Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, November 11, 2008

*A trouble between Mother and her Daughter

●ある親子の確執

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マガジンの読者の方から、こんな相談
があった。

80歳になる母親が、その女性(57歳)に、
毎日ひどい言葉を、投げつけるというのだ。
その女性は現在、ひとりで、母親の介護をし
つづけている。

とても他人ごととは思えなかったので、昨夜、電話を
してみた。

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その家には、80歳になる母親と、その娘(57歳)が住んでいる。
母親がほぼ寝たきりの状態になって、もう2~3年になるという。
が、毎日、悪態の連続。
その女性は、「耐えられない」と、電話口の向こうで、何度もそう言った。

「たとえば食事がまずいと、こんなもの食べれないとか、100万円
もってこいとか言うのです。で、私が何か口答えすると、母は、
『お前が子どものころ、私はどんだけ苦労したかわからない。その恩を
忘れるな』と言います」と。

こういうケースのばあい、注意しなければならないことが、いくつかある。

(1)低次元の人と同居していると、自分まで低次元な人間になってしまう。

その女性の母親は、かなり低次元な人とみてよい。
あるいは認知症を発症しているのかもしれない。
ともかくも、低次元な人と同居していると、そのときは、反面教師としてその
人を批判したりはするが、その人自身も、やはり低次元な人間になってしまう。
そのときはそうならなくても、(つまり緊張感がつづいている間は、そうならなく
ても)、その緊張感が取れたとたん、低次元な人間になってしまう。

よくある例が、息子や娘が、加齢とともに、父親や母親そっくりの人間になったり
すること。
自分では気がつかないうちに、そうなる。

だから恩師の田丸謙二先生は口癖のように、いつもこう言っている。
「林君、高次元の人とつきあいなさいよ」と。

(2)低次元な人を、まともに相手にしてはいけない。

これは子育てにも通ずるが、子どもに「バカ!」と呼ばれて、本気で怒る親もいれば、
まったく気にしない親もいる。
しかし相手は子ども。
本気で怒るほうが、どうかしている。
同じように、80歳にもなった母親である。
本気で相手にしてはいけない。
本気で相手にしたとたん、その毒気に巻き込まれてしまう。

(3)老人の心理を理解する。

老人の心理は、キューブラーの『死の受容5段階説』が、そのまま当てはまる。
死を宣告された人は、(否認)→(怒り)→(取引)→(抑うつ)→(受容)の
5段階を経て、やがて自分の死を受け入れるようになるという。

老人もまた、自分の(老後=末期)を、似たような段階を経て、やがて受け入れる
ようになる。

その女性の母親は、キューブラーの『死の受容5段階説』に当てはめると、
(否認)→(怒り)の段階にあるものと思われる。
自分の老後を受け入れらず、その(怒り)を、娘であるその女性にぶつけている。

(4)運命を受け入れる。

こういうケースのばあい、運命に逆らうと、運命は悪魔に変身して、容赦なく
その人に襲いかかってくる。
しかし一度、それを受け入れてしまえば、運命は、(悪魔でもよいが)、しっぽを
巻いて向うのほうから逃げていく。

「どうせバー様のいうこと」と割り切って、相手にしない。
やるべきことはやってあげながら、あとは暖かい愛情で包む。

実のところ、私の母も同じような段階を経て、最後は(受容)の段階へと
たどりついた。
とくに私の家で同居するようになったころには、そうなっていた。
おだやかで、やさしく、ものわかりもよかった。
一度とて、不平、不満を口にすることもなかった。

だからその女性には、電話で、こう言った。

「とにかく、そんな老人は、本気で相手にしてはいけません。
サルか犬のように、思えばいいのです。
本気で相手にしたとたん、不愉快になりますが、あなた自身も、
いつかあなたの母親そっくりな女性になってしまいます。
ユングという学者は、それを(シャドウ)という言葉を使って
説明しました。

身に回りに高次元な人を見つけて、その人と接触したり、
相談したりします。

あとは運命は、受け入れる、です。
そこに運命があるなら、そのまま受け入れます。
逆らえば逆らうほど、苦しむのは、あなた自身ということになります」と。

ついでに言えば、その女性とその女性の母親は、共依存関係にあるとみてよい。
たがいに依存しあっている。
もちろんその女性は、それに気づいていない。

仮にその母親がいなくなったら、そのとたんその女性の心には、ぽっかりと
大きな穴があいてしまうだろう。
で、その穴の中に入ってくるのが、(孤独)。

孤独の恐ろしさは、ふつうではない。
仏教でも最大の(地獄)として、それをとらえている。
つまり無意識のうちにも、その女性は、その孤独を癒すために、(あるいは忘れる
ために)、母親と共依存している。
「孤独で苦しむよりは、母親といっしょに暮らしたほうがいい」と。

親子といっても、内容はさまざま。
みな、ちがう。
理解しあい、励ましあい、仲よく暮らしている親子となると、さがさなければならない
ほど、少ない。
親は子をもうけて、親になるが、よい親子関係をつづけるのは、むずかしい。
「私はだいじょうぶ」と過信している人ほど、あぶない。
念のため!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
共依存 キューブラー 死の受容段階説)