Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, August 12, 2008

*Agony

●不安(兄の死に際して)

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私は子どものころ、毎日、不安でならなかった。
どういうわけか、不安でならなかった。
本来なら、家庭や家族が、心のより所であったはずのなのだが、
私には、その居場所すらなかった。

まず、家の間取りが悪かった。
たとえば学校などから帰ってきたようなときでも、自分の体を
ドカッと置いて、休めるような場所さえなかった。
居間の横が、土間になっていて、それが店と、台所を
つなぐ通路になっていた。

つぎに私の父と母は、結婚当初から、心がバラバラだった。
数日おきに父は酒を飲んで暴れ、私たちは、それがこわくて、
ときには親類の家に逃げていったりした。

そんな私が、かろうじて(私)でいられたのは、祖父母が
同居していたからに、ほかならない。
祖父が、私の父代わりになってくれた。
実際、祖父は私を、孫というよりは、実子のようにかわいがってくれた。

家の中では、父に遠慮してそういうことはしなかったが、祭などに
出ると、祖父は、片時去らず、私の手を握っていた。
小学校の高学年になっても、寒い夜などは、祖父母のふとんの中に
もぐって眠ったこともある。

心理学的には、私は基底不安タイプの人間ということになる。
私は母子関係の間で、基本的信頼関係の構築をすることができなかった。
わかりやすく言えば、私は、そのまま心の開けない人間になってしまった。

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フロイトは不安を、(1)現実不安、(2)神経症的不安、(3)道徳的不安の3つに分けて
考えた(「心理学」・ナツメ社)。

心理的不安というのは、「勉強しないと試験に落ちるというような不安」(同書)、
神経症的不安というのは、「だれかに魔法をかけられているというような、了解不能な不安」(同書)、
道徳的不安というのは、「自分が何か、悪いことででもするのではないかという
ような不安」(同書)を、それぞれいうのだそうだ。

この不安学説を読んでいて、まず思い起こされるのが、先日他界した、兄のことである。
兄は、始終、何かしらの不安を訴えていた。
病気、仕事、将来、家庭、家族などなど。
たまに鼻歌を歌いながら、パチンコに行くことはあったが、そういう兄の姿は、例外的なものだった。

その兄は、フロイトの説によれば、(というのも、不安学説というのは、無数にあって、定型がないので)、これら3つの不安を、同時にかかえていたことになる。
すべき仕事がないと、「仕事がない」と言っては不安になり、反対に、いくつか仕事が重なったりすると、「仕事ができない」と言っては、不安になったりした(現実不安)。

また何かのことで落ちこんだりすると、かならず仏壇の前で手を合わせていた。今から思うと、それが神経症的不安だったのかもしれない。

が、最大の不安は、何をしていても、あるいは何もしていなくても、心の安らぎを得られなかったということ。
ちょっとした失敗をだれかに指摘されただけで、すかさず「ごめんなさい」とか、「母ちゃんに叱られる」とか、言った。
私はかろうじて祖父母に救われたが、兄のばあい、私にとっての祖父母に当たる人がいなかった。

孤独だった。
本当に兄は、孤独だった。

その孤独感が、そばにいる私にも、ひしひしとよくわかった。

そこで兄が選んだ道は、レコード集めだった。
兄にとっては、レコードがすべて。
命だった。

兄はレコードを集め、それに耳を傾けることで、自分をなぐさめ、孤独をいやした。
私は子どもながらに、「兄のレコードだけには、手を触れてはいけない」ということを、
学んだ。

手を触れることは、タブー中のタブー。
ほんの少しでもレコードの位置がずれていたりすると、それだけで兄は、よくパニック状態になった。

……かく言う、私も、つねに不安との闘いだった。
いつも心のどこかに、何かしらの不安をかかえていた。

たとえば生活するのに、20万円にお金が必要だったとする。
しかし同額の20万円の収入では、私は、安心感を覚えられなかった。
倍の40万円、あるいはそれ以上にないと、落ちつかなかった。

フロイトが説くところの、現実不安という不安である。
ほかにも、原因のわからない不安感に襲われたこともある。
が、これについては、前に何度も書いてきたので、ここでは省略する。

一方、道徳的不安というのは、ほとんどなかった。
私はどちらかというと、自己愛者。
若いころは、とくにそうだった。
自分勝手で、わがまま。
自己中心性が、人一倍、強かった。
だから「何か悪いことでもするのではないか」とか、「自分のしていることがまちがって
いるのではないか」ということは、ほとんど考えたことがない。

私は、常に正しかった(?)。

むしろ、40歳を過ぎるころから、他人に対して謙虚になった分だけ、自信をなくした。
今の今でさえ、私の知らない世界が、あまりにもあるということについて、恐れをなす
ことが多い。

が、ここで異変が起きた。
それは自分でもはっきりと自覚できるほどの異変である。

兄の本葬をしている最中のことだった。
私は自分の心がどんどんと軽くなっていくのを覚えた。
不思議な感覚だった。

だからといって、兄の死を喜んでいたわけではない。
むしろその逆。

私の家庭環境を振り返ってみると、私が兄で、兄が私であっても、何らおかしくない。
一時は、父や母に、家業を継ぐように強要されたこともある。

だからあるときから、痛いほど、兄の気持ちが理解できるようになった。
兄が不安がるのを見ながら、その不安が、私が感じているのと同じであることを知った。

兄と私は、どこもちがわない。

ゆいいつのちがいといえば、兄は、その不安に押しつぶされてしまったということ。
私は、その不安を押しのけながら、生きてきたということ。
生命力のちがいというよりは、ほんのわずかな運命のちがいでしかなかった。

兄は、そうした不安を、私から抜き取り、それをあの世へいっしょにもっていってくれた。
それが実感として、私には、よくわかった。
だからおかしなことだが、兄の死を悲しむというよりは、私は、兄の心が解放されたのを喜び、同時に、私の不安をぬぐい去ってくれた、兄に感謝の念を覚えた。

今の私は、おだやかで、とても安らいでいる。
兄の死後、ワイフも驚くほど、睡眠時間が長くなった。
早朝に目を覚ますということもない。
ワイフも、「あなたは別人のように穏やかになった」と言う。

今、やっと私は、家族自我群による幻惑から解放された!

葬儀の席で、「準ちゃん(=兄の名)、ありがとう」と言ったのは、そういうところから出た言葉だと思う。

準ちゃん、ありがとう。
安らかに眠れ。
しばらくしたら、ぼくも、そちらへ行くから……。