Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, July 30, 2008

*Short Essays

【7月30日・雑感集】(今日から9月号)
(Short Essay on July 39th)

+++++++++++++++++

このところ曜日をよくまちがえる。
ボケのせい?
それとも暑さのせい?

体をだるく感ずる分だけ、集中力が
つづかない。
しかし今日も、はじまった!

がんばろう!
がんばるしかない!

+++++++++++++++++

●賢い子ども

A君(小6)とB君(小6)が、夏休みの宿題をもって、私の教室へ来た。
算数の宿題で、全体で、30ページほどのもの。
2ページごとに、(1)(2)(3)……と、(15)まで、番号がつけられていた。

A君は、すでに(8)まで家ですましてきた。
だからA君は、(9)からスタート。
B君は、まったくやっていなかった。
だからB君は、(1)からスタート。

が、最初からB君は、やる気満々といった感じだった。
「1時間で、すませてやる!」と、宣言した。

私「わかった、じゃあ、1時間ですませてみろ。
君が1時間ですませたら、みんなに、来週は、アイスクリームをご馳走しよう」
B「ようし、やってやる!」
私(A君に向かって……)「だけどB君、君も、1時間ですませてしまいなよ。途中でB君に追い抜かれたら、君のアイスクリームは、なしだよ」
A「ゲーッ!」と。

ということで、A君とB君は、猛烈な勢いで、宿題に取り組み始めた。
が、算数の力では、A君はB君にかなわない。
B君は、学校でもトップクラスを走っている。

やがて差が縮まってきた。

A君……(11)、(12)……
B君……(10)(11)……と。

あと少しでB君がA君を追い抜くかなと思ったそのとき、B君が、機転をきかした。
(12)になる一歩手前で、いきなり、B君は、(15)の最後からやり始めた。
その宿題の最後のページである。

そして(15)(14)……と、進み始めた。

ほかの子どもたちも、自分たちのアイスクリームがかかっているから、ハラハラしながら、B君を見つめている。
が、やがて、(13)あたりで、A君とB君が、交差した。

ナルホド!

こうすれば、B君は、A君を追い抜いたことにはならない。
しかもA君は、宣言どおり、宿題をすべてすますことができる。

あと1、2分でレッスンがおしまいというところで、B君が叫んだ。
「終わったア!」と。
ほかの子どもたちも、「やったア!」と。
A君だけは、どこか心配そうに、「ぼくも、アイス、もらえる?」と。

私「もらえるよ。だって、B君は、君を追い抜いてはいないからね」
A「そうだね」
私「B君はね、うしろからやって、君と出会ったことになる。
追い抜いたのじゃ、ない。
出会ったんだ」と。

改めて私はB君の賢さに、驚いた。


●『マンデラの名もなき看守』

昨夜、仕事からの帰りに、深夜劇場に足を運んだ。
見たのは、『マンデラの名もなき看守』。
あのネルソン・マンデラの獄中生活を描いた作品である。
(ネルソン・マンデラ……南アフリカ初の、全体選挙で選ばれた黒人大統領。)

星は、3つの、★★★。

どこかN・マンデラに遠慮したような映画だった。
娯楽映画というよりは、どこかプロパガンダ的?
そのため星は、3つ。

私はあの映画を見ながら、昔、M物産という会社にいたときのことを思い出していた。
私は、南アフリカとオーストラリアが担当地域だった。

その南アフリカから出張で帰ってきた上司が、私にこう言った。
「日本人は、(オナラブル・白人)と呼ばれていてね、日本人だけは、白人と同等の扱いだった」と。
「オナラブル」というのは、「名誉(=例外)」という意味である。
しかしバスに乗っても、レストランへ入っても、落ち着かなかったという。
そこでその上司は、JALからもらったカバンを、いつも胸の前にぶらさげて歩いていたという。

(当時は、JALに乗ると、赤い日の丸が描かれた、バッグがもらえた。)

アパルトヘイト(人種差別政策)の不快感は、それを経験したものでないとわからない。今でこそ、若い人たちは、我が物顔で、世界中をかっ歩しているが、私たちの時代は、そうではなかった。
白人の国へ行くと、どこでも、その(偏見=プレジュディス)を感じた。
相手の国の人から見れば、日本人もアジア人も、同じ。
区別のしようがない。

N・マンデラのすごいところは、そのつど、おいしい妥協策を示されたにもかかわらず、いっさい、それに応じなかったところ。
最後の最後まで、妥協しなかった。
そして最後は、南アフリカの大統領にまでなった!


●ボケのはじまり

++++++++++++++

ボケのはじまりには、視野が狭くなる(?)。
いろいろな人を見ていると、そんな感じがする。
そのことにハマると、それしか見えなくなる。
融通性が消える。
思考の柔軟性が消える。
そのため、初期のころには、家族との衝突が
ひんぱんに起こるようになる?

++++++++++++++

私も、私のワイフも、どこか、あぶない?
ともにこのところ、融通性を失ってきたように感ずる。
がんこになった。
機転がきかなくなった。
臨機応変にものごとに対処することができなくなった。

つまり脳みそ全体が、硬くなってきたように感ずる。
(こういうばあいは、「固く」と書くのか?)

一般的に言えば、家庭に閉じ込められた主婦というのは、欲求不満のかたまりとみてよい。
ほとんどの女性は、結婚することによって、それまでのキャリアを放棄する。
「したいこともせず」「やりたいこともできず」という状態で、やがて子育てという重労働を課せられる。

最近の若い妻たちは、自分なりに生活を楽しむことができるようになった。
しかし私たちの時代には、そうではなかった。
問答無用式にというか、否応なしに、家庭に閉じ込められた。
家庭といっても、実際には、狭いアパート。

つまり私たちの年代の女性たちは、多かれ少なかれ、不完全燃焼症候群のかたまりとみてよい。
子育てが終わった女性なら。なおさらである。

で、私のワイフもそうで、何かあると、その(憎しみ)を真正面から、私にぶつけてくる。
私が何をしても、また何を言っても、それに対して拒絶反応を示すことがある。
ときどき、「この人は、本当に私を憎んでいるのだなあ」と思うときがある。

が、それに最近、加齢的な問題が加わってきたように思う(?)。
それが冒頭に書いた、ボケの問題である。
視野が狭くなってきた(?)。

ささいな、どうでもよいような問題についても、ときどき、私にからんでくるときがある。
が、本人には、その自覚がない。
私が何かのことでワイフに注意すると、ワイフは、すかさず。「あなただって……!」とやり返してくる。
ほかに、たとえば昨夜も、私が戸棚からパンを取り出して、それを食べようとしたときのこと。
横からワイフが、すかさず、「それはH(=息子)のよ!」と言った。
言い方にもいろいろあるのだろうが、ワイフのそれは、いつもストレート!
ほかにもパンはあったので、私はそちらを食べたが、ワイフはワイフで、そのパンを、息子のものと決めていたようである。

こうした頭の硬さは、私の世代の人間には、だれにでも見られるものなのか。
それともボケの始まりなのか。
私にはよくわからないが、ここしばらくは、要観察といったところか?

ときどきやりにくく感ずることがある。
ホント!


●日韓関係

日韓関係が、予想以上に今、悪化している。
日本側はともかくも、韓国側の反日感情のもりあがりには、ものすごいものがある。
原因は竹島問題だが、ここにきてアメリカ側が、「竹島は無人の島(だからどの国のものでもない)」と言い出したから、さあ、たいへん。
アメリカに攻撃の矛先を向けるかと思っていたら、「日本がそういうふうにアメリカに言わせるよう、工作をした」と。

韓国という国は、(そして北朝鮮も)、不完全燃焼症候群、被害妄想、それに欲求不満のかたまりとみてよい。

「自分たちの手で独立を成し遂げることができなかった」というのが、不完全燃焼症候群につながっている。
「日本ごときの国に、植民地にされた」というのが、被害妄想につながっている。
そして「何をしても、日本に負ける」というのが、欲求不満につながっている。

日本は日本で反省すべき点は多い。
しかしそれはそれ。
それにも、限度というものがある。
つまりだからといって、韓国が(北朝鮮が)、日本に対して、何をしても許されると考えるのは、正しくない。

今回の反日感情の盛り上がりにしても、そうだ。
自分たちは、さんざん、やりたい放題のことをしておきながら、日本が、教科書に、「竹島は日本の領土である」と書いただけで、大騒ぎ!
あろうことか、今度は、「対馬は韓国の領土である」とまで、言い出した。

(「対馬」を、「ツ・シマ」と読むのは、日本語なのか、それとも韓国語なのか?)

ともあれ、こうした動きをしっかりと日本は、胸に留めておくべき。
とくに、日本のS社よ、よく覚えておくべき。
つぎつぎと日本の先端技術を韓国に売り飛ばし、最後は、日本の企業連合の反対を押し切って、有機液晶技術まで、売り飛ばしてしまった。

この日本には、韓国の産業スパイたちが、全国津々浦々、村レベルにまで入り込んでいることを忘れてはいけない。

が、同時に、韓国経済は、火の車。
つい先週も、多額債務者のために、日本でいう「徳政令」のような政策を発表した(08年7月)。
一世帯あたり、平均、約600万円(日本円)を上回る負債をかかえている。
そういう人たちが、年率約50%(法定)の利息を払っている。
(闇金融では、100~200%と言われている。)

仮に50%としても、利息だけで。毎年、300万円!
そのこともあって、毎年、1万数千社の個人企業が姿を消している。
つまり現在の韓国にとって、反日運動は、損になることはあっても、得になることは何もない。

いざというとき、泣きつくことができるのは、この日本だけ。
日本をおいて、ほかにない。
ないが、日本よ、日本人よ、今度は、バカなことをしてはいけない。

97年に韓国がデフォルト(債務不履行)したとき、頼まれもしないうちから、日本は、韓国に援助の手を差しのべた。
アメリカの反対を押し切ってまで、だ。
その額、400~500億ドルとも言われている。
が、韓国は、それに対して、感謝の「か」の字もしていない。

彼らの論理によれば、「韓国をデフォルトに追い込んだのは、日本」ということになる。
(こういうのを被害妄想というが……。)

最近にいたっては、「日本には全額、借金は返した」と、ふんぞり返っている。

本来なら、日本の銀行各社が、韓国の銀行の支配権(経営権)を握ってもおかしくはなかったのだが、韓国政府は、それを嫌った。
そのため韓国の銀行のほとんどは、現在、アメリカの銀行の支配下にある。

というわけで、日韓経済戦争は、水面下で、今の今も、熾烈な戦いを繰り広げている。
勝つか、負けるか。

韓国政府は昨年(07年)、アジアでも最大級の揚陸艦を建造した。
その名もズバリ、「独島」。
ワーワー騒いで、ものごとをなし崩し的に既成事実化していく。
自分たちは、そうとは思っていないだろうが、外から見ていると、韓国も北朝鮮も、精神構造は同じ。

どうしてあの2つの国は、こうまで(思い込み)がはげしいのだろう?
……ということで、今日の日韓経済戦争の話は、おしまい。

がんばれ、日本!
負けるな、日本!

(付記)そんな中、韓国軍は、7月末、大規模な軍事演習にうって出た。
聯合ニュースは、つぎのように伝える。

「訓練には海軍の3000トン級駆逐艦など艦艇6隻、海上哨戒機、対潜ヘリと空軍のF15K戦闘機2機、海洋警察の警備艇2隻が参加。日本海側から竹島に接近する国籍不明船をキャッチし、海空両面作戦で追い返すというシナリオで実施された」と。


●究極の採決

仮に、あなたが宇宙人だったとする。
月の内部に住んでいる、宇宙人だったとする。
高度な理性と知性を、兼ね備えた宇宙人だったとする。

過去、20万年近く、あなたの祖先たちは、その月の内部で、静かに生活してきた。
今もあなたは、その月の内部で静かに暮らしている。

もちろん娯楽がないわけではない。
最大の娯楽は、地球人の目を通して、地球人の生活を楽しむこと。
地球人になりきって、地球人とともに、地球人の生活を楽しむこと。
もちろんその気になれば、火星や金星など、ほかの惑星への観光旅行もできる。
少したいへんだが、太陽系の外に飛び出すこともできる。

が、このところその地球の様子が、おかしくなってきた。
「地球温暖化」という問題である。
このまま放っておけば、地球も、やがて火星のようになってしまうかもしれない。
となると、ひとつ深刻な問題が生まれてくる。

あなたは食糧の多くを、その地球に頼っている。
地球の海から採取するコンブ系の食物は、あなたの主要食物のひとつになっている。
ほかにも代替食物がないわけではないが、月を現在の月の位置に(置いた)のも、もとはといえば、その食糧確保が目的だった。

そこであなたは会議に召集された。
で、今日の議題は、「地球人たちを、存続させるべきか、否か」である。
その席で、その採決が行われる。

もちろんその中間的な方法もないわけではない。
一部の地球人を、選択的に存続させる。
地球人を再改良する。
が、全体として、「どうするか?」と。

もしあなたがその宇宙人なら、どういう採決をくだすであろうか。

「地球のことは、地球人に任せて、最後の最後まで、静かに見守る」か、
それとも「地球を地球人の手から奪うため、地球人たちを抹殺する」か。

もしあなたがその宇宙人なら、どういう採決をくだすであろうか。

……というのは、あくまでもSF(サイエンス・フィクション)の世界の話。
ハリー・ポッターの世界の話と同じ。
しかしこの問題は、人間世界のすばらしさ、愚かさを同時に考えるには、すばらしいテーマである。

「私たち人間は、どうすれば存続するに値する生き物になれるか」
「私たち人間が、原罪的にもっている愚かさとは何か」と。

もし今夜も、月を空に見ることができたら、私もその月を見ながら、この問題を考えてみたい。
地球人の運命は、清き、あなたの一票にかかっている!