*When you son or daughte is dropped out of the course
●3年保育が、主流?(The Japanese prefer “Pattern”, so does too about their education)
When a mother (or a father) is told by her son’s or daughter’s teacher to drop out him or her to a lower class, the mother would become crazy or mad, or in Japan no children drop out of the course. From where does this difference come?
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現在、どこの私立幼稚園も、経営がきびしい。
とくに、市中の幼稚園ほどそうで、園児減少に、
歯止めがかからない状態がつづいている。
一般論として、私立幼稚園のばあい、「200人」
というのが、ひとつの目安になっている。
園児数が、200人を切ると、とたんに経営が
きびしくなる。
だからどこの幼稚園も、園児数を確保するため、
3年保育、4年保育と年数を延ばすことで、対処している。
さらに最近では、幼保一元化の波(?)にのって、
夕方5時前後までの、長時間保育をするところが
ふえている。
それとて、その必要があって、そうしているのではない。
経営を成り立たせるために、そうしている。
そんな中、N県に住んでいる1人の母親が、
こんな相談を寄せてくれた。
「2年保育にすべきか、3年保育にすべきかで、
悩んでいる」と。
で、幼稚園の園長に相談すると、「うちは3年保育
が主流だから……」と言われたとか。
主流?
そんな話は聞いたことがない。
また何をもって、「主流」というのか?
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【N県にお住まいの、TMさん(母親)より】
……昨日、R幼稚園へ見学のお電話をしたところ、
園長からあれこれと、事情を聞かれました。
「うちは3年保育が主流の昨今です。
2年保育で入ってくる子は、通常転勤なさってきた子どもで、
幼稚園通園の経験もある子どもたちです。
2年保育から初めてとなると、1年間の経験のブランクは、
かなり大きく4歳になると物ごとがはっきりと
わかるるようになるので、溶け込むのがなかなか難しいと
思われますので、できるだけ早くに通わせてあげるのが、
子どものためだと思いますよ」と言われました。
1年間の経験のブランクと言われると不安です。
子供はもっと柔軟だと考えるのは甘いのでしょうか。
いわゆる「遅れる、後れる」ということなのでしょうか?
2年保育で十分と考えているものの、
このような話を聞かされたり、周囲からも、
度々同様のことを言われることで、
正直、私が間違っているのかしら・・・と、
不安になり、わからなくなってしまうことの繰りかえしです。
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●異常な集団教育
日本も、一度、幼児教育のあり方を、基本的な部分から
考えなおしたほうが、よいのではないか。
日本では、(集団教育)をもって、「教育」と誤解している。
また子どもにしても、(集団)から、はみ出ることを、許さない。
(集団)になじむ子どもイコール、「いい子」。
そうでない子どもイコール、「問題児」と。
「遅れる(後れる)」という、あのイヤ~ナ言葉も、
そこから生まれた。
いったい、何から、遅れるというのか。
たまたま今日、カナダに住んでおられる、Mさん(母親)から、こんな
メールが届いている。
いわく、「日本と海外とは、かなり状況が異なります。
カナダでは、今住んでいるところは、ローカルですが、
(幼稚園といっても)、本当に公園に遊びにいくかのような状態から、
徐々に始まり、15人以下の幼児を2人の先生で、見てくれます。
保育時間も本当に短いです。
実際、公園・公共の場での状況もかなり違います。
公園では、見ず知らずの子どもたちどうしでも、
笑顔で受け答えしながらんでいるといったふうです」と。
私の孫(アメリカ在住)も、プレ・スクールに通い始めたが、
最初の1年間は、週に、数度、ときどき通ったにすぎない。
(現在は、日本でいう年長児で、月~金までのフルタイムで
通園している。)
オーストラリアでは、最初は、たとえば、月、水、金……というように、
週3回保育というのが、ふつうになっている。
もちろん保育時間も短い。
で、日本の(異常さ)は、海外へ出てみないとわからない。
(もちろんよい面もあるが……。)
が、何が異常かといって、日本独特の集団教育偏重主義ほど、
異常なものはない。
集団教育を否定しているのではない。
一方で、「個の尊重」「個の確立」あってこその、(集団教育)
である。
「個の尊重」「個の確立」をしないまま、一方的に(集団教育)を
押しつけながら、「押しつけている」という意識すらない。
日本の教育のもつ悲劇は、すべて、この一点に集約される。
●日本の「型」
日本には、あらゆる場面に、「型」がある。
「型」が好きな国民で、その「型」を作らないと、安心できない。
冠婚葬祭は言うに及ばず、日本でいう「伝統文化」というのは、
すべて、その「型」をいう。
教育についても同じで、まず「子どもの型」を想定する。
そしてその「型」に、子どもを、当てはめようとする。
「型に当てはめる」というのは、即、「個の否定」を意味する。
もちろん日本の子どもにも、個性はある。
しかし「個性の幅」ということになったら、日本人は、とても
欧米人には、かなわない。
かなわないことは、これも、外国へ出てみて、はじめて、わかる。
言いかえると、日本人は、それだけ、個性を認めないということになる。
もっと言えば、個性的な生き方を認めない。
幼児教育から、そうなっている。
そのひとつが、N県に住んでいる1人の母親のメールに表現されている。
「遅れる(後れる)」と。
こうした欧米との違いが、もっとも顕著に現われるのが、
「落第」の問題である。
アメリカでは、先生が、「あなたの子どもを1年、落第させます」と
告げると、親は、喜んで、それに従う。
「喜んで」だぞ!
オーストラリアでも、似たようなものだが、少し事情がちがう。
「落第」について、親も子どもも、かなり心理的に抵抗するようだ。
「喜んでという雰囲気ではない」(友人の弁)とのこと。
しかし現実に、その友人の兄弟のばあいも、5人中、2人が、小学生時代に
落第を経験している。
もう1人は、高校生のときに、落第を経験している。
つまり「落第」というのが、ごくふつうのこととして、なされている。
が、この日本では、ちがう。
先生が「落第させます」と告げたら、それだけで親は、半狂乱になる。
不登校にしても、そうだ。
日本人は、コース(型)から、自分の子どもがはずれることを、
極端に警戒する。
冒頭に書いた園長は、こう言っている。
「2年保育から初めてとなると、1年間の経験のブランクは、
かなり大きく、4歳になると物ごとがはっきりと
わかるるようになるので、溶け込むのがなかなか難しいと
思われますので、できるだけ早くに通わせてあげるのが、
子どものためだと思いますよ」と。
私は、この文章を読んで、本当に声を出して笑った。
「1年間のブランク」だと?
しかも幼児期に?
本当は、自分の幼稚園の経営しか考えていないのでは
ないのか?
仮にそうであるとしても、では、その園長は、園児たちを
どういう子どもにしようとしているのか?
……すでに将来の、高校受験、大学受験を想定している?
むしろ事実は逆で、この時期は、濃密な親子関係を大切に
したほうがよい。
「早く幼稚園へ入れれば、それだけ頭のよい子ども(=勉強が
できる子ども)になる」と考えるのは、幻想でしかない。
かなりきびしい意見を並べたが、「日本も、一度、
幼児教育のあり方を、基本的な部分から考えなおしたほうが、
よいのではないか」というのは、そういう意味である。
親の事情が許すなら、幼稚園は、2年保育で、じゅうぶん!
それがわからなければ、40年前の日本を思い出してみる
ことだ。
当時は、1~2年保育が主流で、3年保育など、ほとんどなかった。
約5%の子どもは、幼稚園(もちろん保育園も)へ通わないまま、
小学校に入学していた。
「型」について書いた原稿を、2作、さがしてみた。
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●「型」
もともと「学ぶ」は、「マネブ(まねをする)」に、由来するという。つまり日本では、「先人のマネをする」が、「学ぶ」の基本になっている。そのひとつが、日本独特の「型」教育。日本人は、子どもを、型にあてはめることを教育と思い込んでいる。少なくとも、その傾向は、外国と比べても、はるかに強い。そのよい例が、英語の書き順。
たとえば「U」は、まず左半半分を上から下へ書き、つぎに右半分を上から下に書いて、底の部分でつなげる。つまり二画だそうだ。同じように、「M」「W」は、四画だそうだ。こういう英語国にもない書き順が、日本にはある! 驚くというより、あきれる。ホント!
そのため、日本では、今でも、先生は、「わかったか?」「では、つぎ!」と授業を進める。アメリカやオーストラリアでは、先生は、「君はどう思う?」「それはいい考えだ」と授業を進める。この違いは、大きい。またその根は、深い。
もうトメ、ハネ、ハライなど、もうなくしたらよい。それを守りたいという人に任せて、少なくとも、学校教育の場からは、なくしたらよい。(もう二〇年前から、私は、そう主張しているのだが……。)書き順にしても、それにこだわらなければならない理由など、もう、ない。守りたい人が守ればよい。守りたくない人は、守らなくてもよい。それよりももっと大切なことがある。その「大切な部分」を、教えるのが教育ということになる。この「ワンポイントアドバイス」の中では、それを書いた。
ただこういう私の意見に対して、「日本語の美しさを君は否定するのか?」という反論もあるのも、事実。とくに書道教育関係者からの反論が、ものすごい。
しかしこのアドバイスの中にも書いたように、「美しい」とか、「美しくない」とか思うのは、その人の勝手。それを他人、なかんずく子どもに押しつけるのは、どうか。私は、トメ、ハネ、ハライがあるから文字が美しいとか、ないから美しくないとか、そういうふうには、思わない。みなさんは、この問題を、どう考えるだろうか?
● 国語の勉強は、読書に始まり、読書に終わる。アメリカの小中学校へ行って驚くのは、どの学校にも、図書室が、学校の中心部にあること。(たいていは玄関を入ると、そのすぐ近くにある。)そして小学校の場合、週一回は、「ライブラリー」という勉強がある。これはまさに読書指導の時間と思えばよい。
さらに驚くべきことは、この読書指導をする教師は、ふつうの教師よりもワンランク上の、「修士号取得者」があたることになっている。このあたりにも、日本とアメリカの教育に対する考え方の違いが、大きく出ている。もちろん、アメリカには、英語の書き順などない。(また書き順と構えなければならないほど、文字の数そのものがない。)※
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【意識について】
●絶対的な意識は、ない
人間のもつ「意識」ほど、いいかげんなものはない。意識には、絶対的なものもなければ、普遍的なものもない。いろいろな例がある。
私が、それに最初に気づいたのは、オーストラリアで留学生活をしていたときのことだった。私には、何も自慢するものがなかった。それで、ことあるごとに、私は、「ぼくは、日本へ帰ったら、M物産という会社に入社する。日本でナンバーワンの会社だ」と、そう言っていた。
が、ある日、一番、仲のよかったD君(オーストラリア人)が、こう言った。「ヒロシ、もうそんなこと言うのは、よせ。君は、知らないかもしれないが、日本人のビジネスマン(商社マン)は、ここ、オーストラリアでは、軽蔑されている」と。
私は、大学四年生になると、何も迷わず、商社マンの道を選んだ。それが私にとって、正しい道だと信じていた。しかしその商社マンが、オーストラリアでは、軽蔑されていた!
当時の日本は、高度成長期のまっただ中。新幹線を走らせ、東京オリンピックを成功させ、大阪万博を開いていた。そういう時代である。同級生たちのほとんどは、銀行マンや証券マンの道を選んだ。
有名な企業であればあるほど、よかった。大きな企業であればあるほど、よかった。が、そういった意識は、実は、そのときの日本という、大きな社会で、作られたものだった。
D君のこの言葉は、私の一生に関するものだっただけに、私に大きな衝撃を与えた。私は自分のもっている意識を、そのとき、こなごなに、破壊された。が、同時に、私は未来への展望を、見失ってしまった。
それはそれとして、こうした意識を、私たちは、生活のあらゆる部分でもっている。人生観、哲学観、宗教観にはじまって、好み、嗜好(しこう)、夢や希望などなど。が、どれ一つとて、絶対的なものは、ない。普遍的なものも、ない。
たとえば私は、中学一年生のとき、ある女の子が好きになった。好きで好きで、たまらなかった。で、そのときは、その女の子ほど、すばらしい女性は、いないと思った。だから生涯にわたって、その女の子を好きなままだろうと思った。思っただけではなく、そういうふうに信じていた。
しかしその恋は、やがてシャボン玉がはじけるように消えた。そしてそれにかわって、「どうしてあんな女の子が好きだったのだろう」と思うようになった。
●子育て観も、同じ
もちろん、子どもに対する親の意識にも、絶対的なものもなければ、普遍的なものもない。そのことを思い知らされたのは、こんなことを知ったときだ。
アメリカでは、学校の先生が、親を呼びつけて、「お宅の子を、落第させます」と言うと、親は、それに喜んで従う。「喜んで」だ。
あるいは自分の子どもの成績がさがったりすると、反対に、親のほうから、学校へ落第を頼みにいくケースもある。
これはウソでも、誇張でもない。事実だ。アメリカの親たちは、そのほうが、子どものためになると考える。が、この日本では、そうはいかない。そうはいかないことは、あなた自身が、いちばん、よく知っている。
意識というのは、そういうもの。
そこで、いくつかの教訓がある。一つは、今、自分がもっている意識を、絶対的であるとか、普遍的なものであるとか、そういうふうに、思ってはいけないということ。
つぎに、意識というのは、変わりうるものだという点で、自分の意識には、謙虚になること。自分の意識を、他人や家族に、押しつけてはいけない。
もう一つは、意識というのは、どんどんと変えていかねばならないということ。変わることを恐れてはいけない。また一つの意識に、固執してはいけない。
●そのときどきの、「懸命」さ
こう書くと、意識というのは、流動的ということになる。そういう前提に立つなら、「では、何を信じたらいいのか」という問題が起きてくる。
その答は、ただひとつ。「そのときどきで、懸命に生きればいい」ということ。
よく若い人が、こう言う。「あとになって後悔するよりも、ぼくは、今、自分が信じていることをしたい」と。
それはそのとおりで、他人の意見というのは、あくまでも参考にしかならない。仮にその意識が変化しうるものであっても、そのときは、そのときで、懸命に生きればよい。その結果がどうなろうとも、それは、そのあとに、考えればよい。
たとえばわかりやすい例で、考えてみよう。
だれか女の子に恋をしたとする。そのとき、その女の子が好きだったら、とことん好きになればよい。その意識が変わるとか、そういうことは考えなくてもよい。その「懸命さ」の中に、重大な意味がある。
そして、その女の子と、結婚したとする。が、しばらくは、ラブラブのハネムーンがつづいたが、そこで意識が変化したとする。落胆と幻滅が、結婚生活をおおうようになり、やがて小さなすきま風が吹くようになったとする。しかしここで大切なことは、だからといって、結婚したのがまちがっていたとか、失敗だったとか、そういうふうには考えていけない。
仮に離婚ということになったとしても、「懸命にその女の子を愛し、結婚にこぎつけた」という事実は、消えない。またその事実があれば、「失敗」ということは、ありえない。
むしろ恥ずべきは、合理と打算で、懸命でない人生を送ること。いくら表面的に、うまくいっていても、あるいはそう見えても、そういう人生には、価値はない。
●懸命に生きるから、結果が生まれる
そのときは、そのときの意思を信じて、真正面からものごとに、ぶつかっていく。たとえその意識が、だれかに批判されても、気にすることはない。あなたは、どこまでいっても、あなた。そのあなたを決めるのは、あなたをおいて、ほかにない。
私も、M物産という会社をやめ、幼稚園の講師になると母に告げたとき、母や、電話口の向こうで、泣き崩れてしまった。「浩ちゃん、あんたは、道を誤ったア!」と。
だからといって、母を責めているのではない。母は母で、その当時の常識の中でつくられた意識に従っていただけである。
で、その肝心の私はどうかというと、「誤った」とは、まったく思っていない。道をまちがえたとも思っていない。そのあとの生活は、たしかに苦しかったが、しかし、私は、一度だって、後悔したことはない。
なぜ、後悔しないかといえば、私は私で、そのときどきにおいて、懸命に考え、懸命に結論をだし、懸命に行動したからにほかならない。つまり、その「懸命」さが、私を救った。むしろ今、あのとき、M物産をやめてよかったと思うことが多い。
ときどきワイフは、こう言う。「あのまま、M物産にいれば、あなたは、もう少し、楽な道を歩むことができたかもしれないわね」と。
しかし、もし今ごろ、M物産にいたら、都会のオフィスで、お金の計算ばかりしているだろうと思う。あるいは私のことだから、出世競争に巻きこまれて、とっくの昔に死んでいるかもしれない。死なないまでも、廃人のようになっているかもしれない。
●そして運命
懸命に生きていくと、そのつど、その先に、進むべき、道が見えてくる。もちろんそれまでに歩んできた道もあるが、それが運命である。
もう少しわかりやすく言うと、最大限、つまり懸命に生きていると、そのつど、そこに「限界」が現れてくる。その限界状況の中で作られていくのが、その人の運命である。
たとえばこれは極端な例だが、魚はいくらがんばっても、陸にはあがれない。もちろん空も飛べないし、宇宙へ飛び出すこともできない。
こうした「限界」は、あらゆる生物にあり、人間もまた、その限界の中で、生きている。もちろん、私も、あなたも、である。それはあるが、しかし、その限界が、運命を決めるわけでもない。「限界」という、大きなワクは決まっているかもしれないが、その中で、どう生きていくかということは、その人自身が、決める。
また、よく誤解されるが、運命というのは、あらかじめ決まっているものでもない。
もしあらかじめ決まっているものなら、懸命に生きても、またそうでなくても、進むべき道は、同じということになる。しかし、そんなことは、ありえない。さらに一歩、譲って、仮に、運命というものがあるとしても、最後の最後のところで、ふんばって生きる。そこに、懸命に生きる人間の価値がある。意味がある。
「意識」のことを書いていたら、いつの間にか、「運命」の話になってしまった。どうしてかわからないが、そうなってしまった。ひょっとしたら、「意識」と、「運命」は、どこかで関係しあっているのかもしれない。(あるいはただの脱線かもしれない?)
しかしこれだけは言える。意識にせよ、運命にせよ、自らのたゆまない努力によって、変えられるものであるということ。大切なことは、そのときどきにおいて、懸命に考えること。生きること。そのあとのことは、そのあとに任せればよい。どんな意識になろうとも、またその結果、どんな運命になろうとも、それは、そのとき。
私たちは、ただひたすら、「今の自分」を信じて、前に進めばよい。
(031208)
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