Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, October 07, 2008

*To raise our spirits higher!

【思考と文化性】

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昨夜、同じ市内に住む義姉と、電話で話す。
おだやかな女性で、声を聞いているだけで、
心がなごむ。

最後に、「あさって、遊びにおいで」「行きます」
で電話を切った。

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●偽善者

世の中には、ことさら自分をよい人間に見せようと、
仮面をかぶる人がいる。
「私は、週に1度、老人ホームで、ボランティアを
しています」とか、何とか。

こういうのを、心理学でも、『愛他的自己愛』という。

が、実際には、ボランティア活動など、何もしていない。
同居している義父のめんどうすら、満足にみていない。

だからといって、ボランティアが無駄とか、そういう
ことを書いているのではない。
していないのなら、正直に「していない」と言えばよい。
ウソまでついて、自分を飾ることはない。

問題は、なぜ、そしてどこから心理が生まれるか、だ。

もともとこのタイプの人は、一本、筋の通った生き様がない。
波間に揺れる葉っぱのように、そのつど、世間の波に
合わせて、ユラユラと揺れている。
もちろん一片の哲学もなければ、人生観すら、ない。
それを考える(能力)もない。

だからいつしか、仮面をかぶって、世間をあざむこうとする。
それが高じて、愛他的自己愛となる。

●考える力

観光バスなどに乗ると、たいてい1組や2組、かしましい女性が
いっしょに、乗り込む。
バスにのったとたんから、ペチャペチャ、クチャクチャと
話し始める。

たいへんな物知りの人もいる。
こまかいことを、ああでもない、こうでもないと話す。

しかしそういう人を、「頭のいい人」とは言わない。
(ほとんどの人は、そう誤解しているが……。)

頭のよしあしは、思考力の深さで判断する。
そのことは、おしゃべりの子ども(とくに女児)を観察して
みると、わかる。

ADHD児は男児に多いとされるが、実際には女児にも多い。
少し症状がちがう。
女児のばあい、ふつうでない多弁性がともなうことが多い。
「よくしゃべる」というレベルではない。
話を聞いていると、聞いているほうが気がヘンになるほど、
よくしゃべる。
しかも相手の話を聞かない。
一方的に、しゃべる。
話がポンポンと飛ぶ。

こうした症状は、中学生、高校生になっても残る。
おとなになってからも、残る。
さらに最近では、女性には、右脳にも言語中枢らしきものがあることが
わかってきた。
「女性には、おしゃべりが多い」というのは、そういう理由によるもの
らしい。

どうであるにせよ、「よくしゃべるから、頭がいい」というのは、誤解。
まったくの誤解。
むしろ、思考力の深い子どもほど、見た目には、静か。
昔から『大きな魚は、川の底を泳ぐ』という。
『浅瀬に仇波(あだなみ)』とも言う。

子どもでも、ふつうでない多弁性が見られたら、質問をふやすことによって、
思考力の鍛錬をする。
そのつど、「なぜ?」「どうして?」を繰り返す。

●認知症

前にも書いたが、私たちの年齢になると、「あの人は、だいじょうぶ?」
というような会話から始まる。
つまり「あの人の頭は、だいじょうぶ?」と。

あるいは久しぶりに会ったりすると、まず相手の脳みその状態を観察する。
私たちの年齢くらいから、認知症が始まる。
アルツハイマー病を発症する人も少なくない。
脳梗塞や、飲酒や喫煙などで、脳みそそのものが、おかしくなる人も多い。
だから「だいじょうぶ?」となる。

私の知人に、このところ、どこか「?」という女性がいる。
数週間前に自分で言ったことを、すっかり忘れてしまう人である。
部分的に忘れるというよりは、その前後のエピソード(物語)そのものを
忘れてしまう。

で、最近、その夫と会話をする機会があった。
数年ぶりのことである。
そこでそれとなく、その女性(夫の妻)と、こんな会話をしてみた。

「○○さんのことで、何か気になることはありませんか?」と。

するとその夫は、「ないねえ」と。

私「いえね、この前、あることで頼みごとをしたのですが、すっかり
忘れてしまわれたものですから……」
夫「うちのやつ(=妻)は、頭だけはしっかりしていますよ」と。

この話を家に帰ってワイフに話すと、ワイフはこう言った。

「バカねえ、あのだんなのほうが、ボケているみたいよ」と。

ワイフは、その夫とときどき電話などで、話をしている。
それでそう言った。
つまり妻が認知症になっても、夫まで認知症になっていたら、たがいにそれに
気づくことはないということになる。
しかしこれは深刻な問題と考えてよい。

アルツハイマー病にしても、80~90歳にもなれば、約3分の1の
人がそうなるという。
ほかの脳疾患も含めれば、夫婦ともども、認知症になるケースは、多い。
60代でそうなるケースもあるだろう。
50代でそうなるケースもあるだろう。

そうなったら、だれがどのようにして判断すればよいのか。

●思考力の基準

そこでひとつの基準が生まれてくる。

(1) 静かに相手の話に耳を傾ける。
(2) こちらの話がじゅうぶん、理解できる。
(3) 頭の中で、それを反すうする様子を見せる。
(4) 自分の考えを、的確に表現する。

こういうことが自然な形でできる人は、少なくとも脳の健康は、
維持されているということになる。
そうでなければ、そうでない。

ただこういうことを、演技でする人もいるから注意したい。
やはり私の知人(70歳くらい)に、そういう人がいる。
何かを話しかけると、さも、私はよくできた人間ですというような表情で、
そのつど、深く、うなずいてみせたりする。
あるいは自分が利口であることを、ことさら演技してみせる。
しかし結局のところ、何も理解していない。
どこかのカルト教団に属する、信者の人だった。

他方、よくしゃべるが、一方的。
情報の羅列で中身がない。
そういう人は多いが、さらに、思い込みがはげしく、がんこになる人もいる。
自己愛者の特徴にもなっているが、このタイプの人は、自分のまちがいを
指摘されたりすると、突然、パニック状態になってしまう。

「そんなはずはない!」と大声で叫んで、ギャーギャーと泣きわめいたりする。

認知症に合わせて、人格の完成度が、きわめて低い人と判断してよい。

●人格の完成度

人格の完成度は、(1)相手との共鳴性、(2)愛他性、(3)他人との良好な
人間関係(EQ論)で、知る。

どれも重要な要素だが、認知症になると、人格そのものが崩壊し始める。
が、認知症でなくても、若いころからの積み重ねで、結果的に、そうなる人も
いる。

大切なのは、その人の生き方、あるいは日ごろの生き様ということになる。
その分かれ道を作るのが、(思考力)ということになる。
常日頃から、ものを考えるクセ。
これのあるなしによって、生き方そのものが、大きく変わってくる。

が、それだけでは足りない。
(文化性)の問題がある。
EQ論は、一般には、「人格の完成度」を知る尺度として利用される。
しかし実際には、「EQ」の「E」は、「Emotional」、つまり
「情緒」を意味する。

文化性は、情緒、つまり(心の豊かさ)と、大きくかみあっている。
言いかえると、先の、(1)相手との共鳴性、(2)愛他性、(3)他人との良好な
人間関係に合わせて、(心の豊かさ)こそが重要ということになる。

その心の豊かさは、その人の文化性ということになる。
たとえばく私の知人に、音楽家の人がいる。
有名な人ではないが、頼まれると、小学校や中学校へ出かけていき、そこで
演奏会を開いたりしている。

そういう人と話していると、ほかの人にはない、(深み)を感ずることがある。
その深みこそが、ここでいう(文化性)ということになる。

音楽を聴く、本を読む、映画を見る、絵画を楽しむ……。
そういう活動を通して、その人の文化性が養われる。

●文化性

ためしに小銭の奴隷になって、きゅうきゅうとしている人を観察してみるとよい。
口は達者で、それに口がうまい。
軽妙なことをペラペラとしゃべる。
しかし中身がない。
薄っぺらい。
趣味は、パチンコ。
あとはテレビの野球中継を見ること。
「DVDは見ないの?」と聞くと、「ああいうのは、頭が痛くなる」と。

しかし小銭には、異常なまでに敏感に反応する。
こまかいところで、いつも、こまかい計算をしている。
心に余裕がないから、話していても、心が通じない。
「文化性」がない人というのは、そういう人をさすが、しかしこれはあくまでも
相対的な問題。

高い文化性をもっている人からみれば、文化性の低い人がよくわかる。
が、さらに高い文化性をもっている人からみれば、その高いと思っている人ですら、
低く見える。

さらに同じレベルの人どうしでは、たがいにその文化性を感ずることはない。
また人は、同じレベルの人を求めて、集まる傾向がある。
そのほうが居心地がよいからである。

この文化性は、日ごろは、表に出てくることは、めったにない。
文化性が、文化性として、発揮されるのは、何かのことでその人が、
窮地に立たされたようなときである。

文化性の高い人は、そのつど、しっかりと自分を保つことができる。
そうでない人は、そのときどきの(縁)の影響を受けて、右往左往する。

●友を選ぶ

恩師の田丸謙二先生は、いつもこう言っている。
「高いレベルの人に会いなさい」「会って話をしなさい」と。

高いレベルの人に会うと、その反射的効果として、自分の低さを知ることが
できる。
それを知ることによって、さらに自分を高めるための目標をもつことができる。

一方、低い文化性しかない人とは、できるだけ接触しないほうがよい。
接触したところで、何も得るものはない。
へたをすれば、自分まで、そのレベルにまで落ちてしまう。
そういう意味では、(文化性)というのは、デリケート。
高めることはむずかしいが、落とすのは、簡単。
もともと人間というのは、動物。
何十本もの支えを身の回りに立てて、かろうじて、人間のフリをしているにすぎない。
ほんの少しでも油断したら、そのまま動物に、逆戻り。

年齢にもよるが、40歳とか50歳をすぎたら、相手を選ぶ。
選んで交際する。
よく誤解されるが、友だちの数が多いから、それでよいというのではない。
大切なのは、中身。
深さ。
世界の賢人たちも、みな、口をそろえて、そう書き残している。

●義姉のこと

どうして義姉が、あれほどまでに高い文化性を身につけるようになったか。
またできたのか、私にはよくわからない。

義姉は、介護の会の会長もしている。
仮面としてのボランティア活動ではなく、実際、あちこちで講師までしている。

苦労も多かったにちがいない。
穏やかな口調の中に、他人をそのまま包み込んでしまうような深みを感ずる。
ワイフの姉だが、ワイフたちは、早くして母をなくしている。
ワイフにしても、母代わりになった人である。
ワイフは、いつもそう言っている。

ときに私に、きびしい説教をすることもあるが、どういうわけか、イヤミがない。
ひとつには、ウソがないということ。
ありのままを、ありのままに話してくれる。
そのすがすがしさが、心の風通しをよくする。

明日、X時に会うことになっている。
たいへん楽しみだ。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct・08++++++++++++++はやし浩司

●『深い川は静かに流れる』

 『深い川は静かに流れる』は、イギリスの格言。日本でも、『浅瀬に仇(あだ)波』という。つまり思慮深い人は、静か。反対にそうでない人は、何かにつけてギャーギャーと騒ぎやすいという意味。

 子どももそうで、その子どもが思慮深いかどうかは、目を見て判断する。思慮深い子どもの目は、キラキラと輝き、静かに落ち着いている。会話をしていても、じっと相手を見据えるような鋭さがある。が、そうでない子どもは、そうでない。

 私は先日、ある女性代議士の目をテレビで見ていて驚いた。その女性は何かのインタビューに答えていたのだが、その視線が空を見たまま、一秒間に数回というようなはやさで、左右、上下にゆれていたのだ。それはまさに異常な視線だった。

その女性代議士は、毒舌家として有名で、言いたいことをズバズバ言うタイプの人だが、しかしそれは知性から出る言葉というより、もっと別のところから出る言葉ではないのか。私はそれを疑った。これ以上のことはここには書けないが、そういうどこかメチャメチャな人ほど、マスコミの世界では受けるらしい。

 が、この時期、親というのは、外見的な派手さだけを見て、子どもを判断する傾向が強い。たとえば本読みにしても、ペラペラと、それこそ立て板に水のうように読む子どもほど、すばらしいと評価する。しかし実際には、読みの深い子どもほど、一ページ読むごとに、挿絵を見たりして、考え込む様子を見せる。読み方としては、そのほうが好ましいことは言うまでもない。

 これも子どもをみるとき、よく誤解されるが、「情報や知識の量」と、「思考力」は、別。まったく別。モノ知りだから、頭のよい子どもということにはならない。子どもの頭のよさは、どれだけ考える力があるかで判断する。同じように、反応がはやく、ペラペラと軽いことをしゃべるから、頭のよい子どもということにはならない。むしろこのタイプの子どもは、思考力が浅く、考えることそのものから逃げてしまう。何か、パズルのような問題を与えてみると、それがわかる。考える前に、適当な答をつぎからつぎへと口にする。そして最後は、「わからない」「できない」「もう、いや」とか言い出す。

 その「考える力」は、習慣によって生まれる。子どもが何かを考える様子を見せたら、できるだけそっとしておく。そして何か新しい考えを口にしたら、「すばらしいわね」「おもしろいね」と、それを前向きに引き出す。そういう姿勢が、子どもの考える力を伸ばす。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct 08++++++++++はやし浩司