Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Monday, June 30, 2008

*Slaves of Desires

【100倍論】

●年長から小学二、三年にできる金銭感覚
 子どもの金銭感覚は、年長から小学二、三年にかけて完成する。この時期できる金銭感覚は、おとなのそれとほぼ同じとみてよい。が、それだけではない。子どもはお金で自分の欲望を満足させる、その満足のさせ方まで覚えてしまう。これがこわい。

●一〇〇倍論
 そこでこの時期は、子どもに買い与えるものは、一〇〇倍にして考えるとよい。一〇〇円のものなら、一〇〇倍して、一万円。一〇〇〇円のものなら、一〇〇倍して、一〇万円と。つまりこの時期、一〇〇円のものから得る満足感は、おとなが一万円のものを買ったときの満足感と同じということ。そういう満足感になれた子どもは、やがて一〇〇円や一〇〇〇円のものでは満足しなくなる。中学生になれば、一万円、一〇万円。さらに高校生や大学生になれば、一〇万円、一〇〇万円となる。あなたにそれだけの財力があれば話は別だが、そうでなければ子どもに安易にものを買い与えることは、やめたほうがよい。

●やがてあなたの手に負えなくなる
子どもに手をかければかけるほど、それは親の愛のあかしと考える人がいる。あるいは高価であればあるほど、子どもは感謝するはずと考える人がいる。しかしこれはまったくの誤解。あるいは実際には、逆効果。一時的には感謝するかもしれないが、それはあくまでも一時的。子どもはさらに高価なものを求めるようになる。そうなればなったで、やがてあなたの子どもはあなたの手に負えなくなる。

先日もテレビを見ていたら、こんなシーンが飛び込んできた。何でもその朝発売になるゲームソフトを手に入れるために、六〇歳前後の女性がゲームソフト屋の前に並んでいるというのだ。しかも徹夜で! そこでレポーターが、「どうしてですか」と聞くと、その女性はこう答えた。「かわいい孫のためです」と。その番組の中は、その女性(祖母)と、子ども(孫)がいる家庭を同時に中継していたが、子ども(孫)は、こう言っていた。「おばあちゃん、がんばって。ありがとう」と。

●この話はどこかおかしい
 一見、何でもないほほえましい光景に見えるが、この話はどこかおかしい。つまり一人の祖母が、孫(小学五年生くらい)のゲームを買うために、前の晩から毛布持参でゲーム屋の前に並んでいるというのだ。その女性にしてみれば、孫の歓心を買うために、寒空のもと、毛布持参で並んでいるのだろうが、そうした苦労を小学生の子どもが理解できるかどうか疑わしい。感謝するかどうかということになると、さらに疑わしい。苦労などというものは、同じような苦労した人だけに理解できる。その孫にすれば、その女性は、「ただのやさしい、お人よしのおばあちゃん」にすぎないのではないのか。

●釣竿を買ってあげるより、魚を釣りに行け
 イギリスの教育格言に、『釣竿を買ってあげるより、一緒に魚を釣りに行け』というのがある。子どもの心をつかみたかったら、釣竿を買ってあげるより、子どもと魚釣りに行けという意味だが、これはまさに子育ての核心をついた格言である。少し前、どこかの自動車のコマーシャルにもあったが、子どもにとって大切なのは、「モノより思い出」。この思い出が親子のきずなを太くする。

●モノに固執する国民性
日本人ほど、モノに執着する国民も、これまた少ない。アメリカ人でもイギリス人でも、そしてオーストラリア人も、彼らは驚くほど生活は質素である。少し前、オーストラリアへ行ったとき、友人がくれたみやげは、石にペインティングしたものだった。それには、「友情の一里塚(マイル・ストーン)」と書いてあった。日本人がもっているモノ意識と、彼らがもっているモノ意識は、本質的な部分で違う。そしてそれが親子関係にそのまま反映される。

 さてクリスマス。さて誕生日。あなたは親として、あるいは祖父母として、子どもや孫にどんなプレゼントを買い与えているだろうか。ここでちょっとだけ自分の姿勢を振りかってみてほしい。(中日新聞掲載済み)
(030716)

+++++++++++++++++

物欲によって、破壊される
親子関係について……

+++++++++++++++++

●バラバラになる親子

 Aさんは会社のリストラで職をなくした。企業診断士の資格をもっていたので、市内のマンションを借りてコンサルタント事務所を開いた。が、折からの不況で、すぐ仕事は行きづまってしまった。しかしそれが悲劇の始まりだった。

 まず大学一年生になったばかりの長女が、Aさんを責めた。「大学だけは出してもらう。あんたに責任をとってもらう」と。次に二女もそれに加わり、「お父さんが勝手なことばかりしているから、こうなったのだ」と。本来ならここで母親が間に入って、父と娘たちの調整をしなければならないのだが、その母親まで、「生活ができない」と言って、家を飛び出してしまった。家族といっても、一度歯車が狂うと、どこまでも狂う。狂ってバラバラになってしまう。Aさんはこう言った。「妻の家出のことで助けを求めたとき、長女に『自業自得でしょ』と言われました。そのときは背筋が凍る思いがしました」と。

 Aさんは何とか親戚中からお金をかき集めて、長女の学費を工面した。が、そういう苦労などどこ吹く風。長女は妻が身を寄せている三重県の実家へは帰るものの、Aさんのところには寄りつかなくなってしまった。仕送りが遅れたりすると、長女から矢の催促が届くという。

 こう書くとAさんをだらしない男のように思う人もいるかもしれないが、ごくふつうの、しかも典型的なまじめ型人間。日本人の何割かが、彼のような人物といってもよい。人一倍家族思いで、また家族のためならどんな苦労もいとわない。Aさんはこう言う。「朝早く仕事にでかけ、いつも帰るのは真夜中。家族はそれで満足してくれていると思っていました。しかし妻も娘たちも、自分とはまったく違ったとらえ方をしていたのですね」と。
 そのAさんは今は、二女の進学問題で悩んでいる。「お金がないから……」と言いかけると、次女は「今ごろそういうことを言われても困る」と。「そういう話は前もって言ってもらわなければ困る」とも。

 イギリスの格言に、『子どもに釣り竿を買ってあげるより、一緒に釣りに行け』というのがある。親というのは、子どもに何かものを買ってあげることで、親としての義務を果たしたかのように思うかもしれない。が、それでは子どもの心をつかむことはできない。子どもの心をつかみたかったら、「釣りに行け」と。何でもないことのようだが、親子の意識のズレはこうして始まる。「してあげた」と思う親。それを「当たり前」と思う子ども。そしてそのズレが無数に積み重なって、Aさんのようになる。いつか気がついてみたら、家族の心がバラバラになっていた、と。ついでに一言。

 私たち戦後の団塊世代は、あのひもじさを知っている。だから子どもたちには、そのひもじい思いをさせたくないとがんばってきた。結果、今の子どもたちは、「ひもじい」という言葉の意味そのものすら知らない。しかしそれが今、あちこちの家庭で裏目に出ようとしている。Aさんの家庭もそんな家庭だが、皮肉と言えば、これほど皮肉なことはない。
(中日新聞掲載済み)