*Poor Translation of the book "Harry Potter" *Alzheimer's disease, as to the case of Mrs. K
●「週刊B春・7月10日」号を読む
(Poor Translation of “Harry Potter”.)
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以前は、毎週のように、「週刊B春」か、
「週刊S潮」を買っていた。
アメリカに住む息子に送るために、である。
が、このところ、その回数が、とんと減った。
今は、月に1、2冊。
よほど目につく記事がないと、買わない。
それで月に1、2冊。
しかしそれではいけない。
世俗の動きを知るには、週刊誌がいちばんよい。
……ということで、昨夜、「週刊B春・7月10日」
号を、コンビニで買った。
パッと開いたページに、「ハリー・ポッターの
翻訳は、やっぱりおかしい」(P139)と
いう記事があったからだ。
「ハリー・ポッターの翻訳は、やっぱりおかしい」。
実は、私も、かねてから、そう感じていた。
もう10年ほど前になるが、そういう原稿を
書いたこともある。
週刊B春のほうでは、誤訳を問題にしているが、
私は、文章そのものが、おかしいと感じた。
それには、理由がある。
私がハリー・ポッターの第一巻を手にしたのは、
アメリカのある空港内での売店だった。
「一度は読んでおこう」と思って、それを買った。
で、私はその本を、飛行機の中で読んだ。
そのときの印象は、「ゼンゼン、おもしろくない」
だった。
ただ英文は、読みやすかった。トントン……というか、
ポンポン……というか、読んでいて、気持ちよかった。
が、驚いたのは、日本へ帰ってから、日本語版を
読んだときのこと。
本には、それぞれ、言葉を通して流れてくるリズム感
がある。
音楽でいえば、調子のようなもの。
その調子が、英語版と日本語版では、まるでちがって
いた。
日本語版は読みづらく、ところどころで、「?」と
考えながら、一休止しなければならなかった。
翻訳者のMY氏には悪いが、「へたくそな翻訳だなあ」と
思った。
というのも、誤訳はともかくも、じょうずな翻訳家と
なると、文の調子まで、原書に合わせてしまう。
ハリー・ポッターには、それがなかった。
で、第一巻は、そんなわけで、3分の1ほどを読んだところで、
ギブ・アップ。
子どもたちに、「どうしてあんな本がおもしろいの?」と
聞くと、一人の子ども(当時、小3)は、こう言った。
「先生、ハリー・ポッターがおもしろくなるのは、
そこからだよ」と。
つまり3分の1を過ぎたあたりから、おもしろくなる、と。
が、それから10年。
一度、映画館で映画を見ただけで、私はハリー・ポッター
からは遠ざかった。
「読むに値しない本」と、判断した。
(今でも、そう思っている。「読むに値しない本」
というよりは、「くだらない本」と言ってもよい。
出まかせ、出まかせの、作り話……。
よくもまあ、ああいう出まかせの作り話ができるものだと、
私は、むしろ、そちらのほうに感心している。)
そう、そんなことは、ほんの少し冷静になってみれば、
わかること。
「魔法」というテーマそのものが、インチキ。
いくらもっともらしいことが書いてあっても、
そのインチキを乗り越えることはできない。
だから、「読む価値なし」。
世間の人たちは、売れた部数だけを見て、本の
価値を考える。
しかし(売れる本)イコール、(すばらしい本)
といういうことではない。
一方、(売れない本)イコール、(つまらない本)
ということでもない。
本というのは、(時流)に乗れば、売れる。
そうでなければ、売れない。
(中身)ではない。
言うなれば(ファッション)のようなもの。
ハリー・ポッターは、きわめてじょうずに、その(時流)に
乗った(?)。
20年前だったら、初版も売り切れずに、絶版に
なっていただろう。
20年後でも、よい。
……ということで、週刊B春の記事には、元気づけ
られた。
ずっと、「私だけが異端児」と思っていた。
もっとも、週刊B春は、「翻訳がおかしい」と書いて
いるだけで、ハリー・ポッターの内容について、
どうこう言っているのではない。
しかし、逆に言えば、誤訳があっても、どうと
いうことはないではないか。
神様の書いた本というわけでもないだろう。
もともと、デタラメな本なのだから……。
(ゴメン!)
Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司
●アルツハイマー病(Alzheimer's disease, as to the case of Mrs. K)
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私の近くに、アルツハイマー病では
ないかと思われている人(女性、65歳
くらい)がいる。
名前を、Kさんとしておく。
たびたびその人については、原稿を
書いてきた。
少し前には、一貫性のなさ、連続性の
なさについて書いた。
一貫性のなさというには、会うたびに、
受ける印象が、コロコロと変化することを
いう。
妙に寛大な人だなと思っていると、
つぎに会ったときには、その寛大さが
消えているなど。
時に別人のように事務的で、冷たく
感ずることがある。
こんなことがあった。
「私は、ひとり住まいの老人の家庭訪問
をしています」と、Kさんは言った。
穏やかで、やさしい言い方だった。
ときどきそういう老人を見舞って、様子を
見たり、ときには、使い走りもするという。
私はその女性に、たいへん感動した。
が、つぎに会うと、今度は、こんなことを
言った。
何でもKさんの隣に、今年85歳になる
老人(女性)が住んでいるという。
その女性が、このところ認知症か何かに
なって、少し様子がおかしいという。
その85歳になる女性について、Kさんは、
あれこれ悪口を言い始めた。
「風に乗って、老臭が、伝わってくる」
「窓をあけて掃除するから、ホコリが、
風に乗って、うちの洗濯物に付着してしまう」
「車で近くの店まで連れていってやったが、
車のシートを、小便で汚された」などなど。
そんな話を、立ち話だったが、ワイフに、
1時間あまりも、話す。
話すというより、グチの連続。
(1時間だぞ!)
そこで私が、ワイフに、「どうして1時間も?」
と聞くと、ワイフは、こう話してくれた。
「こまかいことを、一方的に話すからよ」と。
私「Kさんって、あのKさんだろ?」
ワ「そうよ」
私「……信じられない?」
ワ「そう。私も、いい人だと思っていた」と。
しかし事件が重なった。
町内で集めた町会費を、紛失してしまった。
これについては、以前、書いた。
が、夫がそれを指摘すると、パニック状態に
なってしまったという。
ワーワーというより、ギャーギャーと泣き叫ぶ
といったふうだった。
その場にいあわせた知人は、そう言った。
こうした一貫性のなさに併せて、連続性の
なさがある。
たとえば電話で、近所の人たちの苦情を
伝えてくる。
「Bさんがね……」「Bさんがね……」と。
いつものように長々と、1時間あまりも
それを話す。
が、1週間後にまた電話があると、そのことは、
ケロリと忘れている。
ワイフが、「Bさんの、あの話はどうなり
ましたか?」と聞いても、反応がないという。
で、ワイフが、「ほら、近所のBさんの話です」
と促しても、「ああ、Bさん……?」と。
そしてあの事件が起きた。
これについては以前にも書いたが、こういう
ことだ。
Kさんから、ある夜電話がかかってきた。
ワイフに、今度、X町にある、バラ園へいっしょに
行かないかという、誘いの電話だった。
ワイフは、その場で、「X町のバラ園」とメモを
した。
で、電話の終わりごろになって、ワイフが、
「X町のバラ園ですね」と復唱すると、突然、
Kさんが、パニック状態になってしまった。
「私、X町だなんて、言っていません。
X町は、私の実家のある町です。バラ園は
Y町です!」と。
ワ「でも、先ほど、X町と言われましたよ」
K「言っていません。あなたもいやな人ね。
X町とY町を、私がまちがえるはずはありません」
ワ「……でも、私、ちゃんとメモしましたが……」
K「林さん、どうしてそういうウソをつくのです
かア!」と。
電話口の向こうで、ギャーギャーと泣き叫ぶ
声が、私にも聞こえた。
結局、バラ園へいっしょに行くという話は、
そのまま流れてしまった。
私「おそらく、Kさんの夫は、奥さんの異変に
すでに気がついていると思うよ」
ワ「そうね……」
私「当人がアルツハイマー病になるのは、しかた
ないとしても、その過程で、周囲の人たちが、
えらい迷惑をする。それも大きな問題だね」
ワ「そうね。初期のころは、当人ももちろん、
周囲の人たちも、それを隠そうとするから……」
私「まさか、『うちのワイフは、アルツハイマー病
です』と、宣言するというわけにもいかないしね」
ワ「ひょっとしたら、治るかもしれない……。
アルツハイマー病ではないかもしれないという
迷いもある。そんな思いがあると、なかなか人には、
言えないわね」と。
アルツハイマー病にかぎらない。
老人になるのはしかたないとしても、認知症になると、
周囲の人たちは、大きな迷惑をこうむる。
私の知っている人は、裏の住人に、毎晩のように
石を投げられたという。
夜中になると、カラカラと、石が瓦屋根をころがる
音がしたという。
あとでその裏の住人が、何かの認知症になっていたこと
がわかったという。
しかしそれがわからない間は、そうでない。
つまり、石を投げられた人は、毎晩、眠られぬ
夜を過ごした。
……こうした病気は、否応なしに、周囲の
人たちを、巻きこんでいく。
そういう視点からも、こうした病気について
考える必要はあるのではないか。
Kさんのことを思い浮かべながら、今、
私は、そんなことを考えた。
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