Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, October 08, 2008

●性格論

●性格論

性格は、(加齢)(境遇)(教育)の3つの要素によって決まるという(「心理学」大村政男)。
その前に(気質)も問題になるが、「気質の上層に形成されるのが、性格と名づけられる
ものである」(P118)と。

大村政男氏は、こう説く。

「(性格というのは)、加齢、境遇、家庭や学校における教育などによって形成される層
で、個人の意志や意欲に関連している」(同)と。

ここで注目したいのは、(加齢)という部分である。
そのまま解釈すれば、「加齢によって、性格も変化する」ということになる。
ただその当人には、それはわからないかもしれない。
「気質」は変わらないとしても、「性格」というのは、その人のいわば、
CPU(中央演算装置)のようなもの。
加齢とともに、性格そのものが変化しても、その変化すらわからない。

これは同年齢の人たちを見たときも、同じである。
たとえば学生時代の同窓生たちと話していると、昔のままのような気がする。
が、だからといって、彼らが昔のままということにはならない。
彼らもまた、私と同じように変化していたら、その(変化)は、わからない
ということになる。

で、私自身の性格を振り返ってみる。

私の性格は若いころの私のままなのか、それとも変化したのか、と。
私自身は若いころのままだと思うが、ワイフは、こう言う。
「若いころよりは、穏やかになったわね。若いころは短気で、いつもカッカして
いたわ」と。

私が「フ~~ン」と言うと、「若いころは、自分を分析するような時間さえなかったわ」と。

とにかく(気質)というのは変えられないが、(性格)というのは、変わるものであり、
また変えられるものということになる。
たとえば教育がある。

これはとくに幼児教育においては、重要である。
年中児から年長児にかけての時期に、子どもの性格は、大きく変化する。
そのころは、ちょうど乳幼児期と少年、少女期への移行期にあたる。
この時期に、その子ども(=人)の、人格の「核」ができる。
「この子はこういう子だ」という、(つかみどころ)ができてくる。
つまりこの時期の教育をじょうずにすれば、子どもを別人のように、することも
できる。
たとえばグズグズしていた子どもを、ハキハキした子どもにする、など。

大村政男氏の説に当てはめてみると、それがよくわかる。
つまり性格は、境涯は言うにおよばず、教育によって、作られる!

そこで改めて私自身の性格について、考えてみる。

私が曲がりなりにも、(あるいはかろうじて)、性格がゆがまなかった理由は、
いくつかある。(あるいはゆがんでいるのかもしれないが……。)

(1) 母の愛情をたっぷりと受けたこと。
(2) 祖父母が第二の父親、母親がわりをしてくれたこと。
(3) 放任された状態で、自由気ままに幼児期、少年期を過ごしたこと。
(4) 学生時代の友人たちがよかったこと。
(5) 留学生活が人生の(柱)になったこと。
(6) 性格がきわめて安定しているワイフと結婚できたこと。
(7) 仕事が、幼児相手のものだったこと。
(8) 金持ちにはなれなかったが、生活費で困ったことがなかったこと。
(9) (今のところ)、大きな病気や事故を経験していないこと。

(気質)は変わっていないと思うが、そのため(性格)は、変わった。
若いころの私は、無責任で、ずる賢く、ウソつきだった。
ひょうきん者で、そそっかしかった。
そんな私が、今は、自分でもおかしいと思うほど、くそまじめになってしまった。
バカ正直というか、とくにウソに対しては、過剰なまでに反応するようになってしまった。
自分のウソもいやだが、他人のウソもいやだ。
ウソをつかれたとわかるだけで、言いようのない怒りを感ずる。
実際には、一度でもそういうことがあると、そういう人とは、縁を切る。
いっさいの交際をやめる。
これは若いころの自分に対する、反動形成のようなものかもしれない。
あるいは自己嫌悪?

さて、これから先、私の性格は、どのように変化するのか。
していくのか。

この先、(ボケ)という要素も加わってくる。
脳梗塞になって、まるで別人のようになってしまった老人を、私は、何人か知っている。
それまではキビキビとした人だったが、脳梗塞を境に、いつもニタニタというか、
ニヤニヤと笑ってばかりいる人もいた。
見た目には、たいへん穏やかになったが、しかしそういう人をさして、性格が変わった
と言ってよいのか。

ただ願うことは、老人になればなるほど、他人に好かれる老人になりたいということ。
ときどき老人ケア・センターを訪れるたびに、そう思う。
そのための性格づくりということも、これからは考えていかなくてはならない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 性格論 性格 気質)