Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, June 25, 2008

*Hideyoshi & Hamamatsu-city

●秀吉と浜松(Hideyoshi & Hamamatsu)
Do you know the fact that Hamamatsu city has produced many well-known people such as Honda, Suzuki and Toyota. Tokugawa-Ieyasu once lived in this city. But few know that Hideyoshi lived here for three years when he was about 15 years old.

私が住む浜松市は、不思議な町である。
古くは徳川家康の住んだ町として知られている。
そのため浜松城は、別名、「出世城」と呼ばれている。

現在にいたっては、ホンダ、スズキ、それにトヨタの創始者は、
すべて、この浜松市周辺で生まれ育っている。

が、忘れてならない人物に、もう1人、いる。
豊臣秀吉である。

「当時、15歳だった秀吉は、生まれ故郷を飛び出して、
行商をしながら東海地方を転々としていた。

そして浜松で、松下加兵衛(かへい)と出会う。
江戸時代に書かれた『太閤記素性記』によれば、
加兵衛はそのとき、『猿かと思えば人、人かと思えば猿』
という印象を秀吉に抱いたという」(日本史・河出書房新社)
とある。

そのあとの話は省略するが、もしこのとき秀吉が加兵衛に
会っていなければ、その後の秀吉は、いなかったと
断言してもよい。

秀吉は加兵衛に、3年間奉公し、生まれ故郷の尾張に帰っていく。
つまり、秀吉も、この浜松に住んでいたことがある!

なお秀吉は天下を取ったあと、「……そこで1585年(天正13)ごろ、
秀吉は昔の恩に報いるため、加兵衛を招き、丹波国に2000石、伊勢国内に
1000石を与えた」(同書)そうだ。

秀吉と加兵衛、それに浜松とのつながりには、相当なものが
あったようだ。

……ということで、私も、この事実を、はじめて知った。

ついでながら、私を幼児教育の世界にはじめて導いてくれたのが、
恩師、故松下哲子(のりこ)先生である。
同姓であるところが、少し気になる。

フ~ン。