●Emotional Ability
●社会適応性
子どもの社会適応性は、つぎの5つをみて、判断する(サロベイほか)。
(1) 共感性
(2) 自己認知力
(3) 自己統制力
(4) 粘り強さ
(5) 楽観性
(6) 柔軟性
これら6つの要素が、ほどよくそなわっていれば、その子どもは、人間的に、完成度の高い子どもとみる(「EQ論」)。
順に考えてみよう。
(1) 共感性
人格の完成度は、内面化、つまり精神の完成度をもってもる。その一つのバロメーターが、「共感性」ということになる。
つまりは、どの程度、相手の立場で、相手の心の状態になって、その相手の苦しみ、悲しみ、悩みを、共感できるかどうかということ。
その反対側に位置するのが、自己中心性である。
乳幼児期は、子どもは、総じて自己中心的なものの考え方をする。しかし成長とともに、その自己中心性から脱却する。「利己から利他への転換」と私は呼んでいる。
が、中には、その自己中心性から、脱却できないまま、おとなになる子どももいる。さらにこの自己中心性が、おとなになるにつれて、周囲の社会観と融合して、悪玉親意識、権威主義、世間体意識へと、変質することもある。
(2) 自己認知力
ここでいう「自己認知能力」は、「私はどんな人間なのか」「何をすべき人間なのか」「私は何をしたいのか」ということを、客観的に認知する能力をいう。
この自己認知能力が、弱い子どもは、おとなから見ると、いわゆる「何を考えているかわからない子ども」といった、印象を与えるようになる。どこかぐずぐずしていて、はっきりしない。優柔不断。
反対に、独善、独断、排他性、偏見などを、もつこともある。自分のしていること、言っていることを客観的に認知することができないため、子どもは、猪突猛進型の生き方を示すことが多い。わがままで、横柄になることも、珍しくない。
(3) 自己統制力
すべきことと、してはいけないことを、冷静に判断し、その判断に従って行動する。子どものばあい、自己のコントロール力をみれば、それがわかる。
たとえば自己統制力のある子どもは、お年玉を手にしても、それを貯金したり、さらにためて、もっと高価なものを買い求めようとしたりする。
が、この自己統制力のない子どもは、手にしたお金を、その場で、その場の楽しみだけのために使ってしまったりする。あるいは親が、「食べてはだめ」と言っているにもかかわらず、お菓子をみな、食べてしまうなど。
感情のコントロールも、この自己統制力に含まれる。平気で相手をキズつける言葉を口にしたり、感情のおもむくまま、好き勝手なことをするなど。もしそうであれば、自己統制力の弱い子どもとみる。
ふつう自己統制力は、(1)行動面の統制力、(2)精神面の統制力、(3)感情面の統制力に分けて考える。
(4) 粘り強さ
短気というのは、それ自体が、人格的な欠陥と考えてよい。このことは、子どもの世界を見ていると、よくわかる。見た目の能力に、まどわされてはいけない。
能力的に優秀な子どもでも、短気な子どもはいくらでもいる一方、能力的にかなり問題のある子どもでも、短気な子どもは多い。
集中力がつづかないというよりは、精神的な緊張感が持続できない。そのため、短気になる。中には、単純作業を反復的にさせたりすると、突然、狂乱状態になって、泣き叫ぶ子どももいる。A障害という障害をもった子どもに、ときどき見られる症状である。
この粘り強さこそが、その子どもの、忍耐力ということになる。
(5) 楽観性
まちがいをすなおに認める。失敗をすなおに認める。あとはそれをすぐ忘れて、前向きに、ものを考えていく。
それができる子どもには、何でもないことだが、心にゆがみのある子どもは、おかしなところで、それにこだわったり、ひがんだり、いじけたりする。クヨクヨと気にしたり、悩んだりすることもある。
簡単な例としては、何かのことでまちがえたようなときを、それを見れば、わかる。
ハハハと笑ってすます子どもと、深刻に思い悩んでしまう子どもがいる。その場の雰囲気にもよるが、ふと見せる(こだわり)を観察して、それを判断する。
たとえば私のワイフなどは、ほとんど、ものごとには、こだわらない性質である。楽観的と言えば、楽観的。超・楽観的。
先日も、「お前、がんになったら、どうする?」と聞くと、「なおせばいいじゃなア~い」と。そこで「がんは、こわい病気だよ」と言うと、「今じゃ、めったに死なないわよ」と。さらに、「なおらなかったら?」と聞くと、「そのときは、そのときよ。ジタバタしても、しかたないでしょう」と。
冗談を言っているのかと思うときもあるが、ワイフは、本気。つまり、そういうふうに、考える人もいる。
(6) 柔軟性
子どもの世界でも、(がんこ)な面を見せたら、警戒する。
この(がんこ)は、(意地)、さらに(わがまま)とは、区別して考える。(がんこ)を考える前に、それについて、書いたのが、つぎの原稿である。
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●子どもの意地
こんな子ども(年長男児)がいた。風邪をひいて熱を出しているにもかかわらず、「幼稚園へ行く」と。休まずに行くと、賞がもらえるからだ。
そこで母親はその子どもをつれて幼稚園へ行った。顔だけ出して帰るつもりだった。しかし幼稚園へ行くと、その子どもは今度は「帰るのはいやだ」と言い出した。子どもながらに、それはずるいことだと思ったのだろう。結局その母親は、昼の給食の時間まで、幼稚園にいることになった。またこんな子ども(年長男児)もいた。
レストランで、その子どもが「もう一枚ピザを食べる」と言い出した。そこでお母さんが、「お兄ちゃんと半分ずつならいい」と言ったのだが、「どうしてももう一枚食べる」と。そこで母親はもう一枚ピザを頼んだのだが、その子どもはヒーヒー言いながら、そのピザを食べたという。
「おとなでも二枚はきついのに……」と、その母親は笑っていた。
今、こういう意地っ張りな子どもが少なくなった。丸くなったというか、やさしくなった。心理学の世界では、意地のことを「自我」という。英語では、EGOとか、SELFとかいう。少し昔の日本人は、「根性」といった。(今でも「根性」という言葉を使うが、どこか暴力的で、私は好きではないが……。)
教える側からすると、このタイプの子どもは、人間としての輪郭がたいへんハッキリとしている。ワーワーと自己主張するが、ウラがなく、扱いやすい。正義感も強い。
ただし意地とがんこ。さらに意地とわがままは区別する。カラに閉じこもり、融通がきかなくなることをがんこという。毎朝、同じズボンでないと幼稚園へ行かないというのは、がんこ。また「あれを買って!」「買って!」と泣き叫ぶのは、わがままということになる。
がんこについては、別のところで考えるが、わがままは一般的には、無視するという方法で対処する。「わがままを言っても、だれも相手にしない」という雰囲気(ふんいき)を大切にする。
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心に何か、問題が起きると、子どもは、(がんこ)になる。ある特定の、ささいなことにこだわり、そこから一歩も、抜け出られなくなる。
よく知られた例に、かん黙児や自閉症児がいる。アスペルガー障害児の子どもも、異常なこだわりを見せることもある。こうしたこだわりにもとづく行動を、「固執行動」という。
ある特定の席でないとすわらない。特定のスカートでないと、外出しない。お迎えの先生に、一言も口をきかない。学校へ行くのがいやだと、玄関先で、かたまってしまう、など。
こうした(がんこさ)が、なぜ起きるかという問題はさておき、子どもが、こうした(がんこさ)を示したら、まず家庭環境を猛省する。ほとんどのばあい、親は、それを「わがまま」と決めてかかって、最初の段階で、無理をする。この無理が、子どもの心をゆがめる。症状をこじらせる。
一方、人格の完成度の高い子どもほど、柔軟なものの考え方ができる。その場に応じて、臨機応変に、ものごとに対処する。趣味や特技も豊富で、友人も多い。そのため、より柔軟な子どもは、それだけ社会適応性がすぐれているということになる。
一つの目安としては、友人関係を見ると言う方法がある。(だから「社会適応性」というが……。)
友人の数が多く、いろいろなタイプの友人と、広く交際できると言うのであれば、ここでいう人格の完成度が高い、つまり、社会適応性のすぐれた子どもということになる。
【子ども診断テスト】
( )友だちのための仕事や労役を、好んで引き受ける(共感性)。
( )してはいけないこと、すべきことを、いつもよくわきまえている(自己認知力)。
( )小遣いを貯金する。ほしいものに対して、がまん強い(自己統制力)。
( )がんばって、ものごとを仕上げることがよくある(粘り強さ)。
( )まちがえても、あまり気にしない。平気といった感じ(楽観性)。
( )友人が多い。誕生日パーティによく招待される(社会適応性)。
( )趣味が豊富で、何でもござれという感じ(柔軟性)。
ここにあげた項目について、「ほぼ、そうだ」というのであれば、社会適応性のすぐれた子どもとみる。
(はやし浩司 社会適応性 サロベイ サロヴェイ EQ EQ論 人格の完成度)
++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司※
最前線の子育て論byはやし浩司(246)
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【子どもの心の発達・診断テスト】
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【社会適応性・EQ検査】(P・サロヴェイ)
●社会適応性
子どもの社会適応性は、つぎの5つをみて、判断する(サロベイほか)。
(1) 共感性
Q:友だちに、何か、手伝いを頼まれました。そのとき、あなたの子どもは……。
(1) いつも喜んでするようだ。
(2) ときとばあいによるようだ。
(3) いやがってしないことが多い。
(2) 自己認知力
Q:親どうしが会話を始めました。大切な話をしています。そのとき、あなたの子どもは……
(1) 雰囲気を察して、静かに待っている。(4点)
(2) しばらくすると、いつものように騒ぎだす。(2点)
(3) 聞き分けガなく、「帰ろう」とか言って、親を困らせる。(0点)
(3) 自己統制力
Q;冷蔵庫にあなたの子どものほしがりそうな食べ物があります。そのとき、あなたの子どもは……。
○親が「いい」と言うまで、食べない。安心していることができる。(4点)
○ときどき、親の目を盗んで、食べてしまうことがある。(2点)
○まったくアテにならない。親がいないと、好き勝手なことをする。(0点)
(4) 粘り強さ
Q:子どもが自ら進んで、何かを作り始めました。そのとき、あなたの子どもは……。
○最後まで、何だかんだと言いながらも、仕あげる。(4点)
○だいたいは、仕あげるが、途中で投げだすこともある。(2点)
○たいていいつも、途中で投げだす。あきっぽいところがある。(0点)
(5) 楽観性
Q:あなたの子どもが、何かのことで、大きな失敗をしました。そのとき、あなたの子どもは……。
○割と早く、ケロッとして、忘れてしまうようだ。クヨクヨしない。(4点)
○ときどき思い悩むことはあるようだが、つぎの行動に移ることができる。(2点)
○いつまでもそれを苦にして、前に進めないときが多い。(0点)
(6) 柔軟性
Q:あなたの子どもの日常生活を見たとき、あなたの子どもは……
○友だちも多く、多芸多才。いつも変わったことを楽しんでいる。(4点)
○友だちは少ないほう。趣味も、限られている。(2点)
○何かにこだわることがある。がんこ。融通がきかない。(0点)
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( )友だちのための仕事や労役を、好んで引き受ける(共感性)。
( )自分の立場を、いつもよくわきまえている(自己認知力)。
( )小遣いを貯金する。ほしいものに対して、がまん強い(自己統制力)。
( )がんばって、ものごとを仕上げることがよくある(粘り強さ)。
( )まちがえても、あまり気にしない。平気といった感じ(楽観性)。
( )友人が多い。誕生日パーティによく招待される(社会適応性)。
( )趣味が豊富で、何でもござれという感じ(柔軟性)。
これら6つの要素が、ほどよくそなわっていれば、その子どもは、人間的に、完成度の高い子どもとみる(「EQ論」)。
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順に考えてみよう。
(1)共感性
人格の完成度は、内面化、つまり精神の完成度をもってもる。その一つのバロメーターが、「共感性」ということになる。
つまりは、どの程度、相手の立場で、相手の心の状態になって、その相手の苦しみ、悲しみ、悩みを、共感できるかどうかということ。
その反対側に位置するのが、自己中心性である。
乳幼児期は、子どもは、総じて自己中心的なものの考え方をする。しかし成長とともに、その自己中心性から脱却する。「利己から利他への転換」と私は呼んでいる。
が、中には、その自己中心性から、脱却できないまま、おとなになる子どももいる。さらにこの自己中心性が、おとなになるにつれて、周囲の社会観と融合して、悪玉親意識、権威主義、世間体意識へと、変質することもある。
(2)自己認知力
ここでいう「自己認知能力」は、「私はどんな人間なのか」「何をすべき人間なのか」「私は何をしたいのか」ということを、客観的に認知する能力をいう。
この自己認知能力が、弱い子どもは、おとなから見ると、いわゆる「何を考えているかわからない子ども」といった、印象を与えるようになる。どこかぐずぐずしていて、はっきりしない。優柔不断。
反対に、独善、独断、排他性、偏見などを、もつこともある。自分のしていること、言っていることを客観的に認知することができないため、子どもは、猪突猛進型の生き方を示すことが多い。わがままで、横柄になることも、珍しくない。
(3)自己統制力
すべきことと、してはいけないことを、冷静に判断し、その判断に従って行動する。子どものばあい、自己のコントロール力をみれば、それがわかる。
たとえば自己統制力のある子どもは、お年玉を手にしても、それを貯金したり、さらにためて、もっと高価なものを買い求めようとしたりする。
が、この自己統制力のない子どもは、手にしたお金を、その場で、その場の楽しみだけのために使ってしまったりする。あるいは親が、「食べてはだめ」と言っているにもかかわらず、お菓子をみな、食べてしまうなど。
感情のコントロールも、この自己統制力に含まれる。平気で相手をキズつける言葉を口にしたり、感情のおもむくまま、好き勝手なことをするなど。もしそうであれば、自己統制力の弱い子どもとみる。
ふつう自己統制力は、(1)行動面の統制力、(2)精神面の統制力、(3)感情面の統制力に分けて考える。
(4)粘り強さ
短気というのは、それ自体が、人格的な欠陥と考えてよい。このことは、子どもの世界を見ていると、よくわかる。見た目の能力に、まどわされてはいけない。
能力的に優秀な子どもでも、短気な子どもはいくらでもいる一方、能力的にかなり問題のある子どもでも、短気な子どもは多い。
集中力がつづかないというよりは、精神的な緊張感が持続できない。そのため、短気になる。中には、単純作業を反復的にさせたりすると、突然、狂乱状態になって、泣き叫ぶ子どももいる。A障害という障害をもった子どもに、ときどき見られる症状である。
この粘り強さこそが、その子どもの、忍耐力ということになる。
(5) 楽観性
まちがいをすなおに認める。失敗をすなおに認める。あとはそれをすぐ忘れて、前向きに、ものを考えていく。
それができる子どもには、何でもないことだが、心にゆがみのある子どもは、おかしなところで、それにこだわったり、ひがんだり、いじけたりする。クヨクヨと気にしたり、悩んだりすることもある。
簡単な例としては、何かのことでまちがえたようなときを、それを見れば、わかる。
ハハハと笑ってすます子どもと、深刻に思い悩んでしまう子どもがいる。その場の雰囲気にもよるが、ふと見せる(こだわり)を観察して、それを判断する。
たとえば私のワイフなどは、ほとんど、ものごとには、こだわらない性質である。楽観的と言えば、楽観的。超・楽観的。
先日も、「お前、がんになったら、どうする?」と聞くと、「なおせばいいじゃなア~い」と。そこで「がんは、こわい病気だよ」と言うと、「今じゃ、めったに死なないわよ」と。さらに、「なおらなかったら?」と聞くと、「そのときは、そのときよ。ジタバタしても、しかたないでしょう」と。
冗談を言っているのかと思うときもあるが、ワイフは、本気。つまり、そういうふうに、考える人もいる。
(6) 柔軟性
子どもの世界でも、(がんこ)な面を見せたら、警戒する。
この(がんこ)は、(意地)、さらに(わがまま)とは、区別して考える。
一般論として、(がんこ)は、子どもの心の発達には、好ましいことではない。かたくなになる、かたまる、がんこになる。こうした行動を、固執行動という。広く、情緒に何らかの問題がある子どもは、何らかの固執行動を見せることが多い。
朝、幼稚園の先生が、自宅まで迎えにくるのだが、3年間、ただの一度もあいさつをしなかった子どもがいた。
いつも青いズボンでないと、幼稚園へ行かなかった子どもがいた。その子どもは、幼稚園でも、決まった席でないと、絶対にすわろうとしなかった。
何かの問題を解いて、先生が、「やりなおしてみよう」と声をかけただけで、かたまってしまう子どもがいた。
先生が、「今日はいい天気だね」と声をかけたとき、「雲があるから、いい天気ではない」と、最後までがんばった子どもがいた。
症状は千差万別だが、子どもの柔軟性は、柔軟でない子どもと比較して知ることができる。柔軟な子どもは、ごく自然な形で、集団の中で、行動できる。
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EQ(Emotional Intelligence Quotient)は、アメリカのイエール大学心理学部教授。ピーター・サロヴェイ博士と、ニューハンプシャー大学心理学部教授ジョン・メイヤー博士によって理論化された概念で、日本では「情動(こころ)の知能指数」と訳されている(Emotional Education、by JESDA Websiteより転写。)
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【EQ】
ピーター・サロヴェイ(アメリカ・イエール大学心理学部教授)の説く、「EQ(Emotional Intelligence Quotient)」、つまり、「情動の知能指数」では、主に、つぎの3点を重視する。
(1) 自己管理能力
(2) 良好な対人関係
(3) 他者との良好な共感性
ここではP・サロヴェイのEQ論を、少し発展させて考えてみたい。
自己管理能力には、行動面の管理能力、精神面の管理能力、そして感情面の管理能力が含まれる。
○行動面の管理能力
行動も、精神によって左右されるというのであれば、行動面の管理能力は、精神面の管理能力ということになる。が、精神面だけの管理能力だけでは、行動面の管理能力は、果たせない。
たとえば、「銀行強盗でもして、大金を手に入れてみたい」と思うことと、実際、それを行動に移すことの間には、大きな距離がある。実際、仲間と組んで、強盗をする段階になっても、その時点で、これまた迷うかもしれない。
精神的な決断イコール、行動というわけではない。たとえば行動面の管理能力が崩壊した例としては、自傷行為がある。突然、高いところから、発作的に飛びおりるなど。その人の生死にかかわる問題でありながら、そのコントロールができなくなってしまう。広く、自殺行為も、それに含まれるかもしれない。
もう少し日常的な例として、寒い夜、ジョッギングに出かけるという場面を考えてみよう。
そういうときというのは、「寒いからいやだ」という抵抗感と、「健康のためにはしたほうがよい」という、二つの思いが、心の中で、真正面から対立する。ジョッギングに行くにしても、「いやだ」という思いと戦わねばならない。
さらに反対に、悪の道から、自分を遠ざけるというのも、これに含まれる。タバコをすすめられて、そのままタバコを吸い始める子どもと、そうでない子どもがいる。悪の道に染まりやすい子どもは、それだけ行動の管理能力の弱い子どもとみる。
こうして考えてみると、私たちの行動は、いつも(すべきこと・してはいけないこと)という、行動面の管理能力によって、管理されているのがわかる。それがしっかりとできるかどうかで、その人の人格の完成度を知ることができる。
この点について、フロイトも着目し、行動面の管理能力の高い人を、「超自我の人」、「自我の人」、そうでない人を、「エスの人」と呼んでいる。
○精神面の管理能力
私には、いくつかの恐怖症がある。閉所恐怖症、高所恐怖症にはじまって、スピード恐怖症、飛行機恐怖症など。
精神的な欠陥もある。
私のばあい、いくつか問題が重なって起きたりすると、その大小、軽重が、正確に判断できなくなってしまう。それは書庫で、同時に、いくつかのものをさがすときの心理状態に似ている。(私は、子どものころから、さがじものが苦手。かんしゃく発作のある子どもだったかもしれない。)
具体的には、パニック状態になってしまう。
こうした精神作用が、いつも私を取り巻いていて、そのつど、私の精神状態に影響を与える。
そこで大切なことは、いつもそういう自分の精神状態を客観的に把握して、自分自身をコントロールしていくということ。
たとえば乱暴な運転をするタクシーに乗ったとする。私は、スピード恐怖症だから、そういうとき、座席に深く頭を沈め、深呼吸を繰りかえす。スピードがこわいというより、そんなわけで、そういうタクシーに乗ると、神経をすり減らす。ときには、タクシーをおりたとたん、ヘナヘナと地面にすわりこんでしまうこともある。
そういうとき、私は、精神のコントロールのむずかしさを、あらためて、思い知らされる。「わかっているけど、どうにもならない」という状態か。つまりこの点については、私の人格の完成度は、低いということになる。
○感情面の管理能力
「つい、カーッとなってしまって……」と言う人は、それだけ感情面の管理能力の低い人ということになる。
この感情面の管理能力で問題になるのは、その管理能力というよりは、その能力がないことにより、良好な人間関係が結べなくなってしまうということ。私の知りあいの中にも、ふだんは、快活で明るいのだが、ちょっとしたことで、激怒して、怒鳴り散らす人がいる。
つきあう側としては、そういう人は、不安でならない。だから結果として、遠ざかる。その人はいつも、私に電話をかけてきて、「遊びにこい」と言う。しかし、私としては、どうしても足が遠のいてしまう。
しかし人間は、まさに感情の動物。そのつど、喜怒哀楽の情を表現しながら、無数のドラマをつくっていく。感情を否定してはいけない。問題は、その感情を、どう管理するかである。
私のばあい、私のワイフと比較しても、そのつど、感情に流されやすい人間である。(ワイフは、感情的には、きわめて完成度の高い女性である。結婚してから30年近くになるが、感情的に混乱状態になって、ワーワーと泣きわめく姿を見たことがない。大声を出して、相手を罵倒したのを、見たことがない。)
一方、私は、いつも、大声を出して、何やら騒いでいる。「つい、カーッとなってしまって……」ということが、よくある。つまり感情の管理能力が、低い。
が、こうした欠陥は、簡単には、なおらない。自分でもなおそうと思ったことはあるが、結局は、だめだった。
で、つぎに私がしたことは、そういう欠陥が私にはあると認めたこと。認めた上で、そのつど、自分の感情と戦うようにしたこと。そういう点では、ものをこうして書くというのは。とてもよいことだと思う。書きながら、自分を冷静に見つめることができる。
また感情的になったときは、その場では、判断するのを、ひかえる。たいていは黙って、その場をやり過ごす。「今のぼくは、本当のぼくではないぞ」と、である。
(2)の「良好な対人関係」と、(3)の「他者との良好な共感性」については、また別の機会に考えてみたい。
(はやし浩司 管理能力 人格の完成度 サロヴェイ 行動の管理能力 EQ EQ論 人格の完成)
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