Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, October 19, 2008

*5 days after my Mon died

●母の葬儀を終えて……

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母は、10月13日に他界した。
今日は、10月18日。
もう5日になる。

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親にもいろいろあり、同時に、親子関係にも
いろいろある。

私と母の関係が標準というわけではない。
またそれを基準にして、ものを考えてはいけない。
知人のS氏(現在、67歳)も、2年ほど前、
実母を亡くしている。
そのS氏は、こう言った。

「ぼくのばあい、(母の葬儀のとき)、一滴も涙は出なかった」と。

別の知人のS氏の実母は、今年、95歳になるという。
特別養護老人センターに入居して、15年近くになるという。
しかしその実母を見舞うのは、1年に1、2度とか。

人、それぞれ。
親子関係も、これまた人、それぞれ。

私がそうであるかといって、他人もそうであるべきと
考えてはいけない。
反対に、他人がそうであるからといって、自分も
そうであるべきと考えてはいけない。

大切なことは、それぞれの人が、それぞれの立場で、
相手を認め、相手の気持ちを尊重すること。

私のばあいは、母が他界した日は、悲しかった。
つぎの日も、母の遺影を見て、涙が出た。
しかしその翌日くらいから、つまり葬儀が終わったあたりから、
急速に悲しみが薄れてきた。
それにかわって、それまでになかった解放感を味わうことが
できるようになった。

肩の荷がおりたというか、ほっとした安堵感を覚えるように
なった。

が、心の支えを失ったという、喪失感は、ない。
というのも、この40年間、実家の生計を支えてきたのは、私。
経済的な負担感というより、その社会的負担感には、相当な
ものがあった。

こう書くと、親意識の強い人なら、私を批判するかもしれない。
あるいはマザコンの人には、今の私の感覚を、理解することは
できないかもしれない。

しかし5日目の今日は、私はワイフと息子と、映画を見に行ってきた。
『イーグル・アイ』。
前から楽しみにしていた映画だった。
星は、4つの★★★★。
いつもなら、映画にしても、一度、センターに電話を入れ、母の容態を
確かめてから行かねばならなかった。
しかし今夜は、それをしなくてすんだ。

映画を、そのまま楽しむことができた。
いや、その前に、姉から、法事の問い合わせの留守番電話が入っていた。
が、私には、どうでもよかった。
返事はしなかった。
しばらく、そういったことについて考えるのは、休みたい。
49日の法要とか、そういうことに、どうして、日本人は、こうまで
こだわるのだろう。
まだそれまで1か月以上も、ある。
今は、のんびりと、心を休めたい。
ワイフもこう言った。

「落ちついたら、外国へ旅行に行こう」と。

母や兄のために、この4、5年、1泊以上の旅行をすることも
ままならなかった。
が、これからは、できる。

ホ~~~~~~ツ!

今は、そんな気持ちである。

(戒名)

母の戒名には、「院号」をつけてもらった。
(もともと「院号」というのは、皇族につけられるもの。)
私のためではない。
母のためでもない。
郷里からやってくる、親類たちを満足させるためである。
それでその人たちが満足するというのなら、あとは、お金の問題。
そんなことで、カリカリしたり、イライラしたくない。
だから「院号」をつけてもらった。

「~~院釈~~」とかいったが、名前は、忘れた。

なお葬儀は、身内だけで、内々にすませた。
香典類をいっさい、断ることも考えたが、葬儀社の人が、
「このあたりでは、まだ10年、早いです」と言ったので、やめた。
「あと10年もすれば、みな、そうするだろう」という意味である。

私の葬儀のときは、そうする。
またそのように息子たちには、しっかりと言い伝えてある。

香典を受け取るな。
返礼もするな。
読経も、戒名も不要。


Hiroshi Hayashi++++++++++++++++++++++はやし浩司

●息子と将棋

帰省している三男が、私がもっているのと同じ、ACERのアスパイア(1)
を買った。

さっそく、2人で、SKYPEで会話をしたり、ヤフーの将棋を使って、
オンラインで、対戦ゲームをした。
勝敗は、1勝1敗。
今日の夜にでも、第3回戦目をやるつもり。
これで決着をつける。

夜、床についたのが、午前1時半。
おかげで今朝は、軽い頭痛。
三男の風邪が、移ってしまったらしい。


●三男の初飛行

三男が、副機長(コーパイ)として、777で初飛行をする日、
すでに、予約で満席になっているという。
三男の友人たちが、みな、同乗するという。
「パパとママの分の席も、予約しておいてよ」と頼むと、「うん」と。
どこか心無い返事。
「最初の2年間は、みな、国内線だよ」とのこと。


●どこか風邪ぽいので(19日)、外出はなし。

今日は、午前中は、パソコン相手に、時間をつぶす。
とくに書きたいこともない。
新聞を読んでも、見出しが、電車の窓の景色のように流れていくだけ。

今、世界の経済は、たいへんなことになっている。
小さな、アフリカの国でも、銀行の倒産が始まっているという。
あのエリザベス女王も、65億円の損失をこうむったという(イギリス
大衆紙)。

どうなるんだろう?

私はあちこちの記事を読みながら、戦時中で爆撃を受けた人たちの
ことを考えた。
言うなれば、世界中の人たちが、爆撃を受けたようなもの。
家ごと吹き飛ばされた人もいれば、無傷ですんだ人もいる。
「経済戦争」という戦争で、でだ。

この先、世界は、かつてないほどの不景気に見舞われるという。
すでにその足音が、聞こえ始めている。
あの日本のT自動車ですら、株価は大暴落。
労使関係がギクシャクし始めているという。

これから新しいHPをひとつ、新設する。
その準備にとりかかる。

家庭の幼児たちが、無料で、私の幼児教室を体験できるようにしたい。
それを2009年度の目標にしたい。
それに手製の教材(プリント類)があるので、それをすべて、HPに
収録したい。
長い道のりだが、やるしかない。
今日は、その第一歩。

そうそう、私の「墓」は、インターネットの中につくる。
自分のHPの中につくってもよいし、そのうち、そういうサービスが
始まるかもしれない。
いや、私のHPそのものが、私の墓。
どうか、そう考えてほしい。

とは言いながらも、午後から、2人の知人宅をあいさつ回りをした。
母の葬儀では、世話になった。


●食べ物は残すな?

ある雑誌を読んでいたら、こう書いてあった。
「子どもには、食べ物を残さず食べるよう、教えよう」と。

若いころの私も、そう指導していた。
しかし振り返ってみると、この考え方は、まちがっていることを知った。
たとえば、私には、3人の息子がいる。

二男、三男は、私の言いつけをよく守って、ワイフが料理したものを、
たいてい(すべて)食べた。
それに反して、長男は、いつも食べたい分だけ食べて、あとは残した。
私はそのつど、「もったいない!」と、長男をよく叱った。

しかしそれから30年余り。

二男、三男は、少し油断すると、肥満ぎみになる。
しかしこと長男に関しては、適正体重をずっと保っている。
保っているというよりは、いつも結果的に、そうなっている。
生理的に、体内で、摂食調整をしているようにも感ずる。

だから最近の私は、「残さないで食べなさい」とは、言わない。
私たち自身も、レストランなどでは、適当に食べ、適当に残すように
している。
最近のレストランは、どこも量が多い。
まともに食べていたら、あっという間に、メタボリック!

食事の量は、子ども自身の「体」が決める。
量が少ないからといって、それで体が動かなくなるということはない。
子どもの腸は、おとなのそれより、はるかに効率よくできている。
腸の栄養吸収能力がすぐれている。
ほかに何も症状がないようであれば、子どもが食べ物を残しても、
それほど気にする必要はない。
「ぜんぶ食べなさい」と強要してはいけない。

なお、こんな親子もいる。

父親も母親も、超肥満体。
長男も長女も、超肥満体。
8歳になる息子も、肥満気味。

食事の量の基準そのものが、一般家庭のそれとは、ズレている(?)。
そういうこともある。

(注)同じ小食でも、「好き嫌い」は、別。
偏食が体によくないことは、言うまでもない。