Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, November 16, 2008

*Devils in our Minds

●悪魔論

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あなたがそれを信じても、信じなくても、
どちらでもよい。
この話は、あくまでも、仮に……という話である。
「仮に悪魔というものがいるとしたら……」という
話である。
私自身、映画『エクソシスト』に出てくるような
悪魔の存在は、信じていない。

ここでいう悪魔というのは、心の問題。
心の中の問題。
「心」があるとしたら、その心の中に
すみつく、人間がもつ魔性のようなもの。

その魔性を「悪魔」というならば、たしかに
悪魔というのは(いる)。
それは私やあなたの心の中に(いる)。

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「心の中に(いる)」というのは、矛盾している。
そもそもおかしい。
「心」というものは存在しない。
だから、その心の中に(いる)というのは、おかしい。
心といいのは、観念的なもの。
存在しない。
だからここでいう悪魔も、観念的なものということになる。

それはよくわかっている。
しかし悪魔というのは、たしかにいる。
「心がある」と思うのと同じくらい、「たしかにいる」。
「いる」というよりは、「感ずる」。
人間が本来的にもつ魔性のようなものと思えばよい。
憎しみや嫉妬、怒りや不満……そういったものを総称したものが、悪魔。
簡単に言えば、そういうことになる。
その悪魔は、私やあなたの心の奥深くに潜んでいる。
私やあなたが苦しむのを、楽しんでいる。

で、とくに興味をもっているわけではないが、欧米人と会話をしていると、よく悪魔論が
話題になる。
ハリウッド映画の中にも、よく登場する。
善の象徴を「神」とするなら、悪の象徴は「悪魔」ということになる。
欧米人は、よくこの2つを対比させてものを考える。
『善と悪は、神の左手と右手である』と説くのも、そのひとつ。
神を信じている人は、同時に悪魔の(存在)を信じている。

で、彼らが考える悪魔論を、私が知りえた範囲で、まとめるとこうなる。

(1)運命をのろうものに、とりつき、その人を破滅させる

私たちの体には無数の「糸」がからんでいる。
家族の糸、親類の糸、社会や国の糸などなど。
能力や肉体の糸というのもある。
そういった糸が、私たちの進むべき道を、ときとして
勝手に決めてしまう。
私たちが望むのとはちがった方向に、私たちを導いてしまう。
それを「運命」というのなら、運命というのは、ある。

そこで大切なことは、その運命を感じたら、そしてその運命が
どうにもならないものであるのなら、静かにそれに身を任す。
運命というのは、逆らえば逆らうほど、ここでいう悪魔となって、
あなたを襲う。
「いやだ」「逃げたい」と思えば思うほど、あなたの身を焦がし、
あなたを苦しめる。
ある女性は、実父の介護をするのがいやでいやでたまらなかった。
だから実父の介護をしながら、それこそ地獄のような重苦しい毎日を
送らねばならなかった。

では、どうするか。

ここにも書いたように、すなおに身を任す。
やるべきことは淡々としながら、時の流れに、身を任す。

で、ひとたび運命を受け入れてしまえば、悪魔は、
向こうからシッポを巻いて逃げていく。

(2)悪魔は情け容赦せず、純朴で罪のない人を犠牲にする。

たとえば悪魔があなたを苦しめようとしたときには、あなたを
ターゲットにしない。
あなたの周囲にいる、純朴で罪のない人を犠牲にする。
あなたの子どもや、あなたの夫や妻など。
そういう人たちを容赦なく、自分の牙(きば)にかける。
悪魔の目的は、あなたを弄(もてあそ)ぶこと。
あなたが苦しんだり、悲しんだりするのを楽しむ。

一見不可解な行動に見えるかもしれないが、西洋ではこう言う。
『悪魔のつぎの行動を知りたかったら、悪魔の目的を知ればいい』と。

悪魔の目的はあなたを苦しめたり、悲しませたりすることであることが
わかれば、悪魔はもっとも効果的な方法を選ぶ。

ではどうするか。

悪魔というのは、元来、臆病で、気が小さい。
自分の存在を知られることを、何よりも恐れる。
知られたとたん、同じようにシッポを巻いて逃げていく。
恐れる必要は、まったくない。

自分の運命を静かに観察してみて、そこに悪魔を感じたら、それを
すなおに認めればよい。

(3)悪魔は、世俗的な成功や失敗には、興味をもたない。

悪魔がターゲットとするのは、あくまでも私やあなたの(心)。
世俗的な成功や失敗には、興味をもたない。
言い換えると、いかに私やあなたが世俗的に成功していても、また
反対に貧乏のドン底にいたとしても、悪魔は感知しない。

悪魔はそういった世俗性を超えたところに(いる)。

わかりやすく言えば、悪魔がとりついたからといって、事業に
失敗するとか、そういうことはない。

悪魔は、私やあなたの中の、最大の弱点を見つけ、そこを突いてくる。
あなたが孤独に弱い人間であるとわかれば、あなたを孤独にする。
あるいは私やあなたがいちばん大切にしているものを、容赦なく、
殺したり、死に追いやったりする。

では、どうするか。

あなたは惜しみない愛を、まわりの人たちに注げばよい。
もし方法がわからなければ、『許して、忘れる』。
これだけを繰り返す。
悪魔といえども、私やあなたに愛されている人には、手を出さない。
強固な愛で結ばれている人には、手を出さない。
あなたの愛にほころびができたとき、そのほんの一瞬のスキをねらって、
突いてくる。
だからどんなに逆境に落とされたとしても、最後の最後まで、
『許して、忘れる』。
それだけを心の中で念じて、あなたの愛する人を、あなたの愛で包む。

(4)ほかに……

欧米では、悪魔論は、自分を守るための道具として、使う。
というのも、悪魔論は、つねに結果論をともなう。
「結果的にそうなった……」という事実を知って、そこに悪魔が(いた)
ことを知る。
その過程で、悪魔がいたことを知ることはほとんどない。
知ったとたん、悪魔は私やあなたから退散する。
だから結果論ということになる。

では、どうするか。

常に自分の心の中の善と悪を、静かに観察する。
冒頭に書いたように、「神」が善の象徴であるとするなら、
「悪魔」は悪の象徴ということになる。
善にしても、悪にしても、それは私やあなたの心の中に(ある)。
それを知れば、つまり悪魔の存在を知れば、悪魔はそのまま
同じくシッポを巻いて退散していく。

悪魔というのは、だれにも気づかれず、コソコソと悪いことを
するのは得意だが、自分の正体を見られることすら、恐れる。
だったら、その正体を知ればよい。、

●最後に……。

こと悪魔に関して言えば、オカルト的な儀式をして、
追い払うとか、取り除くという問題ではない。
(ハリウッド映画の中では、そういったシーンがよく出てくるが……。)
あくまでも、私やあなたの心の問題ということ。

たとえば今、あなたが、家族のだれかのことで苦しんだり、
悩んだりしているとするなら、どうにもならないものであるなら、
静かに受け入れる。

私も実母の介護をするようになって、それを知った。
たしかに介護は、それ自体、たいへん。
便、食事、入浴の世話。
しかし私たちは最初から、母を許し、忘れることができた。
そのせいか、介護は、拍子抜けするほど、楽だった。

あとは、時間の問題。
空の雲が風に乗って、行くべきところに行くように、
あとは時間が解決してくれる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
悪魔 悪魔論 心の中の悪魔 悪の象徴)

Hiroshi Hayashi++++++++NOV 08++++++++++はやし浩司

●家離れできない人たち

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親離れ、子離れという言葉がある。
同じように「家離れ」という言葉もある。
この言葉は、私が考えた。

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概して言えば、女性に多い。
確たる統計があるわけではない。
しかし結婚してからも、実家意識が強く、
家離れできない人は、少なくない。
ことあるごとに「実家」「実家」と、うるさいほど
その言葉を口にする。

実家そのものが、宗教的な本尊になって
いるばあいがある。
心の拠り所になっているばあいもある。
称して「実家意識」というが、骨のズイまで
染みこんでいるため、その意識を変えるのは
容易なことではない。

いろいろなケースがある。

ある女性(現在84歳)は、いまだに
実家といえば、自分の生まれ育った実家をいう。
夫がいたが、夫の実家には、結婚した当初から、
ほとんど足を踏み入れたことがない。

よほどの昔からの名家かと思ったが、話を聞くと、
そうでもない。
終戦まではある程度の田畑をもっていた。
庄屋的な存在だったようだが、戦後の農地解放で
そのほとんどを失った。

結婚してからも、足しげく、実家に通っていた。
が、それに悲鳴をあげたのが、その実家を守る、
嫁、つまり長男の妻だった。

その長男の妻はこう言った。
「叔父、叔母たちは、私をまるで召使いか何かの
ように扱いました」と。

結婚して家を出てからも、(「出る」という言い方は
不適切かもしれないが……)、夫の生活の中に、
自分の根をおろすことができない。
先の女性(現84歳)にしても、「墓参り」といえば、
自分の生まれ育った実家への墓参りを意味する。
夫や夫の先祖の墓参りには、夫が死んでからも、
めったに行ったことがないという。

その女性は、「家」に執着するあまり、その家のもつ
呪縛から自分を解き放つことができない。
つまり「家離れ」ができない。

「家意識」には、そういう魔力も含まれる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
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Hiroshi Hayashi++++++++NOV 08++++++++++はやし浩司

●HP2133のキーボードを日本語式に

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パソコンの修理は、脳のトレーニングのようなもの。
ときに将棋をさしているような緊張感を覚えることもある。
が、古いぜんまい式の時計を修理するのとは、わけがちがう。
何しろ、中身が、まったく見えない。

で、おととい、HP社から、日本語キーボードの基盤が届いた。
早速、キーボードを、取り替える。
それまでは英語式キーボードだった。
英語式キーボードは、キーの位置と記号の位置が、一致しない。
それにENTERキーが小さく、使いにくい。
それで日本語キーボードを、別に注文した。

で、HPの指示どおり、あれこれ操作してみたが、どうもうまくいかない。
が、これには理由がある。
私は2133を購入したとき、誤って、Dドライブのシステムを削除して
しまった。
パソコンは日本語キーボード用のドライバーを読みだそうとするのだが、
肝心のそれがDドライブに、それがない。

そこでインターネットを利用して、ドライバーをダウンロード。
が、問題はここで発生。
ソフトの何がじゃましているのかわからないが、何度やっても、エラー。
その夜は、それであきらめることにした。

しかし、である。
翌朝、2133を立ち上げてみると、何と、2133が、日本語キーボードで、
作動するではないか!
これには驚いた。
理由がわからない。
言うなれば、パソコンが自ら、勝手に英語キーボードから日本語キーボードに
改めてくれたことになる。

「こういうこともあるんだなあ」と感心しながら、もう一度、説明書をよく
読むと、こうあった。
「ドライバーをインストールしたら、再起動してください」と。

ナーンダ、と思ったところでこの話はおしまい。
私は再起動をかけることを忘れていた!


●講演会

今日、市内のK小学校で、今年最後の講演会をしてきた。
学校関係の講演会は、これで終わる。
12月になると、学校は別の行事で忙しくなる。

「最後……」ということで、意気込んで行った。
約600人ほどの親たちが、体育館にいた。
が、時間が短かったこともあり、できは最悪。

あとでワイフに聞いたら、「声がうしろのほうまで
届いていなかったみたい」と。
何しろ広い会場である。
私が大声で叫んでも、最後列まで、声が届かない。
マイクの音量も、小さかったらしい。

帰りの車の中で、しばし沈黙。
こういう講演会は、やっても、後味が悪い。
「やった!」という達成感がない。
野球の試合でいうなら、連続三振を取られたような感じ。
自分の失敗で、試合に負けてしまった。

……ということで、帰りには、マイン・シュロス(レストラン)
で、ステーキを食べた。
禁断の肉料理。
やけ食い。
(マイン・シュロスは、安くて、おいしい。
JR浜松駅のやや東側にあるレストラン。
浜松へ仕事か何かで来た人には、お勧め!
ディズニーランドのような楽しい雰囲気が
私は大好き!)

帰ってきてからは、コタツの中で、そのままうたた寝。
いろいろな夢を見たようだが、ぜんぶ、忘れた。
また1月からがんばろう。

そうそう大阪に住む友人が、おととい電話でこう言っていた。
「日曜日(=今日、11月16日)にも、仕事がある」と私が言うと、
「仕事があるいというだけでも感謝しなくちゃあ」と。

大阪は今、冬の陣。
冬のまっただ中。
何もかも、不景気のどん底らしい。
「そうだなあ」というような返事をして、この話はおしまい。

コタツから起きあがって、このエッセーを書いた。

(明日の朝、体重計に乗るのが、コワ~~イ。)


●AS首相の誤読

身の丈も知らず、AS首相は外国で、調子のよい話ばかりしている。
何でも今度は、IMFに10兆円も拠出するという。
金(マネー)をばらまけば、それで世界に注目されると思っているのか。
先日の報道によると、原稿の漢字すらも、満足に読めないらしい。

「踏襲」を「フシュウ」と読み、「未曾有」を「ミゾユウ」などと読んでいたという
(中日新聞、報道)。

これに対して、AS首相の周囲の人たちは、「読みまちがいはだれにでもある」
「今度から振り仮名をつける」「老眼を用意していなかった」などと、AS首相を
かばっている。

しかし「踏襲」を「フシュウ」と読んだり、「未曾有」を「ミゾユウ」と
読むのは、読みまちがいではない。
読みまちがいとは言わない。

「踏襲」の「踏」は、「踏(フ)む」とも読める。
だからAS首相は、「フ・シュウ」と読んだ。
「未曾有」の「有」についても、同じ。
つまり、漢字の読み方を知らなかった。
つまり、その程度の首相。

そんな首相が、経済危機を利用して、首相の地位に居座っている。
そして世界で、メチャメチャなことを言っている。

「アメリカドルは、もはや世界の基軸通貨ではない」という国際的な
世論に逆行して、「まだアメリカドルは、健在」と、ひとり日本だけが
がんばっている。

ブッシュ大統領も、苦笑いしていたことだろう。
私がブッシュ大統領なら、こう言う。
「おいおい、そこまでリップサービスをしなくていいよ」と。

AS首相の支持率は、さがりにさがって、過去の歴代首相の中でも、現在、最低。
これではますます、J党はだめになる。

(しかし……それにしても、レベルが低い。
低すぎる。)


●大不況

今回の不況は、ただものではないようだ。
まだまだ序の口。
これから先、どうなることやら?

しかし私は過去、40年近くの間に、何度も不況を経験してきた。
が、こういうときこそ、ふんばる。
ふんばって、ふんばって、最後までふんばる。

前回のとき(バブル経済崩壊後のころ)も、そうだった。
あのときも、私はふんばった。
そのため周囲にあった10教室近い幼児教室は、みな、閉鎖した。
生き残ったのは、私の教室、ひとつだけ。

経済が少し上向いたとき、生徒たちがみな、どっと戻ってきた。

しかし銀行から借り入れをしながら経営をつづけている企業は、かわいそう。
このところ(貸しはがし)が、はげしくなったという話も耳にする。
どうなるんだろう?

大不況も短期間で終われば、まだ何とかなる。
しかしこんな状態があと半年とか、1年もつづいたら、みな、持ちこたえられなくなる。
そのときが怖い。
私の教室だって、事情は同じ。
しかしどうせ今でも、赤字ギリギリ。
これ以上、悪化することはない。

大切なのは、儲けることではなく、仕事ができること。
こうしてものが自由に書けること。
生きがいを失わないこと。

そう考えて、今回も、ふんばる。
土俵の間際で、ふんばる。

さあ、来い、大不況め!
負けないぞ!


Hiroshi Hayashi++++++++NOV 08++++++++++はやし浩司