*The End of the Japanese Buddhism
● 和式仏教の終焉(しゅうえん)
(What is the Japanese Buddhism? Everything is funny and strange.)
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浜名湖に面して、小さな漁村がある。
「その昔は、漁村だった」というべきか。
その昔は、浜名湖に生える天然の海苔が、
主な収入源だったという。
全体で、30世帯ほど。
最近まで、半分ほどがミカン農家だったが、
営農者の高齢化とともに、減反につづく減反。
今は、農業を営む人も、ほとんどいない。
その村での法事に行ったときのこと。
ワイフの母の実家が、そこにある。
「今年は、13軒も初盆がありましてね」と、
ワイフの従兄弟にあたる、Kさんがそう言った。
「でもね、初盆をする家は、半分くらいです。
あとの半分は、しません」と。
都会地域でならまだしも、そんな村でも、
今、初盆さえしない家がふえている。
Kさん自身も、「できればうちも、やめたかった」と。
「このあたりでは、13、14、15、16日と、
4日間もするのです。たいへんです」とも。
今、日本の仏教は、大きな曲がり角に来ている。
転機と言うべきか、それとも、終わりの始まりと
言うべきか。
称して、「和式仏教の終焉(しゅうえん)」。
このままでは、日本の仏教は、ほんとうに死滅する。
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日本の仏教は、おかしい。
何からなにまで、おかしい。
戒名に例を見るまでもない。
「宗教心」と、「信仰心」は分けて考える。
「どこがどう違うのか?」と思う人もいるかもしれない。
しかし宗教心をもつということと、信仰心をもつということは、別。
もっとわかりやすく言えば、「宗教」と「信仰」とは、別。
宗教それ自体は、哲学と考えてよい。
「宗教哲学」という言葉もある。
「教え」に従い、その教えを日々の生活の中で生かすことで、より豊かな人生(=心)を
めざす。
しかし信仰というのは、「信ずること」。
『イワシの頭も信心から』ともいう。
哲学というところの「学」は、ない。
なくても、一向に構わない。
そこでこの日本。
信仰心のある人は多いが、宗教心のある人は少ない。
仏教徒と言いながら、仏教の勉強をしたことがある人は、ほとんどいない。
中に経典をスラスラと読む人もいるが、その意味まで把握している人となると、少ない。
それもそのはず。
日本の仏教は、釈迦が説いた仏教というよりは、チベット密教の流れをくむ中国仏教。
信仰によって病気を治したり、国を治めたりする。
「教え」らしきものはあるにはあるが、もととなる経典にしても、そのほとんどは、
釈迦滅後、500~600年もたってからインドで作られたもの。
日本で偽作された経典すら、ある。
「初七日から四十九日の法要など十仏事」の根拠になっている『地蔵十王経』も、
そのひとつ。
「鎌倉初期に日本において偽造されたことが、証明されている」(北川高揚)。
だから日本の仏教では、ルーツをたどられること自体を、嫌う傾向が強い。
あるいは日蓮、親鸞などの説いた仏教を、その始点とする。
中には、「日蓮は釈迦の生まれ変わりだから、日蓮仏法のほうが本物」と説明する人もいる。
たとえば観音様が女性であっても、(もともとは男性)、かまわない?
日本の仏像が、古代インドの衣装ではなく、古代ギリシアの衣装を身につけていても、
かまわない?
アフガニスタンの「ウラバン」が、「盂蘭盆(うらぼん)」になり、盂蘭盆会(え)に
なってもかまわない?
しかしいくら信仰をしても、盲目になってはいけない。
「おかしい」と思う心を失ってはいけない。
でないと、それこそイワシの頭を信じながら、それにすら気づかなくなる。
あるいはカルト教団の餌食となって、貴重な人生そのものを、棒に振ることになる。
では、宗教とは何か。
一言で言えば、「身の回りの不可思議さについての、哲学的体系」ということになる。
哲学の一部ということになるが、哲学とは視点が逆。
哲学は、実証された(事実)をもとに、思想を体系化していくが、宗教は逆に、
そこにある(不可思議さ)の中から、(事実)を引き出していく。
わかりやすい例で考えてみよう。
たとえば実存主義と呼ばれる哲学がある。
その実存主義では、(認識)を大切にする。
「私が生まれてみたら、そこに親がいた。社会があった。国があった」と。
この宇宙にしても、人間が認識するから、そこにあると考える。
そこで「神も仏も、人間がつくった」と考える。
一方、宗教では、(存在)の不可思議さに驚き、おののく。
「なぜ、山があり、海があるのか。人間がいるのか」と。
この宇宙にしても、まず不可思議な力によって、そこにつくられたと考える。
そこで「神が、人間をつくった」と考える。
さらにかみくだいて言えば、「生きている存在」として考えるのが哲学、
「生かされている存在」として考えるのが宗教ということになる。
つきつめて言えば、私たちは生きているのか、
それとも生かされているのか。
「私は生きている」という視点で、自分の生き様を確立していくのが哲学。
「私は生かされている」という視点で、自分の生き様を確立していくのが宗教。
どちらにせよ、こと(考える)という視点では、哲学も宗教も、方向性こそ逆でも、
中身は同じということになる。
ともに体系化されうるものだし、現に体系化されている。
が、信仰する人の多くは、(信仰)することだけをもって、それが「宗教」と
思いこんでしまっている。
さらに信仰的儀式を忠実に守ることだけをもって、それが「信仰」と思いこんで
しまっている。
はっきり言えば、ノー・ブレイン。
考える力どころか、批判力すら、喪失してしまっている。
それが集約されているのが、現在のこの日本に見る、葬儀ということになる。
もちろん中には、私たちが見えないところで仏道の修行に励んでいる行者も
いるかもしれない。
一歩退いて、どこの寺の住職でも、頼んだり質問したりすれば、それなりのことをしたり、
言ったりする。
しかしそういったものが、表に出てこない。
私たちに伝わってこない。
たとえば私の周辺でも、寺の住職が率先して、貧しい人や、苦しんでいる人を
救済したという話は、聞いたことがない。
耳に入ってくるのは、おどろおどろしい話ばかり。
金(マネー)にまつわる話ばかり。
ある遺族が、「うちにはお金がない。戒名料を払うお金がない」と言うと、その
僧侶は、読経もせず、寺に帰ってしまったという。
さらに日本では、高額所得者というと、医師、弁護士ということになっている。
が、実際には、寺の住職たちは、それ以上の収入をあげている。
一度税務署は、そういう実態を公表してみては、どうか。
こんなことをつづけていたら、日本の仏教は、どうなるか?
改めて私が、ここに書くまでもない。
はやし浩司++++++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi
【9月12日】(土曜日)(Sep. 12th, 2008)
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おかしなことがつづく。
昔、三浦K事件というのがあった。
「ロス疑惑事件」ともいう。
三浦K氏の妻が、白昼、近寄ってきた白いバンの
中から、だれかによって銃撃され、その後死亡した。
三浦K氏は、その模様を一部始終、目撃する
位置にいた。
(白いバンの存在については、三浦K氏は否定しているが、
三浦K氏自身が撮った写真の一部に、それが写っている。)
その三浦K氏は、現在、S島にある拘置所に
拘留されている。
S島というのは、アメリカの自治領である。
で、今度、再審理審査のために、ロスに
移送されることになった(9月11日)。
その是非はともかくも、それについて、
三浦K氏の元弁護士や、支援団体が、
猛反発しているという。
私は、この部分に、(おかしさ)を覚えた。
日本での裁判では、三浦K氏は、無罪を
勝ち取った。
その時点で、弁護士としての仕事は、
終了しているはず。
どうしてその弁護士が、感情論むきだしで、
それに反発するのか。
さらに三浦K氏には、彼を支える支援団体
まであるという。
私にはこれ以上のことは書けない。
フ~~~ンと思っただけで、つぎの言葉が
出てこない。
あえて言うなら、日本側の弁護士も、
また支援団体の人たちも、法律という
条文の向こうにある、法的正義とは何か、
それについて一度、心のどこかで考えて
みてほしい。
法律というのは、あくまでもその法的正義を
具現化するための手段でしかない。
「罪刑法定主義」とは言うが、何でも「法律が先」という
世の中になったら、それこそこの世は闇。
まず法的正義を先に置く。
そのために必要であれば、条文を拝借する。
それが本来の(法律)のあるべき姿ではないのか。
というのも、三浦K氏は、日本の裁判では無罪に
なったが、大多数の日本人は、それに納得していない。
私も納得していない。
三浦K氏が無罪になったのは、もう1人、そこにいたであろう
はずの人物の存在が証明できず、かつ実行犯が特定できな
かったからにほかならない。
まさに日本の刑法の盲点をついた、無罪判決という
ことになる。
その三浦K氏はアメリカでの裁判を、「一事不再理」を理由に、
拒んでいるという。
しかしほんとうに自らの身の潔白を証明したいのであれば、
また自らの無実と信じているなら、アメリカで再審理をして
もらえばよい。
今度こそ、それで私たち日本人も納得する。
三浦K氏も、晴れて、堂々と世界中を歩きまわることができる。
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● AS総理大臣の誕生(?)
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自民党次期総裁に、AS氏が選ばれる
可能性が大きくなってきた。
すでに自民党内で、約60%の支持者を
獲得したという(報道)。
とくに若い人たちの支持を広く集めて
いるという。
自民党次期総裁イコール、日本国総理大臣
である。
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私はAS氏の今までの、数々の問題発言を理由に、AS総理大臣誕生には、強く
反対する。
昨今も、AS氏は街頭演説で、自らを、「漫画オタク」と表現してみせた。
一国の、しかも世界第二の経済大国の首相が、使うような言葉だろうか?
私たちは、彼の、あのニンマリと笑った仮面の下に、何が隠されているか、
それを見極めなければならない。
もし総理大臣ということになれば、これからは問題発言は、問題発言という
レベルを超えて、へたをすれば国家間の紛争につながる危険性もある。
自民党内でも(極右派)というだけで、すでに中国や韓国など、日本の周辺の
国々は、緊張し始めている。
「日本がどんな首相を据えようが、日本の勝手」という論理は、このアジアでは
通用しない。
先の大戦で、約300万人もの日本人が死んだが、その日本人が、ほぼ同数の
約300万人の外国人を殺している。
日本は、いまだかって、その戦争責任を、公式に認めたことは一度もない。
責任問題をうんぬんすれば、その責任は、「天皇」まで行ってしまう。
天皇を頂点にいだく官僚主義国家としては、これはまことにもって、まずい。
AS氏は、天皇を元首とする憲法改正に、もっとも積極的な政治家のひとりである。
この21世紀の日本で、なぜ今、王政復古なのか?
そういうことも考えながら、AS氏の言動に、これからも注視していきたい。
はやし浩司++++++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi
●UFO
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若いころ、私が23、4歳のころだが、
当時日本テレビに在籍していた、矢追純一氏と、
交際させてもらったことがある。
当時は、矢追氏は、11PMという番組の、ディレクターを
していた。
浜松(がま産婦人科医院)でも数回、東京(ニューオータニ)
でも数回、個人的に会ったことがある。
恐らく矢追氏は、私のことなど忘れてしまっているだろう。
が、「手巻きタバコの林」もしくは、
「針麻酔の林」といえば、思い出してもらえることと
思う。
一度、UFOの写真集を、20~30枚前後、
送り届けてもらったこともある。
その矢追氏が、今度、コミックだが、新しい
本を出した。
さっそく、コンビニで購入。
題して「UFO」(監修、矢追純一・竹書房)。
矢追氏自身の個人的な体験がふんだんに盛り込まれて
いて、おもしろかった。
「ああ、あのころ、矢追氏は、こんなことをしていた
のだ」と、それがよくわかった。
それに矢追氏が、UFO問題に傾注していく過程は、当時
直接矢追氏自身から聞いていたので、たいへん興味深かった。
もちろん、私の知らない事実もたくさん、この本の中に
あった。
火星にまつわる謎である。
それについては、別の機会に書くとして、たいへんおもしろかった。
Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司
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