*Talk Parogramme on Radio
【トーク番組・趣旨】(RF YOKOHAMA)
●母について語る
Q:「林さんにとって、(親)というのは、どういう存在なのでしょうか。何か、エピソードのようなものを話していただければ、うれしいです。」
A:いきなり汚い話で、恐縮なのですが、下痢で汚れた母の尻をふいてやったとき、それまでのわだかまりや、こだわりが、ウソのように消えました。
いよいよ自分では思うように歩けなくなって、私の家にやってきたのですが、それまでは、いくら説得しても、がんとして郷里の実家を離れようとしませんでした。
で、私の母ですが、他人にはともかくも、子どもの私たちには、過酷なほどまでにきびしい親でした。私の長男が生まれたときでさえ、私の家にやってきて、家といっても、6畳と4畳だけの小さなアパートでしたが、私に貯金を全額おろさせ、それをすべてもって帰っていきました。それまでも、そしてそれ以後も、私は収入の約半分を、毎月母に送金していました。父は私が大学を卒業するとまもなく、心筋梗塞で他界してしまいましたから……。
が、それでも足りなかったのでしょうか。預けておいた私の土地の権利書を、母が勝手に転売してしまったこともあります。世の中には、親をだます子どもはゴマンといますが、子をだます親は、少ないと思います。私がそれに泣いて抗議すると、母は、こう言って、逆に私を叱りました。「親が、先祖を守るために、子の財産を使って、何が悪い!」と。私が47歳のときのことでした。
「親のめんどうは、子がみろ」といいますね。しかしその言葉から受ける、社会的重圧感には、相当なものがあります。そうした重圧感を、心理学の世界でも、「幻惑」と呼んでいます。「家族自我群から生まれる幻惑」と、です。親子であるが故に、その関係は特殊なものです。それがうまく機能しているときは、家庭というのは、それなりに居心地のよい世界です。が、ひとたびどこかで歯車が狂うと、今度はそれが恐ろしいほどの重圧感を伴って、その人を襲います。それは想像を絶する重圧感です。
さらに郷里の地方では、「子が親の悪口を言うとはなにごとか」とか、「どんな親でも親は親だ」「産んでもらったではないか」「育ててもらったではないか」「言葉を教えてもらったではないか」とか言います。そういう言葉を耳にするたびに、私は首どころか、全身を真綿で締め付けられるような思いをしたものです。
Q:「林さんは、お母さんを恨みましたか」
A:もちろんそうです。恨みました。憎みました。毎晩寝る前になると、体中が怒りでほてり、なかなか寝つかれませんでした。土地の権利書を転売されたときのことです。毎晩、ワイフが介抱してくれました。そういう期間が、10か月もつづきました。最後に「お前を、親だろうが何だろうが、訴えてやる」という手紙を書いたとき、母は、それにおびえて、あわててお金を返してきました。
Q:「それで親への恨みは消えたのですか?」
まさに底なしの消耗戦でした。親というのは、何があっても信じられる存在なはずでしょう。それが信じられないというのです。そうなると、もうだれも信じられなくなってしまいます。私のワイフですら、信じられなくなってしまいます。が、事情を知らないノー天気な親類たちは、実家へ帰らないという理由だけで、私を責めました。「親捨て」というレッテルを貼られたこともあります。
Q:「どうしてそういうお母さんを、引き取ることになったのですか」
話せば長くなりますが、実家の近くで母のめんどうをみていた、姉や兄が健康を害したことが理由です。それでいよいよ……ということになって、私がめんどうをみることにしました。が、簡単なことではありませでした。「いやだ」とか、「したくない」とかいうような、生易しい感情ではありませでした。私は悶絶しました。悶絶です。私は現在60歳ですが、そこにはそれまでの58年に及ぶ、私の人生そのものが凝縮されていました。
父は私がもの心つくころから酒を飲んで暴れ、私は家庭の(暖かさ)というものを、ほとんど知らないで育ちました。かろうじて私が私でいられたのは、祖父母が同居していたからにほかありません。私にとって、祖父が、父親でした。もし祖父母が近くにいなかったら、私は今ごろどうなっていたかわかりません。
が、母が私の家に来て、初日のことでした。母は体調を崩し、1週間ほど、下痢を繰りかえしました。便の始末は私がすると心に決めていましたから、私がしました。
そのときのことです。しわくちゃになった母の尻をふいているとき、それまでのわだかまりや、こだわりが、乾いた風のように、スーッと自分の心の中から消えていくのを感じました。「ぼくは、こんな人間を、今まで、本気で恨んだり、憎んだりしていたのか」とです。そこにいたのは、無力で、孤独で、どうしようもないほど、小さく、あわれな人間でした。とたん、そしてそこに残ったのは、私が子どものころの、あのやさしい、慈愛に満ちた母でした。私が、「あのなあ、この先、お前が死ぬまで、ぼくがお前のめんどうをみるよ」と言うと、母は、こう言いました。「おまえにこんなことを、(つまり便の始末のことですが)、してもらうようになるとは、思ってもみなかった」と。
Q:「林さんは、憎しみを乗り越えたということですか」
A:結果的にそうなったというだけです。人を恨んだり、憎んだりするのには、ものすごいエネルギーが必要です。相手が母親なら、なおさらです。だから人を恨みたかったら、とことん恨んだらいい。憎みたかったら、とことん憎んだらいい。いい子ぶることはない。しかしそのうち疲れて、それができなくなる。できなくなったとき、その前に、実におおらかな世界が見えてきます。
それともうひとつ大切なことは、『運命は、受け入れる』です。
だれにでも無数の糸がからんでいます。家族の糸、親類の糸、社会の糸、生い立ちの糸などなど。過去という糸もあります。
そういうものが、その人の体をがんじがらめにして、その人の進むべき道を勝手に決めてしまうことがあります。それを「運命」というなら、運命というのは、たしかにあります。
で、その運命を感じたら、運命は、静かに受け入れる、です。
運命というのは、それに逆らえば、悪魔となって、私たちにキバを剝いて襲いかかってきます。しかし運命というのは、それを受け入れてしまえば、相手のほうからシッポを巻いて逃げていきます。悪魔というのは、あくまでも観念的な悪魔ですが、気が小さく、臆病です。何も恐れる必要はありません。
受け入れて、そこを原点として、前向きに生きていけばいいのです。
Q:「私は、親になれるだろうかと悩んでいる若い人たちがいると思います。そういう人たちには、どうアドバイスしてくれますか」
A:何も気負うことはないのです。「あなたは、あなた。私は、私」と居直ることです。どんな家庭にも、またどんな家族にも問題はあります。問題のない家庭など、ない。問題のない家族も、ない。みんなそれぞれ、それぞれの問題をかかえて、懸命に生きている。その懸命に生きている姿こそ、尊いのです。無数のドラマもそこから生まれます。そのドラマに価値があるのです。
が、それでも袋小路に入ってしまったら……。私は、『許して、忘れる』という言葉を思い出してほしいと思います。英語では、「For/give &For/get」と言います。この単語をよく見ると、「フォ・ギブ」つまり、「与えるため」とも訳せます。「フォ・ゲッツ」は、「得るため」とも訳せます。つまり「許して忘れる」というのは、「相手に愛を与えるために許し、相手から愛を得るために忘れる」という意味になります。相手が親であろうが、子どもであろうが、この言葉は、有効です。
Q:「最後に何か、同じような悩みを抱えて苦しんでいる人たちに、役立つ話をお願いします」
A:昔、Tという名前の大作家がいました。その名前を出したら、知らない人がないというほどよく知られた、大作家です。
そのT先生が病気で倒れたとき、私は、T先生を見舞ったことがあります。そのときのことです。T先生がこう言いました。「林君、ぼくは若いころから、無精子症なんだよ」と。つまり精子が先天的にない体質だったのですね。
それを聞いて、私は思わずこう言ってしまいました。「だって、先生には、息子さんが……」と。
するとそのT先生は、ベッドの上で体をこちらに向け、笑いながら、こう言いました。「まあ、いいじゃねえか、いいじゃねえか」と。
「許して忘れる」を一言で言えば、「まあ、いいじゃねえか」となるのですね。
もちろんそうした心境にいたる過程で、そのT先生は悩み苦しんだと思います。相当な苦しみだったと思います。だからこそ、今に名を残す大作家となったわけです。
母は、現在、92歳です。今は、ケア・センターに入っています。私以外の人は、ほとんど区別できませんが、私も似たような心境です。母を見舞うたびに、「まあ、いいじゃねえか」という言葉が、自然と口から出てきます。
最後に一言。
私の母についてですが、母は母で、あの戦後という時代の中で、懸命に生きた。けっして自慢できるような親でありませんでしたが、あの戦争の被害者だったということも言えます。父が酒に溺れるようになったのは、今で言う「PTSD」、つまり心的外傷後ストレス症候群が原因ではなかったのではないでしょうか。父は、戦地の台湾で貫通銃創といって、腹に2発、アメリカ軍の銃弾を受けています。
母は母で、当時の価値観に従って、懸命に「家」を守ろうとしていたのです。郷里のあの地方では、いまだに、江戸時代そのままの、「家制度」が残っています。母はそういう過去の亡霊を引きずり、それに翻弄されただけかもしれません。世間体、見栄、メンツにこだわったのも、そのためです。
そのときはそれがわかりませんでしたが、今になってみると、それがよくわかります。この世の中には、絶対的な善人などいません。同じように、絶対的な悪人というのもいません。
要はバランスの問題です。みんなそのバランスを必死に保ちながら生きているのです。
話が脱線しましたが、何かのことで行き詰まったら、「許して、忘れる」。T先生が言った、「まあ、いいじゃねえか」でもよいかもしれません。その言葉を思い出してみてください。
そこは実に、おおらかで穏やかな世界です。みなさんも恐れないで、そういう世界に向かって進んでみてください。
Q:「ありがとうございました」
A:「こちらこそ、ありがとうございました」
(収録・横浜、ラジオ日本にて)
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