Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Thursday, October 16, 2008

*Free from the burdon of Families

家族自我群からの解放

++++++++++++++++++

病弱の兄と、高齢の母が、この2か月の
間に、あいついで、他界した。

経済的負担はともかくも、それ以前につづいた
社会的負担には、相当なものがあった。
「一日とて、気が晴れる日がなかった」と言っても、
けっして、おおげさではない。

私には、悶々とした日々だった。
とくに、母との関係が壊れた、この14年間は、
重く、つらい毎日だった。

++++++++++++++++++

(運命の糸)……、だれしも、無数の糸にからまれている。
それを私は、「運命の糸」と呼んでいる。
いくらあがいても、もがいても、運命の糸は、向こうからからんでくる。
からんできて、その人の進むべき道を、勝手に決めてしまう。

過去の糸、周囲の糸、健康の糸、知人、友人の糸、親類、家族の糸などなど。
もちろんその中でも、もっとも強力なのが、(家族の糸)。
それを心理学の世界でも、「家族自我群」と呼んでいる。
その呪縛感には、相当なものがある。
その呪縛感の中で、人は、もがき、苦しむ。

もっとも良好な人間関係にあれば、よし。
しかし実際には、良好な人間関係にある人は、少ない。
兄弟どうしが、憎しみあい、さらには、親子どうしが憎みあう。
他人なら「さようなら」と別れることもできるが、肉親で
あるがゆえに、それもできない。

その人自身はともかくも、近くの親類の人たちがそれを許さない。
私のばあいも、たった数歳、年長というだけで、
ノー天気な人たちに、皆の前で、公然と批判されたこともある。

当の本人は、軽い節介のつもりかもしれないが、ときと場合によっては、
そうした心無い言葉は、グサリと胸に突き刺さる。

現実には、それをきっかけに、私のほうは、縁を切る。
交際を断ち切る。

兄の死にしても、母の死にしても、それ自体は、悲しいものだった。
その心には偽りはない。
しかし同時に、それまでの家族自我群から解放された喜びも、
これまた否定しがたい。

私は実家のことが心配で、海外へ移住もできなかった。
ほかにも、いろいろな夢や計画があったが、それも断念せざるをえなかった。

私の実家だけではない。
母は、私から受け取ったお金を、「小遣い」と称して、さらに母の実家に
貢いでいた。
母のすることだから、私には干渉できなかったが、半端な額ではない。
一度、それを母に確かめたことがあるが、母は、「(1回につき)、100
万円かなあ、200万円かなあ……」ととぼけてみせた。

ともかくも、人は、ひとりでは生きられない。
それはわかるが、同時に、ひとりで生きることを許してもくれない。

同時に、人は無数のしがらみやこだわりを、引きずって歩く。
重い足を、だ。

が、やっと私は、その家族自我群から解放された。
いくつかの事務手続きは残っているが、それはそれぞれの専門家に
任せてある。
あとは、静かに、心をいやしながら、そのときを待てばよい。

今朝、ワイフは、こう言った。
「今度から、2泊とか、3泊の旅行ができるわね」と。
どこかうれしそうだった。