Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Saturday, November 15, 2008

*What is the husband for a wife?

●離婚するとき

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離婚する人の気持ちは、離婚する人でないと
わからない。
そこに至るまでには、それぞれ、人には説明しがたい
プロセスがある。
思いがある。
その思いは、複雑。
無数の糸がからんでいる。
が、ひとたび離婚を決めてしまうと、それまでの
世界が一変する。
「それまでの霧がいっぺんに晴れたみたい」となる。
「どうして今まで、こんな人と?」となる。

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●親子の縁、兄弟の縁

定年離婚というのは、ほとんどのばあい、妻の側から切り出される。
しかもある日突然。
「離婚します!」と。
それについて今朝、ワイフがこう言った。
「そういうときというのは、夫が何を言っても、手遅れなのよ」と。

ゾーッ!

離婚とまではいかないにしても、似たような経験は、よくする。
たとえば友人、兄弟姉妹、親の間など、で。

数日前も、ある従兄弟(いとこ)と話したが、その従兄弟のばあい、
兄弟や姉妹との行き来は、まったくないという。
実家の近くまで行っても、実家に寄らないで、そのまま帰る、とも。
そこでいろいろ話を聞くと、こう教えてくれた。

「兄貴にしても、親父にしても、うるさくてたまらない」と。

どうやら、この(うるさい)という言葉の中に、人間関係の複雑さを解くカギが
あるようだ。
つまりうるさい人間は、夫であれ、妻であれ、親であれ、兄弟、姉妹であれ、
嫌われる。
それが長い年月を経て、積もり積もって、「別れ」となる。
夫婦でいえば、「離婚」となる。

●うるさい人間

うるさい人間というのは、結局は、自己中心性の強い人間ということになる。
自分勝手でわがまま。
他人の話に耳を傾けない。
自分中心の価値観を、相手に押しつける。
「ああしろ」「こうしろ」と。
そして自分こそが、絶対正しいと、信じて疑わない。
これはそのまま、自己愛者の特徴でもある。

自己愛者は、自己中心性が極端に強く、自己の絶対性を譲らない。
だれかに批判されただけで、激怒する。

この自己中心性が、相手を遠ざける。

が、自己中心性が強い分だけ、相手の心の変化を読めない。
読めないから、「ある日突然……」となる。

●乾いた心

離婚はともかくも、……というのは、私自身も経験がないので、
似たような心理状態は、私もする。
たとえば友人にしても、それまでは友人と思っていても、「顔も見たくない」
と思うようになることがある。
「嫌う」という心理ではない。
心そのものが、乾いてしまう。
相手が何を言ってもう受けつけなくなるというよりは、相手の言葉が、
こちらの心に染みこんでこない。
「話をしても、どうせ無駄」とか、「どうせ理解してもらえない」とか。
そういう心理状態になる。

この段階で、言い争うようであれば、まだ救われる。
脈がある。
喧嘩するようであれば、なおよい。

しかしいったん、心が乾いてしまうと、争ったり、怒るということもなくなる。
「別れたい」という積極的な意思すらなくなる。
どうでもよくなって、それが自然な(別れ)につながっていく。

●段階説

そこで離婚に至る過程を、段階的に考えてみる。

(1)葛藤期

喧嘩や言い争いが多くなる。
回数が多くなり、ときにはげしく衝突する。

(2)無言期

たがいの会話が途絶える。
口をきいたとたん、一触即発の状態になる。

(3)第二葛藤期

悶々とした状態で、日々を過ごす。
よくうつ状態がはげしくなる。

(4)離婚期

葛藤がはげしくなり、よくうつ状態が限界に達する。
とたん、相手への思いが、消える。
この段階になると、離婚にともなう敗北感や、世間体に
対する体裁などが消える。
「別れたい」という思いが何にもまして優先する。

離婚する人、あるいは離婚したい人に、それまでの思い出はどうなるのかと
聞くと、たいてい、こう言う。

「楽しかったはずの思い出すら、まったく色あせてしまう」と。

●恩着せ

先にも書いたように、自己中心性の強い人は、相手の気持ちがわからない。
ある夫は、妻が離婚を切り出したとき、こう言ったという。

「今まで、オレは、家族のために粉骨砕身でがんばってきた。
お前たちのために、どれほど苦労してきたかわからない。
何が不満なのだ!」と。

しかし離婚する側は、そういった恩着せがましい言い方そのものが許せない。
恩を着せられれば着せられるほど、相手への気持ちが消えていく。
それもそのはず。
夫婦は、たがいに無私であってこそ、夫婦。
「恩」が入りこむ隙間(すきま)があるほうが、おかしい。

恩着せがましいことを言えば言うほど、夫婦の間の亀裂は大きくなる。

●では、どうするか

夫婦も、無私の愛をつらぬく。
たとえば自分の子どもに、「産んでやった」「育ててやった」と言う親がいる。
これも恩着せだが、それが妻に向かうと、「仕事をしてやった」
「お前たちのためにがんばってやった」となる。
その言葉のもつ低劣さは、言うほうにはわからない。
言われたほうにしかわからない。

悪玉親意識、あるいは権威主義的なものの考え方をする人ほど、
こうした言葉を口に出しやすいので、注意する。
悪玉親意識というのは、いわゆる親風を吹かす人をいう。
権威主義的なものの考え方というのは、「夫が上で妻が下」「親が上で子が下」
というように考えることをいう。
たった数歳、年上というだけで、年長意識をもったりする。

悪玉親意識(このばあいは、悪玉夫意識)や、権威主義的なものの考え方は
捨てる。
とくに注意したいのは、無意識のまま、自分の親たちの意識を引き継いで
いるばあい。
こうした意識は、代々、親から子へと、世代連鎖しやすい。
そういう意識をもっている人は、一度、自分の親がそういった意識を
もっていなかったかどうか、心の中で確認してみるとよい。

●付記

あなたのまわりにも、悪玉親(夫)意識や、権威主義的なものの考え方を
する人は少なくないはず。
そういう人の家庭を、ほんの少しだけ、のぞいてみるとよい。
たいてい親子断絶、もしくは離婚寸前という状態であることがわかる。

反対に、親子の関係が断絶している家庭、離婚の一歩手前にいる夫婦を、
観察してみるのもよい。
たいてい親のほうが、あるいは夫のほうが、悪玉親(夫)意識をもっているか、
夫が権威主義的なものの考え方をしているのがわかる。

封建時代の昔から、私たち日本人には、権威主義的なものの考え方が、
骨のズイまでしみこんでいる。
「上下意識」が、それ。
その上下意識が、人間関係をゆがめる。
家庭、家族にあっては、この権威主義は、百害あって一利なし。
そう考えて、まちがいない。

人間に上下はない。
親子の間にも、ない。
夫婦の間には、さらにない。
ついでに言うなら、おかしな武士道なるものには、じゅうぶん、注意したほうがよい。
今、封建時代の負の遺産には目を閉じたまま、武士道なるものを一方的に
賛美する人が、あまりにも多いのには、驚く。


Hiroshi Hayashi++++++++NOV 08++++++++++はやし浩司

●悪玉夫意識

「私は夫だ」と、夫風を吹かすことを、悪玉夫意識という。
(夫意識にも、善玉と悪玉がある。)

上下意識が強く、「夫(男)が上で、妻(女)が下」と考える。
考えるというよりは、無意識のまま、それを基盤にものを考え、そして行動する。
妻に対して、「おい、お茶!」式の言い方をしながら、それがおかしいと、
みじんも思わない。
反対に、それがあるべき夫、さらには夫婦の姿と思いこんでいる。

悪玉夫意識がおかしいことは、今さら、改めて書くまでもない。
それについては、何度も書いてきた。

で、ここではもう一歩、話を進めて、悪玉夫意識を認めている妻も、
これまた多いということについて書いてみたい。
こういうばあい、妻自身が、悪玉夫意識を受け入れてしまっている。
そしてそれが、夫として、あるべき姿と認めてしまっている。
夫に対して隷属的に仕えることに、なんら疑問を感じないばかりか、
それをあるべき妻の理想的な姿と思いこんでいる。

このタイプの妻は、自分自身も、権威主義的な家庭で乳幼児期を過ごしている
と考えてよい。
つまり封建主義時代の亡霊が、骨のズイまで染みこんでいる。
そればかりか、それがその妻の生き方の柱になっていることが多い。
そのため妻自身に、それを気づかせるのは、容易ではない。

もっとも、それで夫婦の間が円満であれば、それでよい。
夫にとっても、居心地のよい世界かもしれない。
他人である私やあなたが、あえて内政干渉する必要はない。

私の知人夫婦もそうだ。
夫(55歳)はもちろん権威主義的なものの考え方の持ち主。
家事はいっさい、手伝わない。
「男は仕事、女は家庭」という意識を強くもっている。
が、それに答えて、妻(52歳)のほうも、「夫が上で、妻が下」と
いう意識を強くもっている。

こんなことがあった。

夏になると、寝室が湿気(しけ)て困るという。
寝室は、家の裏側にあり、風呂場がその横にあった。
そこで私が「換気扇をつければいい」と言うと、その女性はこう言った。
「とんでもありません。あの家は、夫が一生懸命働いて建てた家です。
そんな家に穴をあけるなんて……!」と。

私は「ハア……」と言っただけで、言葉がつづかなかった。

意識というのはそういうもの。
が、それでその女性がはたして幸福なのかというと、それは疑わしい。
どこかで何かの(わだかまり)を感じているのかもしれない。
どこかで(自分)を押し殺しているのかもしれない。
会話の途中で、「私の夫は、すばらしい人です」と、何度も言った。

ふつうは、そういうことは、あまり言わない。
(私のワイフなどは、ぜったいにそういうことは言わない!)
つまりそうでないから、その心をごまかすために、そう言う。
もちろん自分の心をごまかすために、である。

なお最近の意識調査によれば、約70%の夫が、料理を積極的に
するようになったという(中日新聞・08・11)。
たいへんよい傾向である。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
悪玉夫意識 悪玉親意識)