Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Thursday, September 04, 2008

*Shit in the Class

【今朝、あれこれ】

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ちょうど10年前に、TOSHIBAの
Dynabook・SS・3010を買った。
値段は、24万円くらいだったと思う。

今で言う「ミニ・パソコン」。
厚さも1~1・5センチ前後しかない。

このパソコン、当初から、トラブルつづき。
画面上の位置を示すポインターが、勝手に
フラフラと動き回り、定まらない。

そこで修理に出すこと数回。
が、そのうち私のほうがあきらめてしまい、
ダマシ、ダマシ使うことに……。

小さいが、使いやすいパソコンだった。
で、今はボロボロ。
側面の塗装もはがれ、人間の年齢にたとえるなら、
60歳。

そのパソコンが、何と、生きがえった!

何の気なしに、光学マウスを接続してみた。
多分ドライバーが、光学マウス自体に組み込まれて
いたのだと思う。
確かなことはわからない。

しばらくドライバーを読み込んだあと、
あれほどトラブルつづきだった3010が、
何と、正常に作動し始めたではないか!

驚いた。
うれしかった。
古い友に再開したような気分だった。

原因は、マウス・ドライバーだった(?)。

……ということで、今日は、その3010で、
いろいろと書くことにした。

++++++++++++++++++

【廊下に落ちていたウンチ】

●妄想の種

A中学校に通う中学生(女子)が、こんな話をしてくれた。
何でも、廊下に、ウンチが落ちていたという。

ゾッ!

私「どんなウンチだったの?」
女「ポタポタと、ふつうのウンチだった」
私「で、そのウンチ、どうなったの?」
女「先生が、何かの道具をもってきて、きれいにしていた」と。

で、そのあと、だれがウンチをしたかが、話題になった。

私「きっと女の子だよ」
子「どうして?」
私「男だったら、そんなにうまく、落せないよ」
子「ハア~……?」
私「スカートだったら、うまく落せる」
子「だって、パンツは……?」
私「勝手に想像したらいい」と。

この話をしたあと、ウンチのイメージが、私の頭に
強烈に焼きついてしまった。
実際にそれを見ていれば、そういうことはなかったと思うが、
頭の中で想像したのが、まずかった。
ウンチのイメージだけが、頭の中でどんどんとふくらんでしまった。
「どんなふうにして、したんだろう?」と考えたのも、まずかった。

で、それから今日にいたるまで、もう1年近くになる。
が、その学校の前を通るたびに、そしてそのあたりで
出入りしている女子中学生を見るたびに、頭の中に、
大きなウンチが思い浮かんでくる。

どの女子中学生を見ても、「あの子かもしれない」「この子かもしれない」と。

今日も、そうだった。

たまたまそのときワイフが横にいた。
車を運転していた。
見ると、1人の女子中学生たちが、その中学校の校門を出てくるところだった。

私「あんなかわいい子が、廊下にウンチを落すのかねエ?」
ワ「あの子とは、かぎらないでしょ」
私「そうじゃないよ。あの学校には、440人の中学生が通っている。
うち、女の子は、220人。だからあのウンチの220分の1は、
あの子のものだ」
ワ「それはおかしいわよ」
私「おかしくないよ。ぼくの頭の中では、そのウンチが、巨大な
ウンチになってしまった。教室いっぱいくらいの大きさだよ」
ワ「……?」
私「220分の1にしても、犬ほどの大きさになる」と。

こういう現象を、心理学の世界では、どう説明するのだろう。
似たような現象に、被害妄想がある。
注察妄想、追跡妄想、披毒妄想、血統妄想、神格妄想……、などなど。
もちろん誇大妄想というのもある。

●妄想

となると、私のは、誇大妄想ということか。

しかしこれには、私自身の個人的な過去が、影響している。
私は子どものころ、自分の家のトイレで用を足すのが、こわくてならなかった。
トイレは、家の中でも、一番奥まったところにあった。
薄ぐらい土間の横にあった。

いつだったか、だれかに理由を聞かれたことがある。
そのときはだれにも言わなかったが、トイレの壁のシミが、私には何かのお化けの
ように見えた。
それでこわくてならなかった。

もちろんボットン便所。

小便はともかくも、大便のときは、土間に新聞紙を敷いたりして、していた。
あるいは伯父の家が近かったので、そこでしたりした。
小学生や中学生のときは、できるだけ学校でした。

つまり私はウンチにたいして、特別な思いがある。
今でも、その思いは強い。

私「だからぼくは、ウンチは苦手なんだよね」
ワ「……」
私「若いころから、ウンチの臭いをかいだだけで、たとえば性欲など、どこかへ
吹き飛んでしまった」
ワ「若い女性のウンチを見て、興奮する男性もいるという話よ」
私「ぼくのばあい、ぜったいに、それはない。相手がどんな美人でも、ウンチ
の臭いがしたら、もうだめ」
ワ「……?」と。

だから……以来、私はA中学校の女子生徒を見るたびに、先に書いたように
なってしまう。
誇大妄想といえば、誇大妄想だが、「妄想」とは、少しちがう。
いや、やっぱり妄想か?

もしそうなら、妄想の心理的メカニズムが、これで説明できる。

つまりまず強い(こだわり)が生まれる。
私のばあい、子どものころの経験がそれにあたる。
これを(妄想の種)とする。
この(妄想の種)は、そのままでは(妄想)にはつながらない。
(妄想の種)が(妄想)になるためには、何かの刺激が必要である。
生徒から聞いた、「廊下のウンチ」が、それにあたる。
その刺激が、(妄想の種)を呼び起こし、(こだわり)を増幅させる。
それがどんどんと大きくふくらんで、(妄想)になる。

そうした(妄想)は、だれでももちやすいものだが、その妄想が原因で、
通常の生活に支障をきたすようになった状態を、「被害妄想」という。

だからたとえば、その話がウンチと関係ないものであれば、私は
笑い話として、それですませたかもしれない。
たとえば10万円が落ちていたとか、あるいは下着が落ちていたとか……。
が、私は「ウンチ」という言葉に、強い関心をもってしまった。
それが妄想につながってしまった。

私「おもしろい現象だね」
ワ「何もおもしろくないわ」
私「臭い話で、ごめん」と。

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(付記)

この話を教室ですると、ある男子(小5)が、「ぼくの学校でも、
同じようなことがあった」と話してくれた。

その子のばあい、授業中に、突然立って、「トイレへ行ってくる」
と言って、教室を飛び出していったのだそうだ。
が、間に合わなかった。

教室を出たところで、もらしてしまった。

こういう話を聞くと、そのもらしてしまった子どもが気の毒で
ならない。
おそらく一生、そのことを心のキズとするにちがいない。
ほかの生徒たちも、忘れない。
最悪のばあい、それによって、何かのニックネームをつけられて
しまうかもしれない。

子どもにとって(ウンチ)というのは、そういうもの。

そういうときこそ、教師による細心の指導が必要。