*When you are depressed...
●『失意泰然』(to be stable in case of despair)
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近くのガス会社の玄関脇に、こんな言葉が
かかげられている。
『失意泰然』。
石柱に、その言葉が刻み込んである。
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『失意泰然』。
すばらしい言葉だ。
またこの言葉を選んだ、その会社の社長もすばらしい。
(たぶん、選んだのは社長だと思うが……。)
「どんな逆境に置かれても、泰然としている」という意味か?
しばしその言葉に見とれる。
……私たちはそのつど、何かの騒動に巻き込まれる。
こちらが望まなくても、向こうから、それがやってくる。
そういうとき、当然のことながら、心は動揺する。
そういうとき底の浅い人は、ガタガタする。
中には、ギャーギャーと泣きわめく人もいる。
しかしそうしたところで、何も問題は解決しない。
かえって問題が、こじれてしまう。
日本語にも、『腹を決める』という言い方がある。
そうであるならあるで、割り切って覚悟する。
とくに自分の力ではどうにもならない問題に直面したときほど、そうである。
それが「運命」というのなら、その運命を前向きに受け入れる。
とたん、心が軽くなる。
この『失意泰然』という言葉は、いろいろに応用できる。
『騒動泰然』でもよい。
『動乱泰然』でもよい。
つまりそういうときこそ、その人の人格の基盤が発揮される。
そういうときに、泰然としていられる人ほど、人格の完成度が高いということになる。
私はその石柱を見ながら、しばしその言葉を、肝に銘ずる。
「私はその場に及んでも、ガタガタしないぞ!」と。
(実際には、いつもガタガタしているが……。)
Hiroshi Hayashi++++++++++++++++++++++はやし浩司
●負けるが勝ち(Don’t be afraid of losing in order to win)
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『負けるが勝ち』という言葉がある。
これについては今までに、何度も書いてきた。
しかし『負けるが勝ち』には、
さらにすばらしい意味が隠されている。
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何かのことで、悶々と悩んだり、苦しんだりしたら、
思い切って負けてしまう。
負けて、自ら、まな板の上に乗ってしまう。
「さあ、どうでも、好きなようにしろ」と。
とたん、心が軽くなる。
大切なことは、今、ここで私たちが生きているという(事実)。
それにまさる価値はない。
つまりその価値さえ確保できるなら、そのほかのことは、
どうでもよい。
取るに足りない、ささいなこと。
さらに言えば、今、あなたが健康で、自由に動くことができるなら、
それ以上、あなたは何を望むのか。
息ができる。
歩くことができる。
見える。
聞こえる。
だからこちらから負けてしまう。
どうせ相手は、小さな、小さな、どこまでも小さな人間。
あなたがまともに相手にしなければならないような人間ではない。
つまり『負けるが勝ち』とあなたが覚悟した瞬間、あなたは
相手を、呑み込むことができる。
数段、その相手より上に出ることができる。
が、もちろん、負けてはいけないケースもある。
どんなに攻撃されても譲ってはいけないものがある。
それが「正義」。
わかりやすく言えば、「生きるための名分」。
それは最後の最後まで、死守する。
しかしその正義というのは、国家、民族、宗教、人類、地球、さらには
宇宙に対してするものであって、個人に対してするものではない。
こと個人に対して正義など貫いても、意味はない。
相手がそれなりの人物ならともかくも、(そういう人物というのは、
めったにいないが……)、相手にしても、意味はない。
あなたがその人を相手にするというのであれば、あなたもまた、
その程度の人間ということになる。
こんなことがあった。
その村では、村の人たちが自分の土地を少しずつ供出して、道を
作ることになった。
で、その計画を村役場に提出すると、「村道」として昇格してくれる
ことになった。
土地を村が買いあげてくれる。
造成のための補助金も支給される。
その補助金の取り合いで、村の人たちの心が四分五裂。
それからすでに20年になるというが、いまだにその(しこり)が残っているという。
対処の仕方をまちがえると、自分自身が、とんでもないほど低位に落ちてしまう。
「20年もゴタゴタするなら、あきらめるものはあきらめて、サッサとつぎの
行動に移ればいい」と私は考えるが、同じ騒動でも、「お金(マネー)」がからむと、
そうはいかない。
人間関係も、ドロドロになる。
あるいはこんなことも。
私は以前、いろいろなカルト教団を攻撃する記事を書いた。
雑誌や月刊誌にも書いた。
書籍も5冊出した。
そのこともあって、いまだに、私の家をさがしあて、抗議してくる人がいる。
玄関先で、押し問答をする。
しかしそういう個人を相手にしても、意味はない。
その人がそれで幸せなら、それでよい。
とやかく言う必要はない。
だから私のほうが逃げる。
相手がこわいから逃げるのではない。
どうでもよいから、逃げる。
だから『負けるが勝ち』。
仮に今日負けたら、明日、楽しく元気に仕事ができるようにすればよい。
今月負けたら、来月、楽しく元気に仕事ができるようにすればよい。
そのために、明日、あるいは来月、楽しく仕事ができるように、
心と体を、今日、あるいは今月、鍛えればよい。
私は自分で負けを感じたときは、その日は、運動の量をふやすようにしている。
運動をすることによって、不愉快なことを忘れることもできる。
「今年がんばれば、来月、楽しく仕事ができるだろ」と。
つまらないことでは、負けて負けて、ボロボロになる。
ボロボロになったところで、失うものは何もない。
Hiroshi Hayashi++++++++++++++++++++++はやし浩司
● 庭のマムシ(A Poison Snake in my Garden)
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先月、なんと、私の庭で、マムシが出た。
小さなマムシ(日本マムシ、毒性はきわめて強い)だったが、
それでも体長は30~40センチはあった。
このあたりでも、「かまれたら、1か月」という。
マムシにかまれたら、入院生活が1か月つづくという意味である。
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マムシの生態を知っている人なら知っていると思うが、マムシというのは、
こういう市街地の住宅団地には、出ない。
湿地帯に近い、草むらの中で生育する。
餌は生餌(いきえ)といって、生きたカエルやトカゲ。
その上、私の家の敷地は、全体的に、1~1・5メートルほど、盛り土に
なっている。
まわりを40センチほどの高さのブロックで囲んでいる。
が、出た!
……ということで、夜など、自分の家の庭であっても、歩くのがこわくて
ならない。
懐中電灯は必携。
あれが子どものマムシとするなら、どこかに親がいるはず。
1匹だけということは、ことマムシに関しては、ありえないそうだ。
こうして私はまたあたらしい(こだわり)を作ってしまった。
……しかしどうして私の家の庭に、マムシ?
これも地球温暖化の影響か?
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