あるいは介護の経験がない人は、安易に、『ダカラ論』をぶつけてくる。「何といっても、親だからねえ」とか、「何といっても、あなたは子だからねえ」と。

私も何度か、そう言われた。が、こうした『ダカラ論』ほど、その渦中にある人を苦しめる言葉はない。

繰り返すが、老人にも、いろいろある。さらにそれまで良好な親子関係であったのなら、まだ救われる。そうでない親子も、多い。そういう子は、それまでの(わだかまり)や(こだわり)とも闘わねばならない。

●ケア・センター

介護度が4とか5になったからといって、ケア・センターに入居できるというわけではない。浜松市のこのあたりでも、半年~1年の順番待ちというのが、実情である。が、順番がきたから、入れるというものでもないらしい。

ケア・センターのほうでは、直接、そういうことは公言しないが、ある程度の人選はしているようだ。わかりやすく言えば、(扱いやすい老人)を、優先的に入居させている(?)。

暴れたり、暴力を振るう老人は、当然のことながら、敬遠される。持病をもっている老人についても、そうだ。「うちには、医療設備はありませんので……」とか何とか言って、やんわりと断られる。

言い換えると、慢性的な病気をもっている老人は、それだけ入居しにくいということ。もちろん医療機関を併設しているケア・センターもあるが、数は、まだ少ない。

もちろんケア・センターでは、それなりの費用がかかる。

下は、月額6~7万円から、上は、20万円前後まで。その老人の所得や財産に応じて、額が決まる。年金がじゅうぶんある老人は、まだよい。が、私の母のように、月額2万5000円前後の老齢年金しかない老人のばあい、差額は、すべて、家族の負担となる。

くわえて治療費。

救急車で病院へ運ばれるまでは無料だが、たいていそのまま個室に入院ということになる。
そうなると費用は、1~2泊しただけで、帰りの寝台付タクシー代も含めて、3~7万円もかかる。

幸い、私たちは浜松市という大都市に住んでいるからよいようなものの、少し離れた郊外の町や村に住んでいる人は、さらにたいへん。たとえば寝台付タクシーのばあい、通常のタクシー代の約5倍の料金がかかる。

●治療拒否

私の母も、それまではたびたび、救急車で病院へ運ばれた。しかし最後のときには、担当のドクターに、こう言われた。「この先、救急車でおいでになっても、延命処置はもうしません。天寿と思ってください」と。

私はそのとき、「そういうものかなあ?」「そういうものだろうなあ?」と、自分で自分を納得させるしかなかった。

人の命は、地球よりも重いとか何とか言うが、こと介護老人について言えば、鳥の羽よりも軽い(?)。私の知人などは、病院のドクターにこう言われたという。

「うちの病院では、治る見込みのある人は治療しますが、そうでない人は、治療しません」と。

が、この問題は、何も介護老人の問題ではない。私たち自身の問題でもある。私たちも、やがて確実に、老人になる。介護老人になる。そのときもし、あなたがドクターに、「もう延命処置はしません」と言われたら、あなたはどう感ずるだろうか。

●運命は受け入れる

親の介護で苦労している人も多い。さらに兄弟姉妹の介護で苦労している人も多い。そこへ、親の財産問題、金銭問題がからんでくるというケースもある。あるいは介護費用の分担をめぐって、兄弟、姉妹が、怒鳴りあいの喧嘩をするというケースも、珍しくない。

叔父や叔母が介入してきて、問題がさらに複雑化するというケースもある。

こうなると、それまでの親子関係など、どこかへ吹っ飛んでしまう。(親の存在)そのものが、騒動の(種)となる。が、問題は、まだつづく。

いわゆる老・老介護の問題である。

平均寿命が延びたことは、よいことかもしれない。が、90歳の老人を、70歳を過ぎた息子や娘が面倒をみるというケースも少なくない。子のほうが、先に認知症になるというケースもある。もちろん双方ともに、収入は、ゼロ。責任能力も、ゼロ。

「親の介護」といっても、内容はさまざま。事情も、それぞれの家庭に応じて、複雑。それを無視して、あれこれ論じても意味はない。ないが、ひとつだけ言えることがある。それは、『運命は、受け入れる』ということ。

そこにある(現実)をすなおに受け入れていく。あるがままを認めて、受け入れていく。それを「運命」と呼ぶなら、運命でもよい。それぞれの人には、無数の糸がからんでいる。からみあって、その人の進むべき方向を決めていく。

あとは、その運命に従えばよい。

その運命に逆らうと、運命は、キバをむいて、私たちに襲いかかってくる。しかしひとたび運命を受け入れてしまえば、運命は、向こうからシッポを巻いて逃げていく。

●現状

私たちは、現在、ケア・センターの人たちに、たいへん感謝している。というのも、母がケア・センターに入居してからというもの、再びというか、それ以前よりも、気が楽になった。

自由な時間も、もどってきた。生活のリズムも、以前のそれにもどった。今は、ときどきケア・センターを見舞う程度ですむ。政治家の中には、「(こうした)施設が、姨捨(おばすて)の場になっている」と非難する人もいるが、それはどうかと思う。

もしそれが「姨捨」なら、欧米の国々では、ほとんどすべての人が、姨捨をしていることになる。むしろ現状は逆。

介護制度の貧困さを、こういう言葉でごまかそうとしているのではないか。今のような豪華な施設でなくともよいから、こうした施設を、もっともっとふやすべきと私は考える。

「子に老後のめんどうをみてもらいたい」と願っている人もいるかもしれないが、「子には迷惑をかけたくない」と願っている人は、もっと、多いはず。私たち夫婦もそうで、老後は、どこかの施設に入ることを、すでに検討し始めている。

つまり「捨てられる立場」になるわけだが、捨てられたところで、一向に構わない。ただし、それには条件がある。

●ムダに生きるか?

ケア・センターの中で生活する老人たちを見ていると、大半の人たちは、ただ生きているだけといった感じがする。毎日、うつろな目つきで、空を見つめているだけ。私の母にしても、食事のとき以外は、ひたすら眠っているだけ。

話しかけても、返事もない。あるいは、いつも「元気?」「元気?」という程度の会話しかできない。

そういう老人たちのために、国は、1人あたり、月額にして、30~40万円の税金を投入している。今は、まだよい。しかし私たち団塊の世代が、後期高齢者(75歳以上)になるころには、3人に1人が、こうした老人になる。

そのとき、私たちが、現在のような手厚い介護を受けられるかどうかということになると、答は、NO! 不可能!

そうしたことも考えると、ムダに長生きするなら、早めに死んだほうがよいということになる。いや、これは私の母のことを言っているのではない。私自身のことを言っている。

何でも東京都では、そうなると火葬場まで不足してくるという。だから火葬設備のある船、つまり火葬船を用意する計画まで、取りざたされている。

何ともさみしい話だが、これが現実である。そこに待っている現実である。

しかも恐ろしいことに、私たちにしても、いつか突然、ケア・センターの中にいるような老人になるわけではない。10年とか、20年とか、長い時間をかけて、少しずつ、ああなっていく。

つまりすでに今、私たちがその過程にいるということ。50歳とか、60歳からではない。40歳から、あるいは30歳から、その過程にいるということ。

介護の問題は、けっして、老人だけの問題ではない。